風の輪舞

-1-

ある日の夕方、フレヴィは庭の片隅でしゃがみこんで声を殺して泣いている少女を発見した。
「どうしたの? どこか痛いの?」
そっと声を掛けながら近づいたフレヴィに、彼女は一瞬ビクっと肩を震わせると、涙を拭いながら顔を上げた。
目元をこする手で顔は良く見えなかったが、フレヴィの目には彼女の軽鎧についた印がしっかりと映った。
「君、ペガサスナイトの訓練生なんだね。こんなところに入り込むなんて……、道にでも迷ったのかな?」
こんなところ、と聞いたとたんにまた肩をビクつかせた彼女に、フレヴィは無難そうな理由を挙げてみせた。すると、しばらく躊躇した後、彼女はコクリと頷いた。
「それじゃ、宿舎の近くまで送っていくよ。」
「あ、いえ、大丈夫…。」
慌てて断ろうとする彼女に、フレヴィはその言葉を遮り念を押すように言った。
「だって、道に迷っていたんだろ? それとも、他の理由で王家の庭に入り込んで泣いてたのかな?」
王家の者と近しい者にしか入ることを許されない庭に、一体どんな理由があってペガサスナイトの訓練生が入り込んだのか。もしもフレヴィや両親ではなく側近の兵士に見つかっていたら、彼女は即刻捕らえられてしまう。一人でこの近くをうろついているところを誰かに見つかっても、問題になるだろう。
フレヴィは、少々強引な方法ではあったが、理由をこじつけて彼女が一人で歩いていても構わない場所まで送っていくことにした。
そんなフレヴィの気遣いを感じて、少女は宿舎の近くまで送ってもらうことにした。それに、ここで泣いていた本当の理由を知られたくはない。せっかくフレヴィが聞かずに済ませようとしてくれているのに、ここで彼の提案を否定したら、やぶ蛇になってしまうだろう。
「ここまで来れば、大丈夫かな?」
「あ、はいっ、大丈夫です。あああ、ありがとうございました。」
沈みがちな顔で後ろから歩いてきた少女にフレヴィが声を掛けると、彼女は弾かれたように返事をし、そして何度も礼を言って宿舎の方へと駆けていった。
「いろいろ大変だとは思うけど、頑張ってね。」
背中に声援を受けて、少女は立ち止まって振り返ると、僅かだが笑顔を浮かべてもう一度フレヴィに向かってお辞儀をしたのだった。

去り際の笑顔が目に焼き付いたフレヴィは、それから彼女のことが気になって仕方がなかった。せめて名前だけでも聞いておけば良かったと思っても後のまつりである。そこでフレヴィは、あんなところで泣いていた本当の理由も気になるし、と彼女のことを調べ始めた。
その気になれば、結構簡単なものである。天馬騎士団の統括本部へ行って「訓練生の名簿ファイルを見たい」と言えば、理由など明確にしなくても見せてもらえる。だが、新人から入団間近な者まであわせると訓練生の数は多いしフレヴィ自身もまとまった空き時間は少ないしで、目的を達成できるまでには少々日数が掛かってしまった。
「ああ、この子だ。シルフィア・F・ヴェルトマー……って、シルフィ?」
名簿に乗っている写真を何度見返しても間違いなくそれはあの少女だったし、そこに記されている名は確かに従妹のものだった。そう言えば、ヴェルトマーで母親から様々なことを学んできた従妹達が、本場の天馬騎士の元で訓練経験を積む為に先日からこちらへ来ていたと聞いていたような気がする。幼い頃にあの庭で遊んだ時の記憶が、フレヴィの脳裏に甦った。
「そうか、あそこは…。」
彼女が踞っていたあの場所は、昔、ファーに泣かされた時にシルフィが逃げ込んだ場所だったっけ、と懐かしむように先日の光景を思い出したフレヴィだったが、そこでふと引っ掛かるものを感じた。
「何があったんだろう?」
訓練がきついだとか、そんな理由であんなところでこっそり泣くようなシルフィではなかったはずだ。第一、従妹達が訓練でかなり優秀な成績を修めていることは、先日父の口から漏れ聞いたばかりだった。さすがはフィー達の子供だ、と嬉しそうに母に笑いかける父の姿は記憶に新しい。訓練についていけなかったりするようなことはないだろう。
それに、昔も、ファーに苛められた時−本人は思ったことを遠慮なく口に出してるだけだったんだろうけど−くらいしか、あそこへ逃げ込んだりはしなかった。
「訓練生の中でイジメとか…。まさか、ね。」
そんな莫迦な、と考えようとしても、一度芽生えた疑念はそうそう消し去れるものではなかった。それなら、実際にその目で確かめようと思い立ったフレヴィは、それから毎日のように空き時間に訓練生の様子を見に通い詰めたのだった。

訓練を覗き見たフレヴィは、そのハードさとそれを懸命にこなす訓練生達の姿に目を丸くした。これではイジメなんてやってる余力はないんじゃないか、という程だった。
しかし、毎日見ていると、良からぬ空気も感じられるようになってきた。ほんの一瞬の言葉の暴力の繰り返しである。
「邪魔よ、お嬢様。」
決して大声ではなく、それでいて鋭くシルフィの耳に向かって飛ばされるそんな言葉の数々。どうやら、ファーやトリアも同様のことをされているらしい。それでもファーが黙っているのは、これが日常の出来事だということなのだろう。おそらく、騒ぎ立てても無駄だということを身を持って知ったと見られる。勿論、フレヴィが騒いでも何の解決にもならないだろう。今の彼には、彼女が1人になった時に偶然を装って励ましの声を掛けるくらいしか出来なかった。
そうして隠れた視察を続けること数週間。フレヴィは訓練終了後に、その日の対戦でシルフィアに瞬殺された者やその仲間達が、彼女を取り囲んでいるのを目にした。
「ちょっと運が良かったからっていい気になるんじゃないわよ。」
これまでは、パワーの差で彼女の方が勝っていたらしい。しかし、思い切り良く打ち掛かっていったシルフィアのスピードに、彼女は成すすべも無く敗北したのだ。
「アンタみたいなお嬢様に居られたんじゃ、迷惑なのよ。」
「そうそう。遊び気分の人間が混じってたんじゃやってらんないって感じよねぇ。」
シルフィアを囲んで言いたい放題の少女達に、横からフィリアが食って掛かる。
「姉さんが大人しいからって付け上がるんじゃないわよ! アンタ達が姉さんに負けたのは実力じゃないのさっ!!」
本気で突きを繰り出すことを躊躇っていた以前と違って、今のシルフィアの攻撃は格段に鋭くなっていた。生来のスピードもあって、既にその戦闘力は正規の騎士にも匹敵するだろう。
「な、何が、実力よ。」
「お嬢様のお遊びと一緒にして欲しくないわね。」
「遊びに来てるお嬢様は、さっさと家に帰りなさいよ。」
反論する少女達に、更にヴィクトリアからポ〜っとした表情で辛辣な言葉が掛けられる。
「では、お嬢様のお遊び以下の力しか持たずに遠吠えしてるあなた方も、さっさと御実家にお帰りになられた方がよろしいですわね。」
その言葉に、少女達はますます頭に血を上らせ、妹達を止めようとしているシルフィアに矛先を向ける。
「良い子ぶってんじゃないわよ!」
「たまには自分で言い返してみなさいよ!!」
下手に口を挟んでは従妹達の立場をますます悪くすると思って我慢していたフレヴィだったが、シルフィが小突き回されるのを見て、ついに陰から飛び出そうとした。
しかし、飛び出しかけたフレヴィの身体に突然布が被せられたかと思うと、4本の手が伸びて彼をその場から連れ去った。

「ぷはっ。」
布が取り払われてフレヴィが目を瞬かせると、目の前には両親の顔があった。
「何するんですか!?」
仏頂面で問う息子に、セティとティニーはその反応を楽し気に見つめながら答えた。
「あそこでお前が飛び出しても、誰の為にもならないよ。」
「あれは、私達が直接出ていってはならない問題なの。」
前々から知っていたかのような様子の両親に、フレヴィは怒りを募らせた。
「知っていて、それでも放っておいたんですか。あんな風にシルフィが…。」
寄って集って彼女を攻撃されるのは、恐らくあれが最初ではないはずだ。それを知っていながら何の手も打とうとしない父に、フレヴィは不信感さえ抱いた。
「父上が命じれば、済むことではありませんか!!」
彼女達に理不尽な言い掛かりをつけるな、と。シルフィにあんな真似をすることは許さない、と。あるいは、あのような卑劣な行いを見逃さぬようにもっと訓練生達に目を光らせるように指示するだけでも良い。
「勿論、大事に到らないように言ってあるよ。だから、今はジッと見守るんだ。」
「ミーシャさん達の目は節穴ではありません。彼女達を信じましょう。」
目線の高さを合わせて諭すようにする両親に、フレヴィの心は徐々に鎮まっていった。特に、今のような幸せを手に入れるまでには様々なことがあったらしい母から実感のこもった口調で言われると、その言葉を信じても良いような気がして来る。しかし、まだ納得は出来ない。
「でも、あんな風に言われて、小突かれて…。」
「そうだね。だいぶエスカレートして来てるみたいだ。」
セティも最近の彼女達の行動には少々目に余るものを感じて来つつあった。
「だけど、もう少し我慢してみようよ。」
フレヴィは、どうして父がそんなことを言うのか解らなかった。不満を訴えるような顔のフレヴィに、セティは優しく問いかける。
「お前は、天馬騎士の仕事にはどんなものがあると思う?」
突然の問いに、フレヴィは困惑しながらも答えた。
「えぇっと、空中戦とか護衛とか…。あとは、偵察に連絡、運搬ですか?」
「うん、大体そんなところだね。」
まずまずの答えに、セティもティニーも合格点をつけた。
「それでね、フレヴィ。その連絡の役目の中に、外交特使ってものも含まれてることは把握出来ているかな?」
「外交特使…?」
オウム返しして、フレヴィはハッとなった。
国王の名代として諸国に赴いても、身分は騎士である。滞在中に、不当に蔑まれるようなこともあるだろう。だが、その度に騒ぎ立てていたら役目は務まらない。
「だからと言って、ただ黙ってれば良いってものでもありませんけどね。」
そこは程度と言うものがあるし、身分については逆もまた然りだ。
割り込むように掛けられた声に振り返ると、セティはカリンが現われた理由を察したように問いかけた。
「始末がついたのか?」
「はい♪」
そうして、騒ぎを治めてやって来たらしいカリン隊長の口から、フレヴィは事の顛末を聞いたのだった。

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