戦いを終えて、少しずつ少しずつ周りの人数が減って行くのを見ながら、セティはバーハラに留まり続けていた。シレジアから迎えに来た天馬騎士を何日も待たせていることを心苦しく思いながらも、まだここを離れる気にはなれなかった。
それでも時は否応なく過ぎて行き、もうじき離れざるを得なくなることは感じていた。そして今、セティは人の力では登ることの出来ない山の上へ風に乗って行き、そこでぼんやりと空を見ながら時々深い溜め息をついていたのだった。
その不毛とも言える雰囲気を凛とした声が打ち破った。
「こんなところで、何をしているのかしら?」
声のした方を見上げると、大きな影が落ちて間もなく近くにドラゴンが舞い降りた。
「ティニーと喧嘩でもしたの?」
ドラゴンの背から飛び下りるや否やアルテナが投げかけてきた言葉に、セティの心は痛みを覚えた。
「それとも、別れの足音に嘆いているの?」
「何故、そのようなことを…?」
セティの顔に陰が走った。
「ごめんなさいね、追い討ちをかけるつもりではなかったのだけど…。あなたにそんな顔をさせることは出来るのは、あの子くらいのものでしょう?」
どんな難問を押し付けられてもどれだけその身が傷付いてもいつでも平然とした顔をして、どれ程追い詰められた状況にあっても冷静。そんなセティが、ティニーのことでは一喜一憂している姿は、アルテナの目にも微笑ましい光景に見えた。そんなセティの姿は、例え妹のフィーであってもこれまで見たことのないものだったと聞いている。
「シレジアへは、彼女を見送ってから?」
「ええ。少しでも長く一緒に居たくて…。」
今のセティには、誰と一緒にとその名を口に出すことが躊躇われた。そこで、話題を変えてみる。
「アルテナ様は、何故、旅立たれないのですか?」
アルテナ達レンスター勢には迎えは不要だった。帰ろうと思えばいつでも帰れる。しかし、それがまた旅立つ機会を失わせているとも言えた。
「私には、いろいろやっておかなくてはならないことがあるの。」
アルテナには、旅立つ前にやっておきたいことがあった。これからのことを、セリスやアレスといろいろ話しておきたかったのだ。レンスターやトラキアのこれからのこと、そしてナンナやアリオーンのことなど、アルテナ達が話し合うべきことは山ほどあった。勿論、国を継ぐのはリーフだがそれでもアルテナの立場は非常に強い。それだけに、今ここで調整出来ることはしておかなくてはならない。
「大変ですね。」
「あなた達程ではないわ。」
さらっと言ってのけたアルテナに、セティは心の中を見透かされたような気がした。
「あ、あの…。」
「フリージからの迎えは、もうじき到着しそうね。」
「……はい。」
「あの子と一緒に居なくていいの?」
「今は、フィー達と皆で買い物に行ってますから。」
仲の良い女の子だけのお買い物。そんなことが出来るのも、きっと今日限りだろう。これから先は、それぞれの立場が邪魔をしてしまうのだろうから。
「それに、そんな顔を見せられないから?」
セティは、黙って頷いた。
「頭では解ってるんです。心でも、半分くらいはね。でも、どうしても…。」
セティは泣きそうな顔をしていた。
「私にも彼女にも、それぞれその身に流れる血への責任はあります。本人の意志で選びとったものではなくても、捨てる訳にはいかない。」
「そうね。」
「誰が許しても、私達自身が許さない。私はシレジアを捨てて彼女の元へ行くことは出来ないし、彼女はフリージを捨てて私と一緒にシレジアへ来ることなんて出来ない。」
もしも、ティニーが簡単にフリージを捨てることが出来るようだったら、きっとこんなに好きにはならなかっただろう。
「本気でそう思っているのに…。それでも、ティニーと離れたくないのも本心なんです!!」
「当然でしょうね。」
「えっ?」
「どちらも本心だからこそ、あなたは今、そんなに苦しんでいるのでしょう?」
セティは、今にも泣き出しそうな顔を上げて、アルテナを見つめた。
「苦しんで、そして自分のことだけしか見えなくなってるわ。」
「……すみません。」
「謝ることじゃないでしょう。いつも、他人のことばかりで自分のことが考えられないのだから、たまには良いことよ。もっと、とことん自分の為に苦しむといいわ。」
「はぁ…。」
「いっそのことドン底まで落ち込んでしまいなさい。ドン底まで行ったと思ったら、それからまたあの子のことも考えてあげるのね。」
「えっ?」
「きっとあの子は、あなたよりも大変だと思うから。そして、あなたよりも身軽だと思うから。」
「それは一体…?」
「後は、自分で考えなさい。とにかく、今は自分のことをね。私達の他にここへ来られる人なんてフィーくらいでしょうから、泣こうが喚こうが気にすることないわよ。」
そう言い残すと、アルテナはサッとドラゴンに跨がって行ってしまった。
また独りになって、セティは再びぼんやりと空を見上げた。
アルテナの言いたかったことは解らなかったが、とにかくセティの頭の中はまた自分とティニーのことでいっぱいになり、何度も同じ考えが巡っては振り出しに戻ることをくり返していた。考えても、考えても、堂々回りだ。
「泣こうが喚こうが、か…。」
セティは、抱えた膝に額を付けるようにして呟いた。
「泣き喚くことが出来たら、少しは気が晴れるのだろうか?」
セティは泣くことが出来なかった。泣きたくなるような気持ちで満たされて、今にも泣き出しそうな顔をしているのに、その目からは一粒の涙も零れることはなかった。
レヴィンが旅に出てしまってから、セティは1度も泣かなかった。幼い妹と病気の母に心配をかけないようにいつでも平気な顔をしていた。父を探す旅に出てからは泣いてどうにかなることなどなく、マンスターに着いてからは仲間の士気にも関わるので泣くどころか愚痴一つ溢すことはなかった。
そうして気付いた時には、泣き方を忘れてしまっていた。母が死んだことを聞いて涙を見せなかった父を責めたものの、セティ自身もまた涙を流すことはなかったのだ。ただ呆然と、心の中に冷たいものが走り何かが崩れてぽっかりと穴が開くような感覚だけを味わっていた。
「ははっ、最後に泣いたのはいつのことだか…。」
「お前が泣けなくなったのは、俺の所為か?」
自嘲したセティが振り返ると、背後にレヴィンが立っていた。
「どうして、ここに…?」
「風が呼んだ。」
驚くセティに言葉短く答えると、レヴィンはセティのすぐ横に腰を下ろした。
「お前が泣き方を忘れたのは、俺の所為なのか?」
「……いいえ。」
セティは、レヴィンと顔を合わせないようにして答えた。
「自分の所為です。私が勝手に、泣いてはいけないと思って来ただけですから。」
きっかけは確かに父の不在だったかも知れない。でも、「泣くな」と誰かに言われた訳ではなかった。
「では、あの娘にフリージ継承を勧めた俺を恨むか?」
「いいえ。」
セティは即答した。
「たとえ勧められなくても、彼女は自らその道を選んだと思います。」
ティニーはアルスターでフリージの姫として育てられた。ヒルダに苛められはしたものの、イシュタルに可愛がられ、周りの者達からは大切にされた。イシュタルがどれだけティニーを可愛がっていたかは、彼女が解放軍に来て尚イシュタルを姉と慕っていたことからも察しがつく。
「彼女は、敗者となったかつての同朋を見捨てて自分だけ幸せを求めるようなことが出来る人間ではありません。望んでフリージの姫に生まれた訳でも彼等の元に居た訳でもなくても…。」
フリージ再生の旗頭になれるものが他に居ないなら、彼女は自ら進んでそれを引き受けただろう。もしも気付かぬままにセティとシレジアへ渡ったなら、そこから引き返してでも志願しただろう。それ程までにティニーは優しくてそして芯が強い。
「私も、望んでシレジアの王子に生まれた訳ではありません。けれど、今の道は自分で選びました。そのことを後悔はしていません。」
「それでも心では割り切れない、か…。」
レヴィンの独り言のような呟きに、セティは黙って頷いた。すると、レヴィンが突然セティの頭を自分の胸元へと引き寄せる。
「父上…?」
セティは驚いて顔を上げようとしたが、レヴィンはそこまで腕を緩めはしなかった。
「しばらく、こうしてろ。」
「はぁ…。」
何故かは解らなかったが、セティはそのままレヴィンの手の温もりと鼓動を感じながら、大人しくしていた。
しばらくすると、レヴィンがぽつりと呟いた。
「お前は、聞き分けが良すぎるんだ。」
その言葉に、セティの中で何かの箍が外れた。
「聞き分けが良いなんて…。」
押し殺された声で言ったセティに、レヴィンは少し腕の力を緩めた。そこでセティは、顔を上げて言い放す。
「本当は世界なんてどうでもいい! 私は、私と私の愛する人達の笑顔を護りたかっただけだ! フリージの人達がどうなろうと構わない! でも…。」
フリージの再建なくしてティニーの笑顔は見られないから我慢しようと、ティニーのフリージ行きを認めようとしているだけだ、とセティは叫んだ。
「父上が帰って来てくれたら、シレジアの王位にあってくれたら、私がフリージへ行くことも出来たのにっ!!」
「それは…。」
「解ってます、それが叶わぬ願いであることくらい。それでも、あなたはこうして生きている。こんなに温かいし、心臓だってちゃんと動いてる!」
いつの間にか、セティはレヴィンの胸を拳で叩いていた。
「どうして、皆、私を置いて行ってしまうんだ! 母上も、フィーも、ティニーも、父上も…。皆、居なくなってしまう! 居なくなって、それでも私にシレジアを治めろというのか!」
セティは、レヴィンの胸に額を押し当てて泣いていた。
「心まで凍らせるあの国で、誰も私を温めてはくれない!」
「……離れてても、温もりは感じられる。」
レヴィンは、泣き縋るセティの頭をそっと撫でながら言った。
「俺は、いつでもフュリーの温もりを感じていた。」
遠い目をして、レヴィンは空にフュリーの姿を思い描いた。
「それに、お前達は生きている。」
「……。」
セティはハッとなったように口を噤んだ後、今度は幼い子どものようにただ泣きじゃくった。
声が枯れそうなくらい泣いた後、セティはそのままの体勢でしばらくレヴィンの手が優しく自分の頭を撫でている感触を味わっていた。
「少しは気が晴れたか?」
「ええ、まぁ…。」
泣き方を思い出して、思いっきり泣き喚いたセティはずっと言えずにいたことを吐き出して重荷が減った気がした。
「何だか、子供みたいですね。」
「子供だろう、お前は。」
レヴィンの手が、セティの髪をぐしゃぐしゃっと弄んだ。
「普段のお前は、早く大人になろうとして背伸びし過ぎなんだ。」
「……そうかも知れませんね。」
安心したような顔で身を委ねて、セティは小声で応えた。そこへ、レヴィンが囁くようにして呟く。
「何年経とうとも、お前は俺の子供だ。そしてまた何世代経とうとも、私の大切な…。」
その声を聞きながら、セティの意識は遠のいて行ったのだった。
目覚めた時、セティは自分のベッドの中に居た。全て夢だったのかと思い返して頬を伝う温かいものに、セティはあれが夢ではないことを実感しながら自分で自分を抱き締めると、今度はしっかりと心を決めた。
そして、フリージからの迎えが到着し、ティニーが次々とお別れを告げながら最後に自分の目の前に立った時、セティは差し出されたティニーの手をそっと包んだその手を離そうとはしなかった。
「セティ様?」
「……ってるから。」
「えっ?」
「君を、ずっと待ってるから。」
セティは、くり返し言った。
「何年でも、何十年でも待ってる。どんなに先になってもいいから、必ず私の傍に帰って来て欲しい。それまでは、隙を見て会いに行く。だから…。」
セティは悲痛な面持ちで、ティニーの身体をかき抱いた。その腕には、いつもの包容とは違って離し難い想いのままに強く激しいものが込められていた。
「セティ様…。」
ティニーは驚きと喜びの含まれた声で、そっとその名を呟いた。すると、セティの腕が緩み、彼女がその胸を押すままに身体が離れる。
ティニーは潤んだ目でセティを見上げると、背伸びをしてその頬に手をかけ、そっと口付けた。ほんの僅かに触れあった程度だったが、目を丸くしていたフリージからの使者達は、更に目を丸くしてざわめく。
「待っていて下さい。必ず、セティ様のお傍へ戻ります。」
しばらくそのまま見つめ合い、そして互いに想いを再確認し合ってそっと視線を外すと、ティニーは迎えの馬車へと乗り込んだ。
馬車の扉が閉ざされる間際、ティニーはセティの方を向いて小さく呟いた。他の誰にも聞こえなくても、風がその声をセティの耳へと運んでくれる。
「行って参ります。」
その言葉を残して、ティニーはセティの元から旅立って行った。そしてセティも、いつか「おかえり」と言える日を夢見て、シレジアへと帰って行ったのだった。
4部作完結でございます。
章が進むごとに長くなり、最後はこんなにシリアスになってしまいました。他の章がコメディ調なのに…。やはり、セティ様はシリアス部担当であります。
セティ様の悩みと言えば、やはりティニーちゃんとのお別れです。「宝物」とまで言っておきながらEDでは何の会話もなく別れてしまう2人でありますが、そんなシステム上の都合は敢えて無視!!
そして、いい人過ぎるセティ様の仮面を崩してみました。実際、少年達が本気で世界平和なんて大それたことの為に戦ってるとは思いたくないんですよ。いろいろ大義名分はあっても、詰まるところは自分達の幸せの為って方がしっくり来ます。他人の幸せが自分の幸せに繋がってるから、戦い抜いていけるのではないでしょうか。
ただ、セティ様がそんなことを言える相手はレヴィンくらいでしょうね。フィーに対してもティニーに対しても、頼れるところを見せていたいだろうから多分言えないでしょう(-_-;)
おかげで、かなり父子愛物語の要素が強くなってしまいました。
ちなみに、レヴィンの一人称が1行の台詞中で変化してるのはミスではありません。「俺」がレヴィンとしての言葉で「私」がフォルセティとしての言葉です。