心の天秤
自らの持ち場の敵を片付けて、本城へ戻るために近道となる山沿いの細い道を抜けていたセティは、前方の逆カーブになった場所にセリスを発見した。何ゆえにそんな事態に陥ったのかは解らなかったが、とにかく片手で必死に崖の縁を掴んでぶら下がって、逆の手もかけようともがいているセリスを放っておく訳にはいくまい。セティは、急いで駆け付けるとセリスの浮いてる方の手首を掴んだ。
「セティ!?」
「セリス様。今、引き上げますから…。」
セティはセリスを引き上げようとしたが、上がろうとして踏ん張ったセリスの足が滑った。
「ぐっ!!」
セリスは勢いで手も滑らせ、セティは落下するセリスに引っ張られて共に落ちかけた。それでも、何とか道に腹這いになって堪えたが、その体勢から引き上げるのは不可能だった。
「手を放したかったら、正直に言って放しても良いよ。」
「莫迦なこと言わないで下さい。絶対助けます!!」
放して良いと言いながら、セリスは目で「放したら末代まで祟ってやる」と言っていた。しかし、そんな目で見られなくても、セティはセリスの手を放すつもりなど全くなかった。
「見栄張らなくても良いよ。誰も見てないしさ。私が居なくなれば、ティニーに対するライバルが減るよ。」
「そんな莫迦なこと言ってる余裕があるなら、助けが来るまで保つように大人しくしてて下さい。」
セティに放す気がなくても、力つきてしまえばセリスを支える手が弛んでしまう。助かりたかったら、セティに掛かる負担を少しでも減らす為に、セリスはジッとしているべきなのだ。
「助けなんて、来る保証はないじゃない?」
「いいえ、来ます。絶対に、誰かが見つけてくれます。」
上空を行き来するアルテナかフィーなら、自分達を発見してくれる可能性が大きい。特にフィーは、自分と同様に風使いセティの血に連なる者だ。きっと、何かを感じとってくれるに違いない。
風の中にSOSの意志を乗せてフィーに届くように祈りながら、セティは必死にセリスの体重を支え続けた。
「おっかしいなぁ。こっちの方からお兄ちゃんに呼ばれたと思ったんだけど…。」
フィーは風に乗ったセティのSOSを感じ取っていた。しかし、入り組んだ崖の縁に居るセティを容易には発見出来ずに居た。
「セティ様!?」
辺りを旋回していると、同乗していたティニーが驚いたような声を上げた。
「えっ、どこ?」
フィーはティニーの向いている方向を見遣ると、セティとセリスを発見した。
「大変だわ。あぁ、でも、あそこじゃマーニャで入り込めそうにないわね。」
そこは道も狭いが崖同士の幅も狭かった。ペガサスやドラゴンでセリスを拾い上げるには、狭すぎる。単に飛び抜けることすら出来そうにない。
「フィーさん、わたしを向こうの開けたところで降ろして下さい。」
「いいけど、どうして?」
「お一人の方が早く飛べるでしょうし、助けを呼ぶにはその方を同乗させた方が早いかも知れませんし…。」
ティニーが乗ってるくらいマーニャにとっては負担でも何でもないのだが、確かに帰りはティニーに降りてもらう必要がある。しかし、何もこんなところで降ろさなくても、交代で降りてもらえば充分だ。
そんなことをフィーが言いかけた時、ティニーは真剣な顔で言葉を続けた。
「それに、助けが来るまでセティ様が無事とは限りませんもの。もしも敵に発見されてしまった時は、わたしがセティ様をお護りします。」
思いつめたように言うティニーの様子に、フィーはマーニャを着地させられそうな場所を急いで探し、言われた通り彼女を降ろすと急いでアレスを呼ぶために飛び立った。
「セティ様!!」
狭い道、しかもすぐ脇は切り立つ崖という危険な場所であることを顧みず、ティニーはセティ達の元へ駆けつけた。
「ティニー!? どうして、君がここへ…?」
セティは首を少しだけ動かして、ティニーの姿を視界に捕らえた。
「マーニャの上からセティ様を見つけたんです。」
頭の上から聞こえるティニーの声に「私もいるんだけど…」と思うセリスだったが、ティニーはお構い無しに言葉を続けた。
「セティ様、その手…。」
「そんな顔をしないでくれ。見た目程酷くはないよ。」
足元が見えないようにと目を瞑っていたセリスがハッとして目を開けて上を見ると、セリスを支えるセティの腕は酷い擦り傷が出来ていた。恐らく、セリスの落下を止めた時に地面で擦れたのだろう。セリスの目の高さまでは伝わって来ていなかったが、崖の縁から壁面にかけてセティの血が流れ落ち、破けた袖にも血が染みていた。
「すぐにライブを掛けますから。」
「えっ!?」
ティニーは脇から『ライブの杖』を取り出すと、セティに向けて回復魔法を唱えた。ティニーの回復魔法を受けて、セティの腕の傷も、実は挫いていた手首も完全に癒された。
「ありがとう、ティニー。」
「先程マージファイターに昇格したんです。すぐに杖を買ったのですが、早速お役に立てましたね。」
ティニーはとっても嬉しそうにしながら、杖をしまった。
「今、フィーさんがアレス様を呼びに行っています。お二人とももう少しだけ頑張って下さい。」
「わかった。」
セティは、改めてセリスの腕をしっかりと掴んだ。
「アレスか…。それじゃ、助けは期待出来ないな。」
「セリス様!?」
「だって、彼は私の事が嫌いだもの。これ幸いと知らん顔するよ、きっと。」
セリスは、普段の自分の行いがどれ程アレスの怒りをかっているか充分すぎる程に心当たりがあった。
「いいえ、アレスは来ます。」
「そうです。もしもセリス様を嫌っていたとしても、仲間を見捨てるような真似は為さいません。」
「私の事を仲間だと思ってなければ、見捨てるんじゃないかな。」
こういう状況になって、セリスは日頃の自分の行いの悪さを痛感していた。
「例えセリス様が見捨てられても、セティ様まで見捨てられたりはしません!!」
仲間を信じないセリスの言動に頭に来てティニーが放った言葉に、セリスは「やっぱり私は見捨てられるかも知れないんだな」と思って再び目を閉じた。
アレスの登場を待っていたセティとティニーだったが、しばらくしてティニーの最初の不安が適中してしまった。アレスが来るよりも早く、逃げて来た敵が通りかかってしまったのだ。
解放軍の強さに圧倒されて必死に逃げて来た輩は、そこに高額の賞金首を2つ見つけた。解放軍リーダーのセリスとマンスターの勇者セティ。そのどちらもが碌に身動き出来ない無防備な姿で目の前に居る。傍に居て唯一身動きが適いそうなのは、可憐な少女で、まったくもって好都合な状態だった。賞金首2つを手にした後、少女は売り飛ばすなり弄ぶなりすればいい。そんなことを考えながら、彼等は武器を手にした。
「エルサンダー!!」
ティニーは急いで魔道書を取り出すと、敵に向って雷を飛ばした。連続で2人、追撃で1人。使い込まれた魔道書とセリスの指揮効果をフルに利用して先制で敵を倒すと、残った敵をキッと睨み付けた。
「わたしがいる限り、セティ様には指一本触れさせません!!」
恐怖に震え、目にはうっすらと涙を浮かべながら、ティニーは襲い掛かってくる敵兵を必死に迎え撃った。
足元にセティ達がいる以上、ティニーはその場を動いて攻撃を避けることは出来ない。とにかく相手の攻撃圏内まで近付かれる前に倒すようにしないと全員の身が危険だった。しかし、魔法を唱える為の息を整える隙をつかれ、ティニーは相手の攻撃を受けてしまった。
「ティニー!!」
「くっ…。」
ティニーは咄嗟にフィーから預かっていた『雷の剣』を抜いて攻撃を受け止めた。力負けして少々腕を掠められたが、何とか受け流して切り返す。しかし、魔力は高くても力は弱いティニーの切り払い方では、敵は掠り傷程度で済んでしまう。セティがそう心配した時、派手な音がして、ティニーが続けて2回剣を振払った後、敵は生き絶えていた。
ティニーはその後剣を使った魔法も併用して敵を全て倒し、見事にセティ達を護り切った。
危機を脱してしばらくして、アレスとナンナが駆けつけた。
ずっとセリスを支え続けて疲労で息が上がっているセティと浅いとは言え手足の傷から血を流しながら座り込んでいるティニーを見て、ナンナはリライブの呪文を唱えた。
「あら、やだ。疲労には効かないんだわ。」
セティの様子が変わらないことに、ナンナは残念そうに呟いた。
そうしている間にも、アレスはセティの横に片膝をついて、まずはセティの腕を掴んでセリスを少し引き上げた。
「よしっ、もう手を放しても良いぜ。」
セリスの腕をしっかり掴むと、アレスはセティに声を掛けた。
セリスは「セティが手を放したら、自分も放すつもりじゃないないだろうな」と不安になってアレスの腕を掴み直そうとしたが、疲れ切った腕は思うように動いてくれなかった。
「どうした? お前が放してくれないと、持ち上げにくくてかなわないんだが…。」
「手が、言うことを聞いてくれなくて…。」
必死になってセリスを支え続けていたセティの腕は、筋肉が強張ってしまって簡単には手を開けなかった。
「ナンナ、ちょっと手伝え。」
「ムッ、偉そう。」
「…文句は後だ。さっさとセティの指をセリスから剥がせ。」
ナンナが仕方無さそうに近寄ってセティの指を一本ずつ剥がして行くと、アレスはセティの手が離れたのを確認してセリスを一気に引き上げた。
引き上げた後、アレスは捨てるようにセリスから手を放し、セティの身体を起こした。
セティが壁に凭れかかるように座らされてアレス達に土を払ってもらっていると、ナンナの背後からヒックヒックとしゃくりあげるような声が聞こえて来た。
「よかっ…、良かった、セティ様が…ぶ、無事で…。」
「ティニー…。」
セティはジ〜ンとしていた。全身に走る痛みが和らいでいくようだった。
そして、セリスはそんな二人を見て寂しそうな顔をしていた。
「リーフみたいに未練がましく見てないで、潔く諦めるんだな。」
「もうっ、アレスったら普段の仕返し?」
アレスとナンナに笑われて、セリスは一層沈んだ顔になった。
「あはは…、仕方ないかな。ティニーはセティしか見えてなかったみたいだし…。」
ティニーがここへ駆けつけて来た時も、敵に襲われた時も、彼女の目にはセティしか映っていなかったことを思い知らされた。
それに、助けが来ると信じていたセティと、アレスのことを信じていなかった自分とでは、その度量には歴然の差があるだろう。父の七光りで人が集まったのだという不安を払拭することが出来ない今の自分に、どうしてティニーが応えてくれるだろうか。
アレスが疲労の為自力で歩けないセティを担ぎ、かなり疲れているはずのセリスを無理矢理歩かせて馬を置いて来た場所まで移動を開始して間もなく、ティニーはあることを思い出した。
「フィーさんは、どう為さったんですか?」
「フィーがどうかしたの?」
「アレス様を呼びに行かれたのですが…。」
ナンナも一緒ということでマーニャに同乗させて来なかったとしても不思議ではないが、姿を見せないのはおかしい。
「知らないぜ。俺達は、下の方で死にかけてたセリスの馬を見つけて来ただけだ。」
正確には、死にかけてたセリスの馬を見つけたパティからの知らせを受けて馬を見に行って、何となく状況が思い当たって救助に来たのである。セリスの馬がこの高さから落ちて即死してなかったのは不思議なくらいだったが、幸い崖の幅が狭く途中であちこちぶつかるかして一気に転落せずに済んだ上、当たりどころも悪くなかったのだろう。主人に似て、運が強いらしい。リーフがリカバーをかけて連れていったので、今頃はもう先に本城へ戻っているはずだ。
「セリス様は、この道を馬で駆け抜けようとなさったのですか?」
ティニーの呆れたような声に、セリスは誤魔化そうとするような曖昧な笑みを浮かべた後俯いた。
操馬術に長けたアレスやナンナでも馬を置いて来た程の悪い道である。そこを、ロードナイトに昇格したばかりで馬との呼吸がまだしっくりいっていないセリスが駆け抜けようとするのは無謀というものだった。
「では、アレスは自主的にセリス様を助けに来てくれたんですね?」
「まぁ、そういうことになるな。」
ボソッと呟かれたセティの言葉に、アレスは不機嫌そうに答えた。
「どうして? だって、君は私のこと嫌いだろうに。」
セリスは驚いた。フィーに頼まれて、否応なしに捲し立てられて、ナンナに促されて渋々来たのだと思っていたのだ。それなのに…。
「嫌い? そんな言葉で言い表せるものか。機会があれば、この手で息の根を止めてやりたいくらいだぜ。」
それでも、曲がりなりにも解放軍のリーダーだし、そんなことはナンナや他の者達が許してくれないので、アレスはずっと我慢しているのである。
「だったら、どうして…?」
「だからっ、俺がこの手で息の根を止める為にも、お前の命をこんな崖なんぞにくれてやる訳には行かないんだよっ!!」
照れ隠しともとれるアレスの言葉に、セティとティニーは視線を合わせて一緒にクスっと笑った。
その様子にセリスは再びショックを受けたが、悔しそうに俯くことしか出来なかった。そして、次の戦闘でセティとティニーが並んで魔法を唱えた際に二人の間をハートが流れた時、駄目押しを喰らって打ちひしがれたのだった。