pas a pas

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ナンナやリーフの気持ちを知ったからといって、アレスの態度がコロッと変わるなどということはなかった。それでも、リーフは気が気ではない。自分でさえも一瞬見愡れたそんな顔をナンナに向けられたら、張り詰めたナンナの気持ちはアレスの方へと転がり込んでしまいそうだ。
自分の気持ちを認めたくないナンナは、見るからに近寄り難い空気をまとっていた。傍に居ながら、リーフもパティもそしてフィンさえも迂闊に声を掛けられない。下手なことを言えば、ナンナが自分の気持ちに押しつぶされてしまいそうだった。
そんな中でも、敵は襲って来る。トラキアの人間から見ればこちらが侵攻しているのだから、出撃して来るのは当然のことだろう。グルティア城に居た帝国兵はともかく、トラキア城の竜騎士達にとっては祖国を守るための戦いだ。その気迫は並々ならぬものがある。
「下がってろ。」
この一言で前を塞がれたナンナは、いつものように怒鳴り返した。だが、アレスは珍しくそのまま無視したりはせずに、僅かに振り返る。
「文句は自分の力量を踏まえてから言え。」
ナンナはグッと押し黙った。その後、何かまた言い返そうとする。
だが、それを状況が許さなかった。ナンナの目に、傷を負ったリーフの姿が映る。
「リーフ様!」
回復の杖を手に、ナンナはリーフに駆け寄った。
「大丈夫。大したことない。」
「ですが…。」
「いいから、ナンナは少し休んでてっ!!」
リーフは回復を断ると、再び竜騎士に挑み掛かった。
先日の戦いでリーフは、怪我の程度によらず回復の杖を振るうことがかなりの気力を消耗する行為だとわかった。コープルなどはあの幼さでありながらどれ程連続で杖を振るおうと平然としているが、それはその身に宿る桁外れの資質と幼い頃から専門に修行して来た成果によるものだ。「使えます」というレベルのナンナに軽い怪我でいちいち回復してもらって、余計な負担をかける訳にはいかない。
しかし、その思いはナンナには届いていなかった。
「リーフ様まで…。」
あっちでこっちで邪魔物扱いされて、ナンナは意地になった。
そうなると、ますます周りも自分もよく見えなくなって来る。無理をして、見るからに息が上がっているにも関わらず、ナンナは杖を剣に持ち替える。
元々言葉足らずのアレスはともかく、リーフが優しい言葉を掛けられる余裕のない程の激戦の中、飛び出したナンナを援護する者はもう居なかった。他にナンナを気づかってくれる者は、全員この場には居ない。フィンとアルテナは「三頭の竜」作戦から城を守っているし、パティ達は別のポイントで同じく激闘を繰り広げている。
意地だけで竜騎士とやり合ったナンナの疲労は、極限まで達していた。それでも、傷を負ったアレスとリーフを見て、再び杖を持って前へ出て行った。

自分の血と敵の血で全身を濡らした2人を見て、ナンナはアレスの方へ駆け寄った。どちらの怪我が酷いとかそんなことを考えることもなく、2人の姿を同時に視界に捕らえ、自然とそちらへ馬を向けていた。冷静に考えれば、ナンナがリーフを回復させながら、リーフにアレスを回復させた方が効率が良いというのに、そんなことを考える余裕はなかった。
自分の方へと駆けて来るナンナを見て、また「引っ込んでろ」と言おうと口を開きかけたアレスは、ナンナの背後で何かが起き上がる影を見た。僅かに遅れてリーフもそれを視界に捕らえる。
「「伏せろ〜っ!!」」
アレスとリーフが同時に叫んだが、ナンナには通じなかった。
「えっ?」
何を言われたのかわからずに呆然としたナンナの肩を激痛が襲う。
死力を尽くしてナンナに手槍を投げ付けた騎士は、それで事切れた。
「ナンナ!」
リーフとアレスはナンナに駆け寄った。
「アレス…。」
揃って抱き起こす2人の前で、ナンナはアレスの名だけを呼んだ。
「アレス…。」
「何だ、何が言いたいっ!?」
再び名を呼ぶナンナに、アレスは叫ぶように言った後、弱々しい声を聞き漏らすまいと彼女の口元に耳をつける。
「あなたを好きだってこと、もっと早く気付けば良かった。」
死にかけた今、ナンナの頭の中を走馬灯のようにいろいろなものが流れては消えていく。つい先程とっさにアレスに駆け寄ったことも、今まで散々反発して来たことも、すべてが思い起こされていく。そして、その陰に常にあった自分の本当の気持ちもハッキリと見えて来る。
「もっと早く……素直な私を……。」
そこでナンナの声は止まった。
アレスは耳を離してナンナを掻き抱いた。
「逝くな、ナンナ! 俺を独りにするな〜っ!!」
アレスの悲痛な叫びが、リーフの心にこだまし重くのしかかった。

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