10.誰がために
アレスをお茶に誘おうと部屋を訪ねたナンナは、そこで珍しい光景を目にした。
「アレス…。何してるの?」
自分が見たものが信じられずナンナは恐る恐るアレスに声を掛けたが、返って来たのは不機嫌そうな声と信じ難い言葉だった。
「何してるように見える?」
「勉強してる…?」
「その通りだ。」
ああ、やっぱり夢や幻ではなかったのか。そう思いながらも、ナンナはアレスの前に置かれた紙に細かく書き付けられた文字や、その近くに広げられた歴史書や、横に積み上げられた年期の入った本の数々が不思議でならなかった。
「雪でも降らなきゃ良いけど…。」
あれだけデルムッドが煩く言っても聞かずそれどころか怒鳴り返すなどしてついには押し黙らせ、見るに見兼ねてフィンが面倒を見るようになっても表面上は指導を受けるようになったものの全くやる気を見せなかったアレスがこんなに一生懸命勉強してるなんて、雪どころか槍でも降って来てもおかしくはないかも知れない。
「勉強して悪いかよ!」
これまで「ちょっとは真面目にやりなさい」と口煩く言ってたくせに、いざ勉強してたら茶化すようにするナンナに、アレスはムッとしたようだった。
「悪くはないけど……珍しいわね。」
笑うのをやめたナンナに、アレスはどこか不安げな様子で応えた。
「9日後に試験なんだ。」
「そ、そう、頑張ってね。」
どうやらアレスは本当に勉強する気になったらしい。
そう覚ったナンナは、これ以上やる気を挫いてはいけないと思い直して、そそくさとアレスの部屋を後にした。
ナンナが立ち去った後、アレスは再び本に目を通し要点を書き出し、懸命に書物や数字や記号と格闘した。
「ああ、畜生、リーフの奴!」
時々そう呟きながら…。
発端はいつもの通りフィンに勉強を教わりに行った時の些細なことだった。
これまでに教えたことがどのくらい理解出来てるのかを見る為にフィンはアレスに試験問題を解かせたのだ。だが、その結果はフィンの予想以上に惨澹たるものだった。
「アレス様…。」
あまりの出来の悪さに、フィンは自分の教え方はそんなに下手だったのだろうかとガックリと肩を落とした。振り返ってみれば懸命に育てたリーフもどこでどう間違ったのか何やらズレたお子様になってしまって、これまでに天国のキュアンに心の中で何度詫びたことかその数は知れない。
しかし、当のアレスはその結果に何も感じていないようだった。
「こんなもの幾ら覚えたところで、何の役に立つんだ?」
歴史など暗記したところで所詮は過去の事だし、複雑な計算など出来なくても自分の手で橋をかけたり木を切り倒したり武器を作ったりする訳でなし。アレスにしてみれば、計算などは報酬の金貨の配分を出来ればそれで十分としか思っていなかった。王になれば面倒な仕事は全部デルムッドに押し付けるつもりで居る。
「何度も申し上げるようですが、国を動かすには歴史に学ぶところも多いと存じます。それに…。」
「それに、何だ?」
言い淀むフィンに、アレスが先を促した。そこで、フィンは思いきって続ける。
「それに、歴史にしろ計算にしろ語学にしろ、とにかく今のアレス様には学ぶ姿勢が大切なのです。この程度の勉学にも励めないようでは、とても執務には耐えられません。王が執務を怠れば、国が傾きます。アレス様が執務に耐えられるかどうかには、アグストリア国民全ての生活がかかって来るんですよ!」
ずっと溜め込んでいた言葉を一気に言い放って、フィンは大きく深呼吸をした。
しかし、フィンがどれほどの思いで言ったのかもアレスには殆ど無縁で、彼は冷めた顔でとんでもないことを言った。
「別に、他人がどうなろうと知ったことか。なりたくて王になる訳じゃあるまいし…。」
「アレス様っ!!」
フィンは珍しく声を荒げてその名を呼んだ。これにはアレスも驚き、何やら言ってはならないことを言ってしまったようだと跋の悪さを感じる。
すると、そこへノックなしで扉の開く音がした。2人がそちらへ視線を向けると、開き切らない扉の横から茶色い頭が差し込まれる。
「フィン、見〜つけた♪」
子供っぽい表情を浮かべて、リーフがぴょこんと部屋に入って来た。その様子に2人が毒気を抜かれてポカンとしていると、そのまま奥まで入り込んでアレスのデスクの上を覗き込む。
「何やってたの?」
珍しく荒げられたフィンの声を聞いて居場所を突き止めると同時に何があったのか興味津々だったリーフは、デスクに散らばる×だらけの答案用紙に目を止めて優越感を覚えた。
「これは酷すぎますね。こんな問題も禄に出来ないなんて…。ナンナに見せたら、考え直してくれるでしょうか。」
アレスが学がなくて勉強嫌いなことはナンナも良く知っているので今さら心変わりするような不安は抱かなかったが、アレスはリーフにバカにされたことにムッとした。
「バカにするな!俺だって本気でやれば…。」
「では、本気になって勉強し直して下さい。10日後に再試験を行わせていただきます。」
バカにされて反射的にリーフに言い返したその言葉を聞き逃すフィンではなかった。そして、アレスに向かって静かに微笑みかける。
「合格点は80点です。アレス様の本気をとくと拝見させていただきますよ。」
「あ、ああ、任せろ。」
売り言葉に買い言葉のようにアレスは答えた。そこへリーフが追い打ちをかける。
「不合格だったら、翌日はナンナとデートさせてもらいますからね。」
しかし、これにはフィンが異を唱えた。
「ナンナの意志を無視するのはどうかと…。せいぜい、アレス様がナンナをデートに誘うのを禁止するくらいが妥当なところでしょう。大体、リーフ様もアレス様の事をバカに出来る立場ではありませんよ。」
アレスよりもマシとは言え、決して出来が良い訳ではないリーフに彼を笑う資格はなかった。それを聞いて、アレスが反撃する。
「よ〜し、その賭け乗ってやる!その代わり、お前も同じ試験を受けてもらうぞ。それで、お前が不合格だったら翌日はナンナに声掛けるの禁止だからな。」
「いいでしょう。私の方が優秀だってところを見せて差し上げますよ!」
こうして2人は、にわかに勉強熱心になった。
そして試験の幕は開けた。
「公平を期する為に、問題の作成はオイフェにお願いしました。それでは、始めて下さい。」
フィンの号令にアレスとリーフは真剣な面持ちで問題を解き、それを採点したフィンはこの2人に勉強させようと思ったら口煩く言うよりも最初から餌で釣るのが一番だったことを思い知らされた。
そして後日、セリスもにわかに勉強するようになったと聞いたフィンは、ライバル意識を刺激してやるのも効果的なのだということをオイフェ共々よくよく認識させられたのだった。
《あとがき》
あくまで「お題」ですので、ゲーム内の同タイトルの章とは関係ありません。
勉強するのは誰のため?
建て前は自分のため。でも、本当にそう思って勉強することなんてそうそうありません。だって勉強してるって感覚でやってることは、やりたくてやってることではないのが殆どです。興味あることをもっと深く知ろうとしてる時などは、本人は勉強してると思わないものです。
そんな中、アレスやリーフ様が勉強するのは誰のためかってお話でした。
一応は自分のためのようですが、それは自らを高めるためではなく欲望を満たす為。ナンナとのデートがかかってたり、相手に対する意地がかかってたり…。
それでも、やったことは無駄にはならないでしょう。試験が終わったら殆ど忘れた、なんてことになっても、何かのはずみに思い出して役に立つこともあるかも知れません。ナンナ達と一緒に、そうなることを祈りましょう(苦笑)