第46話
春休みに入る頃、アレスはナンナを誘って遠出したいとフィンに相談を持ちかけた。
ラケシスに言えば、諸手を上げて賛成するに決まっている。いきなりナンナに漠然と話を持ちかければ怒り出すことも予想される。だからアレスは真っ先にフィンに相談したのだ。
「ナンナと泊りがけで旅行がしたい、と仰るのですね?」
「ダメかな、やっぱり。」
不安そうに相談を持ちかけるアレスに、昼休みに本社近くの喫茶店に呼び出されたフィンは心の中で苦笑していた。普通、恋人の父親に婚前旅行の相談持ちかける男っていないんじゃないだろうか。話が決まってしまってから一言あいさつするくらいの人間はいるかも知れないけど、「行きたいけどどうしよう」って相談するのはアレス様とリーフ様くらいだろうな、と考えながらアレスの話を聞いていた。
「最終的な決定権はナンナにありますから、あの娘が行きたいと言えば私は強行に反対するような真似は致しません。但し、単に泊りがけで出掛けたいと告げれば多分ナンナは断るでしょうね。」
「やっぱり警戒されてるかなぁ?」
「それ以前に、計画が杜撰過ぎます。」
行き先未定、日数未定、予算未定、テーマ未定ではナンナが話に乗るはずがない。近所でデートしてる時には行き当たりばったりでも構わないが、泊りがけとなればそれなりに計画というものをきちんと立てておいてくれないと困る。もちろん、具体的な計画は2人で臨機応変にやってもらって良いが、短い休みなのだからせめて日取りや方向性くらいは話を持ちかける前に候補を上げておいてしかるべきだ。
「まず、どういう旅行にしたいのか。その辺りのイメージを決めて下さい。」
「イメージ?」
「美味しいものを食べたいとか、綺麗な景色が見たいとか、思いっきり遊びたいとか、のんびり温泉に浸かりたいとか、そういうことです。」
「ナンナとずっと一緒に過ごしたい。」
それじゃ答えになってません、と怒鳴りつけたいのを我慢してフィンは続けた。
「それが決まらなければ、行く場所も日数も予算も決まりませんよ。」
「そう言われても…叔父上はよくそんなに例を上げられるなぁ。」
実は、時々ラケシスがTVや雑誌やチラシを見ていて「いいなぁ〜」と呟いているのだ。贅沢な料理や旅行なんてねだっても無駄だと知っているから「行きたい」とか「食べたい」とは言わないが、フィンはいつか1泊2日でいいから旅行に連れて行ってあげたいと思っていた。
そういう普段の様子から、多少なりとも方向性を探っておくとこういう時役に立つのだ。
「春休みになってからナンナの意識調査をしていたら、話がまとまった時は新学期になってます。」
「そんな…。」
「どうやら、春休みは近所でデートするくらいにしておいた方が良さそうですね。その間に、GWの予定でも話し合って下さい。」
その日の夜、家に帰ったフィンは今度はナンナに相談を持ちかけられた。
「アレスが、どこか遠くへ行きたいって言うんですけど…。」
暗い顔で話を切り出したナンナの様子に、あれ程言っておいたのにやっぱり半端な話の持ちかけ方をして失敗したのかと思ったフィンだったが、それに続く言葉で絶句した。
「何か姿を消したくなるようなことでもあったのかしら? 今日の昼間、お父様に相談を持ちかけたそうですが、何かお聞きになってませんか?」
面喰らって、頭を抱えて、それからフィンは爆笑した。
「どうなさったんですか?」
アレスが大変なことになってるのかも知れないのに笑い出すなんて、と思うと同時に、ナンナは父がこんなに笑い転げる姿を珍しく思った。
「あら、フィンがそんなに笑うなんて。ナンナったら何言ったのよ!?」
フィンの笑い声を聞き付けて走って来たラケシスは、ちょっと拗ねたようにナンナを問いつめた。フィンがここまで笑い転げたのは、まだ結婚前、ラケシスを助けようとして一緒に沼にはまって泥んこになってしまった時以来の事であった。だから、フィンを爆笑させるという偉業を成し遂げた娘に嫉妬しているのだ。
「別に、私はおかしなことを言った覚えはないんですけど…。」
ラケシスに詰め寄られて困っているナンナの様子を見て、やっと笑いを止めたフィンは慌てて事情を説明した。
「もうっ、アレスったら人騒がせなんだからっ!」
「最初っから、「泊りがけで出かけようと思うけど、何処に行きたい?」って言えば良いのにね。」
そんな言い方したらナンナが断るだろうからフィンに相談したのだというそもそもの経緯をラケシスはすっかり無視していた。
「だって、もし結婚前でもフィンにそう言って誘われたら即座に私はOKしたわよ。」
誘ってくれなかったら行けなかったけど、と心の中で付け加えながらラケシスは涼しい顔で大胆なセリフを吐いた。
「お母様はそうでも、私はOKしません!」
「あら、もったいない。」
「ラケシス、そういうのは教育上あまり歓迎できませんよ。」
ナンナはまだ16才なんだし、アレス様だってまだ学生だし。
自分達が早婚だっただけに、本人がどうしても行きたいと言えば反対しきれるものではないけど、やっぱりフィンとしては諸手を上げて賛成出来る事態でないことは確かだった。
「私達が泊りがけで旅行に行った時は2人とも16だったじゃないの!?」
「あれは新婚旅行だから良いんです!!」