時は遡り、ナンナ達が光に包まれてから少しばかり後のこと。
「本当に、ナンナ達は消えちゃったんだね?」
「ええ。てっきり2人揃って本城に戻ってるかと思ったのですけど…。」
アレスを追ってナンナを探しに行ったリーフは、ナンナが『リターンリング』の力を発動させたところをちょうど目撃していた。アレスまで一緒に消えたのを見て、そのまま敵に切り込んでナンナの装備を取り戻すと残りには見向きもせずに本城へと取って返したリーフだったが、期待外れにも2人は戻ってはいなかった。そこで、セリスの元へと走った次第である。
「ねぇ、こういう場合って、飛ばされた人はどうなっちゃうものなのかなぁ?」
セリスは傍らにいたレヴィン達に問いを投げかける。
「そうだな。下手をすれば、まとめて粉々。」
「父上っ!!」
縁起でもないことをさらりと口にするレヴィンに、セティは怒鳴った。その声に驚きながらも、コープルが答える。
「あ、あの…、運が良ければ本城以外の場所へ飛ばされるだけで済むと思います。」
すかさず、レヴィンが茶化すような調子で口を挟む。
「よっぽど運が良ければ、の話だな。」
「ですから、そういう非観的なことを平然と口にするのは…!」
「最悪の事態を覚悟しておくことも大事だぞ、セティ。」
これには言い返せずに、セティは押し黙る。
セリスは、3人の意見を聞いて呟いた。
「運が良ければ、か…。ナンナはフィンに似て運良さそうだけど、アレスはどうだろうね?」
「ナンナ、運良いですか? アレス殿なんかと恋人同士になっちゃったのに…。あれは絶対、苦労しますよ。」
リーフの突っ込みに、セリスは一瞬顔を強ばらせた。
「そ、それは、ほら、そこで不運を使い果たしたってことで…。」
「それじゃアレス殿は、ナンナを恋人にして幸運を使い果たしたってことですね。」
つまり絶望的。最悪の事態に陥ってる可能性大。
言外にそう言われてフォローに困り、セリスのこめかみの辺りを冷や汗が流れた。
「リーフと漫才してる暇があったら、手分けして辺りを探させたらどうだ?」
「そ、そうだね、レヴィン。うん、それじゃすぐ皆に言って…。」
わたわたと席を立って、セリスは主だった者達に声を掛けて回った。
セリスの話を聞いて、フィーとアルテナがすぐさま空へと舞い上がり、騎兵達は手分けして一斉に辺りへと散ったのだった。
ナンナと寄り添って仮眠をとっていたアレスは、遠くの方のざわめきに目を開けた。目だけで見上げると、上空を飛び回る影が映る。
「あれは…?」
上空を旋回しているらしく時々視界に入るその影を注意深く観察して、アレスはそれがマーニャであることを確認した。すぐに、アレスは剣を抜いてその反射光を送る。
目の端でちらちらと光るものを感じ取って、フィーは辺りを警戒しながら高度を落とした。そして、木々の間にアレスとナンナの姿を発見する。
それからフィーは、周りをもう一度偵察した上で、同じく光の信号で待機の合図を出すとセリス達の元へと戻って行った。
「ここです。2人とも特に怪我を負った様子はありませんでしたが、多少の衰弱が見られました。」
「まぁ、3日もあんなところに居れば衰弱くらいするよね?」
あの森に食べられるものなんてないことをアルテナから聞いたセリスは、アレス達が殆ど飲まず食わずでいたことを容易に想像出来た。
「それより、ナンナは大丈夫なんですか!? まさか毒にやられたりは…。」
リーフがフィーに掴み掛かるようにして聞いた。
「それは…。大丈夫だと思います。ナンナが毒にやられてたら、アレスがあんなところでジッとしてるはずがありませんから。」
フィーの答えに、リーフも皆も納得した。
確かに、もしもナンナが毒を受けていたら、アレスは一刻も早く治療を受けさせようと路なき路を突っ切ってでも脱出しようとしているに違いない。
「と、とにかく、居場所が判ったなら助けにいかなくちゃね。」
セリスは改めてフィー達から細かいことを聞き出すと、食べ物を持ってアレス達の救出へと向かった。
フィーがアレス達の居る場所の真上から合図して場所を示し、そこへ向けてセティが一陣の風を放って路を作る。切り開かれた最短コースを通って、セリス達はアレスとナンナが待機しているすぐ脇へと駆け付けた。
そうしてセリス達が辿り着いた時、ナンナは安心したように眠っていた。
「ナンナ! ナンナぁ!!」
「喧しい!!」
駆け寄ったリーフを音量を押さえた声で怒鳴り付けると、アレスはナンナを抱え上げてフィンの腕に預けた。
「フィーが見つけてくれたと知って、やっと安らいだんだ。ゆっくり眠らせてやれ。」
「う、うん…。」
起こしたらナンナに悪いと思って、リーフはあっさり黙り込んだ。
「お怪我はありませんか?」
セティに尋ねられ、アレスは首を振った。
「奇跡的に、揃って無傷だ。」
「それは、本当に奇跡的だね。」
セリスはアレスに水のボトルを差出しながら言った。
「レヴィンが不吉なことばかり言うから、物凄く心配してたんだよ。」
アレスは、そのボトルが未開封であることを素早く確認してから受け取り、咽を潤しながら答えた。
「心配…? ああ、ナンナを、か。」
「もうっ、可愛くないなぁ。君のことだって心配してたんだからっ!!」
セリスが小声で鋭く叫ぶと、セティやフィンだけでなくリーフまでもが頷いて見せる。
セリスに可愛いと言われたら世も末だ、と思いながらアレスはリーフに向かって言った。
「おい、何で俺がお前に心配されなきゃならん?」
「そりゃ、消えるトコ目撃しちゃったし…。それに、アレス殿に何かあったらナンナが悲しみますからね。」
「…そうかよっ!」
本当は心配してもらえてちょっと嬉しかったのに、リーフはやっぱりナンナの心配しかしてなかったと解って、アレスは拗ねたようだった。それを見て、周りの者達はこの素直でない親友達に対して口の中で「同類」と呟いていた。
目を覚ましたナンナは、枕元の椅子で仮眠をとっているアレスの寝顔を目にした。
しかし、それもほんの僅かな時でしかなく、アレスはすぐに目を開けてナンナの顔を覗き込む。
「腹、減ってないか?」
掛けられた声にナンナが戸惑っていると、お腹の方が正直に返事をした。途端にアレスが吹き出す。
「そ、そんなに笑わなくてもいいでしょっ!!」
ナンナは真っ赤になって怒ったが、力の入らない状態では迫力などなかった。
アレスはその様子に更に笑い転げながら、作り置きしておいてもらった食事をナンナの前に差し出した。
胃に負担を掛けないようにゆっくりと食べながら、ナンナはアレスから助かった時の様子を聞き出す。
「それで、アレスの方は大丈夫なの?」
「ああ。俺はお前より遥かに頑丈に出来てるしな。」
ナンナの心配に、アレスはわざとおどけた感じで応じる。
「でも、持ってたお水、殆ど私が飲んじゃったし…。」
「まぁな。仕方ないから、セリスが持って来た水をもらってやった。」
本当は受け取りたくなかったんだけど、という含みを持たせたアレスに、ナンナは目を丸くした。
「セリス様から、お水もらったの?」
迂闊な相手からは物を受け取らない。特に飲食物の類いは、と森の中で言っていたアレスが、あれ程嫌っているセリスに差し出された水を飲んだと聞いて、ナンナは自分達の置かれていた状況の悪さを痛感した。
「あ、勘違いするなよ。セリスは運んで来ただけで、水筒じゃなくて未開封のボトルだからな。」
アレスは、あんな奴の水筒から分けてもらうくらいならリーフに恵んでもらった方がマシだ、とでも言いたげだった。
「それより、手ぇ出せ。」
「手?」
ナンナはアレスの手に指輪が光ってるのを見て、左手を僅かに開いて差し出した。すると、アレスは面白いものでも見たかのように笑い出す。
「お前、これ見て何を考えた?」
薬指を浮かせるように手を出したナンナを見て笑うアレスに、ナンナは焦ったように中指を浮かせ直す。
「何って、別に…。」
アレスは、焦るナンナの中指に『リターンリング』を嵌めた。さすがは神器まで修理出来るだけあって、修理屋は壊れたリングをあっさり直してくれたのだ。
「期待させて悪いが、今はこれで我慢しろ。足元見られたから、こっちの指用のは当分買えそうにないんだ。」
そう言うと、アレスはナンナの薬指の奥に軽く唇を落とした。
「期待なんてしてないわよっ!!」
ナンナは急いで手を引っ込めると、明らかに期待していたと思しき指を反対の手で隠した。しかし、その手の下には幻の指輪の感触がしばらく残っていたのだった。