おとぎ話のススメ
いったいどんなトリックを使ったのか、アレスを眠らせるためにダークマージは妙な手を使って魔力を引き上げたようだった。その副作用でコントロールが乱れたのか、実はそれも予定の内だったのか、死者の口からそれを語らせる術がない以上真相は闇の中だが、とにかく光の束はアレスに降り注いだように見えたにも関わらずその時アレスの隣にいたナンナは深い眠りに落ちた。
妙な手を使ってなお、アレスを眠らせることに失敗したダークマージはその直後ナンナを抱えたアレスにあっさり切り捨てられたが、眠り込んだナンナはコープルのレストでも一向に目覚める気配がなく、延々と眠り続けた。
「こうなったら、あの手を使ってみようかな。」
セリスは、どことなく楽しそうな雰囲気を漂わせながらナンナの枕元で呟くと、アレスを手招きした。
「誰か、リーフとデルムッドを取り押さえて。」
セリスの指示に従って、レスターは即座にデルムッドを羽交い締めにした。しかし、リーフの方は誰もが一瞬躊躇ったため、スタスタとセリスの元へ歩み寄ってきた。
「どうして私が取り押さえられなくちゃいけないんですか?」
「だって、邪魔しそうなんだもん。」
すると、詰め寄ってきたリーフにあっさりと言い返したセリスの言葉を聞き、面白そうだと思ったヨハルヴァがリーフを肩にかつぎ上げてしまった。
「うわっ、何するんですか!?私はウサギや鹿じゃないんですよ!!」
「ウサギや鹿ならもっと大人しいわな。」
リーフが藻掻いてもヨハルヴァの腕は決して緩むことはなかった。
「さぁ、これで邪魔するものは居ないから、心おきなくナンナを目覚めさせてくれたまえ。」
にっこりと微笑んでセリスに促されたアレスは、彼が何を言わんとしているのか全く解らなかった。
「もうっ、鈍いなぁ。古来より、眠りに落ちたお姫様を目覚めさせる方法と言ったら、アレに決まってるじゃないか。」
そう言われても、アレスにはピンと来なかった。
「だから、王子様のキスだってばっ!」
「えっ?」
セリスの言葉を聞いてアレスは驚き、リーフとデルムッドは更に激しく藻掻き出した。
「君だって一応王子様なんだし、ナンナだってお姫様だろ。だから、早くナンナにキスしなよ。」
「やだっ!」
アレスは即座に首を横に振った。
「ナンナを目覚めさせたくないの?」
「ナンナは目覚めさせたいが、だからと言ってどうしてお前らの前でそんなことしなきゃいけないんだ?」
「だって、ナンナのことが心配なんだもん。ちゃんと目覚めてくれるか、君がどさくさに紛れてそのままナンナを押し倒したりしないかって。」
「悪趣味な奴だな、お前って。昏睡してる恋人を押し倒して何が楽しいんだ?」
それに、そんなことしたら目覚めたナンナに絶縁状を叩き付けられるとわかっているのにやる莫迦はいない。とにかく、そういう発想をするセリスの方がよっぽど危ないんじゃないだろうかと思った者はアレス以外にも大勢いたが、口に出した者は一人もいなかった。
「嫌ならいいよ。幸い、うちには王子様がたくさん居るし。シャナンでしょ、セティでしょ、ファバルもそうだよね。もちろん私もだし。」
指折り数えるセリスの声を聞きながら、名をあげられた者が半歩ずつ引いたのは言うまでもない。何しろ全員彼女持ちである。
「そうそう、リーフなんてレンスターの王子ってだけじゃなくて、たしかチェンジ前のクラスはプリンスだったよね。リーフにやってもらおうか。」
それを聞いて、リーフが目を輝かせた。
「ちょっと待て!やる。俺がやる。」
「え〜っ、別に無理しなくても良いよ。嫌がってる人に無理強いするつもりないし。」
充分無理強いしてるだろうがっ、と叫びたいのをグッとこらえて、アレスは言い直した。
「やらせて下さい、お願いします。」
嫌そうに言ってるアレスを見て、セリスは勝ち誇ったように笑った。
「最初っからそう言えば良いんだよ。さあ、そうと決まったらさっさとどうぞ。」
そう言ってアレスをナンナの枕元目がけて突き飛ばすセリスに、アレスは心の中で「いつか絶対ミストルティンの錆にしてやる」と呟きながら、ナンナに軽く口付けた。
「全然起きないぞ。」
アレスはこんな真似をさせたセリスを睨み付けた。
「君、おとぎ話をなめきってるね。そんな軽いキスでお姫様が目覚めるようなら誰も感動なんかしないよ。もっと真面目にやってよね。」
こんな寝込みを襲うような真似のどこをどう真面目にやれと言うんだ、と言い返しかけてアレスが口をぱくぱくさせていると、セリスは更に言葉を続けた。
「まさか、やり方が解らない訳じゃないだろうね。」
そんなこと言うなら手本を見せてみろ、と言い返せないのが辛いところである。その上、今のアレスはナンナを人質に取られているも同然で反撃出来ないのが余計に堪えた。相手が紛うことなき敵であったなら、すぐにもナンナを取り返して敵は微塵切りにしているところなのだが、セリスが相手では切り捨てる訳にはいかない。
「やる気ないならリーフに代わってもらうよ。」
その言葉に突き動かされるように、アレスはベッドの端に腰かけるとナンナをそっと抱き起こした。そのまま背と頭をそれぞれ支えるように腕を回す。そして今度はしっかりと唇を重ねた。
背に回した腕を更に引き寄せつつ、アレスは僅かに開かれたナンナの歯の間を割り舌をこじ入れた。その光景に、リーフは白目をむいて気絶し、他の者はうつむいたり逆に目を離すことも出来ずに赤面した。
そんな中、フィンだけは様子が違っていた。
「ナンナ殿が心配ですか?大丈夫、きっと目覚めますよ。」
「いえ、私が心配しているのはナンナが目覚めた後のことです。」
父として娘のこんなシーンが気にならない訳ではなかったが、フィンにはその後のことの方がよっぽど気に掛かっていた。不思議そうな顔をしたオイフェに「じきに判りますよ」と言って、フィンは2人を見つめた。
十数秒後、ナンナの指先が微かに動いたかと思うとうっすらと目を開けながらアレスのキスに反応が返って来た。そのままナンナを更に抱き寄せようとして、アレスは慌てて離れた。
「良かった、目が覚めたんだな。」
「え?」
ポ〜っとしながらアレスを見つめ、それから周りを見回してナンナは今度こそちゃんと目を覚ました。そして、そっと自分の唇に指を持っていった。
「アレス、あなた私が寝てる隙に…。」
「待て、落ち着け!とりあえず、俺の話を聞け!!」
ナンナが目覚めたことでホッと一息つきかけたアレスだったが、こちらも今の状況にやっと頭が回って急いで飛び退いた。間一髪、つい先程までアレスが居た空間をナンナの手が通り過ぎた。
「だから、嫌だって言ったんだ。」
アレスはナンナに聞こえないように小さく呟いた。
「逃げるなっ!!」
アレス目がけて枕が投げ付けられた。
辛うじて避けたアレスだったが、投げたナンナ共々一瞬にして血の気が引いた。枕の飛び行く先にはフィンが居て、しかもアレスが避けるまでナンナとの間は死角になっていたのである。
しかし、フィンは予想していたかのように事も無げに腕を上げて、顔面目掛けて飛んで来た枕を受け止めた。
「やっぱり…。」
そう呟いたフィンの声は誰にも聞こえなかったが、彼の無事な姿を見てナンナとアレスはその場にへたり込んだ。
「目覚める早々これだけ元気なのは嬉しいが、問答無用で物を投げ付けるのはやめなさい。」
枕を頭の上にポムっと乗せられながらフィンに叱られてしまったナンナは納得がいかなかった。
「だってお父様、アレスったら私が寝てる隙に…。」
「落ち着いて思い出してみなさい。お前が目を覚ました時、アレス様が言ったことを。」
ナンナは言われた通り思い出してみた。
「たしか、「とりあえず話を聞け」って言ってたと思いますけど…。」
フィンとアレスはがっくりした。説明する気力が萎えてしまった2人を見かねて代わりに事情を説明してくれたセティのおかげで、やっとアレスに対する誤解の解けたナンナだったが、にわかには信じ切れなかった。もしも、説明してくれたのがセティじゃなかったら全く信じなかったかも知れない。少なくともアレスの口から聞いたなら、苦しすぎる言い訳にしか聞こえなかったに違いない。
「いや〜、何でも試してみるものだね。本当に目を覚ますとは思わなかったよ。」
と満足そうに笑っているセリスに当事者達が殺意をおぼえたとしても、誰も文句は言えないだろう。
「一応お礼は言っておくべきよね。」
「礼なら既に受け取った。」
まだちょっと不機嫌そうに寄り添うナンナに、アレスは微笑んだ。
「えっ、いつ?何のこと? 」
「目覚めてすぐに。応えてくれただろ。」
あの時殆ど無意識状態にあったナンナは、実に素直に反応してくれた。その反応にアレスは、意識のはっきりしてる時でもたまにはあのくらい素直になってくれればいいのにと思わなくもなかったが、抗う素振りもなかなか楽しませてくれるので良しとしようかと含み笑いを漏らした。
そんなアレスの心を見すかしたように、ナンナはそっと囁いた。
「時と場所は選んでちょうだいね。」