いつの日か…
マンスターで勇者と名高かったセティが解放軍に加わった。
アレスなどはその穏やかな物腰や殴れば軽く吹っ飛びそうな容姿に随分と御大層な名だと笑ったが、次の作戦でその戦い振りを目の当たりにして笑顔が引きつった。強大な魔法を操り、敵をなぎ倒し仲間を守り助ける姿に、勇者と呼ばれただけの事はあると感心した。
他の者達も、尊敬の眼差しでセティを見た。
だが、ティニーだけはセティをまっすぐに見ることが出来なかった。
まだ解放軍に加わる前、ティニーはイシュタルから「セティ」の名を何度か聞いたことがあった。帝国に楯突くマンスターの反乱分子を先導している「セティ」の名を。
帝国の、伯父達のすることに何の疑念も抱いていなかったティニーは、「セティ」のことをイシュタル姉様の邪魔をする悪い人だと思っていた。
解放軍に加わってフリージ家の悪行を目の当たりにして、その度に末端とは言え以前自分がそれに加担したのだと心を痛めてきたが、セティに会った時ティニーは顔を上げることが出来なかった。
正面から敵に向きあい時には傷付きながらも仲間を守るようにして力を振るいそして怪我人には回復の手を差し伸べるセティの姿が眩しすぎて、そしてそんな彼を悪人と思い込みながら他人の背中から力を振るっていた自分が恥ずかしくて。
ならばと思いきって前線へ出てみようとしたこともあったが、足が竦んで出来なかった。
それどころか、戦場以外でも近付こうとすると足が竦み身体が動かなくなって、離れたところからそっと姿を追うのが精一杯だった。どんなに気になっても、挨拶一つ満足に交わすことが出来なくて、何となく避けてしまうような素振りをとってしまう自分に嫌気がさしながらも、どうすることも出来なかった。
歩兵で魔法の使い手同士、戦場で近くに配置されることの多くなったセティとティニーだったが、ティニーはセティが気になって集中力が散漫な戦いが続いた。
「危ないっ!!」
突如かけられた声に驚きティニーは転び、目の前の空間を突風が吹き抜けた。
「お怪我はありませんか?」
優しくかけられた声にティニーが顔を上げると、間近にセティの顔があった。
「あ、あの…だだだ、大丈夫…。」
しどろもどろになりながら返事をしたティニーだったが、そのまま真っ赤になってふいっと気が遠くなった。
「ティニーさん!」
セティは慌ててティニーの身体を揺すったが、目覚める気配はなかった。そうしている間にも敵がジリジリと迫ってくるため、セティはティニーの身体をそっと抱えて近くの岩に持たれかけさせると、一気に力を振るった。
辺りの敵を一掃したセティは、ティニーを抱き上げて城へと戻っていったが、途中で呼び止めたフィーにティニーを託すとまた戦線へ復帰していった。
「向こうの方が手薄みたいだから、そっちに回ってくれる?」
フィーの指した方向へ急ぐと、手薄どころかアレスが単体で血まみれになって戦っていた。
「アレス殿、その血…。」
「殆ど返り血だ。しかし、さすがにちょっとしんどいな。」
激戦の中では下手な仲間は足手纏いだと公言して憚らない性格が災いして、雑魚とは言え一人で多くの敵を同時に相手するはめになっていたアレスは、セティの姿を見止めて助力を求めた。
見なれた光景とは言え、セティはやや呆れながらスタスタとアレスの横へ歩み寄ると、まずは軽く杖を振るってアレスの傷を癒した。
「代わりましょう。」
「ああ、少し休ませてもらおう。」
余裕たっぷりの会話の後セティはフォルセティで敵を防ぎ、しばしの休息後アレスが再び戦線に復帰すると、呼吸を合わせて敵を一掃した。
「この辺はもう良いみたいですね。城に戻りましょうか。」
そう言いながら林の中を指差すセティに、アレスは自分の服や髪に付いた大量の血に目をやり、促されるままに川で血を洗い流した。このままの姿で帰るとナンナに「マントの使い方くらい覚えなさいって何度言わせれば気が済むのよっ!?」と怒られてしまう。
「今日はまた、一段と世話を焼いてくれるな。」
いつもなら場所だけ教えて先に帰るのに、と笑いながら髪が乾くのを待つアレスに曖昧な笑みを返してセティは彼の側でぼんやりと水面を眺めていた。
「あいつと何かあったのか?」
「ティニーさんのことをあいつ呼ばわりしないで下さい。」
ムッとしたようなセティの答えを聞いて、アレスは喉の奥でクックッと笑った。
「俺、レヴィンの奴と何かあったのかって意味で言ったんだぜ。」
ティニーの事を考えていたばっかりに藪蛇となったセティの慌て様を見て、アレスは楽しそうにその顔を覗き込んだ。
「ふふん、たまには年相応の顔するんだな。」
「いつもは老けてるとでも言いたいんですか?」
「そうは言わんが、悟ったような澄まし顔ばかりで面白くない。」
私の顔はあなたを喜ばせるためにある訳じゃありません、と拗ねたように顔を背けるセティをなだめながら、アレスは改めてティニーと何があったのか問い詰めた。
セティはポツポツとティニーのことが気になっていることを白状した。解放軍に参加して以来、満足に挨拶すら交わしてもいないがふと見る視界に入りその動きを目が追ってしまう。でも、目が合いそうになると逃げるようにどこかへ行ってしまう。
「私は嫌われているのでしょうか?」
内気だとは聞いているがフィーとは楽しそうに話しているし、アーサーに限らず他の男性とも話をしているようなのに。気が付かない内に何か気に触るようなことでもしたのだろうか、と落ち込むセティにアレスは目を丸くした。
「嫌われてはいないと思うが…。」
確かにティニーはセティと面と向かうことを避けているようだが、端から見てればセティを嫌っていないことくらいわかる。あれは、多分逆だ。
「とりあえず、見舞いにでも行ったらどうだ?」
挨拶をするきっかけくらいにはなるだろう、というアレスに、セティはこくこくと頷いた。
「それじゃ、見舞い品を仕入れに行かないとな。花とか菓子とか…。」
「それなら…。」
セティの希望した品を探すには、アレスの経験が大いに役立つこととなった。
目を覚ましてフィー達と部屋でお茶を飲んでいたティニーは、ノックの音がしたような気がして扉をそっと開けると、小さく叫んで扉を閉めてしまった。
「どうかした?」
フィーの問いに慌てて何でもなかった振りをしかけたが、確かにさっき隙間から見えたのはセティだった。
「あの…セティ様が…。」
「えっ、お兄ちゃん?何の用かなぁ。」
フィーは席を立つとスタスタとティニーの方へやってきて、もし本当に扉の前に立っていたとしたら跳ね飛ばしていたくらいの勢いで扉を開け、辺りを見回した。
「危ないじゃないか。」
「あら、本当に居たのね。」
フィーは反対側の壁に身を寄せるようにして立っているセティを見つけ、笑って誤魔化した。
「それで?」
「えぇっと、ティニーさん起きてたよね?」
「ティニーなら、ここに居るわよ。」
言うなり、フィーは傍に居たティニーをグイっとセティの方へ押し出した。
「もう大丈夫ですか?」
「…。」
ティニーは真っ赤になって俯いたまま小さく頷いた。
もっとちゃんと返事をしなくちゃ、助けてもらったお礼を言わなくちゃ、という考えが頭の中をグルグル回るが、まったく言葉は出せなかった。
「これ、お見舞いと言うか…お詫びです。吹き飛ばしてしまったリボンの代わりにはならないかも知れませんが、良かったら使って下さい。」
ティニーは差し出された小さな袋をどうにか受け取ったものの、そこで完全に動きが止まってしまった。
「うわ〜、ティニーがいつも付けてたのと同じ色なんじゃない?」
興味本意でティニーの手から袋を掠めとって中身を引き出したフィーは、同様に覗き込んでいたリーン共々感心したようにリボンをかざし見た。
ティニーは嬉しかったが、それが余計に口を重くしてしまった。
「すみません。なるべく似た色を探したんですが、お気に召しませんでしたか?」
気に入らないなんて…そんなことありません、と言いたいのにティニーは硬直したきり何も出来なかった。
「まいったなぁ、そんなに嫌われてたなんて…。」
俯いたまま何の反応もないティニーの様子に、セティは肩を落として立ち去ろうとした。その矢先、ティニーは必死に身体を動かしてセティのマントを掴んだ。
「違います!嫌いなんかじゃありません!!でも、どうしていいのかわからなくて…。」
しかし、それだけ言うのが精一杯だった。
「あ〜、お兄ちゃんたらティニー泣かせた〜。いけないんだ〜。」
「えぇっ!? うわ〜、そんなつもりじゃ…。」
おろおろしているセティの様子を楽しみながら、フィーはティニーに歩み寄った。
「な〜んてね、嘘♪ でも、これでティニーも別に構えることないってわかったでしょ。マンスターの人達はいろいろ有り難がってるみたいだけど、所詮、わたしのお兄ちゃんだもん。」
身内の気安さで軽んじているような発言にはちょっとムッとしないでもなかったが、泣かせてなかったことに安心したのとティニーの緊張をほぐす方が大切だと想ったのとでセティはフィーの言葉を受けるようにしてそっとティニーに微笑みかけた。
ティニーは勇気を出して少し上目遣いにそっとセティの顔を見て、暖かな風に包まれたような気がした。
「あの…昼間は助けていただいて有り難うございました。それに、リボンも。…ああ、やっと言えた。」
肩の荷が降りてホッとしたティニーの微笑みには、セティだけでなく他の2人も見愡れてしまった。
翌朝、セティから貰ったリボンを付けながらティニーは鏡の中の自分にそっと呟いた。
「いつか、この想いを打ち明けられるようになりたい。」
その願いが届く日がそう遠くないことは、関係者以外から見れば容易に想像が付くことだったかも知れない。