空と海の瞳

両親が亡くなり、後見となってくれる親戚もなく途方にくれていたフィンの前にレンスター王家から迎えが現われたのは、彼が6歳の時だった。何故、王家が彼に救いの手を差し伸べたのか彼には理由が判らなかったが、他に選択肢はないしその手を取ることが残された他の者達にとっても最善と思われた。
王城に引き取られた彼は、キュアン王子の側で身の回りの世話をしながら暮らした。とは言え、決して単なる侍従のような扱いではなく、様々な教育を受ける機会も与えられたしキュアンには弟のように可愛がられた。しかし、気さくなキュアンの態度に、フィンはどう反応していいのか判らず、つい初対面の時よりもよそよそしい態度を取るようになっていった。

「フィン、お前この後の予定は?」
いつものようにお茶を煎れていたフィンに、キュアンが声を掛けた。
「父上や母上に何か用事を言い付けられたりしているか?」
「いえ、何も…。」
戸惑いながらもフィンが答えると、キュアンはよしとばかりに席を立つとフィンの腕を掴んで引っ張った。
「あの、キュアン様…。」
ぐいぐいと腕を引っ張るキュアンに、フィンはテーブルの縁を掴んで抵抗した。
「どうした?出かけるからついて来いよ。」
「でもキュアン様は、この後お勉強のお時間なのでは…。」
フィンは、キュアンのスケジュールについて大体把握していた。
「安心しろ、今日は休みだ。」
その言葉を聞いたとたん、フィンはキュアンの腕を振払った。
「先日も、そのように仰いましたが…。」
そして、見事にその言葉に騙されて連れ出されたフィンは、キュアン共々女官長に叱られたのである。他にも、数々の脱走劇や悪戯にフィンを巻き込んでくれたこの若い主人に、フィンは困惑するばかりだった。
「今日は本当に休みなんだ。」
信じてもらえないキュアンは、それでも何とかしてフィンを連れ出そうと必死になった。
体格の差にものを言わせて攫うように連れ出したい訳ではないので、どうしたものかとキュアンが思案していると、近くからクスクスと笑う声が聞こえて来た。
「こうなるのではと思ったので来てしまったわ。」
姿を現わしたのは王妃だった。
「フィン、今日は信じても大丈夫ですよ。本当に、キュアンはこの後休みなのです。」
王妃は、前科がある為に休みだと言っても信じてもらえないキュアンをフォローした。
「母上、立ち聞きとはお人が悪いですよ。」
「あら、助けに現われない方が良かったかしら?」
「いえ、是非とも助けて下さい。」
あっさりと手のひらを返す息子にまたクスクスと笑いながら、王妃は説得に力添えした。
キュアンだけでなく王妃まで言うのであれば、もはやフィンは疑うことはしなかった。その上、キュアンから「一緒に遊びに行こう」と誘われても気乗りしないフィンだったが、王妃から「キュアンを見張っててちょうだい」と言われれば、逆らう道はなかった。

キュアンの馬に乗せられて城下へおりると、町はお祭り状態だった。
キュアンは馴染みの店に馬を預けると、フィンの手を引いて人込みの中に入って行った。
「キュアン様、これはいったい何の人だかりなのでしょうか?」
「見ての通り、祭りだ。夏だからな。」
夏と祭りが結びつかないフィンは、キュアンの言う意味が解らなかった。訳も解らずただキュアンに促されるままに、こんな風に自由に身動きがとれないような場所を、こんな無防備に歩き回っていいのだろうかと可能な限り周りの人々の動きに目を光らせながら、フィンは人込みの中を歩いて行った。
突然キュアンが立ち止まったかと思うと、フィンの目の前に串物が差し出された。
「食べてみろ。」
言われるがままに串を受け取ったフィンだったが、どうやって食べれば良いのか解らなかった。
「こうやって食べるんだ。」
言うなりキュアンは串に刺さった怪し気な物体にかぶりついた。毒見も無しに怪し気なものを口にするキュアンに、フィンは慌てた。しかし、キュアンの方は落ち着いたものである。
「どうした?うまいぞ。」
如何に怪しく見えても、主人が平気で口にして薦めるものに口をつけない訳にもいかず、フィンは思いきってそれを齧ってみた。
「あれ?美味しい。」
甘い味噌のようなものが塗られたパンみたいなものは、予想外に美味しかった。
「気に入ったか?」
「はい!」
フィンが串に刺さっていた焼きまんじゅうにパクつく姿をキュアンは嬉しそうに見守った。
その後も、キュアンに連れ回されるままフィンは祭りを楽しんだ。
最初は困惑して警戒していたフィンだったが、次第に祭りの雰囲気に感化されたのか年相応の顔でキュアンとあちこちの店を覗き、綺麗なビー玉を買ってもらった時は素直に喜んだ。

しかし、楽しい空間は浮かれ過ぎる輩をも作り出すものであった。そろそろ城へ戻ろうと、馬を預けた店に向かって人の流れを逆行するため脇道に入った2人の行く手を、数人の悪ガキが塞いだ。
「良い身なりしてんじゃん。」
2人とも普段王宮で着ているような格好ではなくお忍び用のカジュアルな服装ではあったが、それでも彼等から見れば金を持っていそうに見えるだけのまともな格好をしていた。
「ちょっと小遣い回してくれよ。」
後ろからも少年達が現われ、キュアンとフィンを素早く挟み込んだ。
フィンはキュアンを守らなくてはと前へ出ようとしたが、キュアンが押しとどめた。そして、懐から小袋を出すと少年達のリーダーと思しきものに投げ渡した。
フィンが驚いていると、少年達が袋の方へ気を反らしたとたんにキュアンはフィンの手を引いて、彼等を突き飛ばして走り抜けた。
「てめえ、騙しやがったな!!」
「こんな簡単な手に騙される方がバカなんだ。」
袋の中身は古くなった蹄鉄を細かく砕いたものだった。
うまく細い路地から抜けたキュアンは、路地の入り口で少年達を迎え撃った。
キュアンは一応護身用に携帯していた小剣でなんとか少年達のナイフを払い除けていたが、位置の有利さをもって何とか凌いでいるだけで決して埒があかなかった。しかし、少年達がまとめてキュアンに切りかかれないように、フィンも加勢のしようがなかったし、そもそも今のフィンはただの足手まといでしかなかった。
「フィン、近くに竿かなんかあったら拾って来てくれ。」
「竿、ですか?」
何だか良く解らなかったが、フィンは辺りを見回した。
「長い棒状のものなら何でも良いから、急げ!」
彼等の仲間が他の道からこちらへ回り込んでくるまでの間に片付けなければ、キュアン達は圧倒的に不利だった。
「先のいかれた竹帚が打ち捨ててありましたが…。」
「寄越せ!!」
キュアンはフィンの拾って来た帚を目の端に捕らえると、ひったくるようにそれを掴み、小剣をしまいながら後ろへ下がった。同時に、フィンを更に自分の後ろへ押しやることも忘れない。
キュアンが路地の入り口から退いたことで少年達も路地から出て来た。当然のように2人を囲むように迫りながら一気に切り掛かってくる。しかもキュアンが武器をしまって古びた帚など手にしているのを見て、嘲笑さえ浮かべていた。
だが、少年達は次の瞬間信じがたい体験をすることになった。
キュアンは竹帚であっさりと彼等を打ちのめした。例え古びた竹帚だろうと長い棒である限り、キュアンの手にあってはランスリッターの持つ実戦用の槍にも劣らぬ働きをするということを、彼らは察することが出来なかったのだ。しかし、それは決して彼等の落ち度とは言えまい。帚を渡したフィンも、キュアンの意図が解らなかったのだから。
「怪我はないか、フィン?」
間近に見た妙技に驚いて転んでしまったフィンに、キュアンが手を差し伸べた。反射的にその手を取ろうとしたフィンだったが、ハッとなって手を引っ込めた。
キュアンは怪訝そうな顔をして、フィンの前に屈み込んだ。
「どうした? どこか痛むのか?」
「情けないです。本当は私がお護りしなくてはならない立場なのに、逆に護っていただくことになるなんて…。」
「何を言ってるんだ。お前はちゃんと私を護ったじゃないか。」
キュアンは、フィンの頭をグシャグシャ撫でた。
「お前がこいつを拾って来てくれたから、私は戦えたんだぞ。」
何しろ剣なんて殆ど使えないんだから、と笑うキュアンにつられて、フィンも顔を綻ばせた。

「2人とも、楽しんで来たようね。」
城に戻った2人を見て、王妃は嬉しそうに微笑んだ。
「それで、少しはフィンに懐いてもらえたのかしら?」
キュアンは母の言葉にさっと表情を変えた。
「だって、その為にあんなに必死にお勉強したのでしょう?」
「母上、それは…。」
キュアンの跋が悪そうな顔を見て、フィンは首を傾げた。
キュアンは何と答えて良いか困っていると、王妃はフィンに、キュアンが今日の休みを勝ち取る為にここ数日間前倒しで課題を仕上げるべく必死にレポートを書いていたことをばらしてしまった。
「キュアン様…。」
フィンの笑顔に影を見て取ったキュアンは、作戦失敗かと母を恨みかけた。しかし、その後ちょっと俯いていたフィンがふと顔を上げて、
「キュアン様、本日は大変楽しかったです。本当にありがとうございました。」
と作り笑いではなく年相応の笑顔で言うのを見て、つい嬉しさのあまりフィンに抱きついてしまった。フィンは驚いたが、ニコニコしながらその様子を見つめている王妃の姿に、もしかして自分が気にする程周りの人はキュアン様のこういう態度を気にしていないのだろうか、とこれまでの取り越し苦労を思って溜め息をついた。
「あら、疲れちゃったのかしら?」
「あちこち引っ張り回して悪かったな。今日はもう、ゆっくり休むといい。」
違うと言い訳をする暇もなく、キュアンに部屋へ放り込まれてしまったフィンは脱力すると共に込み上げてくる嬉しさを止められなかった。
そしてその日を境に、フィンはキュアンによそよそしい態度を取ることは無くなったのだった。

「何を見ているんだ?」
リーフがフィンの手元を覗き込んだ。
「お前の目の色と同じだな。」
「ええ。キュアン様も同じことを仰って、買って下さったんです。」
あの日キュアンが買ってくれた大粒の青いビー玉は、不思議と壊れることも濁ることもなくフィンの手元にあった。
懐かしむようにビー玉を見つめるフィンを見ながら、リーフは舌打ちした。
「どうかなさいましたか?」
「いや、綺麗だから頂戴、って言おうとした自分に腹がたっただけだよ。」
フィンの目の色と同じだから欲しくなってしまったが、今のフィンにとって恐らく唯一手元に残ったキュアンからの贈り物であろうそんな大事な物を取り上げるような真似をしそうになった自分をリーフは恥じていた。
ところがフィンは、あっさりと1粒をリーフの手に握らせてしまった。
「6粒あった内、ひと粒は士官学校へ行かれるキュアン様に。ひと粒はシレジアに残留するラケシスに。バーハラで別れる時、子供達にもひと粒ずつ渡しました。」
そして残った2粒の内、ひと粒が今リーフの手に渡された。
最初にキュアンに渡した時は、自分の目を渡せる相手がこんなに現われるとは夢にも思わなかったフィンだったが、今となっては彼等は全てキュアンが自分に引き合わせてくれたと信じずには居られなかった。実際、キュアンと共にシグルドを助けに行かなかったらラケシスと結ばれることはなかったのだし、リーフの護衛を命じられなければ今のリーフと顔を合わせることはなかったのだから。
「フィンの目かぁ。何だか、これ持ってると悪いこと出来なそうだね。」
「では、お返しになられますか?」
にっこり笑って手を差し出したフィンに、リーフはとんでもないと首を振り、大切に握りしめて立ち去った。
そしてフィンは、たったひと粒残ったビー玉の中にあの日のキュアンの姿を映し出して静かに感慨に耽るのだった。

-End-

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