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「俺の、母上のことを何か御存じないかと思いまして…。」
デルムッドの切り出した話に、アレスは面喰らった。
「お前の母親のことなど俺が知るはずなかろう。」
「で、でも、母上がイード砂漠へ旅立ったのはアレス様に『ミストルティン』を渡しに行く目的もあったと…。」
デルムッドはあたふたしながら言い募った。彼が『ミストルティン』と言ったことに、アレスの注意が向く。
「誰が、俺にこの剣を渡したって?」
「アレス様の手にどのように渡されたのかはわかりません。ですが、エルトシャン様亡き後、母上がずっと預かっていらしたそうです。それで、イードの辺りにアレス様がいらっしゃると聞いて、俺を迎えに来る時ついでに渡しに寄るって…。」
デルムッドの迎えと『ミストルティン』の引き渡しのどちらが主目的だったのかは諸説あるが、とにかくラケシスが剣を持って旅立ち今アレスがそれを持っていることだけは確かだった。
「俺がこれを渡されたのは…。」
アレスは幼い頃の記憶を手繰り寄せた。

母が亡くなった後、そのまま母の実家で育てられていたアレスだったが、レンスターが落ちて間もなく、何処かへ落ち延びるべく家臣によって密かに連れ出された。ノディオン王の遺児であるアレスは只でさえ帝国にとって目障りな存在であっただろうに、レンスターが落ちたとあってはもう守りきれるものではなかった。そこがレンスターで有数の名家であるが故に、危険は増すばかりだ。先に落ち延びたリーフ王子同様、戦える力を身に付けるまでは身元を隠して何処かでひっそりと育てるしかないと、祖母は嫌がるアレスを無理に眠らせて信頼のおける者に託した。
しかし、アレスが目を覚ました時、そこは熱砂の上だった。
近くで聞こえた叫びにハッとなったアレスの目に飛び込んで来たのは、振り下ろされる大剣と血まみれになった家臣の姿だった。
驚きのあまり声が出ないアレスを、別の大きな影が襲う。
とっさにアレスは近くに落ちてた剣を拾って構えたが、子供の力では剣ごと吹っ飛ばされただけだった。転がっていた死体と頭をぶつけて意識が薄れゆく中、アレスはもう二度と目覚めることはないだろうと思っていた。
「やっと、目ェ覚ましやがったか。」
暗くて狭い場所で意識を取り戻したアレスは、その声が自分に掛けられたものと知って驚いた。その声と身体中に残る痛みが、自分がまだ生きてることを物語っている。
「起きたなら、さっさと働いてもらおうじゃないか。」
「えっ?」
アレスは状況が理解出来なかった。だが、決して自分は目の前の人間に助けられた訳ではないということだけは、雰囲気で察した。どうやら、アレス達を襲った男達は金目の物をすべて奪い取った挙げ句に、アレスを売り飛ばしたらしい。それでもアレスは運が良かったのだろう。あの場で殺されることもなく、子供狩りを行っているロプト教団への貢ぎ物にされることもなく、いかがわしいところへ売られることもなく、五体満足で最低限の衣食住は保証されたと言えるのだから…。これもヘズルのお導きなのだろうか。
もちろん、それまで王族として育てられていたアレスにとって、目の前の相手のとった態度はあまりにも無礼だった。
しかしアレスも、国を追われた者の末路について僅かばかりの知識は持っていた。今は生き延びること、それが最も重要なことだと自分に言い聞かせて、アレスは我慢した。幸い、魔剣の継承者として物心つかない内から身体は鍛えられていた。アレスは自分を虐げた者達をいつか見返し、卑怯にも親友を名乗る者に殺された父の恨みを晴らし、その手でノディオンを取り戻すことを心に誓って、オアシスの雑貨屋で毎日ぼろ雑巾のようになるまで働かされる現実を受け入れたのだった。
そんな日々が続いたある日、店の裏に1人の旅人が現われたのだ。
「アレスね…?」
荷運びの最中だったアレスは、自分を知っているらしい呼び掛けに警戒した。しかし、相手はそんな様子に構うことなく嬉しそうにマントの下から長い包みを取り出した。
「これを…。」
差し出されたそれに、アレスは引き寄せられるように手を伸ばした。
「どうか、強く生きて…。」
アレスが包みを受け取ったことを確認すると、旅人はかき消えるように姿を消した。
夢でも見てるかのようだったアレスは、手の中にずっしりと重い包みを開けて更に目を疑った。
「…夢、じゃないよな。これって…。」
直に触れてみれば、それが『ミストルティン』であることを疑いようはなかった。身体中の血が沸き立つのを感じられた。
すぐさま周りの目を盗んで剣を隠したアレスが、後にオアシスを襲ったジャバローに目を付けられるまで、それほど長い時は掛からなかったのだった。

「そんなことが…。」
いつの間にか、思い返すままにそれを口にしていたアレスは、デルムッドの漏らした声にハッとなった。しかし、下手に取り繕えば余計な詮索や興味を煽ることにもなりかねないと、素知らぬ顔をすることにした。
「それで、その旅人ってどんな人だったんですか?」
「わからん。」
「わか…?」
アレスの返事にデルムッドは困惑した。
「忘れてしまったとか…?」
「……フードを目深に被ってて、マントで身体を隠してた。声は小さくても凛と響く良い声だったが…。」
決して忘れてしまった訳ではなく、ほんの僅かな時間の出来事にも関わらずその時のことは鮮明に思い出せるアレスだったが、それ以上は解らなかった。
「そう、ですよね…。覚えていらしたら、ナンナを見て驚かれるはずですよね。」
「…何でだ?」
またアレスの頭の上に疑問符が湧いた。
「ナンナの容姿は母上にそっくりなんだそうです。」
「…だったら別人だな。俺にこいつを渡した女は、もっと気品があった。」
アレスに言い切られて、デルムッドは苦笑いした。そんなデルムッドに、アレスはまだ疑問符を飛ばした状態で向き直った。
「そもそもわからんのは…。どうしてお前の母親がこれを預かったりしたのだ?」
これには、デルムッドの方が驚く。
しかし、デルムッド達にとっては周知の事実であることでも、解放軍の者達に殆ど無関心だったアレスには未知の世界だった。そもそも、デルムッドの顔と名前も把握していなかったようなアレスが、そんなことを知るはずが無い。
「あのぉ、もしかしてアレス様は御存じなかったのでしょうか?」
「だから何をだ?」
アレスは苛ついたようにデルムッドの言葉を促す。
「俺の母はラケシス。エルトシャン様の妹にあたるんですけど…。」
「ラケシス……って、あの悪名高い?」
これにはデルムッドは目を瞬かせた。
「あ、悪名高かったんですかっ!?」
「ああ、ガキの頃に散々聞かされたぞ。あの女の所為でグラーニェはさぞや苦労しただろう、ってな。」
吐き捨てるかのようなアレスの言葉に、デルムッドは噂に聞く母の所業を思い返して溜め息をついた。現実にどうであったかはその場に居た者しか知らないだろうが、ラケシスがお兄様至上主義を公言して憚らなかったことを考えれば、グラーニェの実家でそのくらいのことは言われていても仕方がないだろう。
「もっとも、母上はおいそれと他人の悪口を言うような方ではなかったがな。」
だからこそアレスは、その母が死ぬ間際まで恨んでいたシグルドのことを許せなかったしセリス達の言葉もまだ信じられなかったのだった。

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