グランベル学園都市物語

第36話

バレンタインデー当日。
寝不足の身体に鞭打って、表向き平静を装って登校したセティの机の上には、例年通りチョコが積まれていた。イシュタルの机も同様である。(余談であるが、セリスの机の上にも大量のチョコが積み重なっていた)
「元気ないね。どうしたんだい?」
「ええ、ちょっとチョコ作りで寝不足に…。」
「君も?」
「あら、聞き捨てならないわね。どうしてあなたがチョコ作りで寝不足になるのかしら?」
イシュタルは慣れぬ手作りチョコにチャレンジして寝不足になった。しかし、セティが同じ理由で寝不足になるとは納得できない。
セティは他の人には内緒にしておいてくれるように前置きして、フィーのチョコ作りのフォローで寝不足になったことを白状した。
「まぁ、あのフィーが…?」
「アーサーには特に内緒だよ。それにティニーにも。自分の所為でフィーが、なんて考えると困るから。」
「そうね。あの子ならあり得るわね。」
「しかし、君が手作りチョコとは意外だったな。」
例年、イシュタルは有名店のバレンタインチョコを取り寄せてユリウスに贈っていた。
「ちょっと、やってみたくなったのよ。」
口先では興味本意みたいに言ってるが、そんな理由ではないことくらいイシュタルの顔を見れば明らかだった。
先日少年院から出て来たユリウスは、現在アルヴィスと共にヴェルトマー家の数ある別荘のうちの1つに隠っている。週末になるとイシュタルはその別荘に行き、遅れていた勉強を教えたり、一緒に遊んだりしているが、今の彼は感情が希薄なのか表現が貧困なのか、イシュタルにささやかな笑顔を見せる以外、殆ど表情がない。また口を開いても、流れるのは抑揚のない短い言葉で会話と言えるような会話は成り立たない。一方、平日のユリウスは館の中でじっとしているらしい。イシュタルが置いていった本を読んだり、音楽を聞いたりして、一歩も外へ出ようとはしない。
そんな生活をしているユリウスに少しでも感情を取り戻して欲しい。
そして、既に両思いだったはずだがもう一度改めてユリウスに気持ちを伝えたい。
だから今年は市販品ではなく、心を込めて手作りチョコにした。それはティニー達が作っていたような簡単なもので、イシュタルにとっては難しくも何ともない単純なことのはずだった。けれど、ユリウスに贈るという緊張からか失敗を繰り返した。やっとのことで仕上げたチョコも、一般生徒の方がよっぽど上手いんじゃないのか、というようないびつさだった。
「伝わるといいね、君の気持ち。」
普段は強気のイシュタルがユリウスの事となるとこんなにも弱気になるのかということを認識したセティに出来ることは、励ましの言葉を掛けることくらいだった。
「ありがとう。」


 

放課後、セティは待ち合わせの場所でティニーを待っていた。
すると、向こうからティニーが暗い顔でやって来た。
「どうかしたのかい?」
「ごめんなさい。セティ様にチョコをお渡しできなくなってしまいました。」
ティニーはそう言うと、しくしくと泣き出してしまった。
「一生懸命作ったんです。でも、セティ様に差し上げられない。」
そう言って泣くティニーにセティはおろおろした。
「失くしてしまったとか?」
ティニーは首を横に振った。
「誰かに齧られたとか?」
「違います。ここにあるんです。でも、セティ様には…。」
あるけど渡せない?
セティはいろいろな可能性を考えてみた。
例えば、メッセージの綴りを間違えたから恥ずかしくて渡せない、とか。父兄に渡す分を間違って持って来てしまった、とか。まさか、私の事が好きじゃなくなったからなんて言われたらショックだぞ、とか。
いろいろ考えて百面相してるセティに、ティニーは泣きながら告白した。
「せっかくのハート形チョコが割れてしまいました。」
「もしかして、転んだ?」
ティニーは、こくんと頷いた。
「ティニーに怪我は?」
「ありません。でも、セティ様のチョコが…。」
泣き続けるティニーに目の高さを合わせるように少し屈むと、セティは優しく声を掛けた。
「ティニーに怪我がなくて良かったよ。」
「でもチョコが…。」
「割れたって食べられないわけじゃないだろう?」
「でも、割れてたら縁起悪いです。」
「それでは、ティニーは私に一口で食べろと言うつもりだったのかな?」
手元の袋の口から垣間見えるあの箱がチョコの箱だとすると、15センチくらいの幅はあるだろう。ハート形と言うことは長さも似たようなもののはずだ。割れてはいけないのなら、セティはそれを一口で頬張らなければならないことになる。
「そんなことは…。」
「割れたと言っても粉々に飛び散ったわけではないんだろう?だったら元の形だってわかるし、食べられるよ。」
ティニーは渋々とチョコを取り出しセティに見せた。
早速セティがティニーの手元を覗きこんでみると、ティニーが泣く程にひどく割れたようには思えなかった。適度に割れ目が入った程度だ。『On Valentine's Day My Heart to セティ様 〜From ティニー』の文字もちゃんと読める。
「私には、割れてるようには見えないけどね。」
「えっ?」
「もう一度よく見てごらん。無傷だろう?」
何度見直してもヒビが入っているように見えるのだが、ティニーは「何ともない」と言ってくれるセティに甘えることにした。
「受け取っていただけますか?」
「喜んで♪」
セティはその場でチョコを全部平らげた。
そして、そんな甘いひとときを過ごしたティニーが帰宅して目にしたものは、「無理しやがって…」と嬉しそうに言いながらフィーのチョコを一気食いした挙げ句に、ティニーのチョコを割らずに頬張る兄の姿であった。

前へ

次へ

インデックスへ戻る