再会

その日、イザーク城の前には城下はおろか他の街から村から民衆が集まり、誰もが新たな王妃の誕生を祝福していた。
剣聖オードの再来と謳われるシャナン王に並んで見劣りのしない剣技を持ち合わせた美姫が正式にイザーク王国の王妃に立ったのだ。
「シャナン国王、万歳!!」
「ラクチェ王妃、万歳!!」
城の前は歓喜の声を上げる民衆で溢れかえり、ラクチェ達は笑顔を張り付かせて手を振り続けた。

「あ〜、疲れた〜。」
部屋へ戻ると、ラクチェはポンっと音を立ててベッドの上に飛び乗って転がった。
「こらっ、行儀悪いぞ。」
「だって〜、疲れちゃって。剣の特訓の方がよっぽど楽ですよ〜。」
にこにこと笑いながら声援に答え続けるのがこんなにしんどいとは思わなかったと漏らすラクチェに、シャナンは溜息をついた。
「この程度で音を上げてたら、他国から使者が来た時に困るぞ。」
「は〜い。大丈夫になれるよう、努力します〜。」
口ではそう言いながら、枕にしがみついて半分寝てるような状態になっているラクチェに、シャナンは苦笑した。
若き君主が幼さの残る妃を如何にして教育するべきかと楽しみと悩みに心を支配されようとしたところへ、スカサハが血相変えて駆け込んで来た。
「ここここ、これ…。」
年に似合わぬ落ち着き振りを誇るスカサハのいつにない取り乱し様に驚きながら、シャナンはスカサハが突き出した小さなブーケと封の切られた封書を受け取った。
ブーケは何処にでも咲いているような野の花をまとめたものだった。珍しいと言うなら、今この場にあることだけが珍しいだろう。だが、これではスカサハがどうしてこんなに取り乱しているのか理解できなかった。
封筒の方を調べることにしたシャナンは、それが既に開封されていることを訝しく思いながら、中身を取り出した。
「これは!?」
それは、一枚のカードだった。
『シャナン、ラクチェ結婚おめでとう。遠くからお前達の幸せを祈っている。』
封筒には宛先も差出人もない。そんな怪しげなものでありながら、破棄されずに彼等の手に渡って来たのは、その封蝋に押されたイザーク王家の紋章のおかげだったのだろう。それでも、念のために中身を検閲してみて、スカサハは仰天したということか。
「アイラ…。」
今、ここに居る者以外でこの紋章を使用することが許されるのは彼女だけのはずだ。騙る者が居る、そんな考えが頭を掠めなかった訳ではない。しかし、紋章の不鮮明さとその大きさが、アイラのイヤリングに仕込まれた紋章を蝋に押しあてたのだと、シャナンを信じさせた。
「やはり、母さんが生きているんですね?」
「その可能性は大いにある。」
何としても、これの差出人を探し出さなくてはいけない。これが本物ならば彼女に再会するために、そして偽物ならばそれなりの処置をするために。

「アイラ、支度は整ったか?」
「ああ。」
「結構長く住めたが、この家ともとうとうお別れだな。」
二人は別れを告げるように小さな家を振り返ると、なけなしの荷物を持ち、人目を避けるように細く暗い道を進んで行った。
「今度はどこへ行く?」
「とりあえず、ソファラの裏山にでも行くか。あそこには、身体を休めるのに使えそうな岩穴がいくつもある。獣が住むには浅いから多分空いているだろう。一時的にそこへ身を隠して、それからゆっくり今度の事を考えよう。」
何処に居ようとも、二人で居ればそれなりに生きていくことは出来る。そして、表舞台へ出ることが許されなくても、この国から出て行くことは考えたくない。
だが、見つかればきっとシャナン達は自分達を放っておいてはくれないだろう。だから、ずっと身を隠して来た。それでも、あの二人が結婚するという話を耳にして、どうしても我慢できなかった。祝福の言葉をかけてやりたかった。幸せになって欲しいという気持ちを伝えないでは居られなかった。例え、その所為で住み慣れた隠れ屋を夜逃げ同然に後にしなくてはならなくなったとしても…。
「今までだって、何とかして来たんだ。今度もどうにかなるだろう。」
「お前にそう言われると、本当にどうにかなりそうな気がしてくるな。」
ホリンに保証されると、不思議と大丈夫な気になってしまうアイラだった。
「行くか?」
「ああ。」
ホリンの先導で、二人は山道をぬってソファラへと向った。

灯台下暗し、とは良く言ったものである。
山の中を転々と移動して、今、彼等はイザークの城下町の片隅でひっそりと暮らしていた。
「今日も、町中はラクチェの噂でもちきりだった。」
「今度は何をやらかしたんだ?」
王妃然として大人しく奥に引っ込んでいることなど出来ず、かと言って政治向きの事でシャナンの補佐を出来る訳でもなく、さても平和になった国で王妃として冊立された活発すぎる娘は、何かと騒ぎを起こしているらしい。愛ゆえに笑って済まされ、そして尾ひれがついて流布される噂は、なかなかに楽しめるものだった。そんな噂を買い物ついでに耳にしては、ホリンはアイラにも聞かせてやった。
「兵士達の訓練場に切り込んで、全員を叩きのめしたらしい。」
「それ…どの辺までが実話だと思う?」
「多分これは実話そのものだろう。何しろ、過去に同じことをした奴が居るようだからな。」
買って来たものを片付けながら、ホリンはどこか笑いを含んだような声音で答えた。
「わ、私は切り込んだ訳じゃないぞ!」
「そうか。お前だったのか、あの話の主は。」
言われてみれば他にそんなことをやりそうな者がイザーク城に居たとも思えないな、と納得した風に言うホリンに、墓穴を掘ったアイラはただ唇を引き結んで押し黙るだけだった。
「似たもの母娘か。俺達の娘だけあって元気だな、あいつは。」
「そうだな。」
ホリンが機嫌を直したアイラにお茶を渡すと、しばらくの間2人だけの静かなティータイムが続いた。

和やかだった雰囲気が急変し、アイラが息をつめた。
「ん?」
息をつめた後のアイラの様子から、ホリンも気を引き締めて周りの気配を探った。
「囲まれたか。」
「そうらしい。だが、妙だな。」
「ああ、何か引っ掛かる。」
囲みの中、この家に近付いてくる者の気配に、アイラは心に引っ掛かるものを感じていた。だが、それが何なのかは解らない。
2人は警戒を解かぬまま、近付く者にそれを悟らせないように平静を装って時を待った。
間もなく家の戸が叩かれ、外から声が掛けられた。
「すいませ〜ん、イザーク城の者ですけど〜。」
場の雰囲気とその言葉の内容にそぐわぬ声に、ホリンは警戒を怠らず戸を開けた。
家の前には、少々大人びた雰囲気の黒髪の少年と儚げな雰囲気の薄紫の髪の少女が立っていた。彼等は、細く開けた戸の隙間から薄暗い家の中を覗き込むようにしている。
「あ、あの、すいませんけど、もう少し広く戸を開けてお2人の顔を見せていただけませんか?」
碌に中の様子が見えない彼は、隙間から彼の様子を探るホリンに頼んで来た。
「何故、俺達の顔を見たい?」
「確かめたいんです、あなた方が俺の両親なのかを。」
訪ねて来た少年はスカサハだった。
ホリンは彼の顔をもっとちゃんと見たいと思ったが、その感情を押し殺して戸を閉めた。
「あ…。」
「碌に目も開かぬ内に別れた相手の顔をどうやって確かめるつもりだ?」
「会えば判ります!だって…。」
そこまで言ってスカサハは気付いた。自分は「イザーク城の者だ」としか名乗っていないし、国王夫妻のようには顔が売れていない。第一、光の具合の差こそあれ相手だって自分の顔をハッキリとは見ていないはずだ。
「どうして俺が赤ん坊の頃に両親と別れたって知ってるんですか?」
「…悪いが、帰ってもらおう。」
ホリンは、それだけ言うと戸の前を離れた。
「お前らしからぬ失態だったな。」
「すまん。」
ホリンは一言謝ると、急いで荷物をまとめ始めた。正体がばれたからには、急いでまたどこかへ身を隠さなくてはならない。そしてそのためには、この家を取り囲むイザーク兵達を無傷のままに無力化させて突破しなくては。

家の前では、スカサハが疑いを確信へと変えていた。
「スカサハ…。」
「うん、わかってる。」
ユリアに声を掛けられて、スカサハは家を取り囲む兵士達に警戒を強めさせた。
「本気でかかっても多分傷一つ負わせられないだろうから、打ちかかって来られたら思いきって反撃するんだ。とにかく、逃がさないように。」
兵全体に伝令が飛ぶ。それを確認して、スカサハはもう一度戸を叩いた。
「顔を見せて下さい、父さん! 母さんも、そこに居るんでしょう!!」
繰り返し声をかけ戸を叩くスカサハに、中で引っ越し準備をしていたアイラが手を止めた。
「ホリン…。」
「…わかった。」
そろそろ潮時なのかも知れない。今ここでまた身を隠すことに成功しても、生きていることがバレた以上、彼等は探しに来るだろう。
「お前だけ入って来い。」
再び開かれた戸の隙間からスカサハが身を滑り込ませると、静かに戸が閉められるまでの僅かな間に、スカサハにピッタリと身を寄せてユリアも家の中に入った。
「その娘は?」
「俺の婚約者のユリアです。」
「…そうか。」
ホリンはユリアをその場に止めると、スカサハを促してアイラの傍へ移動した。そこで、手にしたランプを少し上へ上げる。そうすることで薄暗い家の中で、2人の姿がハッキリとスカサハの目に映った。
スカサハは、2人の今の姿を見て息を飲んだ。
ホリンの顔や腕には酷い火傷の痕があった。恐らく、服に隠れている部分にもそれは広がっているのだろう。
アイラは、ラクチェがもっと大人になったらこんな感じなのかなと思わせるくらい妹にそっくりだった。見た目には全く傷跡など見当たらなかった。だが、何か違和感を感じる。
「スカサハ…なのだな?」
そう言ってアイラが彼の顔に手を伸ばすのを見て、スカサハはやっと気付いた。その黒瑛石のような瞳は何も映していなかったのだ。

バーハラの悲劇の中を辛うじて生き延びた2人だったが、さすがに無傷でという訳にはいかなかった。周囲から嘗めるように襲い来る炎に剣を収めて脱出を計る中、ホリンはアイラを庇うようにしながら走った。だが、その時既にアイラの目は飛んで来た火の粉によって焼かれていた。
光を奪われたアイラと全身に大火傷を負ったホリンは、帝国の追っ手から身を隠しながら支えあって暮らして来た。幸い、戦乱の世の中ではこういう怪我人も珍しくはなく、小さな村々を転々としながらイザークまで戻って来た。子供達の様子も気にかかったし、何かあった時は生まれ育った地でという思いもあった。
「だったら是非、母さんの生まれ育った城に戻って来て下さい。シャナン様もラクチェも待ってます。もちろん、俺も。」
しかし、スカサハの言葉に2人は揃って首を横に振った。
「どうして…?」
「あの城に、俺達の居場所はない。」
王妃の親として何か政治的な手助けが出来る訳じゃないし、かと言って利き腕が不自由な今となっては兵達を鍛えるのも無理だろう。逆の手も並以上には使えるが、自由が聞かないのは腕だけではないのだ。そんな環境で剣のぶつかりあう音を聞きながらひっそりと暮らすなど性に合わない。
「それに、近くに居ながら顔を見られないのは、さすがに辛いしな。」
アイラがボソッと呟いた。
「そう言えば、まだお前の姿については何も聞いていなかったな。」
シャナンやラクチェについては2人が結婚する際に国中にその報を告げる姿絵付のビラがまかれたので、アイラはホリンから話を聞かされていた。シャナンはマリクルにそっくりで、ラクチェはアイラにそっくりだと言う。
「どうだ、ホリン。こいつはお前に似てるか?」
「少し、な。お前にも少し似ている。」
「…それは、想像し難いぞ。」
アイラはもう一度スカサハの顔に手を伸ばすと、顔を包み込んだりペタペタと触ったり髪の感触を確かめたりした。
「う〜む、確かにホリンそっくりという訳にはいかないみたいだなぁ。」

親子3人で話し込んでいるのを、ユリアは聞き耳を立てながら見守っていた。
そして、しばらくして意を決したように3人の下へ歩み寄った。
「あの…、私に回復魔法をかけさせていただけませんか?」
突然割り込むように近寄って来た彼女の言動に、スカサハは驚いた。そんなスカサハをそっと離して、アイラはユリアの方へ顔を向ける。
「私達の傷を治そうと言うのか?」
各地の司祭達が匙を投げたこの火傷と目を、今さら治せるなどとは思えなかった。しかし、ユリアの真剣さは伝わって来た。
「気の済むようにするといい。」
アイラが静かに告げると、傍でホリンも頷いた。そして、2人ともユリアの魔法を受け入れるよう心の準備をした。
ユリアは静かに呪文を唱えると、手にしたリライブの杖をホリンに向けた。ホリンの身体は柔らかな光に包まれ、その傷が少し薄くなる。ユリアが何度もそれを繰り返すと、ホリンの傷は見えなくなった。利き腕の指先を動かしてみたホリンは、少々違和感があるもののほぼ思い通りに動かせるようになっていることを確かめた。
「凄いな…。」
各地の司祭が揃って匙を投げたこの傷を、こんなに何年も経ってしまってから治したのがまだ少女の域を出切らない者とは、その目で見なければ信じ切れないような話だった。
続いて、ユリアはアイラに向けて回復魔法をかけた。
しかし、効いているのかいないのか、とにかくアイラの目は一向に光を取り戻さなかった。
「もう、やめろ。これは普通の傷と違う。今更治すのは無理なのだろう。」
何度も回復魔法を使って疲労した様子を見せてきたユリアを、アイラはなるべく優しい口調を心掛けて制止した。スカサハも、それに続く。
「ユリア、もういいよ。これ以上、無理しないでくれ。」
これだけ連続で回復魔法を唱えれば、如何に『ナーガ』の使い手でも身体がまいってしまう。
「もう少し。きっと、もう少しで…。」
「何故、そうまで必死に私達を治そうとする?」
傷が治ればイザーク城に戻るとでも思っているのか。そんな言葉を含んだ問いに、ユリアはハッとした。
確かに、ホリンの傷が癒えた後、これでアイラの傷も癒えれば2人はスカサハの誘いに応じてくれるかも知れないと思った。傷を理由に2人はスカサハの誘いを断ったのだから、傷さえ治れば良いのだと思った。それに、その傷を負わせたのが父の放った『ファラフレイム』だと気付いたユリアは、贖罪の為にも2人を治したかった。
「昔、エスリンが言っていた。相手を思う心が回復魔法となって傷を癒すのだ、と。」
自分は魔法系の聖戦士の力を継いではいないけれど、キュアン達を助ける時の気持ちだけは世界中のどんな高位の司祭にも負けやしない。バルドの血を引きながら回復要員として戦場を駆け回っていた彼女は、不思議そうな顔をしていたアイラにそう言って微笑んだ。
「そうですね。」
打算的な思いに捕われて空回りしていたユリアは、最初にこの申し出をした時の気持ちを思い出した。
「もう一度、やらせて下さい。」
打算や贖罪ではなく、今目の前に居るこの人にスカサハの顔を見せてあげたい。生き別れた息子の成長した姿をその母親に、自分が愛している人の顔を今目の前に居るこの人に見て欲しい。
「スカサハ、力を貸して下さい。」
「わかった。」
スカサハは息の整ったユリアの手をしっかりと握ると、一緒に杖に祈りを込めた。ありったけの思いを込めて、ユリアは呪文を唱えた。
アイラの身体が柔らかな光に包まれ、その光の中でアイラは静かに目を閉じ、そしてそっと開けた。
「なるほど。確かに私達の息子だな。」
アイラはその目で、スカサハの顔をまじまじと観察していた。

「そらそら、どうした、ラクチェ。」
「えいっ、えいっ! あれっ!?」
いきなり目の前からアイラの姿が消えて驚くラクチェに、アイラは背後からポクっと剣の腹を叩き付けた。
「うわっ。」
「もっと周りに気を配るんだな。」
アイラがそう言った途端、近くで見ていたホリンとシャナンがクスっと笑った。
「どうしたんですか? お2人揃って。」
スカサハに聞かれて、2人は誤魔化すようにしながら心の中で「やはり似たもの母娘だな」と再び笑った。
あれから、ホリンとアイラはイザーク城で暮らすようになった。先代の王妹夫婦としてや現王妃の両親としての立場も付いて回るが、思う存分剣の稽古ができるならその程度の面倒は背負ってもいいという気分になったのだ。
イザーク城にやって来た2人は、ラクチェ達の剣の師匠として城中の者から頼られた。何しろ、これまでラクチェに指導出来るのはシャナンだけで、後はスカサハが練習相手になれる程度だったのだ。政務で忙しい2人に相手をしてもらえずにラクチェが暇を持て余すと、騒動の元になる。
イザーク城に来てすぐの頃こそ、ホリンはずっと使っていなかった利き腕の感覚に戸惑いを覚えていたが、シャナンと剣を交えながら昔の感覚を思い出していった。
「強くなったな、シャナン。」
「そりゃ、もう子供じゃないしね。」
当時のような口調で軽く答えるシャナンに、ホリンは彼の才能とそれを磨き続けた努力に感心した。
アイラも勘を取り戻した。それどころか、光を失っていた間に磨かれた周囲の気を探る力の前には、シャナンさえも苦戦した。僅かな隙も逃さず適確に剣を繰り出してくるアイラに、シャナンは相手を務めるのが楽しくてたまらなかった。
ラクチェが再びアイラに挑む様子を眺めながら、ホリンはスカサハに声を掛けた。
「俺達もやるか?」
「はいっ!」
スカサハと剣を交えながら、ホリンはその成長ぶりをしっかりと感じ取るのであった。

-End-

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