雪降る夜の内緒話

シグルド軍がシレジアに逃れてから幾月かが過ぎた頃、アゼルはセイレーン城の庭の片隅でぼんやりと空を眺めているティルテュの姿を見つけた。
「どうしたの、ティルテュ?」
普段とは違って沈んだ顔をしているティルテュに、アゼルはそっと声をかけた。
「具合でも悪いの?」
顔色を確かめるように正面から心配そうな面持ちでジッと見つめて来るアゼルに、ティルテュは意を決したように重い口を開いた。
「皆、あたしのこと嫌いなのかなぁ。」
ティルテュの口から出た言葉に、アゼルは面喰らった。どうして急にそんなことを言い出すのか、見当もつかない。
「エスリンさんが居なくなってから、皆よそよそしいの。朝の挨拶やお天気の話くらいは返事してくれるけどその他はあたしが近付くと急に声を潜めたり、こっちを見てるから何か用があるのかと思えばそのまま通り過ぎて行ってしまったり…。」
言われてみればアゼルは、今までティルテュが誰かと一緒に楽しそうにしていた時は、大抵エスリンが傍に居たことに思い当たった。そのエスリンは、先日キュアン達と共にレンスターへと帰って行った。確かに、それ以来ティルテュが楽しそうにしている姿を見ていない気がする。
「やっぱり、嫌われてるのかな。あたしが、シグルド様達を陥れて喜んでるようなお父様の娘だから。今までは、エスリンさんに誘われたから一緒に居てくれただけで、本当はわたしなんかと居るのは嫌だったのかなぁ。」
「そんなことないよ!!」
アゼルはティルテュの肩を掴んで叫んでしまってから、目を丸くしたティルテュに気付いて慌てて手を離した。
「皆、ティルテュのことを嫌ったりしてないよ。ただ、戸惑ってるんじゃないかな。」
「戸惑うって…?」
ティルテュは首を傾げながら、アゼルの目を見つめた。
「つまり、その、今まではエスリンさんが上手に話題を提供してくれてたけど、彼女が居なくなったらどんなことを話して良いのか、うまい話題が出て来なくなっちゃったとか…。」
「つまり、あたしの前でお父様のことに触れないようにしてるってこと?」
「うん。だから、当たり障りのないお天気の話くらいしか出来なくなってるんだと思うよ。」
やっぱり腫れ物扱いなのか、と思ってティルテュは俯いてしまった。
「あの、だから、皆ティルテュのことが好きだから、反って変に気を使い過ぎてるんじゃないかな。」
アゼルは、慌てて言葉を添えた。
「ティルテュの方から元気に声をかけてみたら、きっと…。」
「でも、あたしも何を話して良いかわからない。」
ティルテュの反応にアゼルは言葉に詰まった。そこで、必死に考えを巡らせる。
「えぇっと、ティルテュはマージファイターを目指してるんだよね?」
「うん。」
突然の問いに、ティルテュはきょとんとしながらも素直に頷いた。
「だったら、剣とか杖とかの扱いについて「教えて」って声をかけてみたらいいんじゃないかな。」
「…わかったわ。やってみる。」
ティルテュは真剣な面持ちで頷いた。そして、その後何やら考え込んだような間をおいて、ボソッと呟く。
「そうよね。杖がちゃんと使えるようになれば、アゼルが怪我してもすぐに直してあげられるし…。」
「えっ、何だって!?」
「ううん、何でもない。」
ティルテュはいつもの元気な笑顔を取り戻すと、じゃれつくようにアゼルの腕に自分の腕を絡めた。
「ありがと、アゼル♪」

「ところで、そんな格好で寒くない?」
寒空の下で立ち話をしていて身体が冷えて来たアゼルは、彼女の格好がワンピース1枚だったことに今さらながら気付いた。
「…寒い。凍えそう。」
アゼルと話して心が温まったティルテュは、自分の身体が凍りそうなくらい冷えきっていることを認識した。先程までは、心が冷えきっていた所為で身体の方は寒さを感じていなかったのだ。
「入る?」
「うん。」
マントを広げて誘うアゼルに、ティルテュは嬉しそうにそのマントの中に潜り込むと彼の胸に身体を寄せた。
「アゼル〜、暖か〜い。」
「僕も、こうしてるとすごく暖かいよ。」
ティルテュの肩を抱き、その身をすっぽり包むようにマントの端を引き寄せると、アゼルは彼女を促して城の中へと向ってゆっくり歩き出した。
「アゼル〜。」
「うん?」
「あたしのことお嫁に貰ってよ。」
「うん。」
ふと口をついて出てしまった言葉に対するアゼルの返事を聞いて、ティルテュは足を止めた。それに伴ってアゼルも足を止める。
「アゼル!?」
「うん?」
「いいの?」
「うん。」
「本当に、あたしをアゼルのお嫁さんにしてくれるの?」
「うん。」
「本気?」
何度も念を押すティルテュに、アゼルは言葉を省くのをやめた。そして、反対の手もティルテュの肩に置き、目を丸くして見上げる彼女の顔をしっかりと見つめた。
「本気だよ。ティルテュさえ良ければ……どうか、僕のお嫁さんになって下さい。」
「…はい。」
消えそうな声で答えたティルテュの目から、涙が零れ落ちた。
「な、泣かないでよ。ほら、涙ふいて。こんなところで泣いたら、顔、凍っちゃうよ。」
「無理よ〜。嬉しくって、涙止まんない〜。」
しがみついて来たティルテュの涙がアゼルの胸元を濡らす。
すると、アゼルはティルテュを引き剥がし、その目元にそっと唇を寄せた。舌で涙を拭われて、ティルテュは驚いて泣くのを止める。
「涙、止まったみたいだね。」
「う、うん。」
ティルテュは火照りを感じている目尻から頬に両手を当てた。そして、まだ少し潤んでいる瞳で困ったようにアゼルを見上げる。
そのまましばらく見つめあった後、どちらからともなくそっと手を伸ばすと、影は再び一つとなって城の中へと消えて行ったのであった。

-了-

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