47.敵討ち

解放軍はミレトス地方へと入り、しばしの休息を得た。
その報を聞いて、女は店の男達に指示を飛ばす。
「いいかい、こいつを見つけたら足留めして知らせるんだ。余計な手出しはするんじゃないよ。あたしがこの手で決着をつけるんだからね。」
男達を町へ放つと、女は遠い目で呟いた。
「まさか、ここへ来るなんてね…。」
解放をうたい文句にしてるセリス軍らしい、と思いながらも、女はこれは天によってもたらされたチャンスなんだと考えた。
「逃がしゃしないよ……アレス!」

商業が盛んなこの地方の町にはトラキアと違って品物が溢れていた。ナンナはアレスと共に町へくり出すと、ウインドウショッピングをした末に1ダースのリンゴを買った。
「たまには新鮮な果物も良いわよね?」
「だったら、食いたい奴が持てよ。」
世界広しと言えど、このアレスを荷物持ちに使えるのはナンナくらいのものだろう。ナンナが買い込んだリンゴの袋を両手で抱えて彼女に付き従うように歩いていたアレスは、溜め息混じりに言い返したが、さすがに自分でも少々重いと思うその袋をナンナに押し付けようとはしなかった。
「まったく、どこにこんな金があったんだか…。」
その半分くらいでも自分にくれれば修理費が助かるのに、とこぼすアレスだったが、ナンナがこれで美味しいものを沢山作ると約束すると途端に機嫌が直った。
それはまるで、幸せいっぱいの新婚夫婦のような光景だった。
だがそこに陰りが走る。
「急いで城に戻るぞ!」
「えっ、どうしたの? やだ、アレスったら…。そんなに私の手料理に目が暗んでるの?」
リンゴを片腕で抱え直し緊張した面もちで急に手を引っ張るアレスに、ナンナは呑気に笑った。
「莫迦っ、冗談言ってる場合か!?」
アレスは更に強くナンナの手を引っ張った。その様子に、ナンナも何かあると気付いて駆け出したが、手遅れだった。
しばらく走ったところで、悪人面の男達に進路を塞がれてしまう。
「チッ…。俺としたことが、平和ボケしたか。」
ついナンナとの甘いデートの空気に浸り過ぎて気付くのが遅れたアレスは、前後を塞がれたのを見てナンナを庇うように腕の中に抱き込んだ。辺りの店の者や客達は、巻き添えを喰わないように隠れたり遠巻きに見たりしている。
厄介なことになった、と思いながらもアレスはナンナの耳元に「大丈夫だ」と囁き、自分にもそう言い聞かせた。叩きのめす自信はある。いざとなったら、周りにどれだけ被害が及ぼうがアレスは構いやしない。ただ、ナンナのことを考えると、出来るだけ穏便にことを済ませたい、とは考えていた。

数分の睨み合いの後、正面の男達の背後から女性が姿を現わした。歳はだいぶいってるが、なかなかのイイ女だ。手には抜き身のダガーを持っている。
「久しぶりだねぇ、アレス坊や。」
久しぶりすぎてすぐには解らなかったが、アレスはその声に聞き覚えがあった。
「あんた……何でこんなトコに…?」
「今は、この町で商売してるんだ。行き場を失った女達を集めてね。」
驚いたように答えたアレスに、ナンナは複雑な顔で問いかけた。
「知り合い?」
その顔は、昔関係のあった女なのか、という不安と嫉妬を綯い交ぜにしたもののようだった。
「ああ…。ジャバローの情婦だ。」
「ジョウフ?」
ナンナの顔には疑問符が沢山貼り付いていた。
「えぇっと、つまり…。愛人、って単語なら知ってるか?」
「ええ、知ってるわ。…って、えぇっ!?」
まぁ、ああいう商売だったしこのアレスを育てたんだからそういう人があちこちに居ても不思議はない訳だが、それでもナンナはそういう人を見るのは初めてだったので驚いた。
キャーキャーと騒ぐナンナの声を、女の苛立った声が切り裂く。
「夫婦漫才はそのくらいにおし!」
それに対し、アレスは呆れたように言う。
「用件があるなら早く言ってくれないか? グズグズしてるとリンゴが傷む。」
「大した余裕だねぇ。あの人を殺した時も、そんな調子だったのかい?」
女は目を釣り上げた。
「まさか…。余裕で勝てるような相手じゃない。そんなことを聞きに来たのか?」
「それこそ、まさかだよ。あの人の恨みを晴らしに来たのさ。」
「恨み、ね…。」
アレスは溜め息混じりに言った。
「傭兵の戦死にいちいち恨みなんて覚えてどうするんだか…。」
「よくもそんなことが言えたもんだね。あんたが裏切ったんだろ! それどころか、あの人を手に掛けたそうじゃないかっ!!」
「ジャバローは、腕だけじゃなく魂まで売り渡した。だから、俺は奴の下から抜けることにした。抜けるには……やり合うしかなかった。」
「そして、あんたが勝ったって? 笑わせるんじゃないよ!」
彼女の知ってるジャバローは強かった。それに対し、アレスはヒヨッ子だった。やり合ったら、勝つのはジャバローの方に決まってる。
時の流れを認めたくない彼女に、アレスはまた深く溜め息をついた。
「…結局、俺をどうしたいんだ?」
ただ殺したいなら問答無用で切り掛かればいい。その方がよっぽど成功率が高い。こんな不毛な会話をする必要なんてない。
「あたしはねぇ、あんたをたっぷりといたぶってやりたいのさ。殺したってあの人が帰って来る訳じゃないからね。」
「…性悪女。」
アレスは相手に聞こえないようにそう呟くと、ナンナとリンゴを抱え直した。

アレスが剣を抜くでもなく、かと言って観念したようでもなく、ただ自分の方を黙ってジッと見ている様子に、女は苛立ったように言った。
「ちょいと…。」
「何だ?」
「こういう時は、自分はどうなっても良いから、とか何とか言うもんじゃないのかい?」
「俺は言わない。」
「ああ、そうかい。そのお嬢ちゃんがどうなっても良いんだね?」
「良くない。」
「だったら…。」
「嫌だ。絶対に言わない。」
アレスはナンナを女の目から隠すように少しだけ身体を捻った。
「俺は多少の怪我など意に介さないが、俺に何かあったらこいつが泣く。だから進んで傷つく訳にはいかない。」
その言葉に、女は何かを思い出したようだった。
「……あたしも泣いたよ。」
「えっ?」
「あの人が死んだって聞いて、あたしも泣いた。」
「…そうか。」
「だから、あんたに復讐してやろうと思った。」
「ああ…。」
「あんたがこの町に現われたって聞いて我慢出来なくてさ…。莫迦だよね。」
「そうでもないだろう。」
「気休めはよしとくれ!」
「気休めじゃないさ。俺とセリスのことは知ってるだろ?」
セリスの噂を耳にしては追い掛け回したアレスに、彼女のことを笑う資格はない。それどころか、もしも自分の見てないところでナンナに何かあったら、世界中探し回ってでも復讐する。
「……そうだったね。」
呟いてから、女は溜め息をついた。
「あんたってば……変な子だねぇ。あたしなんかに優しくしてどうなるのさ。それであたしが許すとでも思ってるのかい?」
「あんたは、そんな可愛いタマじゃないだろ?」
「当たり前だよ! あんたに可愛いなんて思われたくないねっ!!」
アレスは軽く肩を竦めて見せた。
「ほんっとに可愛くない子だねぇ。昔っからそうだったけど…。」
「育ての親が揃って可愛くなかったからな。」
「……言ってくれるね。」
女は苦笑した。それから、手にしたダガーを鞘へと収める。
「お行き。」
「いいのか?」
「ああ…。許した訳じゃないよ。でも、今は見逃してあげる。想い出が止めるからさ。」
「そりゃ、どうも……感謝する。」
アレスはナンナを連れて女の横へ出た。すると、すれ違い様に女が楽しそうに言う。
「あはは…。あんたでもそんな言葉が言えるようになったんだね。」
昔は「ありがとう」と「ごめんなさい」は口がさけても言わない子だったのに、と女は笑った。
「こいつのおかげで、な。」
アレスはナンナの頭をポムッと叩いて見せた。
「そうかい、いい子なんだね。……泣かすんじゃないよ。」
「解ってる。」
そう言葉を交わして完全にすれ違うと、女は男達に合図を送って道を空けさせた。
「成長……したんだね、アレス。」
アレスを見送った女の目には、僅かだが潤んでいた。

「ねぇ、結局、何だったの?」
「何って…?」
「どうしてあの人は、復讐を思いとどまったの? 想い出が止めるってどういうこと? それに最後にあんなこと…。」
ナンナの顔は疑問符でいっぱいだった。頭の上にも飛んでいる。
「言ったろ? あいつはジャバローの情婦だって…。つまり……一時期、俺の母親代わりだったってことだ。」
「あっ…。」
未熟だったアレスを連れては行けない仕事の時など、ジャバローは彼女にアレスを預けていた。身請けした中で一番信頼がおけて、周りには武器の扱いに長けた傭兵崩れの用心棒達が居て丁度良かったのだ。
「ジャバローの恨みとか言ってたけど、それは半分くらいだったみたいだな。」
「残り半分は…?」
「顔、見たかったんだろ。自分達が手塩に掛けて育てた奴の…。」
「じゃあ、いたぶるとか言ってたのは冗談?」
「それは本気だったかも…。」
アレスは軽く肩を竦めた。
禄でもない奴に育ってたら、こんな奴にジャバローは殺されたのか、と怒り狂っていたかも知れない。そうなれば、性根を叩き直してやろうと本当に痛めつける気になった可能性は否めない。アレスだって大人しくされるがままになる気はないから、穏便に済ませるのは無理だっただろう。あまり手荒な真似はしたくないが、どちらかを選べと言われたらアレスは迷わずナンナと自分の安全を選ぶ。
「お互い無事に済んで……良かったわね。」
「おかげさまで…。」
アレスはナンナの頭をまたポムッと叩くと、彼女を急かすようにして城へと戻った。

-了-

《あとがき》

ジャバローの敵討ちをしようとする女のお話でした。
わざわざって言うんじゃなくて、アレスが手の届くところに来たら我慢出来なくなっちゃって…。でも、土壇場でまだ迷いがあって、結局はジャバローと一緒にアレスを育てた想い出の勝ち!
ついでに、自分が泣いたから誰かを同じように泣かすことへの戸惑いも…。
つまり、彼女が復讐を思いとどまったのはナンナのおかげ?
ぃや、アレスとナンナのラブラブパワーに敗北したと言う考え方も…(^^;)

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