真っ白な毛糸が、細い指に繰られてするすると形を為していく。
 シレジアの大地に積もる、一面の雪と同じ色をしたマフラー。毎日、一人きりの時間を見つけては少しずつ編んできた力作である。
 最後の編み目を止め終えて、ティニーは頭の高さまでそれを持ち上げ、出来映えを確かめた。
 昔、フリージがまだ帝国に与する公爵家の一つであった時。セリス率いる解放軍に参加するより以前、あまり自由に動き回れる 身ではなかったあの頃は、趣味としての編み物や裁縫もしていたものだが、解放軍に加わって戦い、戦争が終わるとフリージの女公爵となって 再興に努め、その後シレジアに嫁いできて王妃となり…。忙しい日々が続いて、あまり編み物に触れる機会はなくて。
 だから、腕が落ちていないかどうかは不安だったけれど、こうして完成してみると、概ね成功したように見える。
 少なくとも、心配していたような、幅が違ったりとか、目を飛ばしていたりとか、そういう明かな失敗は、 丁寧に編んできただけに見あたらない。
 ティニーはホッとして、自分の作り上げたマフラーを胸に抱いた。

 ――明日は、大切な日。
 ちょうど一年前、フリージの復興が軌道に乗り、ティニーがグランベルを出てシレジアのセティの元に、ようやく嫁いで来れた記念日。
 …そう、結婚記念日、である。


  anniversary


 ティニーは、微かな物音に目を覚ました。窓から眩しい光が射し込んでいる。
(…朝…)
 眩しさに何度か目を瞬いて、少し身を起こす。
「あ、おはよう」
 ちょうど彼も起きたばかりらしい、セティがティニーに気が付いて声を掛けた。
「おはようございます。」
 朝起きる時間が食い違ってしまうことも少なくないから、起きた瞬間から彼の笑顔を見られたことは、やっぱり今日という日の 神様からの祝福かもしれないと思う。
 嬉しそうに微笑んだティニーの前髪を指先で除けて、セティが額に軽くキスを落とした。
 それに少し目を細めた後、ティニーは囁くような声で夫に言う。
「…セティ様、今日…」
「うん」 セティは待ちかまえていたように頷いた。「わかってるよ」
 彼には自主的に気付いてもらいたくて、前もって言っておくことはしなかった。だから、もしかしたら忘れていたら…という 思いがないこともなくて、ティニーは僅かばかりの不安を胸に残していたが、セティの返答に安堵した。
 大好きな彼の瞳が、まっすぐにこちらを見つめている。
 甘い雰囲気の中、二人はじっと無言のまま見つめ合っていた。
 ――記念日らしい、いい雰囲気…
 ティニーがそう思った瞬間、ばったんと寝室と中扉で繋がっている向こうの、私室の扉が開いた音がした。
「セティ様、ティニー様!」
「?」
 さすがに無断で寝室にまでは入ってこないようだが、呼び立てる声は容赦ない。
「…どうした?」
 セティが立ち上がって、扉を開くと、待ちかまえていた女官が叫んだ。
「あ、あの、ヴェルトマー公爵家のアーサー様、フィー様ご夫妻がおいでです!」
「…え!?」
 二人の声がはもった。
 グランベルの公爵家の一つ、ヴェルトマー家を継いだティニーの兄は、立派に公爵の座を継いでいる。それはティニーがフリージに いた頃からよく知っていたし、シレジアに来た今でも時々その噂は聞こえてくる。
 立派にセリスを助けている筈のアーサーは、そうやすやすとシレジアまで足を運べる筈がない男だった。 まして、前もっての連絡もなしに、シレジア王家を訪問してくるなんて。その上、今はアーサーの妻となったセティの妹、フィーまで連れて。
 セティとティニーは目を丸くして互いの顔を見合わせたが、仕方なく慌てて支度に取りかかることにした。


     *     *     *


 身内ということで、アーサーとフィーは接客間に通され、セティ達が支度を終えてやってくるのを待っていた。
 アーサーは、セティと一緒にやってきたティニーの顔を見るなり満面に笑顔を浮かべて、横から大きな箱を取り出した。
「兄様、これは?」
 両手をいっぱいに使ってようやく持てる大きさの白い箱に、ティニーは目の前の兄を見る。
「結婚記念日の祝いだよ。フィーと一緒に選んだんだ。」
 ティニーは驚いたけれど、嬉しさに頬を上気させた。
「まあ…ありがとうございます。フィーも…」
「せっかくだから、着てみてよ。ぜったい、ティニーに似合うと思うわ。」
 フィーの提案に頷いて、着替えたばかりの服を再び替えるため、ティニーは一旦退室することにした。
 セティはティニーを見送ると、アーサー達の前に腰かける。
「…それにしたって、あまりに突然じゃないか。ヴェルトマーは大丈夫なのか?」
 アーサーは昔と何も変わらない、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「何言ってんだよ。愛する妹の結婚記念日くらい、部下に任せてきても罰はあたらない筈だぜ。」
 フィーも「そうよそうよ」とお茶を啜りながら賛同する。
 セティは、ため息を吐いて呆れを示しつつ、どこか嬉しそうに言った。
「…二人とも、相変わらずだ」
 公爵夫妻が板について、責任を感じ始め、少しは落ち着いたものかと思ったが、相変わらずでやっているらしい。 部下達はそれで苦労しているかもしれないけれど、それでこそだと思う気持ちもあった。
「それにさ」
 アーサーは、緩んでいた表情を一瞬引き締めて義兄(もとい義弟)を睨むようにした。
「…お前がティニーとの結婚を申し込んできたとき、言っただろう。一年後、ちゃんとティニーを幸せにしているかどうか、 確かめに来るって。もしも不幸にしていたら、何があってもティニーを連れて帰って、お前を絶対に許さないってな」
 セティは背もたれに寄りかかった。
「…そんなことも言ってたかな。」
 思い出すように言う。確かに言っていたかもしれないが、それはあくまで方便であって、まさか本当に確かめにくるとは 思っていなかった。ティニーの幸せは、定期的にやりとりしている手紙などでも知れているはずだ。
「そんなこと、だとぉ!?」
「そんなこと、だよ。一年後だろうが十年後だろうが五十年後だろうが、ティニーを幸せにするのは当たり前だ。 一年後に君が確かめにきたから何だという話ではない」
「ふうーん…」
 アーサーは鼻を鳴らしてしばらくセティを観察するように見ていたが、やがて納得したように、足下から何かを取り出した。
 それは、細長い麻袋である。
 アーサーはそれをセティに示して、にやにや笑った。
「………酒?」
 中身の見当を付けて、セティは尋ねる。
「アタリ!こっちはお前への祝いだ!俺のとっておきだぜ。特別に開けてやるから、久々に一杯やろうぜっ」
「ほどほどにしといてよね」
 一応、女房らしい釘をさしておくフィー。けれど、どうせ飲み始めたら忠告など忘れ、シレジアの蔵からも引き出して来るに違いない、と 踏んでいた。


     *     *     *


 最初は呆れたような顔をしていたセティも、アルコールが入っていく内に興に乗ってきて、 すっかり義兄弟の酒宴は真っ昼間という時間を考えずに盛り上がっていた。
 その光景を横目で見ながら、フィーはため息を吐く。そんなフィーのティーカップに、ティニーはお茶を注いだ。
「ごめんね、ティニー。せっかくの日なのに邪魔しちゃって。当日じゃなくてもいいじゃないって言ったんだけど、 アーサーがどうしてもって聞かなくてね。」
 ティニーはクスッと笑って首を振った。
「いいえ、嬉しかったです。兄様まで、この日を覚えて下さって、わざわざいらして祝福して下さるなんて。」
「…ただ単に、遊びに来たかっただけじゃないかっていう気もするけどね。」
「それでも、嬉しいです。」
 何せ、お互いに大切な妹を取られる形になったセティとアーサーは、戦友でありながら一時は険悪な関係になった事もある。 そんな二人が、今やうち解けてああしている光景は、ティニーの頬を綻ばせるのに十分だった。
「酔っぱらいの男共のことは放って置いて、あたし達はあたし達で楽しもうね。」
 こっちはただのお茶だけど、と言って、フィーはカップを持ち上げてみせた。ティニーは変な光景だと思いながらも、 笑ってチン、と軽くカップを合わせたのだった。


     *     *     *


 太陽の色がオレンジ色に染まり始めた頃、積もる話も尽きないけれど、長居はできないとアーサー達は帰路に就いた。
 大胆にも二人は、従者も付けずにフィーの天馬でここまでやって来たらしく、軽やかに空に舞い上がる。
 その影が小さくなるまで見送って、セティとティニーはようやく城の中に戻った。
「…ふう。なんか、嵐が去ったって感じだね。」
 セティはティニーを振り返って笑ってみせた。
「あら、ずいぶん楽しんでいらしたじゃありませんか?まだ酔っていらっしゃるのでは?」
「もう冷めてきてるよ」
 苦笑しながらティニーの肩を抱き寄せる。
 …やっと二人きり。
 四人でいた時間も勿論楽しかったけれど、やはり二人きりの時間がないと。
 二人の胸にそんな思いが去来したその時、セティの背後から、若くして宰相を務めているホークの声が掛かった。
「…陛下。申し訳ありませんが、各国の要人方から祝辞が届いておりますので、 そちらのお返事の方を今日中に済ませていただきたく…」
「……」
 セティはがっくりと肩を落として眉を寄せた。
 ティニーも、セティの負担になると思い表情にはできるだけ出さないようにしたが、内心では酷く落ち込んでいた。
「…それは、明日というわけには…」
 苦し紛れの提案も、ホークに却下される。
「どなたも高貴な方々ばかりです。一刻も早くお返事を書く誠意をお見せするべきかと」
「……わかった」
 解放軍にいた頃の戦友たちは、セティとティニーが愛し合っていながらも、戦後すぐに結婚はできず、シレジアとフリージに 分かたれなければならなかったことを惜しんでくれた。そして、ようやく結婚できた時にも、一緒に心から喜んでくれたのだ。
 だからこそ、一年目の記念日というこの日にも、わざわざ祝辞を寄越してくれたのである。
 そんな彼らの思いに、応えなければという気持ちは、二人にもあった。
 セティは後ろ髪引かれながらティニーから離れ、執務室に向かう。
 ティニーも、彼を待っている時間を使って、親しかった女の子達には、自分からもお返事を書こうと思った。


     *     *     *


 太陽はすっかりその姿を隠し、ちらほらと星が見え隠れする中央に皓い月が昇る頃。
 このままでは今日が終わってしまう、と項垂れていたティニーの元に、ようやく作業を終えたセティが駆け込んできた。
 よほどの量があったと見えて、すっかり彼は疲れてしまっているようだ。
「…間にあった…!ごめん、遅くなって」
 ティニーのすぐ傍までやってきて、手を取ったセティに、ティニーの胸はじんと温かくなる。
「いいえ。今日が終わらなくて、よかった…」
 セティは困ったように微笑った。
「本当は、今日ばかりは一日ゆっくりできるようにして、ティニーと二人でいようと思って用意していたんだよ。 …すっかり予定が狂ってしまったけど…」
 そんな風に思っていてくれたなんて。
 …ティニーは、それを聴けただけでも十分だった。
 一昨年までは、こうして二人でいることさえままならなかったのに。一日中一緒にいられなかったことを悔やむなんて、 ずいぶんと贅沢になったものだとしみじみ思う。…それだけ、幸せになれたということだと実感できる。
「セティ様、今日が終わらない内に、これ…」
 昨日のうちに綺麗にラッピングした、白桃色の包みを手渡す。
「これは…」
「開けてみて下さい」
 セティは丁寧に包みを解いて、中からマフラーをとりだした。
 そして驚いたように目を瞠る。
「これ…もしかして、ティニーが編んだの?」
「はい。…セティ様には、もっとしっかりしたものがいくらでもおありでしょうけれど…でも、こんなことしか思いつかなくて…」
 言った途端に、彼の腕に包まれる。
「そんなことないよ。すごく嬉しい」
 よかった、と吐息のように呟いた声は、彼の胸元に吸い込まれて溶けた。
「…君がシレジアに来る前は、ここの冬は寒くて厳しかったけれど、君が来てからは苦に思わなくなったよ。 今年はもっと楽に過ごせそうだ。君の愛がこもったマフラーがあって、君のあたたかさがあるから…」
「はい。私も…シレジアは、私にはまだ寒いけれど、あなたがいて下さるから平気です。」
 セティはぎゅっと腕に殊更力を込めて、ティニーをきつく抱きしめる。
「君といられることに、感謝するよ。また来年も、その次も…毎年ずっと、こうして君と記念日を祝えるように…」

 シレジアの冷たい風が、部屋の窓をそっと叩く。
 けれど、窓硝子に阻まれて入り込めない風は、二人の体温を奪うことは無かった。
 暖炉に灯された炎が暖めた室内は、二人の心内をそのまま写し取ったように春の暖かさに満ちている。


 <END>







 ☆LUNA様へ☆

 この度は、同盟4周年(4でいいんですよね?;)おめでとうございます。
 皆様は同盟に絵を寄贈なさっているという中、
 私は絵が書けませんので、文章しかお贈りできませんのが心苦しいのですが、
 よろしければほんの気持ちと思い、駄文ではございますがお受け取り下されば幸いです。
 一応、同盟発足記念日と結婚記念日を掛けてはみましたが、
 話の都合上結婚1周年記念ということになってしまいまして、あまり合っていませんね。
 申し訳ないです;
 こんな私ですが、セティニーへの愛だけはたっぷりあるつもりです。
 これからも同盟を応援させていただきます。頑張って下さい。
 それでは、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 野々宮雪乃


 ★野々宮雪乃さまへ★

 この度は、お祝いの小説をどうもありがとうございました。
 基本的に小説の投稿受付はしていないのですが、
 このように素敵な作品を返品なんて勿体無いマネは出来ません。ええ、絶対!!
 セティニーへの愛をたっぷりと受け止めさせていただきました。
 セティ様のために一生懸命マフラーを編むティニーちゃんがとても可愛かったです。
 いいムードになっては邪魔が入るところが、また刺激になっていて…。
 祝ってくれるのは有り難いけど二人でゆっくり過ごさせて欲しい、とか
 思ってたんじゃないでしょうか、二人とも(笑)
 本当に、どうもありがとうございました。
 これからも、応援よろしくお願いいたします。

 LUNA