第26話
「急に走り出したりしてどうしたの、ティニー?」
「あのね、セティ様にお礼を言いに行って来たの。」
ちょっと待っててと言ったきり走ってどこかに消えてしまい、また急いで戻って来たティニーに、珍しいこともあるものだとパティは思った。もちろん、ナンナも同感である。
「でも今回の試験、ティニーってば凄いじゃない。」
「とっても嬉しいです〜。」
今日のティニーはいつもの憂い顔ではなく珍しくニコニコ顔になっていた。
「一気に成績あがると、やっぱり嬉しいものなのね。」
まぁ、自分もアレスのおかげで解けた問題が結構あったので嬉しかったが、やはりグンと上がるとここまで浮かれるものなのだろうか、とナンナはティニーの浮かれようが不思議だった。
「あの、ちょっと違うんです。」
ティニーは成績が上がったこと自体が嬉しいのではなく、セティのおかげで上がったのが嬉しいのだ。
アゼルもティルテュも特に教育熱心と言うわけではない。努力の結果として良い点数を取れば「良く頑張ったね」と誉めてくれるし、遊び呆けてたために酷い成績を取れば「あまり喜ばしくない事態だね」とか言うけれど、特に優れた成績を期待するようなことはしない。それは、アゼルが担当してる化学でさえも同様である。そりゃ、さすがにあまり低い点数だったら己の指導力に疑問を持って嘆くかも知れないが。
そしてティニー本人も特に良い成績を取ろうとしてるわけではない。ただ、いっぱい解ければ楽しいし「良く頑張ったね」と言われると嬉しい。そして、今回のことは自分とそして何よりもセティの努力の賜物なのだ。ティニーはセティを両親に誉めてもらえるだろうことがとっても嬉しかった。
そして浮かれてる最大の理由は、別のところにあった。
「これで、堂々とセティ様とお出掛け出来ます♪」
実はこれまで、セティとのデートは放課後の図書館や校内のカフェテリアだったのだ。それもこれも、アーサーが「あいつは手が早い」と母に吹き込んだ所為であると言うことをティニーは知らなかったが、とにかく「まだ早い」の一点張りでティルテュは休みの日のデートを認めてくれなかったのだ。アゼルは「品行方正だ」と太鼓判を押してくれたのだが、ティルテュとしては食い違う意見の中で結局はセティがレヴィンの息子だという点から危険性を感じて2人で遊びに行くことを禁止していた。
しかし、今回の試験勉強は図書館でやるはずが予定変更になり結果的にセティの部屋で2人っきりとなったにも拘らず、セティはティニーの家庭教師に専念したのである。その成果は試験結果にはっきりと表れた。これで、ティルテュもセティとティニーが清い交際をしてると認めるだろう。
「あははは、ごちそうさま。」
ナンナもパティも、そう答えるしかなかった。
そして、その一方で自分達も恋人にお礼を言っておくべきかな、と考えていた。
試験休みになったので、いつものようにナンナはお弁当を作って大学部のアレスの元へ向かった。
「アレス〜!」
姿を見つけて駆け寄ったナンナに、アレスは軽く手を振ると場所取りしてた荷物を退かした。あの春の出来事以来、恒例のことなので手慣れたものである。
「ところで、結果はどうだったんだ?」
「全体的にはいつもよりやや上ってところ。でもアレスが教えてくれたトコが出て、そこはバッチリよ。」
アレスが落ち込んだあの問題もしっかり出ていた。
ナンナの答えを聞いたアレスは、何やら弁当を隅々まで見回して所々箸で探りを入れ始めた。
「何やってんの?」
「いや、弁当のおかずがランクアップしたとか何が良いものが入ってるのかと思って…。」
いきなり何を始めたのかと、ナンナは不思議そうにアレスを見つめた。
「だって、成功報酬って言ってただろ。役に立ったなら成功したってことじゃないのか?」
「もうっ、お弁当で誤魔化すような真似はしないわよ。」
ナンナは笑って答えたが、実はすっかり忘れていた。言われて初めて思い出したので、お弁当に色を付けて誤魔化すことが出来なかったのだ。
「じゃあ、後で何かくれるのか?」
「えぇっと、食べ終わってからね。」
ナンナは期待されてるようだから何かあげなくてはまずいだろうと思ったが、すっかり忘れてたので何も持って来ていなかった。とにかく、アレスがお弁当を食べ終わるまでの間に何か手を考えなくてはならない。
幸い、アレスはゆっくりと味わいながらお弁当を食べているから考える時間はたっぷりあった。
「ごちそうさまでした。」
「えっ?あ、はい、おそまつさまでした。」
あれこれ考え込んでいたナンナの目の前に、きちんと包み直された弁当箱が差し出された。
「それで、何くれるって?」
「ん〜、リクエストがあるなら聞いておくわ。」
「リクエストしたら、それをくれるのか?」
「それは聞いてから決めるの。」
希望を聞いてみて叶えられるものならそれをあげるのが良いだろうというのがナンナの苦肉の策だった。
「それじゃ…『姫君の祝福』。」
『姫君の祝福』とは、額か頬へのキスの事である。『姫君の御褒美』って言わなかった辺りにちょっと遠慮が入っている。大したことはしてないから、『祝福』でもちょっと高望みかなと思っているのだ。
ボソっと呟くようにリクエストしてみたアレスに、ナンナは半歩引いた。
それを見てアレスは焦ってじたばたしながら自分のリクエストを否定した。
「あ、いや、その、言ってみただけだからっ。缶ジュースでいい。いや、何もなしでも…。」
そんなアレスの様子にナンナはクスっと笑って、引いた分以上に戻ってくるとそっとアレスの頬に手を掛けた。そしてそのまま唇を寄せてくる。
「おい、まさか…。」
アレスの予測通り、ナンナはアレスの額ではなく唇に自分の唇を重ねた。そして即座に離れる。
「今後の分の先払いも込みよ♪」
「…了解。」
赤くなりながらも平静を保つナンナに対し、アレスは心臓をバクバク言わせながら周りの気配を探り、昼休みが終わってて良かったと心の中でそっと胸をなで下ろした。と同時に、次の授業は自主休講しようかと頭の片隅で真剣に考えていた。