お元気予報は通り雨

「それじゃ、エスリンに宜しく伝えてくれよ。」
「はいはい、そんなに何度も言われなくてもわかってるよ。」
そう言ってシグルドが帰省してから、キュアンの元にはエスリンからの連絡が途絶えた。寮に戻って来たシグルドに聞いてもエスリンは元気だったと言うし、その後に何かあったのかと心配にはなったが、下手な問い合わせは返事の催促にもなってしまうのでキュアンはエスリンから連絡が来るのをジッと待っていた。

「キュアン。エスリンが面会に来たぞ。」
伝令に来た下級生の言葉を聞いたエルトシャンが、部屋の奥でエスリン宛に様子伺いの手紙を書こうと便箋とにらめっこしているキュアンに声を掛けた。
それを聞き、キュアンは凄まじい勢いで面会室へ駆け込んだ。
「エスリン! ああ、良かった、元気そうで。」
「キュアン様こそ、お元気そうですね。」
エスリンは不機嫌そうに答えた。
何でそんな風に私を睨みつけるんだろう、とキュアンは今までずっとここでエスリンと話していたはずのシグルドに視線を流したが、彼はキョトンとした顔をしただけだった。
「私のことは、お嫌いになられたのですか?」
「……は?」
キュアンは、エスリンの言ったことが理解できなかった。
「そんなことないぞ。キュアンはお前に…。」
「兄上は黙っていて下さい。」
「…はい。」
弁明してくれそうだったシグルドがエスリンに睨まれてあっさり黙るのを見ながら、キュアンは訳が判らないままその場に立ち尽くした。そんなキュアンを怒鳴りつけようとしてエスリンはここが面会室であることに配慮し、キュアンの腕を掴んで外へ出た。
「あ、シグルドも同行させないと…。」
名目上、エスリンは兄に会いに来たことになっている。シグルドがその場に同席しているか彼から案内を頼まれたなどの委任状を持っていないと、寮監に見つかった時いささかまずいことになるのだ。
しかし、エスリンは構わずキュアンを連れて人気の無いところまで歩いて行った。
「キュアン様!」
「はい!」
「どうして手紙のお返事をいただけないのですか?」
「えっ?」
返事をくれなかったのはエスリンの方じゃないのだろうか。
「文通するのが嫌になったのなら、一言あるべきです。第一、手紙を書くから返事を下さいと仰ったのはあなたの方じゃないですか。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。私は…。」
ポンポンと攻め立てられて、キュアンは混乱した。
「帰省した兄上に聞いたらお元気だったと言われましたし、先程も聞いたらずっとお元気だったそうですね。だったら…。」
エスリンがそこまで言ったところで、キュアンは彼女の手首を掴んだ。
「きゃっ。」
「私の手紙が止まったのは、シグルドの帰省前なのか?」
キュアンの問いに、エスリンはしっかりと頷いた。
「兄上が帰省する少し前にお手紙を差し上げて、それっきりです。」
エスリンの言葉に、キュアンはシグルドの元へ走って行った。
「ちょっと、キュアン様! キュアン様ったら!!」
呼び止めようとしたエスリンの声はキュアンの耳には入らなかった。
「もうっ、キュアンの莫迦〜!!」

キュアンが面会室へ戻るとシグルドの姿はなかった。キュアンは自分達の部屋へ走り、そこでシグルドを見つけると詰め寄った。
「私の手紙をどこへやった?」
「手紙?」
「帰省する時にお前に預けたエスリン宛の手紙だ!」
「え〜、そんなの預かったっけ?」
「預けた」「知らない」と平行線を辿っている2人をよそに、エルトシャンはシグルドの帰省用の鞄を引き出して中を探った。入れたままになっている荷物を取り出していくと、底の方から封筒が出て来た。
「キュアン。その手紙って、これか?」
エルトシャンが封筒をかざすと、キュアンはシグルドから手を離し、エルトシャンから封筒をもぎ取った。
「これだ! どこにあった?」
「この中だ。」
エルトシャンが指し示したのはシグルドの鞄。
「シグルド〜!!」
再びシグルドの襟に手を伸ばし、利き腕を振り上げたキュアンだったが、その腕をエルトシャンが掴んで止めた。
「どういうつもりだ、エルト!」
「勘違いするな。俺はシグルドを庇うつもりはない。」
そう言うと、エルトシャンはそっと手を離した。しかし、身体半分シグルドの前に割り込んだままだ。キュアンはそこから腕を振り降ろすことは出来なかった。
「だが、今のお前にはこいつを責めるよりも優先すべきことがあるんじゃないのか?」
「優先?」
「さっさと行け。」
そう言ってエルトシャンが差し出したのは、先程キュアンが手から取り落としたエスリンへの手紙だった。それを見て、キュアンはエルトシャンの言葉に意味を悟った。
「後は任せた!」
手紙を今度は大切に抱えて、キュアンは部屋を飛び出した。
「助かったよ、エルト。あいつの馬鹿力で殴られたら私の顔が変わってしまう。」
「…俺が代わりに殴ってやろうか?」
ホッと胸をなで下ろしながらボケたことを言うシグルドに、エルトシャンは指をバキっと鳴らして振り返った。
「シグルド、そこへ座れ!!」
「はい!」
思わず正座してしまったシグルドに対して、エルトシャンの説教はそれから延々と続いたのだった。

キュアンが先程エスリンを置き去りにしてしまった場所まで行くと、当然のことながらエスリンの姿は見当たらなかった。キュアンは手当りしだいに辺りの人間を捕まえて、エスリンがシアルフィ家の馬車で帰って行ったことを聞き出し、直ちに自分の馬を引き出して彼女の後を追った。
公女を乗せて静かに走る馬車と全力で駆ける名馬の違いもあってか、キュアンは程なくエスリンの乗った馬車を視界に捕らえた。
「止まれ〜!」
馬車に向ってキュアンが叫ぶと、それは止まるどころかスピードを上げた。
「待ってくれ、エスリン!」
キュアンは追い縋って、馬車の横へ馬を付けた。護衛の騎士達がキュアンを阻もうとしたが、その正体に気付いて手を引く。
「エスリン、話を聞いてくれ!」
「言い訳なんて聞きたくありません!」
かなりのスピードで併走しながら馬車の扉を叩くキュアンに、エスリンは更に馬車のスピードを上げさせようとした。
「エスリン!」
これ以上馬車のスピードを上げるのは危険だった。キュアンは軽く舌打ちすると、馬車を追いこして、道を塞ぐように馬を止めて馬車に向って両手を広げた。
御者は慌てて手綱を引いた。
馬車馬が急停止した後、止まり切れなかった馬車からの影響を受けて馬が暴れたが、キュアンを跳ね飛ばしたり馬車がひっくり返ったりすることもなく無事に済んだ。
「エスリン!」
馬から飛び下りて、キュアンは馬車に駆け寄った。エスリンも馬車から飛び出してくる。
「キュアンの莫迦! 何て危ないことするのよ!」
「すまない。どうしても、君に聞いて欲しいことがあって…。」
「言い訳なんて聞きたくないって言ってるでしょ!」
急停止のショックかそれとも怒りの為か、エスリンは涙が浮かぶ目でキュアンを睨み付けた。
「とにかく、まずはこれを受け取ってくれ。」
「手紙?」
「君からの手紙への返事だ。」
エスリンは「何を今さら…」と思いながらもその場で封を開けた。
「これ…、兄上に?」
冒頭に書かれた「早く読んで欲しいからシグルドに渡すよ。君の大切な兄上を郵便屋代わりに使ったことを怒らないで欲しい。」という文に、エスリンは事情を大体察した。
「馬車を戻して! 兄上にガツンと言ってやるわ。」
エスリンは馬車に乗り込もうと踵を返した。しかし、その手をキュアンが掴んで止める。
「それは、今頃エルトがやってくれてるよ。だから、今は私の話を聞いて欲しい。」
真剣な表情でキュアンはエスリンを引き戻した。
「まずは、返事が遅れたことを謝るよ。すまない。」
「あら、それは兄上がいけないんだから、もういいわ。」
「いや、シグルドに頼んで、よく確認しなかった私が悪かった。君が返事をくれないことよりも、あいつが渡し忘れたことの方がよっぽど可能性として大きかったのに、てっきり君に何かあったかと思って、今まで時を過ごしてしまった。」
そうやって正面からキュアンに謝られると、エスリンも、自分も郵便事故よりキュアンに何かあったと思って時を過ごして来たことを反省し、キュアンに謝った。何かあったのかと心配していたからこそ、ずっと元気だったとわかった時には頭に血が上ってしまったのだ。
「それから、もう一つ。その手紙でも少し触れているが…。」
「はい?」
「私が士官学校を卒業したら、結婚して欲しい。」
「えっ?」
「こんな風にこんな場所で言うべきことでないのはわかっているんだが、それでも言わずには居られないんだ。」
確かに、一国の王太子が大国の公女に結婚を申し込むにしては、街道のど真ん中というのは似つかわしくないだろう。しかも、端に居るのは必死に馬車馬を宥めたり馬車の具合を調べる御者や、馬車の中で気絶から覚めた侍女、エスリンに続いて馬車から飛び出した護衛の武官や馬車を警護していた騎士達である。
「愛してる、エスリン。どうか私の妻になってくれ。」
驚きながらも、エスリンの口は返事を紡ぎ出していた。
「はい、喜んで。」
「ありがとう。」
あっけに取られる騎士達に構わず、キュアンはエスリンを抱き寄せた。
「キュアン様?」
「呼び捨てでいいよ。さっきみたいにね。」
「キュアン…。」
呼び捨てに出来たのかどうかわからないままに、エスリンの唇はキュアンのそれによって封じられたのだった。

ニコニコしながら戻って来たキュアンに、エルトシャンは説教を中断して振り返った。
「首尾は? と聞かなくてもその顔で解るな。」
「ああ、エスリンは私と結婚してくれるって♪」
2人は目が点になった。
「俺は、プロポーズしに行けと言った覚えはないんだがな。」
エルトシャンは、こういうのも「雨降って地固まる」って言うべきなんだろうか、と苦笑した。
そして、エルトシャンは最後に簡単に念を押すように言い聞かせてシグルドへの説教をやめ、シグルドは痺れた足を摩りながら、揃ってキュアンを祝福したのだった。

-了-

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