彼女は多忙なり

大学に入ってから、ナンナの様子がおかしい。決して挙動不振ではないが、やたらと付き合いが悪くなった。
アレス自身もこの春に起こした小さな運送会社の経営を軌道にのせるために殆ど休みなしで働いているのでデートの機会が減るのは承知していたのだが、稀に取れた休みにナンナに誘いを掛けても返ってくるのはいつも同じような言葉ばかりだった。
「ごめんなさい。残念だけど、もう予定が入ってるの。」
以前のアレスなら、予定をキャンセルしてでも自分に付き合うように言ったかも知れない。だが、前日の就寝前ギリギリだの当日の早朝だのに誘ってる以上、あまり無理なことは言えなかった。それに、彼女が大学を卒業したらすぐに結婚という約束になっているので、友だちと遊んだり趣味に没頭したり出来るのは今の内だけなのだと、頭では理解しているつもりだった。
しかし、あまりにも会えない日が続くと、さすがにアレスも気が滅入ってくる。その様子に、トリスタンはそれが仕事に影響する前に何らかの手を打たないといけないだろうと、デルムッドに連絡を取ったのだった。

「……と言う訳なんだが、すれ違いの原因について、何か知らないか?」
「う〜ん、すれ違いって言うより、実際はナンナが休日の殆どをサークル活動に費やしてるのが問題なんだと思うんだ。」
デルムッドの話によると、ナンナはいろんなサークルを掛け持ちしているとのことだった。
「それって、やっぱり結婚前の遊び納めってことか?」
「そうかも知れないけど…。とにかく俺が知ってる限りでは、料理研究と園芸と釣りのサークルに入ってる。休日となると早朝から釣り場か学校に行ってて、夕方まで帰ってこないよ。」
「そうか…。」
トリスタンは受話器を持ったまま肩を落として溜息をついた。すると、電話の向こうでデルムッドが何やら考え込んだ様子だった。
「サークル活動のない平日の午後とかの方が、誘いに乗りやすいんじゃないかな?」
「えっ?」
「えぇっと、今、会社から掛けてる?」
「ああ。」
「それじゃ、会社宛にFAXでナンナのスケジュールを送るよ。それに合わせてアレス様の休みを捻出すれば無駄もなくなるでしょ。」

トリスタン達のおかげで、アレスは時々ではあるがナンナとデート出来るようになった。
デートに赴く度にアレスはナンナにサークルを掛け持ちして忙しくしている理由を聞きたいと思うのだが、実際に顔を見ると久しぶりに会えたその貴重な一時を楽しむだけで、結局聞けず終いとなるばかりだった。
そして結婚後、ナンナのサークル活動の意味を知ったような気がした。

会社の一画にお情け程度に設けられた住居スペースで、ナンナは料理の腕を振るった。その材料は、魚のアラやダイコンの葉っぱ、パンの耳などの元手の掛からないものを多く使い、それらをアレンジして多彩な食卓を演出していた。お客が来る時などは、自らが釣り上げた魚でもてなすこともあった。収穫期には箱庭の家庭菜園で作った野菜をふんだんに使う。
「こいつなりの花嫁修行だった訳か…。」
しかも、対アレス専用だろう。
そして今日もアレスは、ナンナの根性と愛情の籠った料理を幸せそうに食べるのである。
「美味しい?」
「ああ、最高だ。」
それがいつでもアレスの嘘偽りのない感想であった。

-了-

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