6.運命の扉

エルトシャンの死を知って、シグルド軍の頭上に暗雲が立ちこめた。
それでも、敵は攻撃の手を休めてくれない。いつまでもショックにうちひしがれている訳にもいかず、戦士達は次々と前に向かって歩き始めた。
しかし、ラケシスだけはまだ部屋に籠ったきりになっていた。
「エスリン様、そのお盆は…。」
「ラケシスの食事よ。」
エスリンの抱えたお盆に乗った料理は、弱った身体でも食べやすいように特別に調理されたものだった。
「食欲が出ないのは仕方ないけど、少しでも食べないと身体に悪いもの…。」
エスリンが溜め息混じりに運ぶそれに、フィンは控えめに手を伸ばした。
「あの、私が参ってはいけませんでしょうか?」
そんなフィンをしばらく見つめた後、エスリンはにっこり笑って盆を渡してくれた。
「では、お願いするわね。」
エスリンから渡された盆を持って、フィンはラケシスの部屋へと入った。
「お食事です。」
その声に驚いて、布団に顔を埋めるようにしていたラケシスが寝返った。
「フィン…?」
「どうぞ召し上がって下さい。」
「…食べたくないわ。」
ラケシスは、再び毛布を被ると背を向けるようにして丸まった。
「そう仰らずに…。少しでも食べないと、身体に良くありませんよ。」
「しつこいわね。食べたくないと言ってるでしょう!」
ラケシスは、頑なに食事を拒んだ。その様子に、フィンは食事の盆を枕元のテーブルに置くと、ポケットから小瓶を取り出した。
「それでしたら、せめてこれだけでもお飲み下さい。」
それはフィンが買い求めて来た、ラケシスへの見舞い品だったが、ラケシスは見向きもしなかった。

何を言ってもうんともすんとも言わないラケシスに号を煮やしたフィンは、その小瓶を開けて中身を含むと、向こう側で毛布を掴んでる彼女の手を取った。そして引き起こすようにして、ラケシスの口元へ顔を近付ける。
「なっ…!?」
苦情を言おうとしたラケシスの口にフィンの唇が押し当てられた。そして、何か液体が注ぎ込まれる。
「ん…?」
苦いものが咽を通り、ラケシスは目をむいた。
いやいやと顔を振るようにして逃れたラケシスを、フィンは改めてベッドに組み伏せてもう一度唇を合わせる。そして、口の中に残っていたものを全てラケシスに飲み込ませた。
「ふぅ…。」
「一体これは何の真似よ! 私に何を飲ませたのっ!?」
不埒な真似をされた上に変なものを飲まされたと憤慨するラケシスに、フィンは彼女を押さえ込んだまま答えた。
「栄養剤です。こうでもしなければ、飲んではいただけないのでしょう?」
開き直ったフィンに、ラケシスは怒りを募らせた。しかも、栄養剤を飲ませた後もフィンはそのままの体勢でいる。
「いつまで触れているつもりです! 手を放しなさい!!」
「嫌です。」
あっさり返された言葉に、ラケシスは驚いた。
「なっ…!?」
「御自分で振り払って御覧なさい。」
フィンはそう言うと、更にしっかりとラケシスを押さえ込む。
「1年足らずでマスターナイトにまでなれた貴女だ。私をはね除けるくらい簡単でしょう?」
「くっ…。」
ラケシスはフィンをはね除けようとしたが、上手くはいかなかった。フィンは彼女の腕を押さえて毛布の上から腰の近くに片膝を乗せているだけだが、それだけでラケシスの上半身は自由を失い、そして毛布が邪魔をして足を振り挙げることも出来ない。
その様子を扉の隙間から見ていたキュアンは驚いた。
「フィンの奴、一体何を…!?」
慌てて止めに入ろうとするキュアンをエスリンが止める。
「落ち着いて、キュアン。フィンは何も、ラケシスに狼藉を働こうとしてる訳ではないわ。」
「そんなことはわかってるさ。」
フィンにそんな真似が出来ないことくらい、エスリンに言われずともよくわかっていた。しかし、フィンがどういうつもりなのかはともかく、あまり褒められるべき状況でないことは確かだ。
「ここは、フィンに任せましょうよ。」
ねっ? とエスリンになだめられて、キュアンはしぶしぶと手を引いた。
「エスリンがそう言うなら…。」
そうしてキュアン達は、再びそっと2人の様子を伺い始めたのだった。

「くぅ…。」
ラケシスは、何とかフィンの手から逃れようともがいていた。
「どうしました? 貴女の力はこの程度ですか。」
バカにするかのように言い募るフィンに、ラケシスは知らず知らずの内に涙を見せた。
「悔しいですか?」
まだ正騎士の叙任も受けてない若者にいいようにされて、ラケシスは悔しくて堪らなかった。マスターナイトになって、シグルド達からも頼りにされて、誰の助けも借りずにクロスナイツの中を突っ切って…。それなのに兄を救うことは出来ず、今こうして簡単に押さえ込まれてしまう自分の力の無さが、悔しくて悲しくてどうしようもなかった。
「食事をとられないから、私などにも遅れを取るのです。」
ラケシスは、何も言えなかった。食べていないから力が出ないと言われては、反論の余地が無い。
目を反らすラケシスに、フィンは静かに言った。
「いつまで立ち止まっているおつもりですか?」
「何を急に…?」
ラケシスは再びフィンを睨み付ける。
「エルトシャン様のことでショックを受けたのは貴女だけではありません。それでも皆、前に向かって生き抜いている。こんな風にただ嘆いているのは貴女だけです。」
フィンは静かに、しかし力を緩めることなく淡々と語った。
「今の貴女の姿を御覧になられたら、エルトシャン様はどう思われるでしょうね。」
その言葉に、ラケシスの右腕に信じられないような力が込められた。どこにそんな力が残ってたのかと思うような勢いで、まるで全ての力を一点に集中させたようにラケシスはフィンの手をはね除けて、そのまま彼を張り飛ばす。
ベッドから転がり落ちたフィンは、切れた唇の血を拭いながら僅かに口元に笑みを浮かべたが、それは誰の目にも入らなかった。
「あなたに…。あなたなんかに兄様の何がわかると言うの!」
ラケシスは身を起こすと、辺りのものを手当りしだいにフィンに向かって投げ付けた。
「偉そうに、知った風な口を叩かないで頂戴!」
投げられそうなものが手元になくなってゼィゼィと肩で息をつくラケシスに、フィンは近くに落ちたものを退けながら立ち上がって言った。
「確かに、私は貴女のようにはエルトシャン様を存じません。ですが、私の方がわかることもあります。」
フィンは、ラケシスの方を向き直った。
「私も騎士で男ですから。」
それだけは、ラケシスにはわからない。
「そして貴女を愛している。」
「えっ?」
他に投げるものはないかと身を乗り出していたラケシスの動きが止まった。
同時に、部屋の外でキュアンも驚く。フィンの気持ちは知っていたが、あのフィンが臆面もなくこんなこと言えるとは思ってもいなかったのだ。
「あいつ……どさくさに紛れて大胆なことを…。」
「でも、そうでもなきゃ一生言えないんじゃないかしら?」
「そうだな。」
こうして主君夫婦の覗き見は続いた。そんなことも知らずに、フィンはラケシスに言い募る。
「エルトシャン様は、最後に貴女に「死ぬな」と仰られた。あの方が望まれたのは、こんな風に屍のように生を繋ぐことではなかったはずです。」
「私が……生きた屍だと言うの?」
ラケシスは、やっと手の届いたインク瓶を握りしめた。フィンはそれを投げ付けられることを覚悟の上で言い返す。
「そうではないと、どうして言えます?」
部屋から出て来ない。食事もしない。過去ばかりを見て、自分の殻に籠っている。全ての戦いを放棄して自分自身の未来を閉ざして居る者を、どうして生きていると言えよう。先へ進まない者など、未来には存在しないも同じだ。
「帰る場所もエルト兄様も失って、それでも私に生きる価値などあるのかしら。」
「あります。」
「貴方の為に生きろとでも言うつもり?」
即答したフィンに、ラケシスは先程のフィンの言葉を思い出して冷笑を浮かべた。自分にとって必要だから生きろとでもいうのか、と…。
「貴女が信じる未来と貴女に想いを託した者のために生きて下さい。」
「未来と想い…?」
「はい。貴女の信じる未来を共に信じた者達の想いが貴女の中に宿っています。どうか、生き抜いて下さい。どれだけ多くのものを失っても、例え他人の命を糧としてでも…。」
ラケシスの、インク瓶を握る手から力が抜ける。
「死ぬなよ、ラケシス。」
エルトシャンがその言葉と共にくれた『大地の剣』。そこに込められた想いは、今フィンが言ったようなものだったのだろうか。
「フィン…。エルト兄様も貴方も、私に生きて生きて生き抜けと言うのね?」
「はい。」
フィンは誇り高い姫君の顔を取り戻したラケシスに対して騎士の礼を送りながら即答した。
「…わかりました。」
ラケシスはベッドから降りて立ち上がろうとした。しかし、ずっと飲まず食わずで寝込んでいた為、すぐにふらついた。すかさず、フィンが汚れた服に彼女を触れさせないようにしながら、手を伸ばしてその身体を支える。
問うような視線を向けるフィンに、ラケシスは言った。
「何か羽織るものを…。それから、食事を持って来て頂戴。」
さっき運ばれたものは貴方に投げ付けてしまったから、とフィンや床に視線をやるラケシスをソファへ誘い、フィンは部屋を出た。そして、慌てて身を隠したキュアン達には気付かずにもう一度ラケシスの元へ食事を運んだのだった。

ラケシスは傍にフィンをひかえさせたまま、持って来られたものを綺麗に平らげた。
「いつまでそうしているつもり?」
「は?」
自分が言ったのと似たようなことを言われて、フィンは戸惑った。
「いつまでそうやって傍にひかえてるつもりなのかと聞いてるんですわ。」
「も、申し訳ありません。」
フィンは慌てて部屋を出て行こうとしたが、ラケシスがそれを止めた。
「出て行けと言った覚えはありませんわ。それより、何か言いたいことがあるんじゃなくて?」
そうでもなくてずっと居る訳がない、とラケシスは思った。用もないのに、単に好きな人の傍に居たいなどという理由でそこに留まるような人でないことくらい、この1年弱の間見て来て良くわかっているつもりだ。
フィンはしばらく躊躇った後、口を開いた。
「はぁ…、その…。あれだけの無礼を働いたのに、何もないのかな、と…。」
既に先程のような勢いは全くない。あの時は、かなりキレていたのだろう。
「何も、って何? 無礼打ちにでもして欲しかったのかしら?」
「……して欲しかった訳ではありませんが、そうされても仕方ないかとは思います。」
「あら、奇遇ね。私もしたくありませんの。」
ラケシスは、クスッと笑った。
「わかったら、着替えてからまた来て頂戴。食後のお茶に付き合っていただきます。」
「えっ?」
フィンはラケシスの言葉に驚いた。
「嫌なら結構よ。」
「嫌だなんてとんでもない!」
フィンは勢い良く首を振った。それを見てラケシスは婉然と微笑んで見せる。
「では、すぐに戻るように…。」
「はい!」
フィンは急いで着替えに走って行った。
その姿を、素早く身を隠した隣の部屋の扉の隙間から覗き見て、キュアンは呟いた。
「いいのか、こんなんで…?」
「いいんじゃないの? 本人達は幸せみたいだもの。」

-了-

《あとがき》

あくまで「お題」ですので、ゲーム内の同タイトルの章とは関係ありません。
運命と言えば"運命の女神ラケシス"ってことで…。その結果、出来上がった話では主君夫婦が扉の隙間から一部始終を覗き見してます(^^;)
さて、珍しく強気のフィンを書いてみました。しかも、まだラケシスはエルト兄様至上主義です。
ここで書いても無駄ではありますが、「お願いだから、途中で勘違いして引き返さないで〜p(>_<)q」と祈っております。

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