気がついた時、2人は暗い森の中に居た。
「ここ、何処?」
「さぁな。」
すぐ近くから返って来た声に、ナンナはハッとして顔を上げた。
「アレスっ!?」
顔を見た途端に、気を失う寸前に何があったのかを思い出す。
「本城じゃ……ないんだ。」
「あの世じゃなかっただけマシだろ。」
アレスの不機嫌な声に、ナンナはギクリとする。自分がどんな無茶をしたのか、考えてみれば恐ろしい想像ばかりが湧いて出る。
「お互い五体満足で、揃って同じ場所に出られただけでもかなり運が良いと思うぜ。」
「……うん。」
魔法の発動中に手を伸ばすなんて、下手をすればまともに転移出来ずにバラバラ死体になっていたかも知れない。特に、巻き込まれたアレスが無事に済むなど奇跡としか言い様がなかった。手元を見ると、指輪には小さなヒビが入っている。被害がこれだけで済んだなんて夢のようだ。
「とにかく、こうしていても仕方がない。歩くぞ。」
ナンナは素直に頷くと、アレスの後をついて歩き始めた。
しばらくすると、ナンナの心に疑念が湧いて来る。
「ねぇ、アレス?」
「ん?」
アレスは立ち止まって首だけをナンナに向けた。
「何処に向かってるの?」
「外。」
当然と言えば当然なのだが、あまりにも簡潔すぎる答えだった。
「道、解ってるの?」
「解ってると思うか?」
解ってないということを言外に答えられて、ナンナは呆れた。
「それでよく、そんなにズカズカと歩いていけるわね!」
「止まってたってどうしようもないだろ。」
だからと言って無闇に歩き回ってもどうしようもないでしょ、と言い返そうとするナンナに、アレスは言葉を付け加えた。
「とりあえず、風上に向かってる。風が吹き込む口があるはずだからな。開けたところに出れば大体の場所も見当つくだろうし、案外離れてない所に飛ばされてたならそこで待ってれば誰かが気付いてくれるだろう。」
偵察慣れしてる上に薄くとは言えセティの血を引くフィーや、離れていても風に乗ったSOSを聞き付けてくれそうなセティ、上空を通ってくれるかも知れないアルテナなど、見つけてくれそうな人には心当たりがある。風通しの良い所にいれば、それだけ発見される可能性は大きくなるはずだ。
道は解らずとも考えなく無闇に歩いていた訳ではなかったと知って、ナンナは恥じ入った。
「行くぞ。」
「…はい。」
またポテポテとアレスの後について歩きながら、ナンナは足を引っ張ってばかりいるような状態に、自己嫌悪に陥っていた。
かなり歩いたところで、ナンナは脇のところに小さな赤い実がなっているのを見つけた。
「これ、食べられるのかしら?」
自然の恵みとは親しんで来たナンナだったが、そういう判断の出来る博識な大人達か止める間もなく自らの身で人体実験をしてしまうリーフのおかげで、見極め方が良く解らなかった。
「さぁな。木いちごか何かの類いには見えるが…。」
アレスは慎重に一粒採って観察し、僅かばかりを口に含むと慌てて吐き出した。
「もしかして、不味くてダメ?」
ナンナは、この際味はどうでも良いから食べられるなら食べたかったし、先々の為にも収穫しておきたかった。水や食料は貴重である。
「…毒だ。」
「えっ?」
「味は普通の木いちごだが、毒が含まれてる。多分、この辺一体の水や土に、な。」
「それじゃ、この辺のもの全部…?」
「ああ、多かれ少なかれ毒を含んでると思った方が良い。迂闊に水飲んだりするなよ。」
「はい!」
厳しく言われて、ナンナは背筋を正して返事をした。
「あ、ちょっと待って。アレスは平気なの?」
「まぁ、このくらいなら…。舌に痺れが走っただけで、飲み込んではいないしな。」
隠し持ってた貴重な飲み水を少しだけ飲んで、アレスはついでとばかりに水筒をナンナに差し出した。
「がぶ飲みするなよ。」
「解ってるわ。」
ナンナは遠慮がちに口をつけた。迂闊に水も飲めないと聞いた途端に咽が渇いたが、この水の重要性は良く解ってるつもりだ。飲んでから、自分も武器は取り上げられたものの水筒や薬草は隠し持ったままだったことに気付き、ナンナは慌てて水筒をアレスに返した。そして自分のを取り出そうとしたが、それはアレスに制される。今、口をつけた分だけで我慢しておけということだろう。
水筒をしまって、ナンナは不安そうにアレスを見つめた。毒消しになりそうな薬草を差し出したが、アレスは受け取らなかった。
「昔っから何度も毒殺されかけたから、多少のことなら平気だ。」
「何度も、って…。一体、どんな行いしてたのよ!?」
よっぽど酷く女を捨てたのか、それともヤバすぎる連中に恨みを買ったのか。ナンナのイメージする毒殺のターゲットになる輩は、とにかく碌な行いをしていない。
アレスは、そんなナンナの想像を表情から読み取ったのか、とっても不機嫌そうに答えた。
「行いも何も、これでも昔は一応ちゃんと王子扱いされてたんだ。命狙われてもおかしくはないだろう。リーフの近くにいたなら、そのくらい経験ないか?」
毒殺は貴族の間ではポピュラーな殺害方法だ。地位ある者にとって、食事に毒を盛られる危険は付き物である。但し、アレスが幼少時に殺されかけたのは数えられる程で、毒殺されかけた回数は傭兵として名が売れてからの方が遥かに多い。その殆どが酒場で女に勧められた酒やつまみによるものなのだが、この際それは黙っておく。そんなことを言ったら、それこそナンナはアレスが女の恨みを買ったと思い込むだろう。実際のところは、彼の腕や存在を邪魔に思う者が金を握らせて仕掛けていただけのことなのに…。
ナンナは、そんなアレスの隠し事に気付くこともなく、ちょっと記憶を手繰ってからこう答えた。
「そんな経験あったら、リーフ様があんなに食い意地張ってる訳ないじゃない。」
「それもそうだな。」
毒殺されそうになったことが一度でもあれば、フィンが口煩く言わなくても拾い食いなんて絶対にしなくなる。もちろん、未だに盗み食いをするなんてこともあるはずがない。食べ物に対して警戒心のなさ過ぎるリーフは、そんな経験がないことを行動で物語っていた。
納得したアレスは、フッと軽く息を吐くと木いちごに視線をやった。
「しかし、こいつは思わぬ収穫だったな。」
「えっ? だって、食べられないんでしょ?」
食べられないのでは収穫も何もあったものではない。
「だが、これが生息してるってことで大体の場所くらいは見当がつく。そこら辺の草木は広い範囲に分布してるが、この木いちごは限られた地域でしか育たないはずだ。」
「あ、そうか。それじゃ、あまり遠くへは飛ばされなかったと思って良いのね?」
「ああ。もちろん、こんな土壌で育ってるくらいだから突然変異ってこともあり得るが、誰かが故意に植えない限り本来の場所と懸け離れた場所で繁殖するとは思えないな。」
ナンナの心に、希望が湧いて来る。疲れた足にも力が甦る。
それからしばらくして、開けた場所に出た。
しかし、かなりの時が過ぎても助けは一向に現われない。
「狼煙でも上げた方がいいのかしら?」
「止めておけ。下手に燃やすと毒ガスが出る。」
月が再び空に登るのを眺めながら、アレス達は体力と水を温存して救援隊を待つだけであった。