黒の魔石と金の糸
トラキア城を制圧して、解放軍は暫しの休息を取っていた。
疲れを癒す為に城で休む者、開放感に浸って羽根を伸ばす者など、様々な過ごし方をする者達がいたが、殆どの者に共通していたのは次の戦闘に備えて武器や杖を修理する為に街へと出掛けることだった。
多分に漏れず、リーフも手持ちの武器や杖を抱えて修理屋へと出掛けて行った。当然のことながらナンナに声を掛けたのだが、アレスと約束があるからと振られ、セリスやアルテナやフィンやセティも予定があったり既に留守だったりして、結局リーフは一人で街へと繰り出した。
マスターナイトになったリーフは様々な種類の武器を持っていた。戦場での彼は、斧は滅多に使わないとは言え剣と槍と弓と魔法を状況に応じて使い分け、回復の手が足りない時は杖も振るう。修理屋の店主は持ち込まれた多彩な修理対象品を前にして申し訳無さそうに、少々時間が掛かる旨を口にした。
「それでは、出来上がる頃に取りに来ますね。」
リーフは、恐縮している店主に人懐っこい笑顔で武器類を預けると、時間を潰す為に街の中をぶらぶらと散歩し始めた。しかし、万年の物資不足に悩まされているトラキアでは王城のお膝元とは言えども大した物はなく、リーフがおやつに出来そうな菓子類などを売っている店は皆無だった。否、それ以前に小麦粉も砂糖も売られていないのだ。
「なるほど。姉上がフィンの作ったお茶菓子に感動したのはこういうことだったのですか。」
リーフは、先日アルテナが極薄のパンケーキに少量のジャムを塗っただけのお茶菓子に目を丸くし、その後一口一口しみじみと味わいながら涙目になっていた理由が解ったような気がした。
トラキアの窮状って聞くよりも酷かったんだな、と認識を改めて、将来の併合を視野に入れながらリーフは街のあちこちを見て歩いた。そんな彼に、道端から声をかける者があった。
「騎士様、願いの叶うペンダントは要らんかね?」
突然の売り込みにリーフは戸惑ったが、フードを目深くかぶった老人と思しきその人物は、構わず売り込み口上を続けた。そして、手に取って見るようにと迫って来る。
「手に取って、太陽の方へ透かしてご覧下さいませ。貴方の望む未来が見えて参りましょうぞ。」
強引な口調に押されるようにして、リーフはペンダントを手に取ると太陽にかざした。すると、心臓が大きく鳴って目眩を感じた。
「願いが叶うとよろしゅうございますね。」
フードの人物はリーフの手にペンダントを残して静かに消え失せた。
そして、リーフは何事も無かったかのようにペンダントを着けて服の下に隠すと、修理屋へ戻って武器類を受け取った。この窮状で、こんな高そうなものをタダでくれる者が居ることや件の主の怪し気な風体を怪しむどころか、この時のリーフはここで起きたことに関しての記憶を失っていたのだった。
事件は日没と共に起きた。物見の塔で見張りにあたっていたアレスに、リーフが突然切り掛かったのだ。
「何の真似だっ!?」
危ういところで身を躱したアレスは、反射的に襲撃者を切り捨てようとしてミストルティンを抜き放ったところで手を止めた。そして、第2撃を刃を合わせて受け止める。
「ふざけるのもいい加減にしろ!! お前と遊んでいられる程、俺は暇じゃ無い。」
剣を押し返し、アレスは空いてる方の拳でリーフを殴った。しかし、ぎこちない動きで立ち上がると、リーフは再びアレスに切り掛かって来る。
騒ぎを聞き付けて、セリス達も塔へと上がって来た。
「どういうことなの、これは!?」
リーフがアレスと喧嘩してる、と聞いて見物に来たセリスは、それが喧嘩などでは無いことに気付いた。リーフは明らかにアレスを殺そうとしているように見えるし、アレスはリーフを傷つけないように防戦するのに神経を研ぎすませている。
「もしかして、リーフは…。」
「誰かに操られてますね?」
セリスの呟きに、セティが確信をもって同調した。
「ああ、多分な。」
アレスは防戦しながら応えた。だが、どうすればリーフを元に戻せるのか解らなかった。それは、その場で最もそういうことに詳しいと思われるセティも同様である。そこでユリアかコープルを呼んで来ようかと思った矢先、ナンナとフィンが駆けつけた。
「リーフ様、やめて下さい!!」
ナンナが慌てて飛び出した。
「来るなっ!!」
「ナンナ、危ない!!」
アレスとセリスの制止も間に合わず、飛び出したナンナにリーフの剣が襲い掛かった。
「きゃっ!!」
反射的に避けたナンナの胸当てを掠めるようにして、リーフの剣が目の前を通り過ぎるのを見て、ナンナは驚きのあまりその場にしりもちを付いたまま動けなかった。
「貴様ァ!!」
ナンナに剣を向けたのを見て、アレスはリーフに切り掛かろうとした。だが、リーフの様子がおかしいことに気付いて、寸前で剣を止める。
「…さない。」
リーフの口から、苦しそうな声が洩れた。
「ナンナを傷つけることは許さない!!」
集まった者達が見守る前で、リーフは自分の脇腹に剣を突き立てた。そして、引き抜いた剣を取り落としてナンナの腕の中に倒れ込みながら首に手をやると、鎖を引きちぎってペンダントを投げ捨てた。
「ごめん、ナンナ…。」
「あ…。リーフ様、リーフ様〜っ!!」
目の前で起きたことに、血だらけで自分の腕の中に倒れ込んで来たリーフの重さと感触に、ナンナは取り乱した。
「すぐに回復を…。」
セティが杖を取り出してリーフの元に駆け寄る。しかし、アレスがそれを止めた。
「ナンナ、お前が杖を振ってやれ。」
「で、でも…。」
ガタガタと震えながら、ナンナは自分の手を見つめた。そこにはリーフの流した血が付いている。目の前で、リーフが自ら剣を突き立てた脇腹から流された血が…。
「ねぇ、ナンナ。今度は君がリーフを助ける番じゃないの?」
リーフがナンナを守る為に自らを傷つけたことは、誰の目にも明らかだった。
「それに、珍しくアレスが君に、他の男を相手に回復の杖を振っても良い、って言ってくれてるんだしさ。」
面白いものでも見てるかのような顔で言うセリスに促されてナンナがアレスの方を窺うと、アレスは不貞腐れたような顔で頷いた。そして、照れ隠しなのかリーフの投げ捨てたペンダントの方へと歩いていく。
セリスとアレスの子供っぽい仕種に平常心を取り戻したナンナは、リーフを相手に『リライブの杖』を掲げた。リーフの傷が癒されていくのを見て、一同はホッと安堵の溜息を付く。
だが、突然、再び辺りに緊張が走った。
「これが…、操って……いたのか。」
リーフが投げ捨てたペンダントを拾ったアレスは、襲い掛かる呪縛の力に抗いながらその場に膝を付いた。そして、ミストルティンを突き立てて身体を支える。
「ちょっと待ってよ。今度はアレスが操られちゃったの〜っ!?」
様子を確かめるべく近寄ろうとしたセリスに、アレスの制止の声が飛ぶ。
「寄るな!! 死にたいのかっ!!」
リーフが狙ったのがアレスなら、アレスが狙うのはセリス。心の奥にしまい込んだわだかまりや憎しみが呼び覚まされ、セリスを切り捨てたいという衝動にかられたアレスは、必死にそれを促す声に抗っていた。
「…俺をなめるなよ。」
ミストルティンを持つ手に力を込めながら、アレスは声を絞り出した。
「セリスを殺る時は、自分の意志で殺る。お前の力など要らん!!」
拾ったペンダントを足元に投げ付けると、アレスはミストルティンをペンダントトップの石に突き立てた。
後日、リーフはこの時の記憶を失っていたが、皆から事の顛末を聞かされてアレスに謝りに行った。
「まぁ、謝って済む問題じゃ無いとは思ってるんですけどね。」
「そうだな。」
アレスは木陰で木の根に腰掛けたナンナの膝枕で昼寝をしながら、複雑な顔をして立っているリーフを見上げるように片目だけ開けた。しかし、すぐにまた目を閉じるとそのまま黙り込む。実はリーフが命懸けでナンナを守った時点で彼に対する怒りはとっくに消えているのだが、まぁ少しばかり嫌がらせしても罰は当たるまい。殺されかけた身としてはこのくらいの意地悪は許されるだろう、と心の中で舌を出しながら、アレスはそのまま立ち去る訳にも行かずに居心地悪そうにしているリーフの気配と困ったようにアレスの髪に指をからめるナンナの動きを感じていた。
「あ、あの…。」
「何だ?」
リーフは意を決して再び口を開いた。
「どうして、私をすぐに斬らなかったんですか?」
「あっ、それ、私も聞きたいわ。」
遅れて駆けつけたナンナも、後から聞いて驚いたのだ。リーフが切り掛かって来た時、何故アレスが防戦一方になって、しかもリーフを傷つけないようにしていたのか。斬らないまでも、動けないように怪我を負わせるくらいしていて不思議では無かったのに…。
すると、アレスは面白く無さそうに応えた。
「…ナンナが泣くから。」
「えっ?」
「はぃ?」
リーフとナンナは揃って首を傾げた。
「ナンナがお前の為に涙を流すのは面白く無い。」
リーフを睨みつけながら答えたアレスに2人は笑いを堪え切れなかった。
「ほんと我が侭なんだから…。」
「ふん。それも俺の魅力の一つだろ?」
困ったように、それでいて嬉しそうに髪を引っ張るナンナに、アレスは平然と開き直ってみせた。そんな2人を後目にリーフは空を見上げながら呟く。
「そっかぁ。私に何かあったら、ナンナは泣いてくれるんだぁ。」
「勿論、泣きますよ。この想いがどんな名前であったとしても、私にとってリーフ様が大切な人であることは昔から変わりません。」
アレスと出会ってリーフへの気持ちが恋とは違うようだと気付いたナンナであったが、それでもリーフの事は心配だし大切だと思っている。リーフに限らず、男女を問わず、親しくしている者に何かあれば、取り乱すに違いない。それがナンナだと解っているし、そういうところも愛おしい反面、彼女が他人のために涙を流す姿をアレスが面白くないと思うのもまた事実である。
「ふふっ、ナンナが泣いてくれるのは嬉しいけどね。でも、ナンナを泣かせるのは私が辛いから、何があっても生き抜かなきゃって思うよ。」
どさくさに紛れてナンナの隣に腰を降ろしたリーフは、そう言いながらナンナの肩に凭れて目を閉じた。そして、まだ癒えない疲れの所為かすぐに静かな寝息を立て始める。
「…大した度胸だな。」
自分の目の前でナンナの肩を枕に眠るリーフに、アレスは身体を起こすとナンナの隣に座り直した。そして彼女の首に手を回すと、それを自分の方へと傾けさせる。
そうして、トラキアの街外れで暗黒司祭が変死を遂げていたとの報告を持ってやって来たセリスは、3人が木陰で昼寝をしている姿を目にした。リーフがナンナの肩に凭れ、ナンナがアレスの肩に凭れ、そしてアレスが自分の肩に預けられたナンナの頭を枕にして気持ち良さそうに仲良く眠っている様子を目にして、セリスは吹き出しそうになるのを堪えてそっとその場を後にしたのだった。