炎の婚姻

〜後編〜

フレイアは静かに杖を掲げた。
「杖に宿りしライブの力よ 我が魔力に応え この者の傷を癒したまえ。」
ユリウスとイシュタルが見守る前で『ライブの杖』から大量の光が溢れる。
柔らかな光がアルフォンスに降り注ぎ、彼の身体を包み込む。そして光が消えた後には、無傷のアルフォンスが横たわっていた。
ユリウスとイシュタルは改めて、娘の持つ魔力の強さとそれを扱う能力の高さを認識せずにはいられなかった。さすがはファラとトード直系の血筋に生まれ落ち、幼き頃より己を磨き続けて来ただけのことはある。『ライブの杖』の一振りであれだけの大怪我を完治させてしまうとは…。
フレイアは大きく息をつくと、アルフォンスの肩を揺すった。
「ねぇ、目を覚ましてよ。」
しかし、アルフォンスの意識は戻らない。
「どうして…? 怪我は治ったのよ。お願い、目を覚ましてよ、アルフォンス。」
回復魔法は間に合ったはずだった。ならば例え瀕死の状態からでも、魔法で負った怪我は完治する。魔力によるダメージはそれを上回る魔力を回復の力とすれば無効に出来るはずだ。
フレイアは静かにアルフォンスの首に手をかけた。震えるその指先には微かだが脈打つ動きが感じられた。心臓は動いているのに、と呟くフレイアの目から涙が溢れ落ちる。
フレイアの涙がどれだけアルフォンスの顔を濡らした頃だっただろうか。アルフォンスの唇が僅かに動いた。
「苦ひい…。」
ハッとなって手を放したフレイアの膝の上から一気に身体を起こすと、アルフォンスは咳きこんでから振り返り、彼女を怒鳴りつけた。
「ひとの首締めてんじゃねえよ!! 死ぬかと思ったじゃんかっ!!」
途端に、フレイアはアルフォンスの左頬に平手打ちを喰らわせた。
「莫迦っ!! 私より先に死んだら許さないんだから!!」
涙をいっぱいに浮かべて叫んだフレイアは立て膝になって身を乗り出すと、あっけにとられたアルフォンスの頭を抱えて呟くように繰り返した。
「先に死んだら、許さないから…。だから、自分をもっと大事にして…。」
フレイアの腕の中で、アルフォンスは神妙な面持ちで頷いた。先に死んだらフレイアを守れなくなってしまう。それに、フレイアの身も守りたいが心も守りたい。
「ごめんな、心配かけて。」
「私こそ…。守ってくれてありがとう。」
「…うん。」
満足気に頷いて、アルフォンスがフレイアの豊かな胸の感触を頬に感じて幸せな気分になっていると、突然空から声が降って来た。
「何なのよ、これって!?」
上を見上げるとペガサスが旋回して来て、近くにフィーが降り立った。そして、アルフォンスの襟元を掴んで引き起こす。
「あんたが大怪我したってアーサーが大騒ぎしてるから杖持って飛んでくれば…。全然、まったく、どう見てもピンピンしてるじゃないのよっ!!」
まだ気力の回復が出来ていなかったアルフォンスは、頭をガクガクさせるだけで言い訳も出来なかった。そこへアーサーが駆け着けると、フィーは問いつめる相手をアーサーに変更する。
「どういうことなのよ、これはっ!! 」
「どうって言われても…。」
死にかけていたはずのアルフォンスが無傷の状態になっていることに驚いているのはアーサーも同じだった。だが、フィーに締め上げられながら辺りを見回すと、フィーの手から逃れたアルフォンスを介抱しているフレイアの手元に『ライブの杖』が見えた。
「えぇっと、フレイア姫が治してくれたみたい。」
アーサーの言葉に、フィーは初めてその場にフレイア達がいることに気付いた。息子が大怪我して死にかけてる、などと聞かされて大慌てに慌てていた彼女の視界にはそれまでアルフォンスしか入っておらず、その後も駆けつけて来たアーサーに意識をとられて背後への目が疎かになっていたのだ。
「あれ、何でユリウスさん達が居るの?」
フレイアがこの城に居るのは珍しくないが、ユリウスとイシュタルまで居るのはあまりにも異様な光景だった。しかも、こんな非常時にとなれば不思議に思わないはずがない。
「あ、えぇっと、それじゃ僕達はこれで…。お前達の結婚のことは僕からセリスに上手く言っておくから。」
ユリウスは、フィーの怒りが自分に向けられない内にイシュタルを連れてバーハラ離宮に転移した。
「あ、待て、ユリウス!! 畜生、逃げやがったな。」
アルフォンス襲撃事件の責任を問われない内にまんまとトンズラしたユリウスに、アーサーは地団駄を踏んだ。アルフォンスの怪我が治っている今となっては、彼に責任を問うのは難しい。『メティオ』の魔導書を修理されてしまっては、のらりくらりと躱されるのがオチだろう。
「まぁ、いいじゃん。俺の怪我は治ったんだし、城には被害は出てないし、俺とフレイアの結婚は認められたんだからさ♪」
「えっ!?」
アルフォンスの脳天気とも思える発言の内容に、フレイアは驚いた。
「結婚のことはセリス様に上手く言っといてくれるってことは、つまり、そういうことだろ?」
「あ…。」
あれだけ強硬に反対し、アルフォンスに攻撃まで仕掛けた父が自分達の結婚を認めてくれたことに、フレイアはこの時初めて気付いた。それに、思い返せば『ライブの杖』をとって来てくれたのも父である。
フレイアは手元の杖を握りしめながら心の中でバーハラ方面に感謝の念を送ると、「ま、いっか」という気分に包まれているヴェルトマーの親子に誘われて、お茶を飲みに城の中へと入っていった。

セリスはアルフォンスとフレイアの結婚を諸手を挙げて賛成し、それから大して立たぬ内に、バーハラ城で盛大な結婚式が執り行われた。
本来ならば、ヴェルトマー城で行われるべきものではあるが、これは単なるヴェルトマー公子の結婚ではなかった。ユリウスが皇位継承権を失っているとは言え、花嫁は第5位の皇位継承権を有するセリスの姪であり、『ファラフレイム』の継承者である。彼女をそれに相応しく送りだすとして、セリスはバーハラで式を挙げることを主張した。
「まぁ、結婚式の主役は花嫁だしね。」
アーサー達もそんな風に簡単に納得してしまった為、彼等を差し置いて文句を言うようなものは現われなかった。
この日、フレイアはユリウスとイシュタルの娘としてではなく、聖王の姪として聖戦士として嫁ぐこととなる。それは彼女の立場だけではなく妹であるサンドラや親であるユリウス達の立場も好転させることに繋がるのであった。ユリウス達の過去の所業を今尚憎み、彼等の子供で恐怖の対象であった神器を継承するフレイア達にも冷たい視線を浴びせる者は多いが、この日を境に殆どの者が態度を改めることとなるだろう。聖王の姪という立場で公爵家へ嫁ぐことには、それだけ政治的意味があることなのだ。
そしてセリスの再三の説得に応じ、約20年ぶりにイシュタルは公式の場へ姿を見せ、ユリウスも光の中に立った。
「娘の結婚式なんだよ。いつまでも過去に捕われて身を引きまくらなくてもいいでしょ? これを機に新しく生き直しなよ。」
罰を終えたものは罪人ではない。過去の行いは消えず償いは続くが、それに縛られ過ぎてもいけない。そしてセリスが2人の出席を望んでいる以上、反対出来るものは当事者であるアルフォンスとフレイアのみ。しかし、この2人が反対するはずがない。
ユリウスに手をとられて祭壇の前まで歩いたフレイアは、その手をアルフォンスへと渡され、皆の祝福を受けてアルフォンスとの将来を誓った。
そしてセリスから『ファラフレイム』の魔導書を正式に授けられたフレイアは、名実共にファラの正当なる後継者となったのだった。

- 了 -

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