グランベル学園都市物語 外伝

アルテナ

年度の変わり目が近づいたある朝、レンスター家ではキュアンがあっちへうろうろこっちへうろうろと、落ち着き無く徘徊していた。それを宥めるように、エスリンもキュアンに付いて歩き回っている。
「一体、どうなさったんですか?」
起きてきたら朝御飯は影も形も無く、ただひたすらに両親が歩き回っている光景を見て、リーフは呆れたように声を掛けた。
「どうもこうも、アルテナが帰ってこないんだ。」
昨日の昼過ぎ、サークルの「卒業生を送る会」に出かけたきり、アルテナからは何の連絡も無く、そして未だに帰ってくる気配も無かった。
「酔いつぶれた友達の面倒にでもおわれてるんじゃありませんか?」
酒に強い体質なのかそれとも飲み方が上手いのか、どちらにしてもアルテナは飲み会の際に本人が酔いつぶれることはなく、しっかりしていて見かけより力があるため酔いつぶれた仲間の面倒を見るのはいつものことだった。
「それならそれで、連絡くらい入れるだろう?」
珍しく本人が酔いつぶれたとしても、介抱している者が家に一報するくらいあってもいいはずだ。
「まさか、誘拐?」
キュアンは自分の想像に真っ青になった。
「まさか…。あの姉上をそう簡単に浚えるとは思えませんよ。」
仮にも『レンスターガード』の総領娘である。護身術は相当な腕前だし、槍を持たせれば多勢に無勢も何のその。
「そ、そうだよな。それに、うちなんて脅迫しても大した金にはならないし…。」
名前も売れているが、大掛かりな自転車操業という実態も結構有名な話である。
「それじゃ、事故とか行き倒れとか…。」
「事故なら警察から連絡くらい来るんじゃないかしら。」
「じゃあ、やっぱり誘拐?」
キュアンの想像は堂々巡りの域から抜け出せなかった。
「…警察に届けた方がいいかな?」
「でも、何でもなかったら、アルテナが帰って来づらくなるわよ。」
そう言って、未明からキュアンを宥めているエスリンだったが、さすがに日が昇ってからは自分も同意しそうになるのだった。
「警察なんてアテになりませんよ。小さな子供でもない限り、探してくれません。事件が起きて、被害者になったら初めて連絡寄越すくらいのものです。」
普段と打って変わって妙に冷静なリーフに、キュアンもエスリンも目を丸くした。
「こういう時、頼りになるのは普段の生活で培われた人脈ですね。」
淡々と話す息子に感心したような両親の前で、リーフは電話を取るとフィンとセリスに連絡を取ったのだった。


リーフが2本の電話を掛けただけで、事態は一気に進展した。特に、フィンの家に掛けた電話の威力は相当なものだった。
横で電話を聞いていたナンナは、まず情報通のパティに連絡を取った。その後、アレスにも知らせておく。刑事事件も手がけて、検察と渡り合っているだけあって、弁護士の情報収集能力も侮れないだろう。
ナンナから連絡を受けたパティは、自分も情報収集に出かける一方で、フィーに連絡を取った。正式にペガサスナイツに入団して約1年。見習い時期から現場で鍛えられた諜報部員は大変頼りになるものである。たまたま非番だったフィーは、憧れの先輩のために貴重な休みをあっさりと返上した。
そしてここに、嬉しい計算外が生じた。フィーが電話を受けた時、隣でセティが一部始終を耳にしていたのだ。セティが即座にティニーにイシュタルへの中継を依頼すると、イシュタルはおろか彼女の関心を一人占めしたいユリウスも全力を挙げてアルテナの行方を捜し始めたのだった。
「凄いことになりましたね。」
自身もセリスと共にアルテナの友人に探りを入れていたリーフは、連絡先に指定したセリスのケータイに次々と寄せられる情報に目を丸くした。
「姉上のために、これだけの人達が一斉に動いてくれるなんて、思ってもみませんでした。」
人数も然る事ながら、面子も凄い。しかも、その殆どが好意によるものである。
「アルテナは、後輩にとっては憧れのお姉様だからね。」
「はぁ…。噂には聞いてたんですが、私にとっては普通に姉でしたから。」
「うん。私にとっても普通に従姉だったからね。正直言って、驚いたよ。」
そして、この情報戦争とも言える状況の中、イシュタルだけは敵に回してはいけないということを、実感したセリスとリーフだった。
「いったい、どこからこんな情報を拾ってくるんでしょうね?」
アルテナの昨夜の動向については、様々な方面から証言が得られた。繋ぎあわせるとかなり詳しく足取りがつかめる。だが、その後の行方についてはサッパリだった。
そんな中で、いち早く手がかりを掴んだのはイシュタル達だった。正確には、ユリウスの手柄である。
表の情報はイシュタルに任せ、裏の世界を中心に探りを入れたユリウスは、アルテナがカタギとは見えない人間達に連れ去られたという情報をキャッチした。そうなると、浮上してくるのは組織を相手にした取り引きである。『レンスターガード』か、あるいは…。
「まさか、姉上がマフィアの跡取り息子と付き合っているとは思いませんでしたよ。」
姉に恋人が居たということ自体初耳だったリーフだが、それがよりにもよって『トラキアグループ』の跡取り、アリオーンであったことに驚きを隠せなかった。
「警備会社の総領娘とマフィアの跡取り息子じゃ、あまり堂々と付き合う訳にはいかないものね。」
ただでさえアルテナに恋人が出来たなんて知ったらキュアンやリーフは大騒ぎしそうだというのに、相手があれではアルテナも必死に隠そうとして当然である。
だが、やっと普通に会話できるようになって、構内でだけでもそれなりにお付き合いが出来るようになったと言うのに、卒業と同時にアリオーンが寝たきりの父に代わって正式にグループを継承してしまっては、もうアルテナは彼と会うことも難しいだろう。今回のような事件が起きてしまっては尚更だ。
「果たして、アリオーンはどう出るかな?」
アルテナを人質に取られたアリオーンがどう行動するのか。セリスは、彼との接触を計りながら、その先にあるアルテナ救出作戦に向けて思考を巡らせたのだった。


リーフ達がアルテナの行方を追っていた頃、アリオーンは脅迫状の前で眉間に皺を寄せていた。
アルテナを攫ったのは、最近になって勢力を伸ばして来た『グルティアグループ』の連中だった。しばらく前からこの辺りに手を出したがっていたのだが、金を積もうが力で押そうが、彼等の進出についてアリオーン達が頑として譲らなかったので、とうとう痺れを切らしたということか。しかし、裏稼業の規模を縮小して弱体化したとは言え、アリオーンはこの近辺だけは絶対に守り通すつもりだった。
アリオーンが実質的にグループを引っ張っていくことになった時、一般市民を標的にすることを禁じたようだった。そして、表の顔である消費者金融会社に力を入れるようになったらしい。その結果、今の『トラキアグループ』は他の町のマフィアや暴力団からこの町を守っているようなものだった。
一方、活気あるこの町を食いものにしたくて堪らなかった『グルティアグループ』は、ずっとチャンスを伺っていた。3年前の大抗争でトラバントが負傷、自分達のボスが死亡してしばらくは大人しくしていたが、暗黒司祭が頭になってからますます凶悪化していった。『トラキアグループ』の弱体化を見て、彼等はいろいろな手段で縄張りを譲らせようとしたのだ。しかし、すべて失敗に終わって来たのだった。
だが、グルティアの構成員は昨夜道端で、友人を介抱するアルテナに出くわした。意図的に近付いたりした訳ではなかったことが、彼にとっては幸いだった。何の気無しに「大丈夫か、姉ちゃん?」とか言いながら、大して警戒されることもなく顔を覗き込める距離まで近寄った彼は、2人の女性の内の1人がアリオーンの想い人であると見るや否や、酔いつぶれているもう1人の女性を人質にとってアルテナを拉致することに成功したのだ。
アルテナの身柄と引き換えに縄張りの譲渡を約す誓約書と、約定の証として『グングニル』を渡すように要求されたアリオーンは、どうやって周りの者達を説得するかに頭を悩ませた。


アルテナ捜索隊が、グルティアの輩が集まっている場所を手分けして調査しに向う一方で、セリスとリーフは取引き場所へと向うアリオーンと合流した。
「君は、確か…。」
2台のバイクにいきなり車の進路を妨害されて慌ててブレーキを踏んだアリオーンは、犯人につかみ掛かってすぐ、相手がリーフであることに気付いて手を止めた。
「初めまして、でしょうか。姉が随分とお世話になってるようですね。」
「……すまない。私達の争いに彼女を巻き込むつもりなどなかったのだが…。」
リーフにはその気はなかったのだが、今のアリオーンの耳には「お世話になって」という言葉は皮肉に響いた。
気まずい空気の中、セリスが割って入る。
「急いでどこへ向われてたんですか?」
「それは…。」
言い淀むアリオーンにセリスは、グルティアの者達によるアルテナ拉致を知っていることを告げた。
「彼等が指示した場所へ急がれているとお見受けしました。」
「犯人の要求を飲むつもりですね。」
セリスとリーフの言葉に、アリオーンは黙って頷いた。
「それで助かって、姉上が喜ぶとでもお思いですか?」
今度は首を横に振り、そして答える。
「アルテナは怒るだろうが、それでも彼女にこれ以上の危害が及ぶよりマシだ。」
縄張りも神器も、奪われても取り返す機会は後から作ることができる。しかし、アルテナに何かあったら、もう取り返しがつかない。
そう語るアリオーンに、リーフは彼が本当にアルテナを大切に思っているのだと認めざるを得なかった。多くの人間を束ねるものとしては不適確な判断だろうが、それでも彼がアルテナの無事を優先してくれたことは素直に喜ばしく思う。
「とにかく、私達も一緒に行きます。取引き場所は、何処ですか?」
「北境の港倉庫だ。」
かなり詳しく事情を知られている以上隠すのは得策でないと判断し、アリオーンは正直に答えた。
「港倉庫、か。確か、デルムッドとナンナが向ってたはずだね。」
リーフに確認するかのように呟くと、セリスはデルムッドのケータイに連絡を入れた。取引き現場になっている以上、そこの警戒は他より厳しいものだろう。より一層の注意を促しておかなくてはならない。
「……。えっ、アレスが!? ああ、それなら安心だけど、でも充分注意してね。」
「アレス殿がどうかしたんですか?」
「エルトシャン様にアルテナ救出とナンナの護衛を命じられて、嬉々として合流したんだってさ。」
子供達の中で最も目を掛けているアルテナと最も可愛がっているナンナの危機に、エルトシャンはアレスに事務所の仕事よりこっちの手伝いを命じたのだった。もちろん、手伝いたくてうずうずしていたアレスは弾かれたようにナンナの元へ急行したに違いない。
それから程なくして、アリオーンと同行するセリスの元に、デルムッドから連絡が入った。倉庫の1つにアルテナが居ることを確認したのだ。
「要求が満たされれば返すつもりがあるのか、それとも現場で脅す為に彼女を直に確認出来るようにしているのか。」
アリオーンが呟くと、セリスは微かな笑みを浮かべた。
「どちらにしても、そこにアルテナが居るなら、取り戻すチャンスがあるね。」
「ええ。私達を甘く見たら痛い目を見ることを、奴らに教えてやりましょう。」
物事を良い方に考えるセリスとリーフに、アリオーンは彼等のことを心強く思うのだった。


「約束のものは持ってきただろうな。」
「ああ、ここにある。それより、アルテナは無事なんだろうな。」
アリオーンは封筒と『グングニル』のケースを示しながら、聞き返した。
「勿論、貰えるもんさえ貰えりゃちゃんと返してやるさ。」
だからさっさと渡せ、とばかりに迫るグルティアの輩に、横からセリスが口を挟んだ。
「その人、本当にアルテナなの? 偽物とかで騙すつもりなんじゃないだろうね。」
「何だと、このガキ!!」
「そんなセコい真似するわきゃねぇだろ!!」
口々に叫ぶ厳つい男達に怯むこともなく、セリスは言葉を続けた。
「カタギの女性を人質にとることはセコくないとでも言うつもり?」
これには、皆一瞬黙り込む。
「とにかく、確認させてもらうよ。」
「どうやって?」
この場のリーダーと思しき人間が、セリスのペースに巻き込まれて来た。
「他の誰の目は誤魔化せても、リーフの目は誤魔化せないよね。」
「ええ。ああ、でもこんなに暗くちゃ、もっと近くでないとよく確認出来ませんね。」
セリスの言葉に、リーフは困ったような表情で応じる。
「見ての通り、私は丸腰です。もっと近くで姉上を確認させてもらえませんか?」
「まさか、こんな少年を怖がったりはしないよね?」
こんな風に言われて、彼等は警戒しながらもリーフがアルテナの元へ近付くことを承諾した。リーフは、両手を頭の後ろで組んで進んでいく。
アリオーンもアルテナも、一体この2人は何を企んでいるのだろう、と目を丸くしてリーフを見守った。
そして、アルテナのところまで来たリーフは、ゆっくりと両手を解いてアルテナに触れた。そして、間伐入れずにアルテナを捕らえている輩を蹴り飛ばす。
「今だっ、アルテナ!!」
リーフとの間に星が流れたのを見て、アルテナは一気に縄を引きちぎった。
「なっ!? こいつら、何て馬鹿力なんだ。」
「あはは、レンスターの人間を甘く見たね♪」
セリスはバカにしたように笑った。
レンスター家の姉弟の必殺率は並ではない。互いを庇い合うような形になった時、繰り出す攻撃はその殆どが必殺攻撃である。例え素手でも、その攻撃力は相当なものだ。
「さぁ、こちらもやるよ。」
セリスは腰に佩いた『銀の剣』を抜き放った。それを見て、アリオーンもケースから『グングニル』を取り出すと、一気に敵を蹴散らしてアルテナの元へと走る。
そんなアリオーンにダークプリーストの魔法が襲い掛かる。
「アリオーン!!」
迷わず彼を庇おうと飛び出したアルテナに、魔法は当たる寸前で軌道を変えた。振り返ると、リーフが魔導書を手にしている。
「てめぇ、丸腰だったんじゃ…。」
「本当に莫迦な連中ですね。普通は、身体検査くらいするもんですよ。」 
上着の内ポケットから取り出した『トルネード』の魔導書をちらつかせながら、リーフはスタスタとアルテナ達の元へ歩を進めると、再びスキルを発動して魔法を放った。
外でも、中の騒ぎに呼応してアレス達が応援に駆け込もうとした見張りの者達を叩きのめし、その場に居たグルティアの輩は全員あっさりと戦闘不能になったのだった。


アルテナを無事に取り戻したセリスは協力してくれた人達に次々と連絡を入れ、協力者の面々は安心してそれぞれの生活に戻っていった。だが、これで終わりではなかった。
それから間もなく、『グルティアグループ』は崩壊した。イシュタルとユリウスとエルトシャンを敵に回したのが運の尽き。表の顔である建設会社は株価暴落と相次ぐ取引停止で倒産。他の持ち株も紙屑同然となり、活動資金は一気に底をついた。すべてイシュタルの仕業である。その上、贈収賄やら脱税やら詐欺で検挙され、芋蔓式に数々の傷害や暴行も表沙汰になる。それらは、エルトシャンの指示によるものだった。アルテナ捜索の一環で入手した情報から法に反する行いを明るみに出す証拠の目星を付けたのだ。複数の仲介を経てもたらされたそれを元に、ユリウスがヴェルトマーの名を使って警察関係者を動かすと、証拠は山程上がる。但し、アルテナ拉致事件に関しては表沙汰にするといろいろ不都合があるので不問とさせる。
しかし、キュアン達にとってはアルテナを拉致した憎き敵の行く末よりももっと重要な事態が目の前に存在していた。
「アルテナ〜。」
涙目で2人を見つめるキュアンの前で、アリオーンはアルテナに求婚した。アルテナも、それを受ける。
「ああ、マフィアの親戚になってしまうなんて…。」
エスリンは、頭を抱えてキュアンに寄り添った。そこへ、セリスが1通の報告書を差出す。
「何、これ?」
それを見たエスリンは、驚いた。
それは、マフィアとしての『トラキアグループ』が解体されていたことを示す調査報告書だった。今居る構成員は自警団みたいなもので、完全には更正出来ないような者はカパドキアの傘下に入っていた。地下での提携と言ってしまえば、決して問題がない訳ではないが、それでも今の『トラキアグループ』はマフィアではなく企業だった。
「いつから、こんなことになってたんだ?」
キュアンの問いに、アリオーンは言い難そうに答えた。
「父が亡くなった時からです。」
トラバントが3年前のグルティアとの抗争で大怪我を負って寝たきりになったというのは嘘だった。本当はその時くらった暗黒魔法の所為で、死んでいたのだ。それ以来、アリオーンはグループの解体を進めて来た。
「ああいう輩が居る以上、誰にも明かすことが出来なかった。もちろん、アルテナにも…。」
例えそれがアルテナとの距離をさらに広げることになっても、事態が知れれば土地の者達が危険に曝される。
「戸籍調べりゃトラバントが生きてるかどうかくらい簡単に判るのに、やっぱり莫迦だね、あいつら。」
イシュタルの調べによると、アリオーンは3年前にちゃんとトラバントの死亡届を提出して相続税も収めていたらしい。
「それじゃ、姉上がアリオーン殿とお付き合いしようが結婚しようが問題無いんですね、セリス様?」
「本人同士が合意してるんだから良いんじゃないの?」
それともさっきの返事は、自分を欺いてたアリオーンとは結婚出来ない、と破棄する?
そう問われたアルテナは、即座に首を横に振った。
「マフィアのボスだろうが消費者金融の社長だろうが、アリオーンはアリオーンよ。」
そう言って寄り添うアルテナの幸せそうな姿に、キュアンもエスリンも2人の婚約を認め、祝福の言葉を掛けたのだった。

-End-

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