風の勇者

アルスターの近くの村に緑の髪の若者が倒れ込んで来た。
大人びた雰囲気はあるが恐らくまだ子供と言える年齢と思われるその若者を、発見者の老人は自分の家へ連れて行き、手厚く看病した。
熱にうなされる苦し気な息の下から、若者は誰かの名を繰り返し呼んでいた。

「フィー、母上を頼んだぞ。」
「本当に探しに行くの?」
当てもなく探して見つかるような父親でないことくらい、フィーに言われなくてもわかっている。それでもセティはレヴィンを探しに行くのをやめようとはしなかった。
「父上が戻られれば、母上も元気を取り戻すかも知れない。」
いや、そんな理由ではないのだ。自分が何度回復魔法をかけても一向に良くならない母の姿に、今の自分の魔力では足りないからと父を頼りたいだけなのかも知れない。
「だったら、あたしが探しに行くわ。お兄ちゃんが歩いて探すより遥かに効率がいいもの。」
「だめだ!」
確かにペガサスの方がどこへ行くにも便利であることは否定できない。しかし、同時に人目にもつきやすい。誰何された時に傭兵だなどと言い張るには、フィーは幼すぎるのだ。とてもフリーで仕事を探している傭兵には見えない。かと言って、使いっ走りをしている見習いのペガサスライダーの振りをするには、下手くその振りが出来ない程度に腕が良すぎる。
だが、そんなことを言ってもフィーは「そんなドジは踏まない」と言い張るだろう。
「もしも、ここにまで帝国の手が及ぶようなことがあったら、その時はお前に母上を抱えて逃げてもらわなきゃいけない。そのためにも、お前はマーニャと共に母上のそばに居てくれ。」
詭弁だとわかっている。今さらこんなところにわざわざやってくる帝国兵などいないだろう。どんな物好きでも、少なくとも冬が過ぎるまではこんなところまで来るはずがない。遭難しかけながらやって来たところで、こんな隠れ里のような村で搾取できるものなど殆どないのだから。
「どうしても行くのね?」
セティは黙って頷いた。
「わかったわ。それじゃ、これを持って行って。」
フィーは四角い包みを差し出した。
「お母さまがお兄ちゃんに渡して欲しいって。」
その言葉に慌てて包みを解いたセティの手の中には、『フォルセティ』の魔道書が乗っていた。
枕元へ急行したセティを見て、フュリーは静かに告げた。
「気をつけて行くのよ、セティ。」
「母上…。私はまだ…。」
『フォルセティ』を使う資格は得ているとは言え、その強大さに畏怖の念を感じるセティは、まだこの魔道書を使いこなせはしなかった。
「きっと、使えるようになるわ。そしてそれが必要になる時がきっと来る。だから、その時の為に持っていなさい。」
フュリーはそう言ってから、一呼吸おいて少女のような微笑みを浮かべると、更に続けた。
「あなたが使えないなら、レヴィン様に渡して差し上げればいいでしょう。」

「フィー、すまない…母上…きっと…。」
老人は、うなされる若者の衣服を替えようとしてその懐から転がりおちた数冊の魔道書を拾い上げた。
「随分使い込まれているな。」
積み重ねた一番上に乗った『エルウインド』の魔道書を見て老人は呟いた。
だいぶ古くなっているから恐らくは誰かから譲り受けたのだろうが、それでも最近も相当使われたのだろう。使用可能回数が激減している。
この歳で単身でここまで戦い進んで来たところから見てただ者ではないだろうと思い、ふと包みの端から覗く豪奢な魔道書が気になったが、それ以上詮索するのはやめておいた。
老人の手厚い看護の結果、若者は翌朝には目を覚ました。
若者は何度も何度も謝辞を述べたが、決して名前は明かそうとはしなかった。そして、何か訳あり気に人を探しているらしく、様々な特徴をあげて、こんな人を知らないかと聞いて来た。
「ふむ、ひょっとしてあの吟遊詩人の縁者の方かな?」
「吟遊詩人?」
「暫く前に旅の吟遊詩人が立ち寄ってな、この村にレジスタンスを結成しようとしておったようだが、見切りをつけて出て行きおった。」
儂がもっと若ければ参加したのだが、とぼやく老人に若者はその吟遊詩人のことを詳しく教えてくれるよう頼んだ。その様子に老人は、やはりこの若者はあの不思議な吟遊詩人の縁者に違いないと確信した。となれば、あの包みの中身は…。
「これから、どうなさる?」
話し終えて問う老人に、若者は即答した。
「後を追って、トラキアへ向かいます。」
予想通りの答えに老人は笑いながら若者を諌めた。
「今のまま後を追っても、途中で行き倒れるのが関の山。せめて、もう一晩ここで休んで行きなさい。どんなに優れた戦士でも疲労していては持てる力の半分も出せやしない。」
若い頃は自警団でかなりならしたと言う老人の言葉に、若者は素直に頷き、老人の昔話を聞きながらゆっくり時を過ごした。
そして翌昼、旅立った若者と入れ違うように帝国兵が村を踏み荒らした。子供狩りである。
家の床下に子供を隠し、村人は家の中で息を潜めていた。かの老人も近くで遊んでいた近所の子供を隠して帝国兵の動きに気を張っていた。すると、裏の窓をそっと叩くものがあった。
「あなたは…。」
そこには旅立ったはずの若者が居た。
「不穏な動きを感じて戻って来たのです。場合によっては助太刀します。」
せめてもの恩返しに、と『エルウインド』の魔道書を握りしめる若者に老人は小声で、しかし有無をいわさぬ迫力で言った。
「今すぐ、この村を出なさい。今この場で奴らを倒したところで何の解決にもならない。」
「しかし…。」
「今は堪えるのだ。そして、もっと力をつけて、その力を世界の為に…。あなたには負うべき責任がある。違うかな?シレジアの王子様。」
セティは絶句した。
「さあ、お行きなさい。今はまだこの村は大丈夫、何とかやり過ごせますからな。」
セティは、後ろ髪を引かれるようにしながら村を後にした。後日、かの村がたいした被害もなく済んだことを聞いて、独りでそっと胸をなで下ろしたのだった。

レヴィンを追って、セティはマンスターまで辿り着いた。そこには確かに最近までレヴィンが居たらしかったが、一足違いで姿をくらました後だった。
すぐにも後を追おうとしたセティだったが、行く先のあてはなかった。知り合った人の話によると、今までにもしばらくするとまた戻って来てることがあったと言うことなので、セティはこの街で様子を見ることにした。
何の情報も入らないまま、時が流れる中、マンスターに子供狩りの手が入った。
逃げまどう人々を追い立てて、帝国兵は子供達を捕まえていった。
「今この場で奴らを倒したところで何の解決にもならない」「今は堪えるのだ」と言った老人の言葉が脳裏に甦り、帝国兵が多少手荒なことをしようとも我慢して来たセティだったが、泣き叫ぶ子供を抱えて母親を足蹴にする帝国兵の姿についに押さえが効かなくなった。
「子供を放して、ここから出て行け!」
突然目の前に飛び出して来た若造に、帝国兵は嘲笑を浴びせながら切り掛かった。だが、子供を抱えていて動きが鈍かった所為か、振り下ろした剣はあっさり躱された。
「放さないなら、奪い返すまでだ!」
セティはそう宣言すると、使い込まれた『エルウインド』の魔道書を取り出し、呪文を唱えた。風の刃が帝国兵を切り裂き、その死体をクッションにして落下した子供は、瞬時に我に帰った母親に抱き寄せられた。
一撃で仲間が倒されたのを見て、他の兵士は一斉にセティに切り掛かろうとした。多勢に無勢だが今さら引く訳にはいかない。簡易詠唱でとにかく素早く魔法を繰り出そうと、セティは魔道書を抱え直した。
だが、そんなセティを取り囲むように襲い掛かって来た帝国兵の殆どが、人込みから飛び出して来た数人の市民によって倒された。
「あなた方は?」
「我々は、この街のレジスタンスです。」
その顔ぶれには見覚えのあるものがいくつもあった。
セティを泊めてくれた家の主人や子供。街を案内してくれた若者。何かにつけて辺りの噂話を吹き込んではセティの暇を潰してくれた小母さん。
「決起するには少々早いですが、あなたを見殺しには出来ません。」
「それに、目の前で子供狩りなど許せない。」
口々に叫びながら、彼等は帝国兵に打ち掛かった。一気に形勢は逆転し、見る見るうちに帝国兵は敗走を始めた。
しかし、町外れまで追いやった時、強烈な雷がレジスタンスを襲い、逃げ来た帝国兵達の間を割って一人の少女が姿を現わした。
「このような寄せ集めの集団を相手に、みっともない姿を晒すなっ!」
「…イシュタル様。」
「勝手に街を襲った愚か者を連れ戻しに来たのだけど、どうやら我等に逆らう莫迦者もついて来た様ね。」
イシュタルは双方を冷ややかに見遣りながらそう呟くと、逃げて来た帝国兵に命じた。
「奴らを片付けなさい。ならば、今回の事は不問とします。」
敵には勿論のこと味方にも厳しいイシュタルの言に、帝国兵は死にものぐるいで反撃に転じた。その勢いに飲まれ身を竦ませた者が正に今切られようとするする間際、セティの放った風の刃が帝国兵を切り裂いた。
「ほぉ、魔道士も居るのか。なかなかやるわね。」
感心したように呟きながら、イシュタルは自軍の兵士達の腑甲斐無さに呆れたような溜息をついた。
「どうやら、私が手を下さなきゃいけないみたいね。この雷神イシュタルの手にかかれること誇りに思うがいい。」
イシュタルはマントの下から『トロン』の魔道書を取り出すと、レジスタンスの面々に向けて立て続けに魔法を放った。対抗してセティもエルウインドを放ったが、イシュタルに傷を負わせるに留まり、そして使用回数が限界となってしまった。
「私に傷を負わせたお前。葬る前に名を聞いておきましょうか。」
「……」
セティは、名乗れなかった。
「ごめんね。あなたにこんな重荷を背負わせてしまった私達を許してね。」
初めて『フォルセティ』の魔道書を使った後、その威力に恐怖を感じて震えるセティを抱き締めてフュリーは何度もそう呟いた。レヴィンは、セティが生まれた時に既に今のような時代となることを心の何処かで予感していたのだろう。シレジア復興の夢、否、世界からロプトの恐怖をなくす夢を託すため、先祖と同じ名前を息子に与えた。
この名は、倒れようとする時に名乗れるようなものではない。
「あら、恐怖で口がきけなくなったのかしら?だったら、構わないわ。」
イシュタルはセティ目掛けて、トロンを放った。
「ぐわっ!」
思わず目を瞑ってしまったセティの前で、悲鳴が聞こえた。
「どうして…?」
目を開けると、名も知らぬ若者がセティの盾になるように飛び出しイシュタルの魔法を背中に喰らっていた。そのまま崩れるように、セティに凭れ掛かる。
「あんたは……レジスタンスじゃない…からな。」
そう言って息を引き取った仲間の言葉の後を受けるように、生き残っていた者達は口々に、セティに逃げるように言った。
「甘いわね。レジスタンスであろうとなかろうと、我等に逆らったことは事実。しかも私に手傷を負わせた者を逃がしてなどやるものか。」
とたんに、セティの身体は雷光に包まれた。
「ぐっ…。」
セティはその場に膝をついた。
「一撃でやられないなんて、大したものね。やっぱり、名前を聞いておこうかしら。」
そう言いながらイシュタルはセティの元へ歩み寄った。身動きのとれないセティの顔を上げさせ、まじまじと覗き込む。
「この髪にこの瞳の色。お前、シレジアの風使いか。風魔法なら我々に対抗できると思って勇者気取りでこんなところまできたのかしら?かなりの使い手のようだったみたいだけど、相手が悪かったわね。」
そうしてセティを地面に転がすと、とどめを刺そうと呪文の詠唱を始めた。
「させるか〜!」
セティを助けようと、レジスタンスの一人がイシュタルに切り掛かったが、イシュタルは体術のみでその者を打ち据えた。他のメンバーも何とかセティを逃がそうとしてくれるが、彼等が必死に食い下がっているのを目の当たりにしながらもセティの身体は動いてはくれなかった。
「や…め…。」
セティは、彼等にこそ逃げて欲しかった。イシュタルの興味が自分に向いてる今なら、彼等の方が逃げやすい。なのに、彼等は自分を逃がそうとして命を縮めていく。そこまでして生かしてもらえるような価値なんて…。そう思ったセティの脳裏に、あの老人の言葉が甦った。
「あなたには負うべき責任がある。」
そう、セティにはその名に応える責任がある。名前に込められた想いに応えるのは義務ではないけれど、その名と共に受け継いだ血に対する責任だけは回避することは出来ない。
「もっと力をつけて、その力を世界の為に…。」
力。
力なら、ずっと懐の奥に眠っている。その威力に畏怖の念を感じるあまり思うように使えず、忘れようとさえしていた強力な魔法、神器『フォルセティ』の魔道書。これなら、例えイシュタルでもただでは済まないはずだ。
しかし、セティの身体は動いてはくれなかった。先程の攻撃と、そして『フォルセティ』を使うことへのためらいの為に。
「えぇいっ、うるさいわねっ!そんなに死に急がなくても順番に葬ってあげるわよ。」
セティへの攻撃を再三邪魔されたイシュタルは、ついにセティを後回しにしてレジスタンスのメンバーに向けて魔法を放った。
狙いを定めたものではなかったとは言え、魔法防御の低い人間にとっては掠めただけでもかなりの被害を与えるに十分だった。雷光に掠められた者は、悲鳴を上げて倒れふした。
その悲鳴に突き動かされ、セティは半ば無意識に身を起こし、『フォルセティ』の魔道書をつかみ取った。
「あら、まだ動けたの?」
再びセティに意識を向けたイシュタルの目の前で、セティは呪文を詠唱した。
「風の神よ、我に力を。我が意志のままに疾駆せよ、風の竜フォルセティ!」
「何だと!?」
驚くイシュタルの周りを無数の風の刃が吹き荒れ、一瞬にして立っているのはイシュタル独りとなっていた。
「まさか、シレジアの王子だったとはね。」
風の中でイシュタルは全身を赤く染めて悔しそうに呟くと、魔法で瞬時に姿を消した。
「大丈夫かい?」
「…今のは…やっと、使えるように…?」
風が収まった後心配と感動を胸にレジスタンスのメンバーが近寄って来るなか、セティはそう呟いて意識を手放した。

意識を取り戻した時、セティはいつも泊めてもらってた家に運び込まれていた。
「ああ、良かった。目を覚ましたんだね。」
「大したもんだよ、あのイシュタルをやっつけちまうなんて。」
セティが周りを見回すと、あの時セティを守ろうとしてくれていた人達もあらかた揃っていた。
「なぁ、風の勇者様。あんたの名前を教えちゃくれないかい?」
そう聞いた男に、セティの顔見知りの者達が難色を示した。今まで何度聞いても、セティは申し訳無さそうにしながら絶対に名前を口にしようとはしなかったからだ。
しかし、もう正体が知られることを怖れることも、その名に恥じることもなくなった今、セティは堂々と名乗りを上げた。
「セティ、と申します。」

-End-

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