First Valentine

バレンタインデーのお昼過ぎ。士官学校の寮は大騒ぎだった。
普段はお淑やかな令嬢達もこの日ばかりは大胆になり、身分差ゆえに遠目に眺めるしか出来ない相手にもアプローチを試みる。
その結果、面会にやって来る者多数。寮宛に届けられる荷物は山程。多分に漏れず、シグルド達の元にも大量のチョコレートが送られて来た。
彼等の反応は様々だった。
シグルドはカードと中身を分類してリストを作り始め、エルトシャンは中身を確認してはチョコをシグルドの机に積み上げてカードを片っ端からゴミ箱に放り込み、キュアンは困惑した顔で2人の様子を眺めていた。
そして、そんな中にエスリンが面会にやって来た。
エスリンは、シグルドには小さなチョコを渡し、エルトシャンには「いつも兄上がお世話になってます」との言葉と共にウイスキーのミニボトルを渡した。そして、キュアンのところに行くと大切そうに抱えて来た箱を差出したのだった。
「あの、これ…。」
嬉しそうに、それでいてどこか不安そうな表情を浮かべて差出された箱を受け取ったキュアンがその場で箱をあけると、中には小振りのチョコレートケーキが入っていた。
「ああ、これは美味しそうだな。それじゃ、早速これでお茶にしようか。」
そう言ってシグルド達の方を振り返ったキュアンを見て、エスリンは表情を陰らせた。同時に、シグルドも目つきが険しくなる。
「エスリンも一緒に…。」
再びエスリンの方を見たキュアンは、そこで言葉を詰まらせた。
「どうしたんだ、エスリン?」
「どうって…。だって…。」
ショックのあまり、エスリンは上手く言葉を紡げなかった。
キュアンはエスリンの様子がおかしいのを見て、ケーキを机の上に置くとエスリンに向って手を伸ばした。
「何かあったのか?」
優しく問いかけるキュアンに、エスリンは低く呟いた。
「私のことなんて…。」
「えっ?」
不思議そうに顔を覗き込もうとするキュアンの前でエスリンが手を振り上げた。しかしその手をシグルドが掴み、代わりにキュアンを殴りつける。
「お前が殴る価値もない。」
驚くキュアンとエルトシャンを残して、シグルドはそのままエスリンを引っ張って出て行った。

「何でも好きなもの頼みなさい。」
エスリンの手を掴んだまま周りの目も何も一切気にせずに厩舎まで行き、有無を言わさずに街までやって来たシグルドは、エスリンを連れて馴染みの店に入った。そこで、デザートメニューをエスリンに示す。
しかし、エスリンは唇を引き結んだまま俯いている。
仕方なく、シグルドは自分のお勧めをいくつか注文すると、しばらくエスリンをそっとしておくことにした。間もなくデザートや飲み物が運ばれて来たが、それらをエスリンの前に置かせて、自分は黙ってコーヒーだけ啜っている。
「エスリン!」
シグルドは、適当なところでチョコパフェのクリームを一匙掬うと、ふいにエスリンの名を呼び、驚いて顔を上げた彼女の口に放り込んだ。
「…甘い。」
エスリンは小さく呟いた後、声を殺して泣き始めた。
「いいよ、エスリン、思いっきり泣いても。とやかく言うような者は周りに居ないし、居ても私は一向に気にしないから。」
店の奥の席で、エスリンは他の席に背を向けて座っている。泣き声を聞いてこちらを見た者の目に入るのはシグルドだけである。だが、別れ話のもつれと見られようが何と言われようが、シグルドは気にする性格ではなかった。
「泣いて、喚いて、嫌なことは全部外に出してしまいなさい。」
「兄上〜。グスッ…グスッ…、ヒック…ヒック…。」
それからしばらく、エスリンは泣き続けた。途中で何度も「私ったら莫迦みたい」と繰り返しながら。
少し落ち着いて来ると、エスリンはシグルドが自分の為に注文してくれたデザートを食べ始めた。チョコパフェは溶ける前にシグルドが食べてしまったが、プリンやケーキを食べながら、エスリンは兄の優しさを飲み込んだ。
「他に食べたいものがあったらいくらでも頼んでいいからね。泣くとお腹空くし、私に遠慮なんて要らないよ。」
「ありがとう、兄上。」
シグルドの勧めにエスリンはそう答えたが、シグルドが頼んでくれたものだけで充分だった。少しずつゆっくりと、元気を取り戻して行く。

一方、いきなりシグルドに殴られて置き去りにされたキュアンと目の前の出来事に驚いて立ち尽くしていたエルトシャンは、ハッと我に帰ると現状の把握に努め始めた。
「エスリン、泣きそうな顏してた。」
「シグルドの奴、随分と腹を立ててたな。」
前後の状況と、彼等の反応を思い返しながら、キュアンとエルトシャンの分析は続く。
「何度思い返しても、お前がそのケーキで「お茶にしよう」と言った時に2人の態度が急変したようにしか思えないんだが…。」
「でも、エスリンの差し入れでお茶するのはいつものことじゃないか。」
勿論、キュアンが一等大切れで他の者はお裾分け程度になるのだが。
結局、2人の議論はそこで堂々回りをしていた。そこへ、通りすがりの寮生の声が掛かった。
「皆様、さすがにおモテになられますねぇ。」
部屋の扉が開けっ放しになっていたため、彼等の机の上や足元の箱に大量に積み上げられたチョコが彼の視界に入ったらしい。見せびらかしやがって、という不快感を露にしながら、彼は言葉を続けた。
「それで、お好みのタイプはいらっしゃいましたか?」
「何のことだ?」
エルトシャンが睨み付けるようにして聞き返す。
「ですから、そのバレンタインチョコのことですよ。」
2人には全然意味が判らなかった。顔を見合わせると、件の寮生を部屋に引きずり込んで根掘り葉掘り情報を聞き出す。
話を聞き終えて彼を解放した後、キュアンとエルトシャンはやっとあの2人の態度が急変した理由を理解した。
「どうしよう。早く、エスリンを探して誤解をとかなきゃ…。」
「おいっ、待て。あれからかなり時間が経ってる。闇雲に走り回っても見つからないぞ。」
キュアンは慌てて部屋を飛び出そうとしたが、エルトシャンが引き止めた。
「あの様子だと、多分シグルドはどこかでエスリン嬢を慰めてるだろう。」
「ってことは、シグルドのやりそうなことを考えればエスリンの居場所に行き当たるってことか?」
「そうだ。」
2人はシグルドの今までの行動パターンを思い返した。
あれこれ考えていて、エルトシャンが呟く。
「甘味処、か。」
「えっ?」
「あいつのことだから、甘いもの食べまくって嫌なこと忘れろ、とか言ってるんじゃないか?」
まさか飲みに連れてく訳にもいかないだろ、と言われて、キュアンはポンっと手を打った。
それから2人は、シグルドがよく利用している店を片っ端から回ったのだった。

「エスリンっ、やっと見つけた!」
7件めの店でシグルドを発見したキュアンは、駆け寄ってエスリンの姿を見つけるとホッとしたような顔をした。だが、キュアンの手がエスリンの肩に触れる前に、シグルドが2人の間に立ちはだかる。
「キュアン…。何しに来たんだ?」
「勿論、エスリンに謝りに。」
「謝って済むと思ってるのか!どんな理由があれ、君はエスリンの手作りバレンタインチョコを他の者の口に入れようとしたんだぞ。しかも、目の前で。」
そんなシグルドに、キュアンの背後からエルトシャンの冷ややかな声が掛けられる。
「その理由が、バレンタインデーを知らなかった、ってことでもか?」
エルトシャンの言葉に、シグルドとエスリンは目を丸くした。
「レンスターにはチョコを贈るどころか、バレンタインデーそのものがないそうだ。」
それを聞いてエスリンはシグルドを押し退けてキュアンの目の前に立った。
「本当に…?」
エスリンの問いに、キュアンは静かに頷く。
「何処の国でも風習が同じだと思ったら大間違いだぞ。うちの国では、男が女に花を贈る。その証拠に、ラケシスからのチョコがなかっただろ?」
それを言われては、シグルドもエスリンも認めざるを得なかった。
「あの、私…。」
「すまない、エスリン。私の無知が君を傷つけてしまったんだな。」
何か言いかけたエスリンに、キュアンが謝った。
「あのケーキ、絶対に他の奴の口になんて入れない。例えそれがシグルドでもだ。箱についた欠片の1欠けまで、大切に食べさせてもらうよ。」
「キュアン…。」
再び涙腺の弛んだエスリンを、キュアンは優しく抱き締めた。そっと元の席に座らせると自分も横に腰を下ろす。
「やれやれ、世話が焼けるな。」
「ごめん、エルト。」
溜息をつくエルトシャンに、シグルドはお得意ののほほんとした笑顔を向けると、自分の隣の席に誘った。
「おわびに好きなもの奢るよ。」
「そういう台詞は酒場で聞きたいものだな。」
残念そうに呟くと、エルトシャンはコーヒーだけ頼む。
こうして、彼等のバレンタインデーは幕を閉じたのだった。

-End-

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