LIVING DAYLIGHTS
互いの気持ちを確かめあったアレスとナンナは、力をあわせて脱出を図った。
壁をよじ登るのは難しいが、この穴はナンナがアレスの肩に立てば外に頭が出る程度の深さだったのだ。
ただ、問題はアレスの怪我である。ナンナを受け止めた時、太ももの傷が開いてしまったのだ。
「ああ、ますます私って役に立たないわね。アレスの傷を悪化させた上に、杖を馬に乗せたままだなんて…。」
「そう嘆くなよ。大したことないから。ここから出てからゆっくりライブしてくれればいいさ。」
言葉の割にアレスは辛そうで、ナンナの目にはアレスの足に巻かれた布が既に赤く染めあげられているのが見えた。そんな状態で今のナンナがアレスの為に出来ることは、一刻も早く穴から脱出し、アレスの馬に積まれたロープをたらしてアレスの脱出を手助けすることだけだった。
しかし若干高さが足りなかった。無理をしているアレスはナンナを乗せて爪先立ちするように伸び上がることは出来ない。壁に手をついてなんとか二人分の体重を支えているが、どうしても怪我をしている足と逆の方へ身体が傾きがちになり、結果的にナンナは肩が上に出られないため穴の外へ身体を持ち上げるのが苦しかった。
ナンナは焦った。こうしている間にも、アレスはどんどん体力を奪われて行く。
「あの、ね、アレス。先に謝っておくわ。ごめんなさい。」
「何が?」
「その、ごめんねっ!!」
言うなり、ナンナはアレスの頭を踏み台にしてジャンプした。肩に残した足に軽く体重をかけ、ひざを曲げながら勢い良くアレスの頭にもう片方の足を踏みおろして跳ね上がったナンナは、その勢いで胸まで穴の外に飛び出し、後はそのまま這いずるように脱出した。
ナンナが急いでロープを近くの木に縛り付けて穴の中にたらすと、穴の底ではアレスが頭を押さえて壁に寄り掛かっていた。
「ごめんなさい。でも、おかげで脱出できたから許して。」
「……。」
アレスは何も言えずに、たらされたロープを掴んだ。そのまま痛みを堪えてロープを手繰るようによじ登り、上から引っ張る馬とナンナの手助けもあって、間もなく脱出を完了した。
アレスの脱出を見届けると、ナンナは脇に持ってきていたライブの杖で急いでアレスの傷を癒した。
「サンキュー。だいぶ楽になった。」
傷を塞がれて痛みは引いた。多少の違和感やだるさが残っているが、直に回復するだろう。
「良かった。やっと役に立てたわ。」
「それじゃ、急いで戻るか。」
「ええ。」
答えながら、ナンナはちょっと視線を彷徨わせた。
「どうかしたのか?」
「うん。やっぱり戻ったら叱られちゃうだろうなぁ、と思ったらちょっと…。」
結果的にアレスを救うことは出来たが、飛び出してから随分経ってるし、そもそも独断行動だし。制止を振り切って長時間行方をくらまして、帰ったらいったい何人の人がナンナに説教しようと待ち構えているのやら。
「まぁ、原因は俺だから一緒に怒られてやるさ。」
「本気?言っておくけど、お父様のお説教って長いわよ。普段は私達の自由にさせていろいろフォローしてくれる代わりに、いざとなるとそりゃもう延々と言い含めるように話が続くんだから。」
「そうなのか?」
ナンナは鬱陶しそうに言っているが、そこまで心配してくれる身内がいるのは羨ましくもある。それにフィンが、声を荒げて怒るのではなく、かといってネチネチと言うわけではなく、切々と言い聞かせるというのはそんなに意外なことでもない。確かに、長々とお説教を聞かされるのは歓迎したくはないが、アレスは覚悟を決めておくことにした。
明け方、二人はマンスター城に辿り着き、静かに厩舎へ馬を引きながら、今後の予定を確認した。
「そろそろ皆が起き出す頃だから、そしたらまずはセリスのところへ行くぞ。」
「一緒に行ってくれるの?」
不安そうに聞いたナンナに、アレスはそっと近寄りその頭の上にポムッと手を乗せた。
「当たり前だ。俺も戻ったことを報告しなきゃいけないし、帰りが遅れたことを一言謝らなきゃならないからな。」
「でも、あれは事故でしょ?」
「ああ。だが事情はともあれ、そうするのがスジってもんだ。個人的には凄く嫌なんだけど…。」
ナンナのおかげでシグルドに対する誤解が解けてセリスに恨みはなくなったわけだが、今度は今まで誤解してとってきた態度に対する記憶がセリスに対して素直になれない要因となっていた。それにセリス個人に対する評価として、アレスは決してよい印象を持っていない。
「セリスのところが済んだら、次はリーフかな?多分、叔父上と一緒にいるだろうから無視できないだろう。」
「ああ、気が重い〜。」
ナンナは周りの空気とは似つかわしくない溜め息をついた。
「俺を助けに来たこと、後悔してるか?」
「そんなことないわ。方法は正しかったとは思わないけど、あなたを助けに行ったことを後悔なんか絶対しない。」
ナンナはアレスの胸に凭れ掛り、アレスはそのままナンナを包み込むように抱き締めた。しばらくそのままでいた後、二人はどちらからともなくもう一度唇を重ねようとした。
突然、アレスがハッと厩舎の方を見据えた。
「どうしたの?」
ナンナが顔を上げてアレスの視線の先を追うと、厩舎の中からフィンが現われた。フィンは二人の元に歩み寄ると困ったようにしばらく視線を彷徨わせてから、意を決したように手を振り上げてナンナを引っぱたいた。
渇いた音が派手に響き、熱を持った頬を押さえて呻くナンナにフィンは激情を押し殺しているかのような声で言った。
「二度と、こんな勝手な真似はするな。」
「はい…申し訳ありませんでした。」
ナンナは深々と頭を下げた。フィンは、ナンナに釣られたように一緒に頭を下げてしまったアレスの横を通りながらボソっと一言漏らすと、足早に城の中に入っていった。
アレスの耳には、「2人とも無事で良かった」と聞こえた。
間もなく起きて来たセリスの元へ、アレスとナンナは面会を申し出た。
アレスは一通り極簡単に事情を説明して詫びを入れた。ナンナのおかげで助かったという部分が強調された話を聞きながら、セリスはアレスの服に染み付いた血と足に巻かれた血染めの布をしげしげと見て、何があったのか大体のところを覚った。
「とりあえず次の作戦には間に合うように戻って来たんだし、君も大変だったみたいだから遅延の責任は不問とするよ。」
セリスはアレスに頭を上げさせると、今度はナンナの方を向いて言った。
「ナンナも、よくアレスを救出してくれたね。勝手な行動は決して褒められたものではないけれど、結果オーライで差引するとしよう。」
セリスの前に来てからこっち、ずっと俯いていたナンナが少し顔を上げると、セリスはちょっと考え込んだ風にして続けた。
「ん〜、どうしようかなぁ〜。全くおとがめ無しってのもまずいもんね。ここはひとつ、反省文でも書いてもらおうかなぁ。」
「そんなことでいいんですか?」
あまりの処分の軽さにナンナは驚いた。
「うん。だって、アレスにこんな態度を取られたら、あんまりナンナを責めるわけにはいかないじゃない?」
「はぁ?」
ナンナは因果関係がよく分からなかった。
「それに、ほっぺた腫れてるよ。」
ハッとして頬を押さえたナンナに、セリスは言った。
「フィンに叩かれたんでしょ?」
「何故それを…。」
まだ起床時間前だったし、厩舎は見張り台から死角になっているはずなのに。
「君が飛び出した後フィンが来て「ナンナが戻ってきたら厳しく叱っておきますから」って言ってたから、そうかなって。当たり?」
ナンナは黙って頷いた。
「それじゃぁ、もう他の人は怒れないよ。」
あのフィンに手を上げさせたことが、ナンナにとってどれ程ショックだったか。また、あの一撃でナンナはどれ程自分の行いを反省させられるか。フィンにここまでさせておきながら、いったい誰がどんな言葉でナンナを叱ることができるだろう。
フィンはすべてを見越した上で、ポリシーに反してナンナを引っぱたいたのである。その上、普段なら絶対にセリスに頭を下げたりしないアレスが、ナンナを庇って殊勝にも進んで頭を下げてきたのだ。そんな二人の行為を無にするようなことをしたら、それこそ解放軍リーダーの名折れだし、父シグルドの名にも泥を塗ることになる。
「とにかく、二人ともまずはゆっくり休んで。疲れて戦えませんなんて泣き言は認めないからね。」
セリスはニコッと笑うと、二人を部屋から追い立てた。
セリスの部屋を辞した後、ナンナはアレスに連れられて他の人々に謝って回った。
皆、「あまり心配掛けるな!」と怒ったように言ったが、セリスが言っていた通り、すべては自分の不注意が原因だからとナンナを庇うように言い張るアレスとフィンに叩かれた跡が残るナンナの姿に、誰もがナンナの独断行動に対して寛大な姿勢を見せた。
「皆、どうして何も言わないのかしら?」
ナンナは、絶対いろんな人からいっぱい叱られると思っていたのに、誰もが「心配掛けるな」と言ったきり、勝手に城を飛び出したことに対しての責任を追求しないことを不思議に思った。
そんなナンナに、パティは明るく言った。
「何を言われると思ってたの?」
「てっきり、城に戻ったらいろんな人から今回の独断行動を責められると思ってたんだけど…。」
「ああ、何だ。そんなこと?」
パティはクスクス笑って、ナンナに一言告げた。
「だって、ナンナってばお父さんとアレス様にすっごく愛されてるんだもん。」
それだけを言い残すと、パティはさっさと部屋を出て行った。後に残されて首をひねっていたナンナがその意味を知ったのは、それから数時間後のことだった。
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