Le titre de fiancee

紆余曲折を経て、いよいよノディオン城でルーファスとアイリーンの婚約式が行われることとなった。式の後、アイリーンはアグストリアで王太子妃として様々なことを学びながらこちらでの生活に慣れ、然るべき時に婚礼が執り行われる。すなわち、実質的にはこの婚約式をもってノディオン王家に嫁ぐこととなるのである。
しきたりに則って単身迎えに現われたルーファスと共に、アイリーンはイザーク城を後にした。傍らには、婚約式に出席する両親の乗り込んだ馬車があるが、他に同行する者はない。王族同士の結びつきであるのに、実に質素な旅立ちだった。

婚約式には近隣諸国から蒼々たる面子が集まって来た。
何しろこの婚約の背景にはグランベルの仲介がある。当然の事ながらセリスは王妃共々式に出席するし、散々ごねた結果セシルまで同行している。本来なら父王に代わって国を預かっていなくてはならない身であるにも関わらず、ルーファスの親友であり最も2人の近くで経過を見守って来たセシルは、どうしても婚約式に出席したいと言い張ったのだ。今、グランベルでは補佐官のユリウスがオイフェや妻子共々呆れ顔で留守番を務めている。セシルと同様の立場故に妹の婚約式に出席出来ずにいるマリクにとっては、何とも羨ましい話である。
そして、グランベル王国が背後にいるとなるとこの婚約式の意味は単にアグストリアとイザークだけの問題では済まなくなる。各王国や公国の主達はアレスやシャナンやセリスと共に戦った者達であるし、次代を担う者達はルーファスやアイリーンと過日の戦いを共にした者ばかりだ。外交的な立場からも友誼の面からも、続々と祝いの品や書状が届き、国主の名代として王家や公家の子供達がやってくる。そうなるともう、一大イベントである。
そんな中で仰々しく行われた式典をもって、アイリーンは『アグストリアの若獅子』の婚約者として大陸全土に名を知らしめたのであった。

どこにでも、往生際の悪い者というのはいるものである。そして、自らの価値観に凝り固まっている者も。
婚約の祝賀パーティーに出席を許されなかった国内の貴族達が、後日相次いで祝辞を述べにノディオン城へ上がった。それらを全て相手しているアレスもそれなりに大変だったが、本当に大変な目にあったのはアイリーンであった。
彼等に付いて来た令嬢達は、アレイナの取り巻きと目されていて城の外庭への出入りが許されていた。そんな彼女達の目に、慣れない庭を散策中のアイリーンが映ったのである。
「あら、未来の王妃様ともあろう方がお一人でこのような場所で何をなさってますの?」
「それに、そのお召し物。何て地味でいらっしゃるのかしら。ルーファス様からドレスの1枚も贈っていただけないなんて…。」
突然周りを取り囲むようにやって来て口々にそのようなことを言う彼女達に、アイリーンは困惑した。武器をもって襲って来る者であれば、取り囲まれる前に返り討ちにしているところだが、彼女達にはそのような気配はない。アイリーンに対して友好的ではないものの、危害を加えようする素振りは感じられない。
内心ではきょとんとしながら無表情にアイリーンが彼女達の様子を探っていると、彼女達は尚も言葉を続けた。
「大国の姫と言うからどれほどのものかと思いましたら、何て貧相な出で立ちなのでしょう。」
「まったくですわ。城入りする時も、護衛も随員も全く付けなかったとか…。」
「それで姫とはよくも言えたものですわ。」
アイリーンには彼女達の意図が解らなかった。
今アイリーンが着用しているのは普段着用していた衣装をモデルに、こちらの気候に合わせてルーファスが仕立てさせたものだ。つまりは、彼から贈られたものと考えても差し支えないだろう。簡素なワンピース風のドレスに腰丈のチャイナカラーの上着。履物の短靴は今までとさして変わらないが生足ではなく服と同色のタイツを着用している。確かに色はシックだし彼女達が着ているドレスようなきらびやかなものとは違うが、着慣れていたものに比べると膝下15cmくらいの丈のスカートはヒラヒラと舞うし、良く見ると上着には丁寧な刺繍が施されている。生まれた時から次期グランベル王妃と定められてそれなりの扱いを受けているマリアはともかく、イザークの者は王家の女性と言えどもビラビラした窮屈な服など着ない。第一、そんなものを着ていたら万一の場合普段の1割だって戦えないではないか。アイリーンは知らなかったが、それらは全て、アイリーン本来の動きを制限すること無く気候や自分達の服装との釣り合いなどに配慮してルーファスが細かな注文を付けた成果だった。
お供のこともそうだ。大陸屈指の戦闘力を誇るルーファスと共に居る時に、どうして他の護衛が必要になろうか。ましてや、傍らの馬車の中には大陸随一の剣士と名高い父シャナンと最強の女剣士である母ラクチェが居たのだ。しかも父は聖戦の折によく使い込まれた『バルムンク』を式典に使うために携えていた。もちろん、自分だって腕には自信がある。わざわざ護衛の人員をつけるなど足手まといを増やすようなものだ。それに随員と言っても、彼等は全員自分の事は自分で出来るのだからお付きの者など必要無い。元々、イザーク城には彼等の身の回りの世話をするためだけの人員など居ないし、それはノディオン城とて同じことである。
一体、彼女達はアイリーンに何が言いたいのだろうか。
「所詮、姫とは名ばかりの存在ですのね。」
「御両親の縁でグランベルのセリス陛下に取り入るなど、図々しいにも程がありますわ。」
「ルーファス様もお可哀想に。グランベルからのお話では断り切れずに、このような方と御結婚あそばされるなんて…。」
「きっと、お子様に強力なスキルと便利な武器を与えるためにと割り切られたに違いありませんわ。」
途端に、アイリーンの表情に陰が走った。
その時である。アイリーンを取り囲んで居た者の1人が突然その場で転倒すると、彼女がそれまで居た場所にはアレイナが立って居た。
「あなた方、一体何をなさってますの?」
アレイナは令嬢達を睨みつけながらアイリーンの腕を引っ張って、彼女を輪の中から脱出させた。
そんなアレイナを見ながら、令嬢達は口々にアレイナに言葉をかける。
「アレイナ様も、御不満でしょう? このような方に大切な兄上を取られておしまいになるなんて。」
「その上、お城の方々はアレイナ様を邪魔者扱いされて、早々に嫁ぎ先を決めてしまおうと画策中とか…。」
「私達、皆、アレイナ様のお味方でしてよ。」
ああ、なんてお可哀想なアレイナ様、とでも言ってるかのような令嬢達の言葉が一段落したところで、アレイナは胸を張って言葉を返した。
「私、お兄様のことが大好きですわ。」
それを受けて、令嬢達は「そうでしょうとも」とばかりに頷く。だが、その後に続いたアレイナの言葉に、彼女達は息を飲んだ。
「ですから、そのお兄様を悪く言う方とはお付き合いしたくありませんの。」
顔色を変えた令嬢達に、アレイナは更に言葉を続ける。
「アイリーン様は、私の大好きなお兄様が御自分の妃に相応しいと認められたお方。その方を侮辱することはすなわちお兄様を侮辱すること。」
その言葉を聞いて、アイリーンは驚いた。アレイナは自分達の結婚に大反対していると聞かされていたのに、今の言葉は認めてくれているように聞こえる。
「お兄様を侮辱するなど、他の誰が許したとしてもこのアレイナが許しませんわ!!」
アレイナが毅然として言い放ち右手をサッと一振りすると、令嬢達は怯えたようにその場から逃げ去った。

アレイナが令嬢達を追い払った直後、背後から拍手が聞こえて来た。振り返ると、木陰からルーファスが出て来る。アイリーンが取り囲まれているのを見て助けに出て行こうとして、僅かな差でアレイナに先を越されたため、そのまま木陰から見守っていたのだ。
「よく言った、アレイナ。」
アレイナの髪を軽く撫でながら、ルーファスはアイリーンの元に寄ると優しく声をかける。
「大事はないか、アイリーン?」
「あ、ああ。別に、危害を加えられた訳ではないし、訳が解らないことをいろいろ言われただけで…。」
そう答えるアイリーンの目から、涙が零れ落ちた。
「アイリーン?」
「……私は、泣いているのか?」
困惑しながら静かに目元に手をやるアイリーンに、ルーファスは即座に上着を脱いで彼女の頭に被せた。そしてそのまま彼女の身を自分の胸元に引き寄せる。
「自然に涙が止まるまで、思いっきり泣くといい。これなら、誰かに泣き顔を見られる心配は無用だしな。」
アイリーンは驚いたが、そっとその身を包み込むようにして自分を抱き寄せているルーファスの腕の中で安らぎを感じながらそのまま静かに泣き続けた。そんな彼女をしばらく見守るようにした後、ルーファスは傍らに居たアレイナのことを思い出した。
「ところで、アレイナ。」
「何ですの?」
「お前があそこまで俺達の味方をするとは思ってもみなかった。あまり歓迎していなかった様なのに、どういう風の吹き回しだ?」
ルーファスに問われて、アレイナはちょっと視線を反らして答えた。
「どうもこうも、仕方ありませんわ。だって、私、お兄様のことが大好きなんですもの。」
そしてアレイナは、ルーファスの更に問うような視線を受けて、くるりと2人に背を向けた。
「お兄様が望まれるなら、アレイナはどんなことでも致します。周りが勝手にお膳立てした政略結婚ならともかく、お兄様が御自身の意志で愛しいアイリーン様をお妃にとお望みでしたら、いくらでもお2人を祝福してご覧に入れますわ。だからと言って、お兄様への想いを捨てる気など全くありませんから、覚悟なさって下さいませね。」
アレイナの言葉に驚いたのはアイリーンだった。まだ止まり切らない涙をそのままに顔を上げると、ルーファスに詰め寄った。
「自分の意志で…愛しい…!?」
「何を驚いていらっしゃいますの?」
アレイナは小首を傾げて2人の方を振り返った。
「だって、そんなこと一言も言わなかったじゃないかっ!!」
「……言ってなかったか?」
動揺する素振りも見せずに問い返すルーファスに、アイリーンは何度も大きく頷いた。
「だから私は…。」
言いかけて、アイリーンは涙の原因に思い当たった。アイリーンは不安だったのだ。
元を正せば、あの見合いはアイリーンがルーファスに惚れたのを感じ取ってセシルがマリアを唆したことに端を発するもので、その後も周りがどんどん動いていつの間にやら話が本決まりになったようなものだった。ルーファスがイザーク王国に来る時はセシルの護衛のバイトであって、決してアイリーンに逢う為に訪ねて来ている訳ではなかった。もちろん、これまでに一度だってルーファスから「好き」とか言われたことはないし、この期に及んで本人の口から求婚めいた言葉など個人的には聞いたこともない。
「悪い。それで、アイリーンに要らぬ不安を抱かせていたんだな。」
アイリーンが自分で叫びながら気付いた涙の原因に、ルーファスも気付いた。
「だったら、今ここで言う。」
「えっ、あの…。」
叫びかけた後で俯いていたアイリーンの顔を上げさせると、ルーファスはそっとその頬に片手をかけて耳元に口を寄せた。
「愛してる。三剣に誓った言葉は、そのまま俺の想いだ。」
そしてルーファスは真っ赤に茹で上がったアイリーンの唇に自分の唇を重ねた。
自分が話を振ってしまったとは言えこの急展開にパニクったアイリーンは、そのうちルーファスの腕の中で徐々に力が抜けていった。そして、ボ〜っとしてきた意識の片隅でアレイナの声を聞いた。
「お兄様、ギャラリーが集まって来てますわよ。」
だがそんなアレイナの報告に、ルーファスは僅かに行為を中断して軽く笑ってこう答えると、再び周りに見せつけるようにアイリーンに口付けたらしい。
「ああ、わかってる。」

-Fin-

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