第44話
ティニーがセティの元へ走って行った後、ナンナはパティと話をしながら廊下を歩いていた。
「ティニー、無事に脱出できたかなぁ?」
「そんな、逃亡者のようなことを…。」
ナンナは、パティの心配の仕方に茶々を入れた。
「あら、だってお兄さんに見つかったら今度はどんな邪魔されるかわからないじゃないの。」
「そりゃ、そうだけど…。」
「大体、そんなにティニーが可愛いならティニーの幸せを応援してやりゃいいじゃない?」
「そうよね。そうしてくれれば、私だって…。」
リーフがアレスと自分の事を応援してくれるなら、昔のように仲良く出来るのに。
「ハッキリ言って、迷惑なのよね。それに自分だって恋人いるくせに妹の恋人に嫉妬したりしてさっ!しかも、妹の恋人って自分の恋人の兄でしょ。どっかの通りすがりの馬の骨じゃないんだし、さっさと認めろってのよっ!!」
「悪かったな、身勝手で。」
「誰も、お兄ちゃんの事なんて言ってない。」
背後からいきなり掛けられた声に、パティは驚きも振り返りもせずに返事をした。
「そうなのか?俺達の関係に聞こえた気がしたんだけど…。」
確かに、ファバルの出来たてのホヤホヤの恋人はパティの恋人の妹ラナだから、彼等の場合もティニー達の関係と似ている。しかも、時々レスターに嫉妬したような発言をすることもある。
「でも、お兄ちゃんはあたしとレスターの仲を邪魔したり、こそこそと陰口吹き込んだりしてないでしょ?」
「俺は悪巧みとか、裏工作とかは大嫌いなんだよっ! それに、あいつは悪い奴じゃないし…。」
「さすがはお兄ちゃん♪」
ファバルはおだてられて機嫌よく帰って行った。
「アーサーさんもあれくらい割り切ってくれるといいのにねぇ。」
「でも、ファバルさんとレスターさんの場合、パティ達が恋人になる前から仲良くつきあってたんでしょ?同じようにはいかないんじゃないかしら。」
「難しいわね。ところで、ナンナの方は大丈夫なの?」
「手は考えてあるわ。」
案の定、ゆっくり話をしながら歩いていたナンナはリーフに捕まって「遊びに行こう」とベタベタされたが、後ろから抱きついて来たリーフに
「バレンタインに反省したのは嘘だったんですか?」
と一言言うと、リーフは無理矢理笑顔を浮かべて
「ごめん。アレス殿と楽しんで来てね。」
と立ち去った。バレンタインのチョコケーキ奪取事件がキュアン達にバレて、3人掛かりで叱られたという話はどうやら本当だったらしい。
あっさり引き下がったリーフの様子を見届けたパティは、安心してレスターの待つ駐輪場へ走って行き、遅くなりすぎない程度にたっぷりとホワイトデーのデートを楽しんだのだった。
ナンナが門の前まで歩いて行くと、思った通りアレスが待っていた。おそらく門の前で待ち伏せてるだろうと思ったので、今日は自転車で来るのをやめておいたのだ。
アレスのバイクで連れて行かれた先は、水族館だった。
チケット売り場の窓口に書かれた「2館共通 1890G」の文字にナンナは慌ててアレスの腕を引っ張った。
「奢ってくれなくていいからね。」
ナンナの視線と慌て様にアレスは彼女が何を心配してるかを察し、すかさずチケット引き換え券を目の前に差し出した。
「金券ショップで850Gで買って来たんだ。引き換えたその日しか使えないけど、充分だろ?」
窓口で売られてる正規のチケットは1年間有効だが、どうせ1日で両方回ってしまうのだからあまり意味がない。フィンの指導で最近のアレスは金券ショップや学内販売を上手く利用する術を身につけて来ていた。
「ショーは明るい内がいいから、こっちから先に回るぞ。」
水族館は普通の水槽が並んでいるエリアとショーを中心にしているエリアとに分かれていた。水槽エリアは完全に建物の中なので夕方になっても関係なかったが、やはりイルカショーなどは青空の下で見た方が良い。演技の見た目も爽快だし、陽の光を反射してキラキラと舞い飛ぶ水しぶきが更に良い演出になっている。
「それではお客さまからの輪をイルカくん達に受け取ってもらいましょう〜!」
それを待っていたかのように、あちこちで親子連れが立ち上がった。
「ほら、お前も行ってこいよ。」
「え?」
見ると、アレスの手元には輪が1つあった。鑑賞スタンドに上がる前、階段脇の売店でジュースを買うついでに申し込んで輪をもらっておいたのだ。
「一緒に行きましょう。」
ナンナの誘いにアレスが渋っていると、ナンナはアレスの手を引いて無理矢理スタンドの手すりまで行った。
「それではそこの真ん中のカップルさん、投げて下さ〜い!」
ナンナは背伸びして輪を投げ落とそうとして、ふと思い付いてアレスに抱え上げてくれるよう求めた。手すりはナンナの肩くらいまであるので、下のプールを泳いでいるイルカが見えないのだ。狙って投げる必要はないけれど、あんまり変なところに投げたらイルカが可哀想だし、ギリギリ追い付いて受け止められたらナンナ達にはその瞬間が見えないかも知れない。
「ねっ、だから少し持ち上げてよ。」
「でも…。」
「ほら、早く〜。」
イルカもショースタッフも他の観客も、ナンナが輪を投げるのを待っていた。
仕方なくアレスはナンナを花嫁さんだっこで抱え上げ、ナンナは右腕をアレスの首に回し左手で輪を投げた。イルカのいる辺りにふわりと投げ落とされた輪を目掛けてイルカはハイジャンプし、見事かなり高い位置で輪をキャッチした。
「は〜い、熱いお二人とイルカくんに拍手〜!」
他の観客に冷やかされながら、2人は元居た席に戻ってショーの続きを楽しんだ。
水槽エリアも見終わって2人が外へ出た時には、辺りはすっかり暗くなっていた。
「急いで送ってくよ。」
そう言ったアレスに、ナンナは首を横に振った。
「ねえ、どこかで夕飯を食べて帰りたいって言ったら迷惑?」
迷惑どころか嬉しいかぎりなのだが、そこまで遅くなったらフィンが心配するし第一予定外に夕飯を食べて帰ったら無駄な食糧が出て困るのではないかとアレスは心配した。
「あのね、今日は結婚記念日だから私達の分の夕飯は無いのよ。」
「何だ、そりゃ?」
幼い頃はともかく、ある程度成長してからは毎年、結婚記念日とラケシスの誕生日には夫婦2人で夕食をとるため子供達の夕飯はなかった。例年、ナンナ達はレンスター家で過ごしていたのだ。そして最近はリーフからのアプローチがきつくなったためナンナはパティの家で、その影響でレンスター家に泊まり辛くなったデルムッドはレスターの部屋で過ごしていた。そのままお泊まりして翌日の放課後帰るのがこれまでの習慣だったのだが、さすがに今年はそういうわけには行かないだろう。レスターとパティの邪魔をするわけにはいかない。こういう時は、卒業旅行に行ってしまった兄が恨めしい。
「OK。でも、例年と違うんだから電話しておけよ。」
「うん。」
ナンナは近くの電話ボックスまで走って行くと、家へ電話を掛けた。
フィンがまだ帰っていなかったのか電話にはラケシスが出たが、とにかくアレスと夕飯を食べてから帰ることを告げた。
「あら、無理に帰って来なくてもいいわよ。ノディオン家に泊まってらっしゃい。」
「泊まってこいって…。お母様、それが嫁入り前の娘に言うセリフですか?」
「いいじゃない、ただ泊まってくるくらい。じゃあね〜♪」
「お母様っ、もしもし、もしもしっ!!」
電話は切られていた。どうやらフィンを独り占めできるはずのところに予定外にナンナが帰ってくると迷惑らしい。
暗い表情で電話ボックスを出たナンナを出迎えたアレスは心配そうに聞いた。
「どうかしたのか?」
「それが、お母様ったら「泊まってこい」って。」
「叔母上も大胆な発言を…。」
アレスはナンナと一緒に頭を抱えた。
「要するに、俺が妙な真似をしないかが心配なんだろ?」
「うん。」
ナンナに即答されて、アレスはしばし絶句した。
「そこで即座に頷かれると、ちょっと傷付くんだが…。」
「あ、ごめんなさい。」
アレスは、まあいいさとばかりに肩を上げ下げして溜息をつき、気を取り直した。
「妙な真似はしないって誓ったら、泊まってくか?」
ナンナは少しばかり考え込んでから、にっこり笑って返事をした。
「ついでに、妙な真似はさせないって誓ってくれたら泊まってくわ。」
「そっちは既に誓約済みだろ?」
「そうだったわね。」
話がまとまって、2人は海沿いのファミリーレストランへと向かった。
「電話、どちらからだったんですか?」
揚げ物の最中だったため電話に出られなかったフィンは、ラケシスが戻って来るとすぐに相手と内容を確かめた。
「ナンナよ。今夜はアレスのところに泊まって来るって。」
フィンは取り上げかけたクリームコロッケを突き刺してしまった。。
「あら、珍しいミスね。」
涼しい顔で手元を覗き込む失敗させた張本人に向かって苦笑いを浮かべると、フィンはそれをそのまま自分の皿に盛り付けた。
「それで、ナンナは…。」
「だから、アレスのところに泊まるって。」
「ナンナがそう言ったんですか?」
フィンは、ナンナの性格からしてそれはちょっと考えられないことだったので、ラケシスに疑惑の眼差しを向けた。
「何か隠してますね?」
フィンに問いつめられて、ラケシスはつい一歩引いてしまった。その様子に、フィンはラケシスが何か隠していることを確信した。
「さっさと話してしまった方が身のためですよ。」
後ろめたいことがあるままで楽しく過ごせるあなたではないでしょう。今のうちに正直に言えば、怒ったりしませんよ。嘘ついたってナンナが帰って来たらバレるんですからね。
フィンは言外に、そんな風にやんわりと脅しを掛けているようだった。
ラケシスは視線をそらしたりしてしばらく誤魔化しの手を考えていたようだったが、やがて正直に告白した。
「本当は、アレスと食事してくるから遅くなるって電話だったんだけど…。泊まって来なさいって言って切っちゃった。」
「やっぱり…。」
続けてラケシスはいろいろと言い訳をした。
折角2人っきりで美味しいもの食べて、スタッフから貰ったケーキを食べながら仲良く映画のビデオを見て、フィンと甘〜い時を過ごそうと思ってたのに、ナンナが帰って来たら途中で雰囲気がぶち壊しになってしまう。他に人が居たら、フィンは絶対に自分に甘い言葉なんか言ってくれないんだから。
「何を言って欲しかったんですか?」
ラケシスの言い訳を聞きながら、フィンは呆れたように問うた。
「そう言う風に聞かれると困るのよね。強いて言えば、改めて私を口説いて欲しかったってところかしら?」
「相変わらず私を苛めるのがお好きなようですね。」
それがフィンにとってどれ程勇気の要ることか、そういう言葉を考えるのがどんなに苦手なのかを知り尽した上で言ってるのが解っているだけに、始末が悪い。
「さて、そんな方はどう料理するべきなのでしょう?」
「あなたのお好きなように仕立てていただいてよろしくてよ♪」