第5話
展望スペースまでバイクで入り込み、ボ〜ッとしているナンナをベンチに下ろすと、アレスはすぐ近くの売店でジュースを2つ買って戻ってきた。
「そらっ、弁当の礼だ。こんなもんじゃ見合わないだろうけどな。」
「あ、ありがと。」
思わず受け取って礼まで言ってしまったナンナに、アレスはクスッと笑い、それから実に惜しむように言った。
「お前が作ったって先に言ってくれれば、もっと丁寧に食べたのになぁ。」
「何よ、それ?」
アレスは霞む水平線でも探すかのように、柵の向こうに広がる景色を眺めやっていた。
ナンナの問いに一度視線を戻したが、ナンナの顔を直視していられずに再び遠くへ目をやってしまった。
「叔父上が作ったんだと思ったんだ。まさか、お前があんなに料理がうまいなんて思わなかったし、それに・・・。」
そこでアレスは口籠ってしまった。
「それに、何よ?」
「お前は俺のことなんか何とも思ってないだろうって・・・。」
ボソッと呟くと、アレスは手の中で空になった紙コップを握り潰して弄び始めた。小さくたたまれては広げられまたクシュクシュと潰されていく紙コップと落ち着かないアレスを見て、ナンナは呆れたように言った。
「何とも思ってなくて、預金全部なんて賭けられないわよ」
「預金全部?」
ナンナはフィンに料理を習いはじめた時の条件について説明した。
普段から金には苦労させられているアレスは節約にかけるフィンの気持ちにどこか通じるものがあった。本気でナンナに弁償させるつもりじゃないだろうけど、あまりにもあの叔父らしい条件に苦笑した。
そして、空に向かって呟いた。
「そこまでして俺に弁当を作ってくれたってことは、期待していいのかなぁ。」
「何を?」
「俺の片思いじゃなかったって。」
「片思いなんかじゃ、って、え〜っ!?」
突然振り向いたアレスからの告白にナンナはパニクった。アレスは無理に軽い口調と表情を装っていたが、語られた内容はナンナに届いていた。
「だって、だって、あんな風に否定して・・・。」
「それは・・・「ガキ」って言っておけばあいつらは手出ししないだろうし、それに・・・もしお前に他に好きなやつがいたら迷惑だろ。」
ナンナが幸せならなんてあっさり割り切れるような簡単な想いではないけど、目の前にナンナの想い人が現われたら「こんなやつ!」って殴りつけたくなるかも知れないけど、それでも自分がナンナを不幸にすることの方が許せなかった。ナンナに他に好きなやつがいて、自分と噂されることでそいつと気まずくなってナンナが泣くなんて耐えられない。
赤くなりながら言い訳するアレスに、ナンナは即座に首を振った。
「いないわよ、他に好きな人なんて!」
その答えを聞いて、アレスは迷いを投げ捨てるかのように手の中の紙コップの残骸を近くのくずかごへ投げ込むと、ナンナの髪を指で何度か梳いてから中で止めて優しくそしてちょっと子供っぽく微笑んだ。
「俺でいいのか?」
微笑みの中にも瞳には不安そうな光を湛えて、しかしナンナを見つめて真剣に聞いてきたアレスの言葉に、ナンナは母から聞いた父のプロポーズを思い出した。
「本当に私でよろしいのですか?」
正式に結婚を申し込む前にそう言って念を押した父。その時に母が答えたのと同じ言葉を、今ナンナはアレスに向かって告げるのだ。
「あなたがいいの。」
日も落ちようという頃、ナンナはアレスのバイクで家に着いた。
「弁当、また作ってくれよ。今度はちゃんと大事に食べるから。」
「いいけど、かなり先のことになるわよ。」
次の試験休みまでは、まだ随分ある。
「今度の日曜日、何か予定あるか?」
「ないけど・・・。」
「天気が良かったら2人でどこか行こうぜ。」
「で、その時にお弁当を作って欲しいって訳ね。でも、天気が悪かったら?」
「次の日曜日に延期。」
想いが通じた今、断られることなど微塵も考えていない揺るぎない自信の元に発せられた、雨天順延のデートの申し込み。もちろん、ナンナとしてもその提案に異存はない。でも、調子に乗って偉そうにされても困るから、そこはちょっと上段に構えておくことを忘れない。
「いいわ。当分の間、すべての休みを空けておいてあげる。」
「そいつは光栄だな。」
話はまとまった。
澄まし顔で申し込みを受諾したナンナの手の甲に、キスを残してアレスが立ち去ろうとした時、ラケシスが家から出てきた。
「ナンナ、お帰り♪ 久しぶりね、アレス。」
「お久しぶりです、叔母上。」
今の会話や行動を観察されていたのかな、と内心焦りを覚えながら、アレスは素知らぬ顔で挨拶を返した。そして、次に何を言われるのかと警戒していると、ラケシスは今の2人とは関係ない話題を振ってきた。
「エルト兄様はお元気?」
「最近、姿を見かけてないので良く分かりませんが、お元気だと思います。」
とりあえず、自宅に居ないのだから仕事をしてるんだろう。アレスに分かるのはその程度である。
それに、気楽に聞いてくるけど、ひとり息子の目の前でもポーカーフェイスしてるあの父の体調など分かるわけないだろう、と言ってやりたいくらいだ。入院でもすればさすがにその情報がアレスの耳に入るから、それまでは元気だと言っておくしかない。
アレスの父エルトシャンは、某企業の顧問弁護士として日夜不正に立ち向かう正義の心と職業上の忠誠心の狭間で苦労している。最近も不動産絡みのごたごたが起きたりして、バカ社長を諌めるのに多忙なのだ。
アレスはそんな父を手助けしようと法学部に進み同じ職業を目指して勉強中だが、まだまだ役には立ってない。それに、むしろ今は同じ職ではなくああいう輩に正義の鉄槌を下してやりたいと思っている。
「アレス。お義姉様亡き後、エルト兄様にはあなたしかいないの。兄様が過労死しないようにしっかり見張っていてちょうだい。」
ガシッと肩を掴まれてお願いされてアレスは取りあえず頷いたが、心の中ではナンナと同様に、
「そんなに心配なら、ゲームばかりしてないで自分が様子を見に行けばいいだろ!」
と考えていた。