愛おしいひとのために

フリージ城を制圧した解放軍は、ユリウスとの最終決戦に向けて準備を進めていた。
そんな中、バーハラからイシュタル率いるバーハラ兵部隊とそれを追うようにファルコンナイトが出撃したという情報が入った。セリスは対ユリウスの作戦を練ることを一時中断し、この地で彼等を迎え討つべく仲間を城の一室に集めた。
「恐らく歩兵部隊は正面から、ファルコン部隊は城の背後を突いてくるだろう。」
レヴィンやオイフェは敵の進路をそう予測した。それを受けて、セリスは基本的にバーハラ兵は歩兵で迎え撃ち、ファルコン部隊は騎兵で対処という部隊分けを行った。
「騎兵の指揮はアレスに、歩兵の指揮はシャナンに任せるよ。リーフは私を補佐して柔軟に対応して。」
指名された3人は黙って頷いた。
「そしてセティは別働隊として、イシュタルが近付いて来たら彼女を…。」
セリスは少し苦し気に、セティに向かって口を開いた。
「フォルセティで、ですね。」
武器の相性や個人の能力を考えるとそれが最善の策だと分かっていても、セリスはセティにイシュタルを討つよう指示することにためらいを覚えた。恋人が姉とも慕っている人をその手で討てなどと告げるのは、果たして正しいことなのだろうか。
軍を率いる者として、その判断は正しい。私情を交えず最善の策を立てることは、上に立つ者の責任と言ってしまっても良い。しかし、解放軍のメンバーはセリスの部下ではないのだ。
セリスは迷いを持ったまま、セティの言葉を肯定した。
「うん。」
「承知しました。」
セティは当然のことのように受け止めて、静かに頷いた。

夜も更け、イシュタルとの対戦に備えて早めに休もうかとセティが眠る支度を整えた頃、部屋の扉が遠慮がちにノックされた。それに続いて、小さな声で名を呼ばれ、セティは慌ててティニーを部屋へ招き入れた。
「あの…明日、私もセティ様と一緒に…。」
ソファに並んで腰を下ろすなり、ティニーは震える声で話を切り出した。
「セティ様が戦われる前に、姉さまとお話したいんです。」
「イシュタルを説得すると言うのか?」
ティニーは黙って頷いた。
「皆さんに御迷惑をお掛けすることは分かってるんです。」
ティニーは歩兵部隊唯一の魔道士である。もちろん、コープルやラナもクラスチェンジにより攻撃魔法を使えるようにはなっているが、護身用にも不十分な腕前であるため半端に攻撃できる方がよっぽど危険だというセリスの判断の元、戦場では魔道書を所持していない。
「それに、セティ様に多大な負担を強いることになるのだということも。でも、どうしても姉さまとお話したくて…。」
ティニーがイシュタルの元へ向かう時、そして彼女と話している時、いったい誰がティニーの身の安全を保証するのか。イシュタルが説得に耳を貸さず、剰えティニーに向かってトールハンマーを放ってきたら、いったいどうなるのか。
「ごめんなさい。私の我が侭でセティ様を危険な目に遭わせることになると分かっているのに、諦めることが出来ないんです。」
そう言うと、ティニーはセティの胸にそっと顔を埋めた。
セティはティニーを優しく受け止めると、囁くように言った。
「謝ることはない。私はむしろ嬉しいよ、君が我が侭を言ってくれるなんて。」
「でも、本当にただの我が侭でしかないんです。その所為でセティ様に…。」
こぼれ落ちそうな涙を浮かべて顔を上げたティニーの唇にセティはそっと指を立てて彼女の言葉を遮った。
「いいんだよ、それで。それを叶えてあげられることは、私にとって大いなる喜びなのだから。」
ティニーは潤んだ目でセティを見つめた。
「君は私にもっと我が侭を言ってくれていいんだ。もっとも、フィーのようにまでなってもらっては困るけどね。」
茶目っ気を含めて微笑んだセティに、ティニーはクスッと微笑み返すと再びセティの胸に顔を埋めた。
「こんなことを言える相手に、セティ様に出会えて、ティニーは幸せです。」
そう言うと、ティニーは気が抜けたのかそのままセティに凭れ掛かって静かに寝息を立てはじめた。
セティは彼女を起こさないようにそっとベッドへ運び込んだ。
「私も君に出会えて幸せだよ、ティニー。」
そう言って額にキスを残して離れようとして初めてセティは気付いた。ティニーはセティの服をしっかりと掴んでいたのだ。
しばらく考え込んだ後、セティはそっとティニーの隣へ滑り込んだ。

翌朝、ティニーはセティのベッドを半分占領していたことに恐縮しながら目を覚ました。その後、何くわぬ顔で朝食を取りにいった2人は、食後の最終ミーティングでティニーの希望をうったえた。
「今さら、イシュタルがお前の説得に耳を貸すとでも思うか?」
レヴィンが割り込んだ。
「ダメかも知れません。でも、もしかしたら…。」
「無駄だ。彼女はユリウスの為に戦っている。背後にユリウスを置いては決して引かぬ。」
ティニーはレヴィンの言うことをもっともだと思った。しかし、だからと言って諦められるものなら、夕べの時点で諦めている。
「それに、お前は愛しい者の目の前で、その者が姉とも慕う者にとどめを刺せると言うのか?」
レヴィンの鉾先はセティにも向けられた。
「何を今更…。私がイシュタルを葬る役を担ったことは周知の事実なんですよ。」
セリスとレヴィンは、セティの言わんとしているところを覚って目を伏せた。
「後は、ティニーがその目で一部始終を見届けるか否か。どちらを選ぶのもティニーの自由です。」
「だが、イシュタルと話すと言う彼女を守りきれるのか?」
万一の時、彼女のトールハンマーを相手に他人の身まで守ることなど、いくらフォルセティの加護があっても容易いものではないはずだ。
「守りますよ。何があろうともティニーと自分の身は守ってみせます。」
ティニーはもちろん守る。その所為で自分がどうにかなったらティニーが悲しむから、自分も守る。そう言い切ったセティに、レヴィンはこれ以上の説得を断念した。
「…お前の言いたいことは分かった。それで、シャナンの方はどうなのだ?」
レヴィンは、交渉相手を歩兵部隊の責任者であるシャナンに切り替えた。セリスもシャナンにティニーを止めてくれと視線で訴えた。
しかし、その横に座っていたラクチェがすかさずシャナンに捲し立てた。
「例え魔道士の援護がなくても、私達がいればバーハラ兵くらいどうにでもなります。心残りのあまり集中力が散漫になった魔道士など、むしろ足手まとい。ならば、ティニーの気の済むようにさせてあげて下さい。」
一息に言い切ってシャナンの返事を待つラクチェをしばらく見つめた後、シャナンは溜め息をつくようにしてラクチェに告げた。
「確かになんとかなるとは思うが、あまり自信過剰にはなるなよ。お前が私の傍を離れて戦ったりしないと約束するなら、彼女をメンバーから外すのを許可しよう。」
「お約束します!絶対に突出したりしません!!」
即座に力強く約束するラクチェに、果たしてどこまで信用出来るものやらと思いながら、シャナンはレヴィン達の思惑を裏切った。
「そう言う訳だから、私もティニーの気持ち次第と言っておこう。」
当事者達が納得しているのなら、セリスもティニーに残るよう無理強いする訳にはいかなかった。作戦の遂行に支障が出るなら話は別だが、部下ではない者に頭ごなしに命令する訳にはいかなかったのである。
そうして、決戦の火ぶたは切って落とされた。

シャナン達が正面の敵を一気に蹴散らした隙を付いてイシュタルの元へ駆け寄るべく、セティとティニーは機会をうかがった。
正面からバーハラ兵を受け止めて前線を支えたシャナン達は、そのまましばらく相手が仕掛けてくるに任せて進軍を控えた。そして、敵の数がある程度減ったところでシャナンから合図が出た。それを受けて、シャナンとスカサハに脇を固められたラクチェが、真正面から敵の中央に切り込んだ。
「今よ、二人とも!!」
ラクチェの声に、ティニーはセティのマントの下に完全に潜り込んだ。周りが全く見えない状態で、セティが必ず無事にイシュタルの元へ導いてくれると信じて、ティニーは全速力でセティにへばりつくようにして走って行った。
マントが払い除けられた時、ティニーの目にイシュタルの姿がくっきりと映った。
「…姉様。」
驚いたようにティニーを見つめるイシュタルに、ティニーはゆっくりと近付いていった。
「イシュタル姉様、もうやめて下さい!姉様はわたしに優しくして下さいました。こんな戦いなど望まれていないはずです。」
「そうね。私は間違っているのかも知れない。だけど、ここで退く訳にはいかないの。」
「姉様!」
目に涙をいっぱいに浮かべて訴えかけるティニーに、悲しそうな顔でイシュタルは答えた。
「ねえ、ティニー。もしも今、私があなたにそこを退くように言ったら、あなたはどうするのかしら?私がその男にトールハンマーを叩き込もうとしているとわかっていて、あなたは私の言うことを聞いてくれるの?」
ティニーは、彼女達を守るために孤軍奮闘しているセティを振り返った。
「例え姉様でも、セティ様に危害を加えようとしている人に道を譲る訳にはいきません。」
「私も同じよ。ユリウス様に危害を加えようとしている人に道を譲る訳にはいかないの。」
「だったら、どうしてそんなに悲しそうなお顔をなさっているのですか!?」
同じことを答えているのに、毅然としてイシュタルを正面から見て言ったティニーと違ってイシュタルはティニーから視線をそらして言っていた。
「きっと、あなたと違って自分の行いが正しいと信じ切れないからでしょうね。それでも、私は退くことは出来ない。貴女達をこれ以上先へ進ませる訳にはいかない。例えティニー、可愛いあなたをこの手に掛けることになったとしても。」
イシュタルは、トールハンマーの魔道書を抱えなおした。
「さあ、ティニー。雷神イシュタルの最後の戦い、その目でしっかりと見届けなさい!」
イシュタルは苦し気に呪文の詠唱を始めた。かつては畏れを、そして昨今は恐れを感じさせて雷神と呼ばれた彼女が、今のティニーの目には哀しい女性に映って仕方がなかった。二律背反の状況下で、それでもユリウスの為にトールハンマーを振るおうとイシュタルは懸命に呪文を唱えていた。
そんなイシュタルの目の前で、ティニーは為す術もなく佇んでいた。無力感に苛まれ、足元が崩れそうになった彼女をいつの間にか傍に来ていたセティが支えた。
「セティ様、姉様を楽にして差し上げて下さい。せめて、これ以上苦しまないように…。」
それは、フォルセティ解放の為の合図だった。
「すまない、君に引き金を引かせるつもりではなかったのに。」
「謝らないで下さい。私が決めたことです。」
ティニーと心を同調させながら、セティはフォルセティの呪文を唱え始めた。
「くらえっ、トールハンマー!」
強大な雷光玉が2人の元へ届く前に、彼等の周りを吹きまく風がコースを反らした。そのまま更に風は荒れ狂い、そしてイシュタルの身体を吹き抜けて静かになった。
事切れる寸前、セティに寄り添ってしっかりと自分の最期を見届けるティニーの姿を瞳に焼きつけ、ユリウスの元へ心を飛ばしながらイシュタルは散っていった。

2人が城へ戻ると、既に他の敵も全て片付けられていた。
「無事に戻ったか。」
珍しく外をうろつき顔を見るなりホッとした様子を見せたレヴィンに、セティは今頃になってやっと「もしかしてこの人は私のことを心配してたのか?」と思った。
「御心配をお掛けして申し訳ありませんでした。」
「別に俺は心配なんかしてないぞ。ただ、万一のことがあってフュリーに化けて出られると面倒だと思っただけだ。」
素直じゃないな、と思いつつポーズを崩したこの隙にちょっと苛めてしまおうかと悪戯心を起こしたセティは、レヴィンの言葉に突っ込みを入れてみた。
「母上は、化けて出るような方でしたっけ?」
「いや、あいつは絶対そんなことはしない!!」
レヴィンは慌てて否定した。
「だから、その、そうだっ、お前に何かあってフィーにぎゃんぎゃん騒がれると喧しいと思っただけだ。」
「まぁ、そういうことにしておきましょうか。」
ティニーと2人でクスクス笑いながらその場を立ち去ったセティは、心の片隅でレヴィンに感謝した。イシュタルの最期を見届けて沈みがちになっていたティニーにとって、レヴィンの醜態は良い気晴らしになったのだから。
そして、この後ユリウスとの最終決戦が控えていることも忘れて、いや、それより前に夕べティニーがセティのベッドで休んだと知ったフィーとアーサーが誤解してセティに天誅を下してやろうと手ぐすね引いて待っているとも知らず、2人は軽い足取りで城門をくぐったのだった。

-了-

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