シンデレラの憂鬱

キュアンとの結婚式を翌日に控えたその夜、エスリンはレンスター城の中庭の噴水の縁に腰掛けて溜息をついていた。
「いよいよ明日だわ。」
明日、レンスター城では盛大な結婚式が執り行われ、エスリンはシアルフィ公女からレンスター王太子妃となる。
この結婚は当事者本人の意志だ。キュアンの妻となること、それはエスリン自身が望んだことであり、明日という日をずっと待ち望んでも来た。だが当日を目の前にして、エスリンの心は今、喜びよりも寧ろ不安で満たされつつあった。
「はぁ〜。」
眠れないので気晴らしに散歩に出て来たものの余計に気が滅入るばかりのエスリンが、もう数える気も起きないくらいの数の溜息の回数をまた1回増やしたところで、彼女は自分の方へ静かに歩み寄る人影に気付いた。
「…グラーニェ様!?」
エスリンが顔を上げると、そこにはノディオン王妃グラーニェが立っていた。敵意もなく、余りにも静かに歩を進めて来た為、彼女はもうエスリンの間近まで来ていた。
「ごめんなさい、驚かせてしまったようですね。」
「い、いいえ、気になさらないで下さい。こちらこそ、変な声を上げてしまって失礼しました。」
赤面して立ち上がり手を握り合わせて落ち着きなく指を動かしているエスリンに、グラーニェは再び噴水の縁に腰掛けるように促すと自分も隣にそっと腰を下ろした。そして、遠くを見るようにしてエスリンに話し掛ける。
「いよいよ、明日なのですね?」
「…はい。」
何が、ということを省かれても通じる。それ故に、エスリンは溜息をついていたのだし、グラーニェ達はこの城へ来ているのだから。
「不安ですか?」
自分の方をまっすぐに見て問いかけるグラーニェに、エスリンはドキッとした。溜息をついているのを見られていたとはいえ、興奮して眠れなくて困ってるなどと思わずに、いきなり不安なのかと問うてくるとは予想もしなかったのだ。
エスリンは目を丸くしてしばらく彼女の顔を見つめた後、静かに、しかし深く頷いた。
「わかります。私も、陛下と結婚する時は不安で堪りませんでしたから。」
グラーニェがエスリンにそう告げると、突風が吹いたような気がした後、2人の前にラケシスが仁王立ちしていた。
「聞き捨てなりませんわね、お義姉様。お兄様との結婚のどこが御不満でしたの?」
どうやらラケシスは、エスリンが部屋を抜け出したのに気付いて探しに来たものの、声を掛け辛くてこっそり様子を窺っていたらしかった。
「あ、あのね、ラケシス。グラーニェ様は、"不満"じゃなくて"不安"って仰ったのよ。」
「似たようなものですわ。あんなに素晴らしいお兄様と結婚出来るというのに、どこに不安を感じる必要がありますの?」
エスリンの執り成しも効果なく、ラケシスはツンとそっぽを向いてしまった。エルトシャンと結婚出来るという、ラケシスから見れば世界最高の幸せを手に入れるというのに、不安になるなど言語道断という構えである。
「もしかして、小姑のことですかしら?」
小姑とは言わずと知れたラケシスのことに他ならない。何しろ兄の結婚の折、ラケシスは周りの者達から「くれぐれも王妃様に嫌がらせなどなさいませんように」としつこいくらいに何度も注意を受けたのだから。あまりにしつこく言われたおかげで、「結婚はエルト兄様の義務ですもの」と割り切って考えようと努力していたラケシスは、「皆がそんな目で見てるなら、本当に嫌がらせしようかしら?」と真剣に考え直そうとしたくらいだ。その上、結婚後も周りは何かと警戒してラケシスとグラーニェが2人きりにならないようにしているため、互いに歩み寄ろうとしても機会は限られてしまう。忙しいエルトシャンが時折ゆっくりとお茶の時間を持てた際にお呼ばれして少々言葉を交わす程度では、そうそう仲良くなれるものではない。
しかし、それでもラケシスはグラーニェのことを嫌いじゃなかったし、彼女の方もラケシスを好ましく思っていた。そして、元気に跳ね回っている彼女を羨ましくも…。
「陛下があまりにも素晴らしい方だから不安だったのです。」
グラーニェはラケシスの問いに、静かに答えた。そして、不思議そうに首を傾げる彼女からエスリンの方へと顔を向ける。
「少し、昔話を聞いていただけるかしら?」
エスリンは、グラーニェが何を言わんとしてるかを察して頷いた。
「はい、是非お伺いしたいと存じます。」

エスリンの何やら気迫の篭ったような返答に戸惑ったようなラケシスが、静々とエスリンの隣に浅く腰掛けるのを待って、グラーニェは話を始めた。
「私と陛下の結婚は政略結婚だったことは御存じですね?」
その言葉に、エスリン達は揃って頷く。
「ですが、私は結婚話が持ち上がるより前から陛下を存じておりました。もちろん、シグルド様やエスリン様やラケシス様のことも。」
グラーニェはレンスター王家に大変近しい家柄の姫で、幼い頃よりレンスター城へ出入りし、キュアンにとっては姉代わりのような存在だった。勿論「末は王太子妃に」という売り込みをかけての大人達の策略故のことであり、他家の姫達も同様の行為によってキュアンと引き合わされていたのだが、彼と一番親しかったのはグラーニェだっただろう。当の本人達はあくまで姉弟のような感情しか持ち合わせていなかったが、もしもキュアンが士官学校から初めて里帰りした際にエスリンを連れて来なかったら、恐らく今頃グラーニェはキュアンと結婚していたことだろう。何しろ、キュアンが里帰りした日、グラーニェがレンスター城へ赴いたのはその話をされるためだったのだから。
「キュアン様がエスリン様をお父君に紹介されたことで、私とキュアン様とのお話は流れました。ですが、それからも私は皆様がいらっしゃる度に陰から様子を見ておりました。」
「…キュアンが好きだったのですか?」
エスリンは不安そうに問いかけた。すると、グラーニェは微笑みを浮かべて答える。
「ええ、姉代わりとして。」
正直言って、キュアンとの話が流れた時ホッとしたことは否めない。いくら有りがちな話でしかも知らない相手ではないとは言え、彼女はまったく抵抗を覚えない程のお人形のような姫ではないのだ。
「お幸せそうなキュアン様を拝見している時間は、とても楽しゅうございました。」
その時のことを思い出して、グラーニェは少女のような微笑みを浮かべた。
キュアンとの話が流れても、その内また周りの者達は次の嫁ぎ先を探して来ることだろう。しかし、少なくともキュアンの方は好きな相手と一緒になれる。
弟のように思っている人が幸せになれる過程を見守りながら、グラーニェはそれを自分の幸せのように感じていた。
「そして、いつしか私の目はエルトシャン様へと向うようになったのです。」
初恋だった。キュアンが帰って来る度に、本を借りるとか返すとかの適当な理由をつけてはレンスター城へ通った。もしかしたら同行しているかも知れないエルトシャンを遠くから見つめる為に。
だから、家人が持って来た次の縁談の相手がエルトシャンだと知った時の驚きと喜びは尋常ではなかった。殆ど諦めていた想いが実る、そのことに彼女はノディオンへの旅立ちを指折り数えて待ちわびた。そしてその間に、護身術に更に磨きを掛けた。時間を掛けずに自分や守るべき者を守れるように、先手を取り連続して素早くダメージを与え打漏らすことのないような技を身につけた。自分が直接武器を振るうような状態は本来あり得ないはずだが、最悪の事態になった時にただ逃げまとうだけのお飾り人形では居られないのだから。
エルトシャンが士官学校を卒業してノディオンへ帰還した翌日に結婚式が挙げられるのに合わせて、その少し前に着くようにグラーニェはレンスターを出発した。
そして、エルトシャンが帰還したその日の夜、グラーニェは今夜のエスリンのように不安で眠れなくなったのだった。
「ですから、何が不安でしたの!?」
ラケシスは頬を膨らませて問いただす。
「いろいろなことが…。その時、そこに居ること自体さえも不安でした。」
グラーニェはそこで言葉を切って、それからフッと遠くを見つめるようにして続けた。
「私は本当にここに居ていいのか。私などがエルトシャン様の妃になって良いのか。」
グラーニェは視線を元に戻して更に続ける。
「私はあの方に負担をかけることにならないだろうか、と。」
僅かだが心臓に持病を抱えているその身で、神器の継承者の妻となることの不安はキュアンとの話が持ち上がった時も皆無ではなかった。だが、レンスター城では周りの者達全てがグラーニェの持病についても何かあった時の対処についても熟知していることであったし、嫁ぎ先となるのは慣れ親しんだ気候の元ということで大して気にもしていなかった。
だが、ノディオンでは事情が違う。
持病のことは最初から先方も承知のことだし、対処法などについては事前にきちんと説明を行い、医師の間でも引き継ぎなどが行われたとは言え、彼女の身体のことを熟知しているのはレンスターから付いて来た数名の侍女達のみ。その侍女達もしばらくすればレンスターへ返されることになっている。
勝手の違う土地で最も頼れるものと言えば、それはエルトシャンということになるが、彼女は自分のことで彼の手を煩わせることはしたくはなかった。
「私に持病がなかったとしても、エルトシャン様に想いを寄せる姫君方には面白くない話です。また、他国の者を妃とすることに反対する者達もいました。」
彼女は、そんな者達につけ込まれないようにする義務を自らに架さねばならなかった。自分の所為でエルトシャンの立場を悪くするようなことがあってはならないのだと、心の中で繰り返した。そして、その誓いを守り抜く自信のないことに、不安はつのるばかりだった。
「愛しているからこそ、あの方の足枷にはなりたくなかった。」
当時はまだエルトシャンは王太子の立場にあったものの、国王の余命が僅かなのは周知の事実だった。若くして一国を預かることとなるエルトシャンにかかる負担は相当なものだろう。その上、プライベートでまで心を煩わせるようなことのないようにしなくては…。
だからと言って今更破談にも出来ないし、結婚を諦めたくもなかった。
「アレスが無事に生まれた時、私がどれだけ安堵したことか。」
これでグラーニェは名実共にノディオン王妃として、誰からも認められた。
だが何よりも嬉しかったのは、産室に飛込んで来たエルトシャンの最初の一言だった。
「お前が無事で良かった。」
乳母が抱いたアレスを抱き上げるよりも先に、エルトシャンは疲労困憊して横たわっているグラーニェの枕元に駆け寄り、その手を握って確かにそう言ったのだ。その声と手が微かに震えていたことを、グラーニェは今でも覚えている。
互いに国王や王妃であろうとして振舞っていた2人の間の壁が崩れ去るのを感じた。そして素直に話し合えるようになり、互いの誤解が解けた。形式は政略結婚でも、その実は両想いだったことを認め合った。
「レンスター城で、お前が物陰からキュアンを見つめていた頃から、ずっと惹かれていた。」
エルトシャンのその言葉に、それからはもう不安など感じなくなった。

「昔話は、これでお終い。」
最後は惚気話になってしまったわね、とラケシスの方を気にしながら、グラーニェは話を終えた。
「少しは気が晴れたかしら?」
問いかけられて、エスリンは力強く頷いた。
「私、キュアンのことが大好き!! それだけは、誰にも負けない自信あります!!」
「ええ、そしてキュアン様はエスリン様のことをとても深く愛していらっしゃいます。」
エスリンの宣言に、グラーニェはにこやかに応じた。
「はい。それが解っていながら弱気になるなんて、私ったらバカみたいだわ。」
「ふふふ、さすがはエスリン様。もう、すっかりいつものお元気なお顔に戻られた御様子。これで、もう眠れますね?」
立ち上がって拳を握りしめているエスリンを見つめるグラーニェに、エスリンはしっかりと答えた。
「もう大丈夫です。」
すると、正面の廊下の柱の陰から4つの影が現われた。
「それでは送って行こう。」
「キュアン!?」
手を差し伸べる婚約者に、エスリンは驚きを隠せなかった。そして、僅差で手を差し伸べ損ねてキュアンの斜め後ろで複雑な顔をしている兄を見て、更に驚く。
一方ラケシスは、グラーニェの手を取ったエルトシャンの反対の腕にしがみつこうとして失敗する。いくら上着をちゃんと着ていたとは言え、この寒空に屋外の水辺で座っていたグラーニェの身体を心配して、エルトシャンが彼女の身体を抱き寄せるようにしたため、ラケシスは兄の腕を掴み損なったのだ。
「ラケシス、お前も冷えきる前に早く部屋へ戻れ。」
手は取らないがさっさとついて来い、と言わんばかりの態度にラケシスはムッとした。
「私はお義姉様と違って、このくらいの寒さなど堪えませんわ。」
ラケシスは再び噴水の縁に腰を下ろすと、怒ったように腕組みをし、顔を背けるようにしてドレスの下で足まで組んだ。
こうなってしまっては、そう簡単には動かない。手を差し伸べてくれなければ、そこから立ち上がらないという構えのラケシスに、エルトシャンは呆れたように溜息をついた。
「ならば、好きなだけそこに居ろ。その代わり、明日の結婚式に出られなくなっても自業自得だからな。」
ここで妥協するとつけあがることを経験上よくよく解っているエルトシャンは、そのままラケシスを置いて建物の中へと姿を消した。勿論、先程まで姫君達の語らいを盗み聞きしていた柱の陰に入ったところで、グラーニェ共々そっと様子を探る。
すると、キュアンについて行ってたはずの青い髪の少年が戻って来て、一瞬エルトシャン達の方に不思議そうな視線を向けた後、ラケシスの元に駆け寄り彼女の前に膝をついた。
「私に、姫君をお部屋までお送りする栄誉を与えていただけますか?」
今までこのようなことをされた経験の無かったラケシスは戸惑った。だが、自然と身体は動く。
腕組みを解き、足を下ろすと、ラケシスはそっと彼の目の前に右手を差出す。
それを見て、エルトシャン達は顔を見合わせて軽く笑みを交わすと足早に寝室へと戻ったのであった。

長くて短い夜が明けた。
安堵のためか、短時間ながらもぐっすりと眠ったエスリンは、昨夜の夜更かしの影響など全く感じさせない程元気に、そして幸せに満ちた顔でキュアンとの結婚式を挙げた。
式が終わった後、参列者達は聖堂の外で主役達が出て来るのを待ち受けた。
そして、盛大な拍手に迎えられながら、キュアンはエスリンを抱え上げて外に出て来た。その腕の中から、エスリンはラケシスを狙ってブーケを投げる。
「受け取って♪」
しかし、少々力が入り過ぎたのかブーケは飛び過ぎ、シグルドの手の中に収まったのだった。意味の解ってないシグルドはエスリンに怒鳴られて、後でこっそりラケシスの元へブーケを届けさせたが、その効果のほどは誰もが知っていることである。

-End-

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