残暑と風と雷と

グランベルを目前にして、セリス軍は今、危機に陥っていた。
これまでの戦闘で鍛え上げられた彼らにとって、攻めて来る敵軍などもはや物の数ではない。しかし、見えない敵は驚異的だった。
温暖湿潤と言えば聞こえは良いが、その実、大変蒸し暑い。オイフェの話では、特に今年の気候は異常らしく、過去に累を見ない蒸し暑さだということだ。
おかげで、解放軍ではバタバタと人が倒れて行った。
真っ先に倒れたのは、アーサーだった。シレジア育ちで元々暑さには弱い上に、豊かな長髪は首や背中に熱をこもらせるし、暑さを吹き飛ばす気合いだの、暑さに耐える根性だのとは無縁なのだから無理もあるまい。それから間もなく、ハンニバルも寄る年波には勝てず、リタイアした。
その後も、体力のない者からどんどん倒れ、その分を埋め合わせたり倒れた者を看病したりの疲労が重なって、事態は大変深刻なものとなっていった。
「さすがに君たちは元気みたいだね。」
この暑さの中でも修行に励んでいるスカサハとラクチェを見かけて、セリスは嬉しそうに声をかけた。ユングヴィ勢が全滅して援護射撃が受けられなくなり、デルムッドが倒れて支援効果が減少し、ついに先日前線要員のリーフまで倒れたこの劣悪な環境下で、その影響をまるで感じさせない彼らの存在は大変頼もしい。
「この程度でへばってたら、シャナン様に顔向け出来ませんから。」
「イザーク人としては、暑さなんかに負ける訳には行きませんから。」
構えを解いて答えるラクチェとスカサハは、流れる汗も爽やかだった。2人とも、意地やプライド以前に、鍛え方が違うらしい。セリス自身も幼い頃からイザークで育っているおかげで暑さや寒さや乾燥には強いと自負しているが、この2人を見ているとまだまだ自分は甘いと思ってしまう。
しかし、スカサハの次の言葉でセリスは一気に暑さと共に血の気が引いた。
「もっとも、こう蒸してると少々堪えますけどね。」
あたふたするセリスの前で、ラクチェは呆れたようにスカサハに声をかける。
「だらしないわね。鍛え方が足りないんじゃないの?」
「そうかぁ?」
「そうよ。シャナン様なんて、長髪に黒尽くめの長袖でも平然としてらっしゃるのよ。短髪に袖無しのスカサハが弱音吐いてどうするの。」
「そういう問題じゃないだろう?」
そんな会話を繰り広げていた兄妹は、そこでやっとセリスの様子がおかしいことに気づいた。
「「どうかしましたか?」」
異口同音に問われてハッと我に帰ったセリスは、真剣な顔でスカサハに縋るように言った。
「頼むから、他の人の前では今みたいなこと言わないでよ!」
「はぁ…。そりゃ、俺だって誰彼構わず弱音を吐くような真似はしませんが…。」
「絶対、絶対言わないでよ!"死神1号"の君の口からそんな言葉を聞いた日には、なんとか気力で踏みとどまってる人達は全員、一気に抑えが効かなくなって、我が軍は壊滅状態に陥るんだからねっ!!」
あまりにも真剣に青ざめた顔で言われたスカサハは、面と向かって呼ばわられた"死神1号"の呼び名に文句を言うどころではなく、ただただ頷くしか出来なかった。

「そう言えば、本家黒尽くめのアレスは大丈夫かなぁ?」
スカサハが何度も頷いて絶対弱音は吐かないと誓ったことでやっと安堵したセリスは、気を取り直して現在の戦力を確認しようと思い立った。考えてみると、スカサハに負けないくらい体力が有り余っているとは言え、"黒騎士"の異名通り黒尽くめの上に黒の鎧まで付けているアレスは、かなり危険だ。
しかし、様子を見に来たセリスに対し、アレスは胸を張って応えた。
「暑さになんぞ負けて堪るか。俺はお前が倒れるのを見て"軟弱者"と嘲笑ってやるんだ。」
「何、それ?」
理由はともかく、アレスは意地でも倒れないらしいと解ってセリスはホッとした。
「ナンナは、大丈夫?デルムッドはとっくに倒れちゃったし、リーフもとうとうダウンしたみたいだけど…。」
体質と幼少時の環境、どちらを見ても不安であるし、気合いとか根性という文字が似合いそうにない見た目からして、セリスは未だにナンナが体調を崩さないことの方が不思議なくらいだった。そんな心配そうな顔をするセリスに、ナンナは思い詰めたような顔で答えた。
「絶対に倒れる訳には参りません!」
そう宣言したナンナは、どことなく悲壮な様子にも見える。
「私が倒れたらアレスが出撃拒否しそうで、おちおち倒れることも出来ません。それでも倒れるようなことがあれば、万一の時はアレスの背中に縛り付けてもらってでも一緒に出撃します。」
「おい、俺ってそんなに信用ないのか?」
アレスは不満そうだが、どうやらその可能性を否定する気はないらしい。
そんな理由で本当に良いのかどうかはさて置き、少なくともこれで5人は意地でも絶対に倒れられない人員が確保出来ることだけは良かったと思うセリスであった。
「えぇっと、あとまだ元気なのは…。」
ポケットからリストを取り出して印をつけるセリスに、アレスが答えた。
「ヨハルヴァは元気そうだな。」
アレスは、今朝もヨハルヴァがラクチェに陽気に声をかけていたのを思い出す。あの様子なら、心配は要らないだろう。
「ヨハルヴァは"OK"と。あとは飛兵2人と…。」
呟くセリスに、ナンナが口を挟む。
「アルテナ様はお元気ですけど、飛竜がバテて来てるようです。」
ペガサスと違って飛竜には体温を調節するための汗腺がない。熱に強い表皮を持っては居ても、それは一時的な高熱に耐えられるだけのことで、日常の暑さへの耐性とはまた別の話である。
ナンナから話を聞いたセリスは、眉をひそめた。飛竜に倒れられたら厄介である。戦力ダウンも然ることながら、グッタリした飛竜など非常時にどうやって逃がせば良いのだろう?
アルテナも飛竜を頻繁に水場に連れて行ったりして何とか保たせてるようだが、なるべく早くこの地域から移動した方がいいだろう。北上すれば、少しはマシになるかも知れない。
しかし、こうも倒れた人員が多いと簡単には移動出来ないのが実情である。何しろ、攻め込むにも倒れた人間を運ぶにも人手が足りなすぎる。そのためになかなか移動出来ず、暑さで更に倒れる人間が増えるという現象にセリスはただ、早く季節が変わるのを祈りながら深くため息をつくしかなかった。

敵襲の知らせを受けて、セリスは出撃可能な人間全員に号令をかけた。そして、仲良く駆け出して行くセティとティニーの後ろ姿を羨ましそうに見やる。
「いいなぁ、"専用エアコン"付とその彼女は…。」
仲のいい姿も羨ましいが、今はその周りを流れる風の流れの方が遥かに羨ましかった。
風使いセティの血の恩恵か、辺りがどんなに暑苦しい気候であろうともセティの周りは涼風が流れていた。そのおこぼれか、はたまたセティに愛されている故か、ティニーの周りでも風が熱い空気を流してくれるおかげで、2人ともいつでも涼しげな顔をしている。
「あ〜あ、うちのご先祖様ももっと便利な加護を与えてくれたら良かったのに…。」
『ティルフィング』は手に入らないし、特別なスキルがある訳でもないし、とブツクサ言いながらセリスは出撃した。
それぞれ持ち場が広範囲なために、当人達以外は全く知らなかったのだ。セティもティニーもこの暑さには辟易しているということを…。
セリスが"専用エアコン"と呼ぶその恩恵も、せいぜい小さな扇風機並みの威力である。他の人たちよりは快適で熱中症とはほぼ無縁で居られるとは言え、暑いものは暑い。
しかし、セティもティニーも暑さで溜まったストレスを一気に発散することでどうにか耐えていたのだった。
「3日と置かずに攻めてくるとは、まったくご苦労なことですね。さぞや、お暑いでしょう。どうぞ、存分に涼んで下さい。」
「見るだけでも暑いから近づかないで下さいって言ってるのに……どうして解ってくれないんですかっ!!」
目の据わったセティからは必殺『フォルセティ』が、キレたティニーからは怒りの『トローン』が、それぞれ敵軍に襲いかかる。そして、一気に敵を壊滅させるとすっきりした顔でまた仲良く陣に戻るのだ。
おかげで後に、記録にはこう記されることとなる。
いつまでも続く猛暑と例年にはない数の台風と落雷で、この年のミレトス地方は前代未聞の異常気象続きであった、と…。

-了-

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