前夜祭
アレスは悩んでいた。
バーハラ城のテラスで丸テーブルとコーヒーポットを1つずつ独り占めして、ちびちびとコーヒーを啜りながら頬杖をついてじっと考え込んでいた。
「アレス、何か悩みがあるなら私に話してみてよ。」
「お前には関係ない。」
興味半分に声を掛けたセリスを追い返すと、アレスは更に考え込み続けた。
追い返されたセリスはアレスが何を悩んでいるのか大変気になったのだが、こんな時に彼の心を開かせることができる者は2名ともリーフに拘束されていた。
「3人でお茶を飲めることなどこの先ないかも知れないんですから、邪魔しないで下さいね。」
と言って部屋に鍵を掛けて他の者を閉め出し、リーフはフィンやナンナと楽しいお茶会の真っ最中だった。
仕方なく、セリスはまずオイフェをアレスの元へ向かわせた。しかし「お前などに用はない」と睨み付けられて、敢え無く玉砕。
次にシャナンを向かわせたが、話を反らされ互いに惚気話を交わした挙げ句、時間切れ。シャナンはラクチェとの剣の稽古に行かなくてはならなくなった。
それではとハンニバル将軍に頼もうとしたが、悩みを抱きそれを乗り越えることで成長することもある、などとセリスが説教されただけに終わってしまった。
こうなれば、とセリスはマンスターの勇者セティに望みをかけてみた。
「今度はお前か?」
「ええ、セリス様からアレス様の悩みの相談にのって欲しいと言われまして。」
「御苦労なこった。だがな、俺はお前なんかに相談する気は…。」
「私も聞く気なんかありませんよ。」
アレスの向いに腰を下ろし、彼が独り占めしていたポットから自分のカップにコーヒーを注ぐと、セティは冷ややかに言い放った。
「セリス様が見張ってらっしゃるので仕方なくここへ来たまでです。」
「何だと?」
「今の私は他人の悩みなどどうでもいい気分なんですよ。」
明日になれば、セティは一人でシレジアへ帰らなくてはならないのだ。そしてティニーもまた、一人でフリージへ行かなくてはならない。
「大変だな、お前達も。」
「あなた方と違ってシレジアは解放戦争の必要はありませんが、再建の名乗りを上げる時隣にティニーが居てくれたら、と思います。」
セティは遠い目をして言った。
「恋人と一緒に国に帰れるあなた方がうらやましいですよ。」
その瞬間、アレスはかなりの動揺を表した。セティはそれに気付いて何となく悩みの一端に触れたような気がしたが、無理に聞き出すのは止めた。とかくそんな気分ではなかったし、聞いたところで自分が相談にのれるような内容でないことは明らかだったからだ。
そしてアレスは自分の失態に敢えて突っ込んでこないことを選んだセティへの僅かな感謝の気持ちから、しばらく彼の愚痴を聞いてやった。
セティまでもが失敗したとなると、アレスの相談にのれるような人物はもう転がっていない。しかし、ここまでくるとセリスも意地になってくる。半分だった興味はもはや本意へと変わり、悩みの原因を聞き出すことだけに燃えて、次の人選に取りかかった。
そしてまず、ちょっとは気心の知れているデルムッド達を向かわせた。しかし、あっさり追い返されてしまった。
ならばと目線を変えて、コープルを送り込んだ。さすがのアレスもビクビクしながら話を切り出した幼い司祭様を怒鳴りつけることは出来なかった。
「ふんっ、神父なんかに用は…いや、今のところはないな。」
「あの、それではもしもお役に立てる時が来ましたら、その時は遠慮なく仰って下さい。」
などと結構意味ありげな会話をしてコープルは戻って来たが、彼がアレスの言葉を読み取れなかったためセリスにこの意味深な言葉が伝わることはなかった。
やけになったセリスは、ヨハルヴァ・レスター&パティ・ユリアなどを次々と送り込んだが全て失敗。ついに、アルテナまで駆り出されることとなった。
「どいつもこいつも…。」
「まったく、セリス様にも困ったものですわ。」
「言っておくが、あんたにも話す気はないぞ。」
「ええ、わかっておりますわ。人除けのお守り代わりとでも思っていて下さい。」
確かに、アルテナと茶飲み話をしている分には他の者は寄り付かないだろう。2人揃って近寄りがたい雰囲気を醸し出している。くだらない用件で割り込んでくるような者は現われまい。
アレスはアルテナに多少興味があったので、これを機会に少し話をしてみることにした。お互い、幼少の頃は確かにそこで暮らしていたとしてもほとんど実感の湧かない国へ帰るのである。立場は違うが、それぞれ重い過去を背負ってちょっとしたわだかまりを抱きながらの帰国となる。その辺のところを彼女はどう整理を付けたのか、聞いてみたくなった。
アルテナもアレスの問いに答えながら逆に彼の考えをうまく聞き出していった。
真剣に話しをしている2人の姿に、セリスは今度こそ成功したかと小さくガッツポーズをしたのだが、戻って来たアルテナからは「はぐらかされました」と言われたのだった。実は話の中ではアレスの現在の悩みも掠めていたのだが、面白がってるセリスに伝えるべきではないと判断したアルテナは白を切ったのである。
そして夜、帰国前の大宴会が催された。
宴もたけなわとなり、朝からさんざん悩み抜いたアレスはついに意を決してフィンとナンナの元へ向かった。
共に育った幼馴染みも明日には離ればなれとなって各国へと旅立って行く。そこで宴の席は基本的には幼少の頃暮らした仲間同士で固まっていた。多分に漏れず、フィンとナンナはリーフと共に居た。
「ナンナのことであなたに話があります。」
アレスはフィンにそう言いながらレンスター席に乗り込んだ。
「場所替えをした方がよろしいですか?」
フィンはリーフに聞かれたくない話かと気づかったが、リーフが即座に
「話ならここでしてもらえばいいじゃないか。アレス殿にやましいことでもあるなら別だけど。」
と言うので、アレスは堂々と言い返した。
「いや、ここでいい。聞きたかったら、勝手に聞いてるがいいさ。」
ここまで来た以上、今さら場所替えしてタイミングを外してしまうと挫けそうだった。アレスは深呼吸すると、フィンに向かってはっきりと告げた。
「今さらこんなことを言うのは間が抜けてると承知しているが、明日俺がナンナと一緒にアグストリアに行くにあたってあなたに俺とナンナとの結婚を認めていただきたい。」
既にアレスとナンナは事実上夫婦である。正式な婚礼を挙げたわけではないが、今さら認めるも何もあったものじゃないし、だからこそ明日ナンナはアレスと一緒にアグストリアに行くのだ。それを今ここで認めて欲しいと申し入れるのは、どういうことなのか。その真意を即座には計り兼ねて、フィンは返答できずにいた。
「本当に間抜けな話ですね。」
「リーフ!」
「だって、姉上もそう思われませんか?」
「お黙りなさい。あなたが口出しすることではありません。」
アルテナにはアレスの申し出の意味がわかっていた。確かに事実上結婚しているとはいえ、ナンナの父親は今目の前に居り、これまでナンナはずっと父親と共にあったのだ。その親元から娘を連れて行くのにまったくの挨拶なしで良いのか、アレスは帰国目前となってそこに気付いてからずっと悩み続けていた。今さら言っても仕方がないことや間が抜けてることを、敢えて言うべきなのか。そして何と言うべきなのか。
「どうなさったの?さぁ、ナンナの父親としてのお答えをどうぞ。」
アレスはアグストリアの未来の統治者としてではなく一人の青年として、レンスターの騎士ではなくナンナの父親に、ナンナとの結婚を申し入れているのだ。間が抜けていることを承知の上で、その馬鹿馬鹿しさと恥ずかしさに耐えながら。
アルテナの言葉に促されて、フィンはアレスに返答した。
「娘をよろしくお願いします。」
「ありがとう。」
アレスがホッとしてナンナの方を見ると、ナンナはポカンと口をあけて2人を眺めていた。そして照れ笑いにも似た力ない微笑みを浮かべたアレスの姿にハッと我に帰り、ナンナは少しはにかみながら嬉しそうに頷いた。