炎の婚姻

〜前編〜

セリスのお守で多忙だったユリウスが久しぶりにバーハラの離宮でくつろいでいると、フレイアが深刻な顔をしてやって来た。目の前まで来たものの何か口にしかけては黙り込む様子にユリウスが話を促すと、フレイアは意を決したように顔を上げてきっぱりと言い切った。
「父上、私はアルフォンスと結婚します。」
あまりに唐突だったその言葉に、ユリウスは固まった。
「ア、アルフォンスって、あのアーサーのところのか?」
「はい。ヴェルトマー本家のアルフォンスです。」
ユリウスは、アルフォンスの印象を思い返して叫んだ。
「ダメだ、ダメだ、絶対に認めないぞ!! あんな、頭に花が咲いてるような奴に可愛いフレイアを渡せるものかっ!!」
「酷いわ、父上! アルフォンスはヴェルトマー公とは違いますっ!!」
叫び返した娘の言葉に、ユリウスは心の片隅で「つまり、アーサーの頭に花が咲いてることについてはお互いの感性が一致してるんだな」と妙な嬉しさを感じた。しかし、それもすぐに払拭される。
「とにかく、認めないったら認めない!!」
「認めてくださらなくても結構です。私は許可を求めている訳ではなく、決定事項を報告しているんですから。」
フレイアがそう言い放ってきびすを返しと、ユリウスは何やら恨めしそうな呟きを漏らした。そして、魔法が発動するのを感じて振り返ったフレイアの目の前で、ユリウスは姿を消したのだった。

ユリウスとのやり取りや最後に見た光景についてフレイアがイシュタルに相談を持ち掛けると間もなく、ヴェルトマー城の方から火の手が上がっているとの報告が彼女達の元に届いた。
「まさか、ユリウス様…。」
イシュタルが漏らした呟きに、サンドラが賛意を示す。
「確かに、フレイア姉様を溺愛しているあの父上なら、アルフォンス様を亡き者にしようしても不思議ではありませんねぇ。」
生まれた時から『ファラフレイム』の継承者としてヴェルトマーの人々に目をつけられていたフレイアを、時には脅し、時には誘拐犯を返り討ちにして守り続けてきたユリウスである。フレイアを誘惑したと思しきアルフォンスを野放しにしておくとは考えにくいし、彼さえ居なければフレイアが嫁に行くことはないと考えそれを実行することも有り得ない話ではない。
「物静かに恐ろしいこと言わないでよ!!」
フレイアは、「今日はいいお天気ねぇ」とでも言ってるような口振りの妹に文句を言いながら、急いでヴェルトマー城へ向かうべく駆け出そうとした。だが、サンドラがその腕を掴んで引き止める。
「馬車を使っていては間に合いませんわ。私が『ワープ』でお送りします。」
そう言うが早いか、サンドラはフレイアの手を引いて自室へ行くと、棚から『ワープの杖』を取り出して姉姫をヴェルトマー城へと転移させたのだった。

「ここは……裏庭の辺りかしら?」
自分を包んだ光が消えると共に視界がクリアになってきたフレイアは、辺りを見回して目を丸くした。
「サンドラったら、何て無茶を…。」
本来、『ワープ』の魔法は規定の出口へと人を転移させる。その出口は魔法の理に則って僅かな働きかけで開かれるようになっている特別な空間として、主要な場所に存在しているのだ。何故なら、離れた場所に出口を開くのには膨大な魔力とそれをコントロールする能力が必要なのだから。それは並の魔道士には到底出来得ぬ業である。
ここヴェルトマー城の出口は、城門の手前だ。そこに、地中深く魔法陣が埋め込まれている。だが、サンドラはそれを使わず、火の手の上がり具合から見当をつけたユリウス達の居場所の近くに出口をこじ開けてフレイアを送ったのだった。
サンドラの読みは外れることなく、フレイアが自分の居場所を把握すると間を置かずに、近くで膨大な魔力が感じられ火柱が上がった。
「来る!」
フレイアは火柱の方を見据えると、そちらから駆けてくる2つの人影に向かって走り出した。そして、最初の影とすれ違うようにして両者の間に入り込むと、追手に向けて両手を広げる。
「やめてっ!!」
だが、そんな彼女の元に寸前にユリウスが威嚇で放った『メティオ』の火球が降り注ぐ。
「避けろ、フレイア!!」
ユリウスは慌てて叫んだが、フレイアは反応が一瞬遅れ、とっさに避けることは出来なかった。そんな彼女の身体は火の粉の影響を受ける直前、ユリウスの方へ向かって跳ね飛ぶ。
「フレイア、怪我はないか? まったく、何て危ない真似をするんだ、お前は。」
駆け寄ってきた父に助け起こされながら顔を上げたフレイアは、先程まで自分が立っていた位置を振り返って真っ青になった。
「アル…フォンス?」
そこには、フレイアを突き飛ばして身代わりになったアルフォンスが突っ伏していた。不幸中の幸いというべきか、かなりの勢いで突き飛ばした為、本人も火球の着地点を殆ど通り越すような形となり、右足を掠められただけで済んでいた。だが、ユリウスの魔力の篭った火は掠めただけでもかなりのダメージとなる。アルフォンスの右足は黒こげ寸前の酷い大火傷を負い、熱の余波で左は膝上から右は腰の辺りまでかなりの広い範囲に渡って皮膚が焼け爛れていた。
「いや〜っ!! アルフォンス、アルフォンス〜っ!!」
うまく動かない足腰を引きずるようにして、フレイアはアルフォンスの身体にすがり付いた。
「怪我…ないか?」
大火傷の苦痛を堪えながら、アルフォンスはフレイアを見上げるようにして彼女のことを心配した。
「ええ。私は、無傷よ。」
本当は、突き飛ばされて転んだ拍子にあちこち擦り剥いていたが、彼に比べればこんなのは怪我の内に入らない。
「…泣くなよ。」
目に涙をいっぱいに溜めて答えるフレイアに、アルフォンスは無理矢理身体を起こそうとしてそのままフレイアの腕の中に倒れ込んだ。
「!?」
慌ててアルフォンスを抱え直しながら、彼が息をしていることを確認して、フレイアは僅かに安堵した。
遠くで、2人の後を追ってきていたアーサーが「医者を呼べ!」「司祭は居ないのか?」「フィーは何処行った?」と駆けずり回っている声を聞きながら、フレイアは己の考えの甘さを痛感していた。
『メティオ』の着地点に飛び込んでしまった迂闊さも然る事ながら、何故、回復の杖の1本も携えて来なかったのだろう。父がアルフォンスに向けて攻撃魔法を放っていることは明白だったのに、手元には常時携帯している『エルファイアー』の魔道書しかない。
悔しさも相俟って声を殺して泣くフレイアに、ユリウスは恐る恐る近づき、声を掛けようとした。だが、その手が肩に触れる寸前、フレイアは身体を捻るようにしてユリウスを見上げると、押し殺した声で彼の言葉を封じた。
「アルフォンスにもしものことがあったら……私は一生、父上を恨み続けます。」
神器の継承者の自覚があるだけに「後を追って自害する」と言わないだけマシとは言え、ユリウスはショックで気を失いそうになった。そもそも、ここへ殴り込みをかけてアルフォンスを攻撃したのは脅しであって、命中させないように気を使っていたつもりなのだ。
ふらふらと倒れ込みそうになりながら後ずさったユリウスの身体を、誰かが押し戻すように後ろから支えた。
「…イシュタル。」
ユリウスが支え手の方を見遣ると、そこにはイシュタルの顔があった。サンドラは、フレイアを転移させた後、念のためにユリウスの暴走を押さえる切り札としてイシュタルをも転移させたのだ。だが、さすがに2度も連続で任意の場所に出口を開くことは出来なかったと見えて、イシュタルは城門の手前に出てきたため、フレイアの登場とは大分時差が生じたらしい。
力なくその名を呟くユリウスに、イシュタルは彼を慰めるような表情を浮かべた。
「僕は、どうしたらいいんだろう。」
フレイアに一生恨まれ続けるなんて耐えられない、と呟くユリウスに、イシュタルはフレイアに聞こえないようにそっと彼の耳に囁いた。
「とりあえず、フレイア達の部屋から『ライブの杖』を持って来て下さい。」
フレイア同様、イシュタルも回復の杖を携帯してはいなかった。表舞台に出ることを自らに禁じたイシュタルは、護身用の懐剣以外は武器も杖も一切携帯しておらず、所有していた武器や杖は全て娘達に譲ってしまったのだ。
勿論、イシュタルもユリウスがこの城で魔法を放っていることは承知していた。しかし、元より彼女はユリウスを止めることだけを考えていたし、ヴェルトマー城へ行く前にサンドラと共に自室へ向ったフレイアが、サンドラが『ワープの杖』を取り出した際に回復の杖の1本も持って行ったものと思い込んでいたのだ。
しかし現状ではこの場に回復の杖は1本もなく、入手のメドも立たぬ状態だった。
そんな中、自力で任意の場所に転移できる能力を持つユリウスならば、すぐにバーハラ離宮とヴェルトマー城を往復することが容易だ。そのおかげでアルフォンスが助かれば、フレイアだって少しは態度を軟化させるかも知れない。
「すぐに持ってくる!!」
ユリウスは、そう応えるなり瞬時に姿を消した。だが、その際の魔力の発動も、アルフォンスのことで頭がいっぱいになっているフレイアには感じ取れない。
そして、再びユリウスがそこに現れてフレイアに杖を差出した時も、彼女は完全にユリウスのことを無視していた。
「イシュタル〜。」
フレイアに向けて身を屈めた状態から困惑した顔で見上げるユリウスに、イシュタルはフレイアの隣に立て膝して彼女の肩に手を置くと、優しく語り掛けた。
「今すぐユリウス様のことを許して欲しいとは言わないわ。けれど、せめてユリウス様が取りに行って来て下さったこの『ライブの杖』は受け取りなさい。アルフォンスを助ける為に、ね。」
フレイアは「アルフォンスを助ける」という言葉に反応し、僅かに顔を上げて『ライブの杖』を目の端で捉えた。そしてユリウスの手から杖を受け取った。

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