夏が運ぶ恋

士官学校が夏休みに入った。
履修科目によって、実際に休みに入る時期は少々ズレる者もいるが、シグルド・キュアン・エルトシャンの3人は休み前の最後の授業が共に履修している科目だったので、同時に夏休みに入った。
「俺は先に帰る。」
そう言い残すと、ちんたらと帰り支度をしているシグルドにしびれを切らしてエルトシャンは愛馬と共に素晴らしいスピードで寮を後にした。
「あはは…。エルトったら、せっかちだなぁ。」
「お前はのんびりし過ぎだ。まぁ、あいつの場合は今は一刻も早く妹に会いたくて特に気が焦ってるんだろうけど…。」
前々から準備をしていたにも拘らず、未だに帰り支度が整っていないシグルドの荷造りを手伝いながら、キュアンは呟いた。
「しかし、本当に私が一緒でいいのか?」
「平気、平気。別に人口が1人増えたからって困らないくらい部屋はいっぱいあるし、私の親友が突然滞在することに何の問題もないよ。」
キュアンが心配している本当の理由などには全く気付かず、シグルドは笑いながら荷物を詰め込むと、彼と共にシアルフィへの帰途についた。

見張りからの知らせを受けて、エスリンの元へオイフェがシグルドの帰還を知らせに来た時、エスリンは剣の鍛練の最中だった。
「あら、兄上ったら随分とお早いお帰りね。」
エスリンは士官学校が夏休みになる時期はかなり前にシグルドからの連絡を受けて知っていたが、あの兄のことだから寮を出られるようになるまでに何日か掛かるだろうと考えていたのだ。それがどうやら休みになってすぐに帰って来られたらしい。
その驚きのあまり、エスリンはオイフェの話を皆まで聞かずに出迎えに走った。
「お待ち下さい、エスリン様!!」
慌ててオイフェも後を追ったが、そこは体格の差も大きかった。見る見る間にエスリンはオイフェの視界から姿を消した。
ホールに飛込んだエスリンは、そこに兄以外の人物を見つけて驚いた。しかし、シグルドの方は、そんな妹の様子に気付くことなくにこやかに笑いかけた。
「あ、エスリン、ただいま〜。」
「…お帰りなさいませ。」
一瞬固まった後、エスリンはどうにか口先だけで挨拶を返した。しかし、失礼だとわかっていても視線はキュアンの方をちらちらと向いてしまう。そんな視線に気付いたのかどうかはわからないが、シグルドはキュアンの方を向くとエスリンを指差しながら言った。
「えぇっと、紹介するね。これが妹のエスリン。」
「兄上、"これ"とは何ですか!?」
即座にエスリンから紹介の仕方にクレームがついたが、シグルドは素知らぬ顔で今度はエスリンの方を向いてキュアンを紹介した。
「名前くらいは手紙に書いたことあるから知ってると思うけど、彼は私の親友でキュアンだ。夏休みの間、うちに滞在することになったから宜しくね。」
「キュアン・アルト・ノヴァ・レンスターです。お会い出来て光栄ですよ、エスリン公女。」
キュアンに騎士の礼をもって挨拶をされて、慌てて挨拶を返そうとしたエスリンは今の自分の服装がドレスではなかったことに気付いて手の行き場に困った。これが普通の令嬢だったら真っ赤になって俯き、周りの者に助けを請うような視線を巡らせるところだ。しかし、エスリンの度胸は普通の令嬢とは比べ物にならなかった。
「エスリン・ティア・シアルフィです。どうぞ、エスリンとお呼び下さい。こちらこそお会い出来て光栄ですわ、キュアン様。」
何と、エスリンはまるでドレスを纏っているがごとくスカートを持ち上げるような素振りをして、貴婦人の礼を返したのだ。シグルド達は彼女の周りにドレスの幻影を見て目を瞬いた。
そして、これらの様子を離れたところで見聞きしながら別の意味で背筋を冷やした者が居た。エスリンを追って走って来たオイフェである。彼は、キュアンの名乗りを聞いてその身分に気付いたのだ。
どこの国であろうとも、聖戦士の名をファミリーネームの前に冠することが出来るのは該当の神器を使う資格のある者のみ。まだ幼い彼の耳には他国の王族の名前まで全ては入って来ていなかったが、彼がレンスターの王太子であることはその名から明白である。
他国の王太子の滞在。それは、城に仕える者達にとっては大変なことである。しょっちゅう自分の身分を忘れるシグルドは単に友達を連れて帰って来ただけのつもりかも知れないが、他の者からすれば「くれぐれも失礼があってはならない相手」なのだ。
オイフェはすぐに、各所にキュアンのことをふれて回った。

キュアンの心配は杞憂に終わった。
あの時、物陰にいるオイフェに気付いて彼に聞かせるようにして名乗ったことに対し、オイフェはキュアンの期待以上の働きを見せたのだ。シグルドの自慢話は決して誇張ではなかったことを、オイフェはこの一件で証明した。
シアルフィ城の者達は素晴らしく柔軟性に富んでいた。表面上はシグルドの友人としてあまり堅苦しくなく、しかし決して失礼の無いようにと城の者達は細心の注意を払ってキュアンに対応して、そして日数がだいぶ過ぎた。
キュアン達はエスリンの焼いたカップケーキを食べながら、シグルドの部屋でお茶会に興じていた。
「う〜ん、やっぱりエスリンのお茶菓子は最高だね。」
「兄上は何を食べてもそう仰るのよね。キュアン様は如何でした?お口に合いましたかしら?」
「ええ、とても美味しいですよ。」
そう言いながら、キュアンはテーブルの真ん中に置かれた皿の上にある最後の一つに手を伸ばした。しかし、同時にシグルドの手も伸びる。
「あっ…。」
同時に伸ばされた手はケーキの上で一度ぶつかり、そして素早く再び伸ばされたキュアンの手が、ケーキを自分の皿にさらっていった。
「私の勝ちだな。」
『連続』と『追撃』の差で、軍配はキュアンに上がった。
「キュアン様って、意外と子供っぽいところもお有りだったのですね。」
エスリンは、ここ数日の間、何かとシグルドのドジっぷりをカバーしているキュアンの様子を見ていて、彼のことを頼りがいのある大人だと思っていた。周りによく目が利いて、訓練では兄を軽くあしらって…。しかし、今目の前で繰り広げられた茶菓子の取り合いは、そんなイメージとはかけ離れたものだった。
「ははは、このお茶菓子があまりに美味しいので、つい…。」
「そ、そうなんですか?」
それだけでは説明がつかないくらい見事な奪取ぶりだったが、エスリンはそれ以上追求するのはやめておいた。
だが、これで少しキュアンのイメージが変わったことは確かだ。とは言え、それは決して悪い方向へではなかった。今まで憧れのお兄さん的な気がしていたのが、急に等身大の男性へと変化したのだ。
「ほら、シグルド。半分返すよ。」
極まり悪かったのか、キュアンはカップケーキを2つに割るとシグルドの皿に片方を乗せた。
「これを一人で食べたらバチが当たりそうだからな。」
「あはは…。キュアンのそういうとこ好きだよ、私は。」
キュアンは半分本気だったが、残りの半分はエスリンの手前少々格好をつけているのであった。さすがにシグルドもそれに勘付いている。周りから鈍いのトロいのと散々な言われようだが、仮にもルームメートで親友である。普段と違う様子から、キュアンがエスリンを意識しているのはシグルドの目には明らかだった。
時々ボロを出してるようだけど、この貴公子ぶりっ子と公女ぶりっ子は果たしていつまで続けられるかな、と少々意地悪なことを考えながら、猫を被りつづける2人の様子を楽しそうに眺めるシグルドであった。

キュアンのことを今までと違う形で意識し始めたエスリンは、これまで以上に猫の被り具合を強化した。
頼り甲斐のある兄を慕う妹のようだった振る舞いを改め、年頃の姫としての振る舞いを心がけた。当然のことながら、その装いも大人びたものへと変わっていった。
エスリンの態度がよそよそしくなったのを見たキュアンは、せっかく慕ってくれてたみたいだったのに先日の一件で呆れられてしまったのかと落ち込み気味になった。シグルドは「あの程度で呆れるようなら、私なんかとっくに愛想を尽かされてるよ」などと言って笑っていたが、それは何の慰めにもなっていなかった。
気晴らしにとシグルドに遠乗りに誘われて厩舎へ向かう途中、キュアンは向こうからエスリンが歩いてくるのが目に入った。何やら危なっかしい足取りでふらふらとしているので、具合でも悪いのかと心配しながら足早に進んで行くと、そんなキュアンの姿を目に留めた次の瞬間エスリンは転倒した。
「大丈夫ですか?」
慌てて駆け寄って辛うじてエスリンが廊下と仲良くなるのを防いだキュアンは、彼女を助け起こしながら笑いが込み上げてきた。
「…助けていただいたのには感謝しますけど、笑うなんて酷いわ!!」
「いや、君のことを笑ったわけではないんだ。ちょっとシグルドのことを思い出してしまって…。」
「兄上のこと?」
「あいつ、何も無いところでやたらと転ぶだろう?」
隣を歩いていたはずのシグルドが急に姿を消したと思うと、大抵、足元に転がっているのである。その様子を思い出して、キュアンは再びクスクスと笑った。
「兄上ったら相変わらずなんだから…。」
「何も無いところで転ぶのって、シアルフィ家のお家芸なのかな。」
それを聞くなり、エスリンはキッと目を吊り上げた。
「バカバカバカ!私と兄上を一緒するなんて酷い侮辱だわ〜!!」
エスリンはキュアンを怒鳴りつけて泣きながら走り去った。途中でもう一度転んだ後、ハイヒールを脱ぎ捨てて…。
走る去るエスリンの姿を見送ってしばらく呆然としたキュアンだったが、我に返るとシグルドの元へ急いだ。
「あれ、どうかした?」
「あ、いや、その…。」
「エスリンが何か叫んでたみたいだったけど、それと何か関係があるのかな?」
ボ〜っとしているようだが、身内のことには多少は鋭くなるらしい。
「実は…。」
キュアンは先ほどのことをシグルドに話して聞かせた。
「くすん。エスリンったら、そこまで言わなくてもいいじゃないかぁ。」
「そういう問題じゃないだろう?」
問題は、エスリンが泣いていたことである。
「そんなに彼女を傷つけてしまったのか、私は…。」
「違うよ、キュアン。」
あっさりと立ち直ったシグルドは、あっけらかんとして言った。
「エスリンは傷付いて泣いてたんじゃなくて、怒りで涙が出てただけさ。」
昔っから、そうだった。シグルドを怒鳴り付けてるうちにエスリンはボロボロと涙を流すのだ。
「そういうものなのか?」
キュアンに訝しげな目を向けられたシグルドは、笑いながらコクコクと頷いた。
「さてと、あいつも本性を表したようだし、そろそろ君もその猫の被りものを外したらどうかな?」
キュアンはギクリとした。
「エスリンも、そんなところに隠れて見てないで出て来なさい。」
落ち込むあまり人の気配に気付かなかったキュアンが驚いて振り返ると、建物の陰から初めてあった時のような服装のエスリンが出て来た。
「折角だから、遠乗りは2人で行って来るといいよ。2人だけでね。」
馬は必要だから仕方ないけど猫は置いて行くようにね、とシグルドに言われてキュアンとエスリンは互いに視線を躱した後恥ずかしそうに目を反らした。
そんな2人を残して、シグルドは軽い足取りで自分の部屋に戻って行った。

いつまでもその場に立ち尽くしている訳にも行くまいと、エスリンは勇気を振り絞ってキュアンをお気に入りの花畑へと誘った。
近くの木に馬を繋いで花の絨毯の上に腰を下ろすと、エスリンはキュアンを見上げて言い放った。
「猫は置いて来てしまったからハッキリ言います。私は、ドレスよりもこういう動きやすい服装の方が好きだし、城の中で大人しくしているよりも馬で駆け回る方が好きなの。」
何処か誇らしげな口調で告白したエスリンに対し、キュアンはすぐには言葉を返さずに隣にそっと腰を下ろした。
「話には聞いてたんだ。でも君が公女らしく振る舞っていたから、シグルドが妹可愛さで少々活発な部分があるって程度なのを誇張して話しているのかと思っていた。」
「…そうよね。兄上から何も聞いてないハズは無かったのよね。」
もしかして自分の振る舞いはキュアン様の目には滑稽に映っていたのかしら、と気落ちして、エスリンは口をつぐんだ。会話のない時間がしばらく続いた後、エスリンは再び口を開いた。
「お菓子を作るのは嫌いじゃ無いけど、得意じゃなかった。でもキュアン様が「美味しい」と言ってくれたから、それがお世辞じゃないように感じたから、頑張ってもっと美味しいものを作ろうとしたの。」
それは、エスリンがキュアンに好意を持っていると告白しているようなものだったが、キュアンからの反応は薄かった。
「…聞いてるんですか!?」
「聞いてるよ。…っと、完成。」
キュアンは手に持っていたものをエスリンの頭に乗せた。
「花冠?」
「よく似合うよ。」
傍に咲く花の中から淡い色のものだけを集めて作った花冠は、エスリンの濃いピンクの髪に映えた。それに、今のエスリンには金属や宝石で構成されたアクセサリーよりも自然が作り出した美しい花々の方が相応しいのだろう。
「最初に対面した時も、君は今のような服装だったよね。ああいう挨拶をしてしまった後、挨拶を返そうとした君が少しだけ躊躇したのを見て「しまった」って思ったんだ。」
陰に居るオイフェに聞かせる為にああいう名乗り方をした所為で、目の前の少女に恥をかかせてしまうと思い、キュアンは焦った。そして、その後のエスリンの行動には驚きと賞賛を禁じ得なかった。
「あの時の君は、どこの姫君よりもお姫様らしかったと思う。無理して装わなくてもあれだけの事が出来るんだ。それなら、普段は君らしく振る舞えばいいんじゃないかな。」
「私らしく、ですか?」
「そう。私の前でもそうだったように、極限られた人以外に対してはあの猫を被っているんだろう?」
エスリンは図星をさされてモゴモゴ言った。
「おまけに、シグルドはああいう奴だから君は年相応の顔が出来ない。」
「それは…。」
「最初は妹が出来たみたいで嬉しかったよ。でも、どこか寂しかった。よそよそしくなった時はとても悲しかった。それで、ふと振り返ってみて思ったんだ。妹にはしたくない、って。」
「失礼ね!!」
エスリンは頬を膨らませると、プイっとそっぽを向いた。
「失礼、って…。何か勘違いしてないかい?」
キュアンはエスリンの居るのと反対の方の手を伸ばして、エスリンの頬に手をかけた。
「正直言って、君の作ってくれた最初のお茶菓子は美味しくなかったんだよ。でも、君に問われた途端に急に美味しくなった。どうしてだろうね?」
「どうして、って言われても…。」
「解らなかったら、今はそれでいいよ。でも、また作って貰えるかな?」
エスリンはコクンと首を振ると、立ち上がった。
「そろそろ、戻りましょう。その…、お茶の時間に間に合わせたいから。」
解らなければいい、とは言われたが、エスリンは何となく解っていた。でも、確かめるのが怖いから、もうしばらくは妹以上恋人未満の関係でいたいと思って答えを濁した。
そして城に戻ったエスリンは大急ぎでケーキを焼き、その日のお茶の時間はこれまで以上に美味しいお茶菓子が振る舞われたのであった。

-了-

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