pas a pas

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解放軍の者達があらかた修理を終えるのを待って、アレスは修理屋へと行った。
彼等と顔を合わせるのが嫌だったというだけではない。初めて訪れる店だったので腕の程を確かめたかったし、他の者達が一斉に押し寄せて混雑してる時を避けたかったのだ。
しばらく様子を見て、シャナンが『バルムンク』の修理に満足しているらしいことを確認してから、アレスは『ミストルティン』を修理に出した。
混雑はしていなかったがさすがに神器の修理は手間暇が掛かるようで、アレスは店の近くをうろついて時間を潰していた。すると、何やら買い物の帰りらしいナンナとそれをつけているらしい人影が見える。
「バカか、あいつは…。まったく、世話の焼ける奴だな。」
アレスは、すぐさま脇道に入ると周り込んで細い路地から手を伸ばして路の端を呑気に歩いているナンナを引きずり込んだ。
「きゃっ!」
「騒ぐな。」
押さえた声音が耳に入ると同時に、手で口を塞がれてナンナは唸った。
「ん〜、んん〜。」
背後から抱きすくめるような形でナンナを拘束したアレスはその耳元に鋭く繰り返す。
「静かにしろと言ってるだろ。」
「んん〜、んんん〜、ん〜。」
相手がアレスだとわかって、ますますナンナは騒ぎ出した。この状況からナンナの頭に浮かんだ事態が、暗がりへ連れ込んでの陵辱であったからと言って、誰に彼女が責められようか。
こんなところで辱められるなどまっぴらだ。胸元を圧迫されているため大きな声は出ないが、唸るだけでも誰かが気付いてくれる可能性はゼロではない。自力で逃れられないならせめて助けを呼ばなくては…。そんな考えがナンナの頭の中を満たす。
しかし、そうこうしている内に、ナンナはアレスによって正面から壁に押し付けられてしまった。
アレスは騒ぎ続けるナンナに呆れると同時に辺りの様子に焦りを感じた。かと言って、まさか鼻まで塞ぐ訳にはいくまい。当て身を喰らわせることも考えたが、女の腹を殴って万一のことがあっても困る。
「ものわかりの悪い女だな。」
身体だけで相手の動きを封じると、アレスはナンナに覆い被さるようにして片腕をその頭の上の壁についた。
「死にたくなければ大人しくしろ。」
ナンナはアレスの宣告に身を凍らせた。もうダメだ、そう思っていっそのこと舌を噛んでという考えが頭をよぎる。しかし、その次の瞬間、ナンナは自分の耳を疑った。
「いくら俺でも、小剣1本で賞金稼ぎの相手をしてやるほど酔狂じゃない。」
賞金稼ぎと言う思わぬ単語を聞いて、ナンナの中に少しだけ冷静さが甦る。
大人しくなったナンナの口からアレスはそっと手を離したが、彼女はそれで叫び出すような真似はしなかった。自分を押さえ付ける鎧を押し返すようにして、マントの隙間からそっと通りの方へと意識を向ける。
「おい、妙な動きはするなよ。気付かれる。」
アレスは、通りの方から見ると暗がりで逢い引きしてるようにしか見えない体勢でナンナの姿を隠しながら、自分も目の端で背後の様子を探った。
2人の目に、傭兵風の男が通り過ぎて行く姿が映った。それは何度か往復し、アレス達の存在には気付いたようだったが、正体までは見抜けなかったようだ。飾りに光沢を押さえた金が使われている程度で殆ど黒一色の服装のアレスは、背を向けるとその髪しか光を反射しなくなる。しかしその髪も、濃い影が落ちてしまえばもう目立たない。そしてナンナの姿はすっぽりとアレスによって隠され、唯一見えるのが足元の白いブーツくらいなので、万一目についた時はアレスの影と合わせて逆に効果的な体勢となって映ることになる。
「チッ、好きものが…。」
姿を見止めた後いまいまし気に呟いて行ったところを見ると、どうやらアレスの演出通りに逢い引きカップルと見られたらしい。
念のためにしばらくそのまま動かないで居るよう言われたナンナは、次第に自分が居る場所を改めて認識して身体が熱くなるのを感じた。姿を隠すためとは言え、アレスの腕の中に収まるようにして身を寄せあっている。既にアレスはナンナから手を離しているが、その熱や吐息を感じられる程間近にあっては反って手を触れられているよりもその存在を強く意識してしまう。心臓が早鐘を打ち、それがアレスに聞こえてはいまいかと考えると、余計に息苦しくなってくる。
「行くぞ。」
どれだけ時間が経ったのか、アレスは簡潔に言い放つと振り返りもせずに歩き出した。それがナンナには不愉快で堪らなかった。まるで、自分だけが緊張していたみたいだ。アレスにとっては女性とこんな体勢になることくらい何でもないことだったと思えて悔しかった。弄ばれるのも嫌だが、こんな風に無視されるもの嫌だった。
一方アレスは、ナンナを腕の中に入れてる間、理性の箍が外れないように必死だった。伸ばしそうになる手を押さえていたのは、近くをうろついているかも知れない賞金稼ぎの存在とその気もない相手に手出しする程落ちぶれてはいないというプライドだった。故に、もう出ても大丈夫だと思うとすぐに身体を離し、ナンナに内心の焦りがバレてまた騒がれないようにと息の乱れを押さえてただ一言で済ませたのだった。
おかげでその後、まったく言葉を交わさないままにアレスは修理屋で剣を受け取り、ナンナは別行動を取るための機会を得られないまま後に続いて共に城へと帰って行くこととなったのだった。

様子のおかしいナンナに、パティは不審に思って昼間の出来事を詳しく聞き出した。
「で、どうだったの?」
「どうって…?」
最初の心配そうな顔は何処へやら、すっかりゴシップ好きの顔になったパティに、ナンナは困惑した。
「だからぁ、アレス様のことよ。いろいろ感じたんでしょ?」
「……あれだけ接近して何も感じないはずないわよ。」
「うん、うん。」
パティは満足そうに頷いた。しかし、ナンナはパティの期待とは全く違う反応を見せる。
「ホント、失礼な人よね! あんなことしておいて、謝りもしないのよっ!!」
「あ、謝りも……って、ナンナ…。一応助けてもらったんでしょう?」
「どこがよっ!? アレスが身を守るのに利用されただけじゃないの!」
アレスが言った「小剣1本で賞金稼ぎの相手をしてやる」の意味を完全に取り違えているナンナには、自分がアレスに助けられたという意識はなかった。寧ろ、アレスがナンナを目くらましに使うために暗がりへ引っぱり込んだと考えていたのだ。死にたくなければ、というのも巻き添えという意味にしかとっていなかった。
不機嫌この上ないナンナの様子を見て、パティはそれ以上の会話を打ち切った。そして、心の中でそっと溜め息混じりに呟く。
「アレス様ったら、言葉が足りなすぎるわよ。」
ナンナが素直に話を聞くとは限らないが、それにしても説明不足なのは否めない。冷静に考えれば、手を伸ばしただけでナンナを暗がりに引き込んだアレスとあっさり引き込まれたナンナではどちらが標的になっていたかは自ずとわかりそうだが、事アレスに関する限りナンナの思考能力が著しく低レベル化することくらい、そろそろ気付いても良さそうなものである。
「前途多難よね。」
本人が自覚しているかどうかは不明だったが、パティにはアレスがナンナに気があるように思えてならなかった。狙われていたのが他の人だったら、あの不愛想に無関心を合わせたようなアレスがそこまでしてくれるとは考えられない。一方、ナンナの方もアレスを気にしているのは傍目によくわかった。何しろ普段は大人しい彼女が、アレスにだけはやたらと突っかかるのだから…。
「まぁ、とりあえずお互い自然に自覚してくれるまで、あまり突つかない方がいいのかな?」
過剰なまでに反応するナンナが面白くて、つい茶化すようにしてしまうパティだったが、これ以上事態を悪化させない為に当分の間は自重するべきかと反省したのであった。

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