pas a pas

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「ナンナ!」
アレスの腕の中で、ナンナの身体が僅かに動いた。
アレスの言葉に応えるように、僅かだがナンナの鼓動が伝わって来る。まだ息があるらしいナンナに、アレスは即座に後方の誰かに回復を頼もうとしてその身体を抱え上げて、駆け出そうとしてふと先日の光景を思い出した。
「おい…。」
「はぃ?」
一緒にナンナに駆け寄って彼女を抱き起こし、その告白を聞いて打ちのめされてガックリと地に両手を付いて背を丸めていたリーフは、苛立ったような声を掛けられキョトンとして顔を上げた。
「お前……回復の杖、使えるんじゃなかったか?」
「あっ!!」
持ってるだけで殆ど使わないだけに、気が動転してすっかり失念していたリーフは慌てて杖を取り上げた。
「ボケッ!! こいつに万一のことがあったら、全部お前の所為だからな!そん時ぁ、その役立たずの手足を小間切れにしてやるから覚悟しろっ!!」
「文句言う暇があったら、その槍抜く用意して下さい!その分回復が遅れたらあなたの所為ですよ。」
その手でナンナを救えるとわかるなり元気を取り戻したリーフは、負けじとアレスに言い返し、呪文を唱えながら杖をかざす。
リーフが呪文を唱えている間に、アレスはナンナの胸の方に突き出ている穂先を切断した。そして、柄を握りしめる。
「……疾く、この者の傷を癒したまえ。」
『リカバーの杖』の力が発動する寸前、アレスはナンナの背中から槍を引き抜いた。その傍から、傷が塞がっていく。
傷が完全に塞がりナンナの鼓動が落ち着いて来たのを確かめて、2人は大きく息をついた。
「良かった〜、間に合って…。でも、回復魔法ってやっぱり疲れますね。」
「お前の修行が足らんだけだろう?」
「…だったら、お手本見せて下さいよ。」
アレスに杖が使えないのを知ってて、リーフはそう言い返した。これには、さすがのアレスも返す言葉がない。
悔しそうに押し黙ったアレスを見て、リーフは複雑な笑みを浮かべた。
「それにしても、アレス殿があんなに取り乱したところは初めて見せていただきましたよ。」
「…何のことだ?」
立場が逆転したような気がして焦りながら、アレスは虚勢を張った。
「万一のことがあったら、手足を小間切れですか…。」
セリスの時のように「首を叩っ切る」と言わなかった辺り、その怒りはかなりのものだったようだ。
ただ切り落とされたなら、処置が早ければ魔法で接合出来る。首を落とされても、『バルキリーの杖』で復活する際にやはり傷口は塞がる。しかし、砕かれたり小間切れにされた肉片を全て拾い集めるように復元することは『リカバーの杖』でも不可能だろう。
「随分と、ナンナに御執心のようですね。」
「お前にだけは言われたくない。」
アレスは拗ねたように顔を背けた。
「本気……ですか?」
リーフは寂しそうに問いかけた。それに対し、アレスは腕の中で眠るナンナを愛おし気に見つめて静かに答えた。
「ああ…。こいつは誰にも渡さない。例え相手が死神でもな。」

ナンナが目覚めた時、そこはトラキア城の中だった。
部屋の中には、ナンナとアレスだけ。そのアレスは、ナンナが目を覚ましたのを見て一瞬安堵の表情を浮かべた後、まだぼんやりしている彼女を怒鳴り付けた。
「だから、力量をわきまえろって言ったんだっ!!」
「な、何よ、いきなり…。」
まだ完全に目覚め切ってはいなかったナンナは、アレスに怒鳴られてやっと頭が回転し出した。ベッドの上で身体を起こしながら、意識を失う前に何があったのか徐々に思い出されて、事態の重さに青ざめる。
怒鳴り付けた後、泣き出すのを堪えてるんじゃないかと思うような表情でアレスはナンナを睨み付けていた。
「……ごめんなさい。」
シュンとなったナンナの身体に、アレスの腕が伸びた。ベッドの端に腰掛けて、ナンナの肩に額をつけるようにして背中に片腕を回す。
下着姿だったナンナは、肌に直接触れられて心拍数が跳ね上がった。
「アアア、アレス…!?」
泡食った様子のナンナを他所に、アレスは静かに言った。
「もう無理はするな。ずっと俺の傍にいろ。」
「あの…、えぇっと…。」
「あの言葉の取り消しは認めない。」
ナンナは自分がこれで死ぬんだと思った時に呟いた言葉を思い出した。
「あれは…、だから…、その…。」
「傍に居る限り、お前は必ず俺が守る。二度とこんな傷を付けさせはしない。」
リーフがすっかり直してくれたおかげで傷跡は残っていないが、アレスの目にはあの時の傷がはっきりと浮かんで見える。その傷を消すように、アレスはナンナの肌にそっと唇を落とした。
そのまま抱き締められるような恰好になったナンナは、ハッとなって押し返すように腕を突き出すと不機嫌そうに呟いた。
「やっぱり身体が目当てなの?」
すると、アレスは少しだけ身体を離して、静かな笑みを浮かべた。
「まさか…。俺はそんなに無欲じゃない。」
「はぃ?」
ナンナは呆れたようにアレスを見遣った。身体目当ての何処が無欲だと言うのだろうか。
「身体だけじゃない。心も欲しい。」
真剣な眼差しで言われたそれに、ナンナは頷きそうになる自分を必死に押さえた。そして、ボソッと一言答える。
「……嫌よ。」
「えっ?」
目を伏せて身体を押し返しながら発せられた言葉に、アレスは目を丸くした。瀕死の状態で「好きだ」と言っておきながら、この期に及んで拒んでくるなど予想だにしていなかった。アレスは驚いて手を離す。
「嫌って…?」
傷ついたような顔で問い返すアレスに、ナンナはキッパリと言い放つ。
「ええ、嫌よ。おまけで付けてなんてあげないわ。私の心はそんな安物じゃないの。」
言ってから、ナンナは何か期待するような目でアレスを見ている。その視線を受けて、アレスはナンナの頬に手を伸ばして言い直した。
「ならば……全てが欲しい。こう言ったら、くれるか?」
「そうね。それなら考えてあげてもいいわ。」
「…上等だ。」
アレスは咽奥で軽く笑った。
アレスに対してここまで上段に構えることの出来る女など他に居るまい。夢見心地になりそうな自分を必死に押さえて意地を張っているところなど、本当に可愛くて仕方が無い。
「では、その証をもらうとしよう。」
アレスは壊れ物を扱うような手付きでナンナに顔を寄せた。今度はナンナも抗おうとはせずに軽く目を閉じる。
差し込む朝日の中、影が一つに重なった。

- fin -

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