レポート事件

いつものようにノルマをこなして優雅にお茶を飲みながら好きな本を読んでいたルーファスは、近付いてくるけたたましい足音に気付いて溜息をつきながら本を閉じた。
程なく、足音の主は部屋へ飛込んでくる。
「アレイナ!! 緊急時以外は…。」
しかし、ルーファスはその言葉を最後まで言えなかった。
「グランベルのセシル様が大きな風呂敷包みを背負って猛スピードでこちらへ向ってます!!」
「……はぁ?」
セシルがいきなり訪ねてくることは今までにも何度かあったが、大きな風呂敷包みなんぞ背負っているとは、家出でもしたのだろうか。しかも、このアレイナが猛スピードと評するからにはかなりの勢いで馬を走らせているのだろう。その荷物を狙う誰かに襲われでもして必死に逃げているのだとしたら、確かに緊急事態かも知れない。セシルは馬に乗ったままでは戦えないのだ。助けに行かなくてはいけないだろう。
いろいろ想像を巡らせたルーファスはアレイナからセシルの辿っているコースを聞き出そうと考えたが、結局それは無用の心配だった。
「ルーファス、居る〜?」
老朽化して再建を計画中だった城門を「銀の剣」のクリティカルヒットをもって一撃でぶち破り、建物の前で馬を乗り捨てると、アレイナよりは遥かにマシな足音とスピードでセシルはルーファスの部屋へ駆け込んで来た。
「門の再建費用はグランベルに請求するとしよう。」
ボソッと呟くルーファスだったが、セシルはそんな彼に構わず背負って来た風呂敷包みを下ろすと叫んだ。
「助けて、ルーファス! もう、君にしか頼れないんだ!!」
「……はぁ?」
目が点になっているルーファスの前でセシルは唐草模様の風呂敷を広げた。中から出て来たのは、多量の古びた本と、筆記用具である。
「あ、『ユーグ年代記』の初版本。」
ルーファスは中から1冊の本を取り上げると物珍しそうに眺めた。
「わ〜、さすがルーファス。一目でわかっちゃうんだね。」
「そりゃ、まぁ。」
愛読書のうちの一つであるから、わかって当然である。だが、この城の書庫にあるのは殆どが初版ではないのでセシルの持って来たそれはかなり珍しいのだ。
「そんな優秀な君を見込んで頼みがあるんだ。これ全部、現代語に訳して!!」
ルーファスは、積み上げられた本の山を見ながら硬直した。一体何冊あると思っているのだろう。
「………ざけんな。」
「え〜、そんな冷たいこと言わないで。お願いっ!!」
セシルに拝まれようと、すり寄られようと、詰め寄られようと、ルーファスの答えは変わらなかった。
「大体、どうして俺がそんなことしなきゃいけないんだ? いや、そもそも、どうしてこれを訳す必要がある?」
セシルが急にこの本に興味を持ったとは考えにくい。それに、もし興味を持ったならそれこそ自分で読みこなすべきだ。
「実は、士官学校の課題で…。」
歴史の夏休み前の課題でいろいろな年代のことを調べることになったのだが、運悪くというか、セシルは古代を引き当ててしまったのだ。そこで資料を集めたのだが、古代のことについて現代語で書かれた資料は当然のことながら少なかった。その数少ない資料を元にしては他の生徒と同じようなことしか書けないし、しかも絶対数の少ないものを分け合う為、どうしても資料として使用出来るものが限られてしまう。そこで、当時に書かれた文献をあたることにして使えそうなタイトルの本をいろいろ集めたまでは良かったのだが、今度は難しくて碌に読み進めなかったのである。
「これを読むことが目的じゃないのに…。」
これでは内容を元にしてレポートを書くなんて夢のまた夢。そうこうしている内に締切は迫り、今更現代語で書かれた資料を使おうとしても既に全て貸し出し済みでどうすることも出来ない。そこで切羽詰まったセシルはグランベルからここへ駆け込んで来たのだ。
「何も俺の処まで来なくても、グランベルにも古語が読める奴は居るだろ?」
ルーファスは呆れかえってしまった。
「それが、ダメなんだ。」
セシルだって、ルーファス以外にも古語が読みこなせる人間に心当たりはあった。しかし、従姉のフレイアは新婚旅行中。同じくサンドラは体調崩して寝込んでいるので訪問不可。シアルフィのフェリオは自分のレポートで忙しいからと門前払い。エッダのシャイロンは精進潔斎の最中だとかで面会謝絶。当然の事ながら、叔父夫妻やオイフェ卿やコープル司祭は忙しいから論外。こうして国内の心当たりは全滅である。そうなると他に古語が読みこなせる者は、ソファラにいる叔母とマリア、そしてこのルーファスくらいしか心当たりがない。だが、マリアにこんな恥を晒す訳にはいかない。
「だからもう君しか居ないんだ。頼むよ〜。」
困り果ててるセシルの答えを聞いてルーファスが最初に思ったのが「シアルフィ城の門は丈夫で羨ましい」だったからと言って、誰に彼を責めることが出来ようか。
「とにかく、俺にはこれを訳してやらなきゃいけない理由はないからな。バーハラ城に戻って、現代語で書かれた資料でも探してみろ。」
とりあえず、ノディオン城の書庫に適当な文献が見当たらないことは把握済みのルーファスだった。
「そんな資料があったらとっくに使ってるってば。」
このままではマズいと思った時点で、セシルは城の蔵書目録をチェックしてある。
「ねぇ、お願い。レポート書くのに必要なところだけでいいから、訳してよ〜。」
あまりにも必死に取りすがってくるセシルの姿に、ルーファスはだんだん哀れみを覚えて来た。しばらくセシルの様子を見つめてから、仕方無さそうに前髪をかきあげるようにして左手を額に当てる。
「……俺のメリットは?」
「翻訳料が必要なら払うし、それ以外でも僕に出来ることなら何でも!!」
思いつめたように真剣に迫るセシルに、ルーファスは深く溜息をつくと自分に降り掛かる労苦とそれに見合う報酬をざっと算定した。
「翻訳料として前金で10万G、後でこの『ユーグ年代記』初版本の写本。それだけ貰えるなら、レポートに必要な部分だけ訳してやる。」
セシルは即答でこの条件を飲んだ。そして前金をその場で受け取ったルーファスは、それから1週間に亘って執務補助の合間をぬって古語で書かれた大量の資料に目を通し、セシルのレポートを完成させた。
後に「レポート事件」と称されたこの一件以来、どうしてもルーファスに頼みたいことが出てくる度に、セリスやセシルは古語文学の初版本を探し出してはその写本と引き換えに要求を押し通すようになるのであった。

-End-

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