不思議なトライアングル
イード砂漠を抜けて次々と仲間を増やした解放軍は束の間の休息の時を迎えていた。
「ナンナ、一緒に街へ行かないか?」
デルムッドはやっと再会した妹の姿を見つけて、声をかけた。まだ互いに実感は湧かないが、これまで離れていた分、少しでも多くの時間を共に過ごしたいと思ったのだ。
「はい。ちょうど修理屋さんに行こうと思ってたところですから…。」
ナンナがすぐに誘いに乗って来てくれて、デルムッドはとても嬉しかった。しかし、それじゃとばかりに隣に並ぼうとすると、ナンナはさっと踵を返してしまった。
「アレスも誘って来ますから、少々お待ち下さいね。」
そう言って走り出したナンナの後を追って行くと、彼女は木陰で昼寝をしていたアレスの手を掴んで引っ張っていた。
「ぃや、俺はいいって。今、修理代無いし…。」
「そんなのパティから貰えばいいでしょ。」
ちょうどパティが眼下を通りかかるのを見つけたナンナは、手を振りながら彼女を呼び寄せた。
「修理代? ええ、いいわよ。」
パティは快く自分の懐を探った。しかし、アレスは渋い顔をして受け取ろうとはしない。それを見てナンナはムッとした顔をしたが、パティは慣れているのか苦笑いするだけだった。
「いるのよねぇ、こういうプライド高い人。軍から支給されてるとでも思えないのかしら?」
「そんな無駄なプライドなんて捨てちゃいなさいっ!! 一流の騎士を気取るなら、何をおいても武器の手入れは万全にしておかなきゃダメよ。」
ましてやアレスは元傭兵なのだから武器の手入れの重要性は他の誰よりも解っているはずなのだが、彼を傭兵として見ないナンナは決してそのようなことは口にしなかった。
「そうは言うがなぁ…。」
ナンナの言い分が正しいことは解っているアレスだったが、傭兵稼業から足を洗った現在、解放軍から働きに見合った報酬を貰える訳でもなく、せいぜい戦闘が一段落した際に制圧した城にあった金を山分けされる程度である。それと闘技場での稼ぎなどたかが知れていた。
そんなやり取りを見ていたデルムッドは、やけに親しげな雰囲気と歯切れの悪いアレスの様子に我慢し切れずにナンナの肩を叩いた。
「無理にお誘いすることないだろう。2人だけで行こうよ。」
「あっ…。」
目の前でナンナを連れ去られて、アレスは焦った。しかし、伸ばしかけた手はそのまま行き場もなく半端な状態で静止し、2人は振り返ることなく立ち去ってしまった。
しばし空虚な時が流れ、パティがアレスの手を捻るようにしてその掌を上へ向けさせると、金の入った袋をそこへ乗せた。
「どういうつもりだ?」
「今なら追いつけると思うのよね。」
「えぇっと、その…。」
アレスの心の中で、ナンナとプライドが戦っていた。間もなく、その勝負はつく。
「サンキュ。」
「はい、毎度♪」
あれだけ渋っていたアレスにパティは嫌な顔一つせずに有り金を気前よく渡してくれた。それを受け取って、アレスはナンナを追いかけ横に並ぶ。
「やっぱり俺も行く。」
「解ればよろしい。」
ナンナは追い付いたアレスを快く迎えた。そしてその背中をポンと叩くと、複雑な表情のアレスと不満そうなデルムッドの間に挟まれて楽しそうに街へと歩き出したのだった。
修理屋に剣や杖を預けて、3人は修理が終わるまでの時間を潰すため街を見物し始めた。
「随分と活気があるわね。」
「ああ、ブルームはお膝元には圧政を敷いてなかったからな。」
アレスの言葉に、ナンナもデルムッドも納得した。デルムッドがこれまでに見て来た他の街と違って、生活物資以外にも装飾品や嗜好品それに玩具などの店も多く並んでいる。生活に余裕があるからこそ商売として成り立つのだろう。
「あ、ナンナ。あれ、可愛いと思わないか?」
「えっ、どれですか?」
デルムッドは前方の店に何かを見つけたらしく、ナンナの手を引いて「こっち、こっち」と走り出した。ナンナも嫌がる素振りを見せずに不思議そうな顔で大人しく後に付いて行く。
それを見てアレスはムッとしたが、慌てて走るのも格好悪いと思い、少々早足程度で彼らの背中を追って行った。すると、玩具店の店頭でナンナが掌にふっくらと丸いヒヨコのおもちゃを乗せてはしゃいで居た。
「この子が一番可愛いわ。」
ナンナは楽しそうに手の上のヒヨコを突つくと、ヒヨコは小刻みに揺れながらピヨピヨと鳴いた。
「ふふふ…。」
ナンナはそれを見て楽しそうに笑っていた。すると、デルムッドは店の者に声を掛け、その代金を払ってしまった。
「えっ!?」
ナンナもアレスもデルムッドのその行動に驚いた。
「俺からのプレゼントだよ。」
「いけません、そんなの。ちゃんと自分で払います。」
ナンナは慌てたが、デルムッドは財布を取り出そうとするナンナの手を押さえた。
「プレゼントさせて欲しいんだ。やっと会えた記念にさ。」
「ですが…。」
ナンナは遠慮しようとしたが、デルムッドはどうしてもプレゼントしたかった。
妹に何かを買ってあげるという行動で兄らしさを示したかったこともあるし、それはこれまでに何度も夢見て来た行為だった。昔から、ラクチェやラナが兄に何かを買ってもらった時に見せる可愛い笑顔や仕種と、スカサハやレスターが見せる誇らしげな顔に、妹に会ったら自分も何か買ってあげたいなぁと思っていたのだ。その妹がこんなに可愛い少女となれば尚更である。更に、実の兄より先に会った従兄の方に親しげな妹に、これを機にもっと頼って欲しいという願望もあった。少なくとも神器貧乏なアレスにはプレゼント攻撃など出来まい。ここがチャンスだ。
「俺達の間でそういう遠慮は無しにしようよ。そんな間柄じゃないだろう?」
デルムッドのこの言葉に、ナンナはしばし考え込んだ後はにかんだ様子で頷いた。
アレスは動揺した。この親しげな態度、気安く触りまくる行動、それに対し何も異を唱えないナンナ。その上、遠慮する間柄じゃないとは一体どういう仲なんだ、とデルムッドを睨み付ける。大体、ナンナもどういうつもりなのか。自分に気があるのかと思ってたらいきなり出て来た男と親しげにして、手を握られても嫌な顔一つしない。
アレスは面白くない気分で2人を見つめていた。これまで振ったことはあっても振られたことはないアレスにとって、ナンナのこの態度は腹立たしくもあり新鮮でもあった。しかし、既に自分がナンナに囚われていると認めるのは悔しくて、それ以上の行動には出られない。今のアレスに出来たのは、せいぜい雰囲気を壊す程度のことだった。
「おい、そろそろ修理終わってるんじゃないか?」
「そうね、行きましょう。」
あっさり返事をしてアレスの腕に手をやるナンナに、デルムッドはショックを受けた。
そして城へ戻るとリーフに呼ばれてあっさり走り去ってしまったナンナの背中を見て、アレスとデルムッドは揃って溜息をついたのだった。
その晩、アレスはナンナとパティが話しているのを偶然耳にした。
「何だか申し訳なくて…。」
「ナンナもお金には苦労して来てるもんね。でも、いいじゃない、買ってくれるって言うものは貰っとけば。」
「そういうものかしら?」
「いいお兄さんじゃないの。うちのお兄ちゃんなんか、あたしにお金をせびることはあっても何か買ってくれたことなんかないわよ。」
「でも、何だかお兄様ったら無理してたみたいなの。」
2人の会話にやっと謎が解けた。どうしてナンナが嫌がらなかったのか、相手が兄なら手を引かれても引っぱたいたりしないだろうしプレゼントに遠慮することもないだろう。そして、その割には兄妹に見えなかったことにもパティの次の言葉で合点がいった。
「焦ってるんでしょ。生まれてこの方離ればなれになってたその溝を埋めたいのよ、きっと。」
「それは私も思わなくもないわ。」
「でしょう? ましてや、やっと会えた妹が既に従兄に夢中じゃね。」
これにはアレスもドキッとした。ナンナが俺に夢中? リーフじゃなくて? そんな想いが駆け巡り、胸が高鳴って聞き耳に力が入る。
「や、やだ、パティったら!! 絶対に誰にも言わないでよ。アレスったら自分に惚れない女は居ないとでも思ってるみたいなんだもの。調子に乗らないように、絶対に向こうから告白させてやるんだからね。」
「はいはい、解ってるわよ。協力は惜しまないから頑張ってね。」
アレスは笑いを堪えてそっと立ち去った。他の女ならそんな手に誰が乗るものかと思って気持ちが冷めたかも知れないが、ナンナにああ言われると可愛いと思ってしまったのだ。恋に不器用そうなナンナが必死に意地を張ってると思うと、微笑ましくって仕方がない。そう考えた時、アレスは自分がナンナに囚われていることを素直に認められた気がした。
一方デルムッドはそんなこととは露知らず、明日はナンナを何処へ誘おうかなぁとわくわくしながら計画を練っていた。アレスとナンナにパティの協力がある限り何処へ誘おうとも決して2人きりになれることはなく、漏れなくアレスがついて来ることなど彼は想像もしていなかった。ましてや相談相手のレスターが親友より恋人の味方をして情報を流していることなど、知る由もなかったのであった。