pas a pas

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アルテナが飛び去って手加減の必要がなくなったことでその場に残った敵は瞬く間に一掃された。ナンナとリーフが回復の杖を振っている合間に、リーンが崩れ落ちる。怪我はしていなかったが、敵を目の前にしながら踊り続けたため、止まった途端に気が抜けたのだろう。
「…大丈夫か?」
気の利かない台詞を口に乗せたアレスに、レスターの腕の中でリーンは顔を僅かに上げて応えた。
「心配する相手が違うでしょう?」
その視線の先に居る人物を見て、アレスは戸惑った。
「取られて……取り返せるものばかりじゃないのよ。」
取り返そうとしても手遅れということもある。
リーンの言わんとするところを察してアレスは、疲れた身体に鞭打って他人の傷を癒しているナンナの元へと駆けて行った。
「ほんと、素直じゃないんだから…。」
地面に腕をついてどうにか自力で身体を支えて呆れたように呟くリーンに、そっと腕を外しながらレスターが不思議そうな顔をする。
「レスターさん…。あたし達はそれぞれ間接的な理由でナンナさんの援護に来たけど、アレスはどうして来たんだと思います?」
リーンに言われて、レスターはナンナの元へ駆けて行くアレスの背中を眺めて思った。
誰かに頼まれて援護を引き受けるようなアレスではない。また、いくらパティと優先契約を結んで自分に『シーフの腕輪』を譲ったとしても、修理費に頭を悩ませる必要がなくなった訳ではない。ならば、彼が自分の持ち場の敵だけでなくわざわざこんなところまでやって来て余計な敵にまで『ミストルティン』を振るう理由は…。
「こんな掠り傷を直すことはない。」
「些細な傷でも命取りになることあるのよ。」
「その言葉、そのままそっくり返してやる。」
寄って来たアレスの傷を見て杖を振るおうとするナンナを、アレスが止めていた。それを見ながらリーンが呟いた。
「あんな言葉…、昔のアレスからは想像も出来ないわ。」
「えっ?」
レスターはリーンが何を言おうとしているのかわからず、説明を求めるように彼女を見た。すると、リーンは遠い目をして話し出したのだった。

いくら強くても、時には大怪我を負うこともある。アレスも、そうだった。多勢に無勢のようなことになったり、感情的になって機を誤ったりすることもあった。勿論、仲間に回復の杖を使える者が居ればその場で何とかしてもらえる。それが出来ない時は、その場で応急処置をして町へ運ばれ、治療の心得のある者の元や教会で治してもらう。そうやって、アレスは何とか生き延びて来た。しかし、それでアレスが礼を言ったことは一度もなかった。
ある時、重傷を負って運び込まれたアレスの元に、町の教会に身を置くシスターが駆け付けて来た。他の人には目もくれなかったことから考えて、決して慈愛の精神で来た訳ではなかったのだろうその女性は、懸命に杖を振るい瀕死の状態だったアレスが完治した時には代わるように倒れ伏していた。
元気になったアレスに、リーンは言った。
「お見舞いの花でも持って、お礼言いに行ったら?」
しかし、アレスは知らん顔だった。
「待ちなさいよ、恩知らず! あの人、あなたの為に精魂尽きて寝込んじゃったのよ。」
「俺が頼んだ訳ではない。」
頼みもしないことをしてどうにかなったとしても、俺には関係ない。そんなことを恩に着せられるなど迷惑だ。それこそ文字どおり、余計なお世話。
そんな風に言い切るアレスにリーンは憤りを感じた。
「あの人が居なかったら死んでたかも知れないのよ!」
「俺は生きてる。」
死んでいたかも知れないが、死ななかったかも知れない。死んでいたかも知れない、などと言う仮定の話は今生きている人間には無意味だった。仮定の話をしたら、いつだってアレスは死んでいたかも知れない。あの矢がもう少し寄っていたら、隣に居た人間に刺さらなかったら…。戦場でそんなことを言い出したらキリがない。
頼みもしないのに助けてくれたことに恩を感じなければいけないなら、アレスは彼等を襲いそして幼いアレスを売り飛ばしたあの賊にも感謝しなければいけないことになる。
仮定の話をすれば、あの時賊の中の1人でもアレスにトドメを刺そうとしたなら、それでアレスは死んでいたかも知れないのだ。だが、アレスは生きている、決して命乞いをした覚えなどないが、それでも命を取られることはなかった。だからと言って、感謝するべき相手は誰も居なかった。それがヘズルの加護だったとしても、アレスには先祖を敬う気はあっても感謝する気は全くなかった。加護を願ったり祈ったりした覚えなどないからだ。
「頼みもしないのに俺を生かそうとするのは、そいつにとってその方が都合がいいからだ。俺が感謝する謂れはない。」
だからアレスは、彼に回復の杖を振るってくれた人間に礼を言ったことはなかった。ただ、そうしたいと願う相手を拒まなかっただけだ。当然、それで相手がどんなに困ろうが気にはしない。

「昔のアレスなら、ナンナさんがどんなに疲れていようと構わず回復させてやってるわよ。」
「させてやってる…?」
「そう。そういう態度なのよ。」
リーンが見て来たアレスはそういう人間だった。回復してもらってるんじゃなく、回復させてやってる。だから礼は言わない。寧ろ、回復させてくれてありがとう、と言えとでも言わんばかりであった。こんな風に、相手を気づかうことなど有り得なかった。
「あたしには変えられなかったなぁ。」
リーンは残念そうに言った。
「でも、君もまた、アレス様には変えられなかったようだね?」
「…そうね。」
レスターとリーンの頭の中に同時に、髪型ばかりヤンキーな礼儀正しい金髪の青年の姿が浮かぶ。そしてレスターは、その人の元へ彼女を送り届けるために、そして自分もパティや仲間達の元へ帰るために、遠くの空に現われた影を迎え撃つべく『勇者の弓』を取り直したのだった。

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