26.愛情
聖戦が終わってノディオンを平定したアレスは、毎日のように様々な問題に追われていた。
幼い頃より戦場に身を置いて来たアレスは、勝ち戦を続けるのは得意だったが、戦が終わってしまえば必要とされるのはこれまで求められなかった能力ばかりである。幸い、一緒にノディオンへ来てくれたデルムッドが将来はアレスの補佐を―万一の時はノディオンの統治を―と物心つく前からオイフェについて国政の勉強をしていたので、アレスは彼の手を借りてどうにか国を治めていたし、彼の他にも有能な人材を見つけては登用して徐々に周りを固めては行ったが、どうしても足りないものがあった。
それこそが、国の安定には欠かせないと周りが騒ぎ立てるものであり、アレスにとっても決して妥協出来ないものであった。
面倒な執務を嫌々ながらも頑張ってこなし、ホッと一息つけるような間があくと、その貴重な一時を邪魔するように現れては「お妃を…」「お世継ぎを…」と繰り返す重臣達のうるさいことこの上ない。アレスはなるべく仕事に切れ目を作らないようにするが、そうなると今度は休むことも出来ない。
「意中の女さえその気になってくれりゃ、すぐにでも妃に迎える心づもりがあるんだがな。」
「そうなればアレス様のことだから、お世継ぎ誕生まで長くは掛からないでしょうね。」
うるさい輩を追い返して溜息混じりにこぼすアレスに、デルムッドは苦笑しながら応えた。
「あの人達にハッキリそう仰れば宜しいではありませんか?」
「言えるわけないだろ!」
言えば、力づくで相手の意思をねじ曲げてでも結婚を迫るだろう。それが彼らの仕事とは言え、アレスはそんな時代錯誤な権力づくの結婚をしたい訳ではないのだ。故に、見合い話を片っ端から蹴るにもなかなかの労力が必要とされる。
「いっそ、昔遊び過ぎた所為で女には飽きた、とでも言っちまおうかな。」
自棄になったように呟くアレスに、デルムッドは呆れたように応じる。
「本気にされたらシャレになりませんから絶対にやめて下さい。」
真剣に制止をかけるデルムッドに、アレスは力なく笑い返す。
「第一、そんなこと仰ったら、いざそのお相手がその気になった時に何て言い訳するつもりですか?」
「そりゃ、こいつのおかげで目が覚めた、とか…。」
アレスは平然と答えた。その口ぶりからすると目を離したら本当にやりかねない。
「やっぱりダメか?」
アレスは軽い調子で残念そうに言うが、デルムッドは気を抜けない。再度、真剣な面持ちで制止する。
「絶対にダメです!そもそも肝心のお相手は何処にいらっしゃるんですか?近くに居られないのでは、目を覚まさせてもらいようがないでしょう?」
これにはアレスも憮然としながら頷いた。
ナンナは聖戦の後、父と共にレンスターに帰った。戦時中アレスとリーフはナンナを取り合い、その決着がつかないまま、今に至る。
アグストリアではなくレンスターに行ったことでリーフの勝利かと噂されたが、未だにナンナはレンスター王妃とはなっていない。トラキア半島の戦後処理やその後のリーフによる統治には協力しているようだが、それらはあくまでも幼馴染みだとか父親が仕官しているからなどの範囲に留まっているらしい。
「まったく、あいつが何を考えているのか解らん。」
いっそのこと誰かの元へ嫁いでしまったのなら諦ようと考えられるかも知れない。諦められるかどうかはさておき、そうしなくてはならなくなるだろう。そして、適当な相手を妃にして世継ぎをもうけて、義務を果たすのだ。愛のない結婚だろうと、それで相手がどれだけ傷つこうと、相手が愛する女でなければどうでもいい。
だが、ナンナが独身である間はアレスにも望みは残されてる。
「ナンナも似たようなこと言ってましたよ。」
思想にふけっていたアレスは、デルムッドの声に呼び戻された。
「ナンナが……何だって?」
「ですから、アレスは私のことを何だと思ってるのか解らない、って…。」
噛み付くように問うアレスの様子にデルムッドは焦った。戦後、アレスがナンナの名前に過敏に反応するので、その名は禁句となってのだ。しかし、重ねて問うアレスに今更別の話題を振ることも出来ず、デルムッドは観念して語り出した。
それはバーハラで別れる時のことだった。一緒に母の国へと行くのだと思っていた妹が父と共に生まれ故郷へ戻ると知って理由を尋ねたデルムッドに、去り際に漏らしたのが先の一言だった。
いつの間にか隣に居るのが当たり前になって、何かとリーフと張り合って、それなのにレンスターへ帰るナンナに何も言わなかったアレス。傷ついたナンナは今、故郷でその傷を癒していることだろう。
昔話のつもりでそうデルムッドが語ると、アレスは机に両手を叩き付けて勢い良く立ち上がった。
「何故、それを早く言わないんだっ!?」
そう叫ぶと、床を踏み鳴らすようにしてアレスは戸口へと向かったのだった。
「どこへ行かれるおつもりですかっ!?」
デルムッドは慌てて追いすがる。今はしばしの休息の時を終えてまた執務に戻ったところだ。逃亡されては適わない。
しかし、自らの身体を錘にして引き止めようとしたデルムッドを、アレスは引きはがしながら答える。
「ナンナのところに決まってるだろうっ!!」
「何故です?」
決まってるだろう、と言われても、デルムッドには理由が解らなかった。アレスには想い人が居るのだから、今更ナンナに会いに行ってもせっかく癒えて来た傷をまた開かせるだけにしか思えない。
「言ったはずだ。意中の女さえその気になってくれりゃ、すぐにでも妃に迎える心づもりがある、と…。」
その言葉にデルムッドは驚いた。
「意中の女って、ナンナのことだったんですか?」
てっきり妹が振られたのだと思い込んでいたデルムッドは、厩舎へと向かうアレスを追いかけながら訪ねた。
「だったら、どうしてナンナに何も言わなかったんですか?」
ナンナに一言「一緒にアグストリアに来い」と言ってさえくれればそれで良かったのに、とデルムッドは零した。
「あいつが先に、レンスターに帰ろうと思う、って言ったんだ。」
「でしたら、そこで引き止めれば…。」
「あいつがそう決めたんだ。リーフを選んだと思うじゃないか。」
思い込みとは怖いものである。ナンナがレンスターへ帰ると言うからアレスは彼女がリーフを選んだと思い、アレスが引き止めなかったからナンナは振られたと思い、アレスがナンナの名前に過剰に反応するからデルムッドはアレスの前でナンナの話題は避け続けて来た。それが間違いの元だったとは…。
アレスが掃いて捨てるほどの女性と付き合っていながらナンナに一言も気持ちを打ち明けていないと知って、デルムッドは驚くやら呆れるやらで複雑な気持ちだった。そんなデルムッドに、アレスは拗ねたように応じる。
「仕方ないだろう?こっちから言い寄ったことはないんだから…。」
「何が言いたいんです?」
この期に及んで自慢かよ、とばかりに投げやりな様子のデルムッドに、アレスは悔しそうに応えた。
「口説き方が解らなかったんだ。」
これにはデルムッドもあっけに取られた。遊び上手と思っていたアレスが、まさかそんなことが解らなかったなんて夢にも思っていなかったのだ。
「今更かも知れないが、今だからこそ言える!後は頼んだぞ。」
ポカンと大口を開けているデルムッドにそう言い残すと、アレスは馬に跨がって瞬く間に姿を消した。
一方的に後を頼まれその場に残されてしまったデルムッドは、トリスタンに肩を叩かれるまでずっと立ち尽くしていたのだった。
後始末も準備もすべてデルムッドに押し付けて、アレスはレンスター城まで馬を走らせた。
頭の中はナンナのことでいっぱいだ。
再会したら最初に何て言おうか。ナンナは自分のことをまだ好きでいてくれるだろうか。僅かでも想いが残っているなら、もう一度そこから始めよう。想いの丈をぶつけて、言葉の限りを尽くしてかき口説こう。
いきなり目の前に現れたアレスを見て、ナンナは驚いた。まずは幻を見ているのかと我が目を疑い、幻でないと解ると今度は喜びと怒りと驚きの綯い交ぜになったような複雑な表情を浮かべた。
「…アレス?」
「ああ。」
「どうしてこんなところに居るのよ!?」
「こんなところ?うちは"こんなところ"なの?」
一緒に訓練中だったリーフがフィンに泣きついたり他の兵達が寄って来るのをそっちのけにして、アレスはナンナの元へと馬を寄せた。単騎で現れて問答無用で強引に城門を開けさせた所為で後ろからもレンスター兵がやって来るが、それもお構いなしである。
「お前を迎えに来た。どうかアグストリア王妃に……否、俺のものになってくれ。」
差し出された手を、ナンナは取りかけて手を止める。
「勝手なこと言わないでよ!」
手を戻してナンナは叫んだ。だが、わき上がる想いは留まることを知らない。
「勝手なこと……言わないで。いきなり現れて、迎えに来ただなんて、そんな…。何の準備をする間もないじゃない。」
責められて一瞬手を引きかけたアレスだったが、しかし断られなかったことに後押しされるようにもう一度ナンナに向けて手を差し出す。
「準備など不要だ。身一つでいい。お前が傍で微笑んで居てくれさえすれば、他には何も要らない。そしてお前の欲しいものは、俺の力が及ぶ限りどんなものでも手に入れよう。」
だから一緒に来い、と伸ばされた手にナンナは抗うことが出来なかった。引かれるままにアレスの馬へと飛び移り、望んで彼の身体に縋り付いた。
「いいか?」
静かに耳元で問うアレスの声に、ナンナはその胸元でしっかり頷くことで応える。
「邪魔したな。」
アレスはリーフ達に一方的にそう声を掛けると馬首を返し、ナンナの馬は軽い足取りでその後を追って行く。その様子を、リーフやフィンを始めとして、レンスターの者達はただただ呆然と見送ったのだった。
《あとがき》
愛するが故のすれ違いのお話でした。
最初はアレスが飛び出したところで終わらせるつもりだったんですが、修稿を重ねてる内に加筆したくなってレンスターでのシーンを追加しました。
読み進めていてアレスがどんな風に言葉を尽くすか楽しみにした人にはゴメンナサイです。アレスの心配はあくまで徒労でして、ナンナもアレスにベタ惚れなので言葉を尽くす必要はありません。「俺のものになってくれ」の一言でOKです(^^;)
うちのアレス×ナンナの場合、ポイントは「俺のもの」です。「アグストリア王妃」でも「妻」でもありません。また、今回は「なってくれ」という依頼形なのもミソです。我が侭大魔王のアレスが頼んでることが重要なんです。
さて、ナンナの欲しがるものは何でも手に入れると約束してしまったアレスに対し、ナンナが何を欲しがるかは敢えて書かずにおきました。
裕福な暮らし?豊かで平和な国?愛情あふれる家庭?
いろいろ想像してお楽しみください。