LIVING DAYLIGHTS
マンスターで竜騎士団を迎撃した解放軍は、ミーズに攻め下る前にマンスター城で休息を取ることになった。それは、一山超えた後の休息ということもあったが、山向こうの村を救いに行ったアレスを待つという意味もあった。
しかし、予定の期日が過ぎてもアレスは戻ってこなかった。多少の誤差というものを考慮に入れても、何かあったとしか考えられない程の遅延であった。
「ねぇ、パティ。アレス戻ってきてないかしら?」
「まだ、戻ってないみたいよ。レスターのところにも来てないって。」
戻ってきたら『シーフのうでわ』を買い取ってもらう約束をしているから、絶対に急いで顔を出すはずなのだが、そんなレスターのところにも姿を見せていなかったし、偵察でも何の情報も入っていなかった。
「どこかで遊んでるんじゃないの?」
リーフは、アレスの無事を祈るナンナを安心させるつもりなのか本気でアレスが遊んでると思っているのか、そんなことを言って回った。そして心配する様子など微塵も表さずにナンナを剣の稽古やお茶に誘ったり、回復の杖の使い方を教わりに来た。気を紛らわせるつもりもあったのかも知れないが、剣の稽古をしているとナンナはアレスと別れた時のことを思い出さずにはいられなかった。
「セリス様に聞いてみたら?一番、情報が集まるはずよ。」
パティに促されてナンナはセリスの元に向かったが、そこでもいい知らせは得られなかった。
「今、フィーに例の村まで飛んでもらってる。そこからルートを逆に辿って捜してもらうことになってるから、彼女が帰ってくるまでもうしばらく待とう。」
「私も捜しに行きます。」
ナンナはセリスにハッキリと告げると、そのまま出て行こうとした。しかし、いつの間にか来ていたリーフがナンナの腕を掴んだ。
「ダメだよ。まだ残兵がいるかも知れないんだ。女性が一人で行動するなんて危険すぎる。」
「フィーも女性だぞ。」
「あ、ごめん、レヴィン。もとい、空を飛べない女性が一人で行動しちゃ危険だよ。」
すかさず茶々をいれたレヴィンに即座に言動を訂正したリーフは、ナンナの単独行動を制止した。ナンナもその危険性は認めざるを得なかった。しかし、一緒に捜しに行ってもらえる人間の心当たりはない。パティもラクチェも歩兵だし、フィーは既に捜索に出ているし、デルムッドは巡回当番があるから抜けられない。
「リーフ様に、一緒に来てほしいって言ってもダメですよね?」
「どうして私がアレス殿を捜しに行かなかきゃいけないんだい?そんな義理はないし、アレス殿が戻ってこない以上、私達まで城を離れてしまったら戦力ダウンがますますひどくなるんだよ。」
今やマスターナイトとして神器使いにも劣らぬ働きをしているリーフは、アレスが抜けた現状において貴重な戦力だった。そして広く一般的に支援効果を与えられるナンナの存在は、軍の志気にも関わることだ。
「気持ちは分からないでもないけど、私も君がアレスを捜しに行くのを許可するわけにはいかないよ。理由は、リーフが言った通りだ。」
セリスもリーフの意見を支持した。
諦めたように俯いたナンナの腕をリーフが放すと、ナンナはとぼとぼとセリスの部屋を後にした。しかし、本当に諦めたわけではなかった。すぐに部屋で身支度を整えると、ナンナは厩舎へ急いだ。
「どこへ行くつもりだ?」
馬を引き出していると、厩舎の陰から声をかけられた。
「…お父様。」
「アレス様を捜しに行くつもりか?」
ナンナは黙って頷いた。
「セリス様やリーフ様は承知なされたのか?」
「いいえ。」
声をかけながら近付いてきたフィンは、ナンナの肩に手をおいた。
「自分が何をしているのか分かっているのか?」
「分かっているつもりです。でも、じっとしてなんかいられません。ごめんなさい、お父様っ!」
ナンナはフィンの手を振り解くと、馬にまたがって駆け去った。
「あんなところまでラケシスに似なくてもいいのに…。」
フィンはそう呟くと、セリスとリーフに何と報告するか頭を悩ませた。
村を解放して『シーフのうでわ』を手に入れたアレスは、マンスターへの道を急ぎ、森の中を突っ切って馬を駆けさせていた。すると、美味しそうな木の実が生っているのを目にした。解放軍の食料事情を思ったアレスは、ふと仏心を起こした。そして、近くに馬を留め木の下に歩み寄ると、突然足下が崩れたのだった。
気がつくと、アレスは結構深い落とし穴に落ちていた。
目が慣れてくると、穴の底には数本の杙が刺さっているのが見えた。どれも先端を尖らせてあり、その上に落ちたものを刺し貫く仕掛けになっていた。穴の大きさや杙の間隔からして、おそらくあの木の実を食べにくる大型獣でも捕ったのだろう。杙の何本かが根腐れを起こしているから、もうそんな大型獣は居なくなったと思われる。蓋のつもりか穴の上には簡単に板が乗せてあったようだが、それも腐っていてアレスの体重を支えられなかったのだ。
誰にともなくアレスは呟いた。
「用済なら、ちゃんと埋めとけよな。」
幸いアレスは刺さらずには済んだが、端の方の杙で太ももと脇腹に傷を負っていた。
アレスは鎧をはずして携帯していた応急処置用の布を取り出した。脇腹の方はシャツを開いて、足の方は小剣で傷の近くの服地を切り取って、傷口に付着する布を取り去ると水筒の水で傷口を洗って包帯代わりの布を巻き付けた。
ひとまず応急処置を済ませると、アレスは服を着なおして一息ついた。
壁には突起が少なく、体調が万全であったとしてもよじ登るのは難しいだろう。ましてや、今のアレスは傷を負っている。脇腹の方は大したことないが、太ももの方はかなりの長さでしかもけっこう深い部分もある。身体を支えるのも楽ではない状態では、壁をよじ登ることなど不可能だった。
アレスは、身体を休めながら少しでも早い回復と誰かが通りかかる時を待った。
『シーフのうでわ』をくれる村の近くの森までやってきたナンナは、ついにアレスの馬を発見した。
「アレス〜!どこなの〜?」
ナンナの呼ぶ声が、穴の底で半分眠っていたアレスの耳に届いた。
「ナンナか?お〜い、こっちだ〜!」
しかし、穴の底で壁にもたれて座ったままで、しかもまだ傷が癒えていなくて腹に力が入らないアレスの声は、実際の距離よりもかなり離れている感覚をナンナに与えた。ナンナは声がした方に向かい、遠方を見据えながら歩を進めた。
ナンナが近付いてくる足音を聞き付けたアレスは、慌てて忠告した。
「おいっ、足下に気をつけろ!落とし穴が…。」
手遅れだった。言っている最中に、ナンナがアレスの頭上から降ってきた。
とっさにアレスは弾かれたように身体を起こし、片足で体重を支える不安定な体勢でナンナを抱きとめた。そして、そのまま壁に向かって倒れ込むようにして杙を避けた。
「…怪我はないか?」
「ええ、大丈夫だけど…。」
ナンナは状況が飲み込めなかった。
「何しに来たんだ?」
溜め息まじりに問いかけられた言葉に、ナンナはムッとした。
「何よ、ひとが心配してわざわざ助けに来てあげたのにっ!」
「だったら、お前まで落ちてくるなよ。」
もっともな言い分に、ナンナは返す言葉がなかった。黙って俯いてしまったナンナに、アレスは自分の言葉を悔いた。
「悪い。ちょっと、滅入ってたから。」
ナンナは俯いたままで、静かに首を左右に振った。
「アレスの言う通りよね。私ってば何しに来たのかしら。助けに来たなんて偉そうなこと言って、ミイラ取りがミイラになっちゃった。」
「縁起でもないこと言うなよ。俺はまだミイラになる気はないぞ。」
ナンナの発言を言葉通りに受け取ったかのように茶化して、アレスはナンナの気力を奮い立たせた。こんなふうに言えば、きっとナンナは怒ったように顔をあげる。そんなアレスの思惑通り、ナンナは顔をあげてアレスを睨み付けた。
「私だって、ミイラになんかなりたくないわよ!」
しかし、すぐにまた俯いてしまった。
「でも皆が止めるのも聞かずに飛び出した挙げ句が二次遭難だなんて、帰ったら何言われるか分からないわね。」
「飛び出したって…まさか、独断行動か?」
ナンナは気まずそうに頷いた。それを見たアレスは、クスクスと笑った。
「何が可笑しいのよ!?」
「いや。真面目なお前がそんなことするとはね。」
さっき、ナンナは「心配して助けに来た」と言っていた。アレスのことを心配する余り皆が、恐らくはリーフやフィンが、止めるのも聞かずに城を飛び出したと聞いては、アレスは喜ばずに居られなかった。
アレスは、怒ったように自分を見ているナンナの顎に手をかけて引き寄せると、傷の痛みも忘れて身を起こし、ナンナに口付けた。
「ん…?」
突然の行動にナンナの思考が停止している内に、アレスはそっと離れた。
「無謀なお姫様の勇気に感謝するよ。」
「ん…な…。」
徐々に思考が巡り始めたナンナが怒り出す前に、アレスは真面目な顔をして告げた。
「なんて、軽い気持ちじゃない。…愛してる。」
「ふざけないでよ、こんな時に!」
「こんな時でもなきゃ、言えるもんか。」
こんな時でもなければ、二人っきりになるのも難しい。
いっつもナンナの傍には誰かが居る。大抵はリーフだが、運良くリーフが離れたと思うとパティやデルムッドやフィンが傍に来るのだ。彼等がまとめて離れたと思いきやよりにもよってセリスが近付いてくるし。そして先だって珍しく二人っきりになれた時は心の準備が出来てなくて、結局剣の稽古をつけたりして言いそびれてしまった。
「返事は?すぐには無理なら、急がなくていいが…。」
「そうね。返事は、今の私かしら?」
今ここに居ることが、ナンナの気持ちを何よりも雄弁に物語っていた。