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ミーティングの後、部屋に戻ったナンナはぶつくさ言いながら出立の準備を整えていた。
「何、怒ってる訳?」
「何じゃないわよ! パティだって見てたでしょう。アレスったら、私のことバカにしてっ!!」
既に、ナンナの頭からはその前にリーンが飛び出したことは忘れられ、自分がされたことに対する怒りで満ちあふれていた。普段、他人のことばかり気づかってる彼女にしては珍しい現象だ。アレスが絡むとここまで人が変わるのか、と呆れながらパティは問い返した。
「だから、どの部分に怒ってるのかってことよ。」
殴り損ねたことなのか、キスされそうになったことなのか、それとも飴玉を口に放り込まれたことなのか。
「皆の前で飴玉なんか突っ込んで…。私のこと子供扱いして、許せないっ!!」
「じゃあ、キスして欲しかったんだ。」
「誰もそんなこと言ってないでしょう!?」
ナンナは傍らにあった枕をボスッと殴りつけた。
「して欲しくなかったなら、飴玉で良かったじゃないの。」
パティはナンナの理屈に呆れたように返事をする。
「だからって、何で飴玉なのよ?」
飴玉をもらって喜ぶ、という表現が精神年令の低さを表すのに使われるように、あそこで飴玉を口に放り込まれたことはナンナのプライドをいたく傷つけていた。
「それじゃあ、チョコとかクッキーとかなら良かったとでも言うの?」
「だから、そんなこと言ってないってばっ!!」
「だったら、どうして欲しかったのよ?」
そう問い返されると、ナンナは答えられなかった。
「もう、いい!」
言葉に詰まったナンナは、物凄い勢いでパティに背を向けた。その拍子に、『大地の剣』が床に落ちる。
「あっ…。」
慌てて剣に手を伸ばしたナンナだったが、それはパティの足元まで転がっていった。
「あら?」
『大地の剣』を拾い上げたパティは、持ち手の部分に目をやって驚き、真剣な顔になってそれを調べ始めた。
「パティ…。どうかしたの?」
ナンナは突然様子が変わったパティに驚き、そっと近付くと声を潜めて手元を覗き込んだ。
しばらくあっちからこっちから剣を調べていたパティは、徐にヘアピンを取り出すと飾りの宝石の一つを突ついた。すると、持ち手の部分が外れる。
「ちょ、ちょっと何するのよ。それ、大事な形見なのに…!」
慌てて取り返そうとするナンナの手を制して、パティは外した持ち手の部分を覗き込み、何かを発見したようだった。慎重に中に指を突っ込んで、それを取り出す。
「手紙…?」
ゆっくりと広げてみると、それはエルトシャンからアレスに宛てた手紙だった。パティは剣を元に戻すと、手紙をナンナに手渡した。
「はい、これはアレス様に渡してね。」
「どうして私が…!?」
ナンナは危うく手紙を手の中でグシャッと握りつぶしそうになってどうにか踏み止まった。
「あら、だって、それはこの剣に入ってたのよ。これ、ナンナのでしょう?」
「だからって…。」
「知らなかったとは言え、預かってたことは確かなんだから、責任持ってちゃんと渡すのよ。」
責任云々と言われては、ナンナに反論の余地はなかった。しかし、さっきの今でどうやって渡して良いのか、ただ困惑するばかりだった。
結局なかなか手紙を渡せなかったナンナは、出立間際に思いきってアレスを探して声を掛けた。
「ラブレターとは、随分と古風だな。」
「何、バカなこと言ってるのよ。差出人をちゃんと見たら?」
ナンナは怒りを通り越して呆れた顔で封筒の裏を返して見せた。
「…エルトシャン? 何だ、男か。……って、父上!?」
アレスはひったくるようにして封筒をナンナの手から奪い取ると、食い入るようにして差出人の名を見つめた。そして、間違いなく父の名が書かれていることを確認すると、今度は宛名を確かめる。
「冗談にしては質が悪いな。」
「冗談なんかじゃないわよ。この中から出て来たんだから…。」
不機嫌ブリザードを吹かせるアレスに、ナンナは『大地の剣』をかざしてパティに習った通りに目の前で持ち手を外して見せた。
「ここに隠してあったのよ。」
「何でそんなところに…?」
少しは信じる気になったのか、アレスは表情を和らげて首を傾げた。
「そんなの私が知る訳ないでしょう。でも、お父様の話によると、この剣ってエルト伯父様が最後に別れ際にお母さまに渡した物なんですって。何かあったら形見と思え、って…。」
もしかしたら託したのかも知れない。ただ、ラケシスが剣の仕組みを知らなかったのか何か入ってるなど考えもしなかったのか、とにかくナンナが落としたはずみで剣がパティの目に留まるまでこの手紙の存在は誰にも知られることがなく、当然のことながら『ミストルティン』と共にアレスに渡されることもなかったのだった。
アレスは懐から小剣を取り出して封を切ると、逸る気持ちを押さえて慎重に手紙を読んだ。隅々まで一言一句読み漏らすまいと、真剣な顔で手紙に見入る。
「そんな…。」
手紙に何が書かれていたのかはナンナにはわからなかった。しかし、アレスにとって信じ難いことが書かれていたことだけはわかる。
気付かれないようにそっと立ち去った方がいいのかしら、と思いながらも、ナンナはその場を動けなかった。手紙の内容に興味もあったが、何よりも今にも泣き出しそうな顔をしているアレスを放っていくことは無責任であるように感じていた。そんな手紙を出立直前に渡してしまったことを、ナンナは後悔していた。
手紙にはシグルド達との友情の深さや互いの苦しい立場が綴られていた。王を諌める自分がいつ誅されるとも知れず、また騎士としていつシグルド達と対峙することになるとも知れないとも書かれていた。そして最後にこう結んであった。
「どんなことがあっても、決して他人を恨むな。」
それは、シグルドを恨み続けて生きて来たアレスに多大な衝撃を与えた。
母の元にもたらされた父がシグルドによって卑怯にも殺されたという報と、当時シグルド軍に居たと主張する者達が口を揃えて言うエルトシャン王はシャガールに停戦を説きに行って殺されたという話のどちらが正しいのかは、アレスにはまだ判断出来ていなかった。この手紙を読んでも、それは判断がつかない。しかし唯一つ、力強く流麗な文字で綴られたこの手紙が父の手によって書かれたものだということだけは信じられた。父の筆跡を知っている訳でも比較出来るものを持っている訳でもないがそれだけは真実だと、アレスは確信していた。
「この恨みを捨てろと仰るのですか…?」
アレスの口から弱々しく漏れた言葉に、ナンナはやはり自分はここに居てはいけないと思ってそっと立ち去ろうとした。その途端、戻し損ねた『大地の剣』が落ちて音を立てる。
互いに気まずい沈黙の時がしばし流れた後、アレスは深呼吸をして手紙をしまうとナンナを剣の稽古に誘った。
「気晴らしがしたい。少し付き合え。」
「…はい。」