家族遊戯

〜ノディオン王家の家庭の事情〜

その日のノルマを昼過ぎまでに全て終わらせたルーファスは、ティータイムまでの空き時間をフィーナの部屋で過ごしていた。
白黒のボードを挟んで向かい合い、真剣な表情でコマを見つめる妹を温かく見守りながら辛抱強く次の行動を待つことを繰り返す。そして、ついにフィーナが投了を宣言してコマを倒した。
「やはり、お兄様はお強いですね。」
幾つかのコマを最初から外して、それでも少ない手数で勝ってしまう兄にフィーナは尊敬の眼差しを向けた。
「いや、お前も結構スジがいいよ。少なくとも、読書しながらでは相手出来ないくらいにね。」
ルーファスは苦笑しながら傍らの本を指差した。アレイナの相手をする時にはいつも読書の片手間にコマを動かして余裕で勝っていたので、フィーナに誘われた時も持って来たのだ。
「まぁ、お姉様相手にそのようなことをなさってたんですか?」
「ああ。だから、正直言ってお前のことも見くびってた。悪かったな。」
すまなそうに言う兄に、フィーナは笑顔で応じた。
「その御本を読んで聞かせて下さるなら、お兄様の非礼は忘れます。」
お茶の時間まではまだ結構あるが、もう一試合するには短い。それなら、兄の言葉をとらえて本を読んでもらうことで一緒に過ごそうととっさに思い付いたのだが、言ってみてからフィーナはこれは結構良い考えかも知れないと思った。ルーファスの愛読書は内容こそ面白いのだが、古語で書かれている為、自分ではまだ満足に読めないのだ。兄にその場で現代語に訳して読み聞かせてもらえる機会は貴重だった。
「お姫様の仰せのままに。それでは、短編の部分を…。」
そう言いながらルーファスが本をパラパラとめくっていると、けたたましい足音を立てて廊下を走り抜けていく者があった。
「あれは…。」
二人は顔を見合わせた後、ほぼ同時に足音の進んで行った方に向って叫んだ。
「俺はフィーナの部屋にいるぞ〜!」
「お兄様は私のお部屋です〜!」
それを受けて、足音の主は急速で引き返して来て部屋へ飛込んだ。
「緊急時以外は廊下を走るな、と何度言わせるんだ!!」
思った通りの人物が飛込んで来たのを見て、ルーファスは一喝した。しかし、アレイナは構わず兄の腕を掴むと引っ張った。
「お母様が『鍛えの間』で大変ですの。一緒に来て下さいませ!!」
問答無用でグイグイと腕を引っ張られて、ルーファスは「本はまた今度な〜」と言い残してアレイナと共に廊下を走って行った。

ルーファスが『鍛えの間』に駆け込むと、ナンナが部屋の真ん中で座り込んでいた。
「もしかして、足を傷められたんですか?」
困ったような顔で頷きながら足を押さえる母を見て、ルーファスはその足元へかがみ込むとブーツを脱がせて様子を確かめた。タイツの上から触った結果、変型している様子は見られないので、ルーファスは声をかけながら足先を持っていろんな方向へ動かしてみた。
「痛い!!」
特定の方向へ動かした時に強烈な痛みが走るようだが、動きに異常は見られない。どうやら酷い捻挫らしい。
「とにかく、父上にお部屋まで運んでいただきましょう。」
「えっ、アレスを呼び出すの? あなたが肩を貸してくれれば…。」
娘との剣の練習中にバランスを崩して転んだ挙げ句受け身に失敗して捻挫なんて、そんな素人みたいな恥ずかしい理由で忙しいアレスを呼びつけることに、ナンナは難色を示した。アレスを呼びたくないからこそ、アレイナがルーファスを呼びに行くと言った時にはホッとしたのに…。
「母上の胸中はお察ししますが、俺はミストルティンの錆になる気などないんです。」
その言葉の意味するところを悟って、ナンナは真っ赤になって俯いた。
「それに…。もう、いらっしゃったみたいですよ。」
そう言ってルーファスが入り口の方を見遣ると簡抜入れずにアレスが姿を現わした。
「ナンナっ、無事か!?」
無事じゃないと思ったから来たんじゃないんですか? という突っ込みを心の中で入れながら、ルーファスは父に自分の所見を報告した。
「ナンナの足に勝手に触るなよ。」
アレスは不機嫌そうに言葉を漏らしたが、状況によっては医師の手配やら何やらを迅速に行わなくてはならないのだからという判断が出来るくらいには理性が保たれていたので、ルーファスを睨み付けるくらいで止めておいた。
「失礼致しました。それにしても、早かったですね。これからアレイナを走らせるつもりだったのですが…。」
「フィーナが知らせに来た。」
てきぱきとナンナの身体を抱え上げると、アレスはその時のことを思い出して苦笑した。

執務室の扉の前でうろうろしてノックしようとしては手を止めて、そんな気配に気付いたアレスがデルムッドに扉を開けさせると、思いつめたような顔をしたフィーナが立っていたのだ。
「何か用か?」
眉間にしわを寄せて書類と格闘していた顔をそのまま上げて問う父の様子にビビったのか、フィーナは何やら要領を得ないことを繰り返すだけだった。
「あの、『鍛えの間』がお姉様で、ではなくて、お母様で…ああ、違う、えぇっと…。」
「言いたいことがあるなら、はっきり言え!!」
大嫌いな書類決裁のストレスで不機嫌なアレスは、ついフィーナを怒鳴り付けてしまい、身を竦ませながらその目に涙を浮かべた娘の姿を見て一気に血の気が引いた。
「ひ、姫様。まずは、深呼吸しましょう。」
慌ててデルムッドがフォローしてくれたおかげで何とか泣き出させずに済んだが、アレスはフィーナと一緒に深呼吸して気持ちを切り替え、なるべく穏やかな口調を心掛けながら再び問いかけた。
「それで? ナンナがどうかしたのか?」
今度は優しく聞かれて、フィーナは要点のみを伝えた。
「お母様が『鍛えの間』で大変、です。」
アレスは慌てて部屋を飛び出し、それを追ってデルムッドも部屋を出て行ってしまった。
後に残されたフィーナは父が飛び出した折に部屋中に散らばった書類の数々を見ながら、自分は何かマズいことをしたのだろうかとその場に立ち尽くし、その後に我にかえって丁寧に書類を拾い始めたが、それは大人達の預かり知らぬことであった。

「まさか、部屋を飛び出す時にフィーナを突き飛ばしたりしてないでしょうね?」
フィーナが知らせに来た時のことを聞きながら手当てを受けていたナンナは、アレスを軽く睨みつけた。
「してない。…と思う。」
自信なさそうなアレスを見て、ナンナは傍らで心配そうに自分を見ている兄に視線を流した。
「大丈夫だよ。フィーナ姫はちゃんと身を躱されたから。」
その答えを聞いて、ナンナは呆れたようにアレスを見た。要するに、偉いのはとっさに避けて自力で身を守ったフィーナの方であって、下手をすればアレスは幼い娘を突き飛ばしていたかも知れなかったのだ。
「うっ…、無事だったんだから良いだろ? お前が大変だ、なんて言われて、周りを見てる余裕なんかあるか。」
拗ねたように返されて、ナンナは溜息をついた。
「これで良しっと。しばらく安静にしてろ。」
「うん。」
しかし、救急箱を片付けて戻って来たアレスは執務室に戻ろうとはしなかった。
「アレス、執務は?」
「ルーファスが代行してる。母上がいろいろ不自由なさるでしょうから、だとさ。」
ナンナが不自由する。それがわかっていて書類決裁なんて出来るようなアレスではないことを、ルーファス達はよくわかっていた。
フィーナもルーファスも気を利かせ過ぎよ、と思いながらもそれを喜んでしまう自分が居ることを否定出来ないナンナは、困ったように俯いた。
「3日間だけですからね、アレス様。スケジュール変更するのも簡単じゃないんですから。それと、どうしても王太子殿下には決済出来ないような書類があった場合はこの部屋へ運んで来ますから、その時はちゃんと仕事して下さいね。」
ルーファスが決済出来ないような書類なんて滅多にない。あるとしたら、王太子の権限では裁可出来ないようなものくらいだ。
デルムッドの言葉に生返事を返すと、アレスは彼を追い立てるように執務室へ向わせた。
「それから…。」
「って、まだ何かあるのか?」
アレスは、なかなか立ち去らないデルムッドに不機嫌な顔を向けた。
「これが肝心なんです。ナンナが走って逃げられないのをいいことに、昼間っからあんまりいちゃつかないで下さいよ。」
デルムッドの言わんとするところにアレスが気付くより先に、ナンナが投げた枕がデルムッドの顔面にクリーンヒットした。
そして逃げるように執務室へ戻った宰相閣下が目にしたものは、国王が溜め込んだ書類を次々に片付ける王太子と、その横で静かにチェスをしながら時折処理済みの書類の束を移動させている2人の姫君の姿だった。
この事件の後ルーファスの担当する書類のノルマは3倍に跳ね上がったが、それでもやはり余裕でこなしては時々父の溜め込んだ書類の始末を手伝う姿が見られるのである。

-End-

インデックスへ戻る