白銀の祈り

「雷神イシュタルの最後の戦い、しかと見届けるかいい!」
そう叫んでトールハンマーを放つべく呪文の詠唱を始めたイシュタルの前で、セティはライトニングの魔道書を取り出した。例え光魔法が全般的に有利であるとしても神器相手にナメた真似を、とイシュタルは怒りを募らせたが、その後にセティがとった行動は彼女を困惑させた。何と、空に向って魔法を放ったのだ。
それから間もなく、トールハンマーの詠唱が終わろうかという少し前、イシュタルの身にコープルの放ったスリープの光が降り注いだ。

イシュタルが目を覚ますと、そこはフリージ城の中だった。
武器の類は全て取り上げられていたが、縛り上げられたりもせず丁寧にベッドに寝かせられており、傍らには心配そうに顔を覗き込んでいるティニーの姿があった。
ティニーはイシュタルが目覚めたのを確認すると、扉の外からセティとフィーを招き入れた。
「いったい、どういうつもりなのかしら?」
自分を眠らせておいて、殺すどころか幽閉もせず、しかも非力なティニーと2人きりにしておいた彼等の意図がイシュタルには解らなかった。その気になれば武器などなくてもティニーを人質にするくらい簡単なことだ。
返答によってはそれを実行に移すこともやむを得まいと覚悟を決めたイシュタルだったが、セティの口からは信じられないような言葉が紡がれた。
「あなたに、ユリウス皇子を救っていただきたいのです。」
イシュタルは自分の耳を疑った。
「姉様なら、ユリウス様をお救いすることが出来るかも知れません。」
「ユリウス様を…救う?」
それは、ユリウスの魂を救うと言うことだろうか。
彼等は、解放軍に倒されたユリウスの菩提を弔って生きろと言いたいのだろうか。
そんな考えがイシュタルの頭の中をぐるぐると回った。
「ユリア皇女が『ナーガ』を携えてユリウス皇子の元へ向いました。」
「その時、スカサハへの伝言を頼まれたの。」
ヴェルトマー城で神器『ナーガ』の魔道書を手に入れたユリアは、ユリウスとの最終決戦のためバーハラへ向った。その際に伝言を頼まれたフィーは、それをスカサハに伝えた後、兄に相談を持ちかけた。
元々イシュタルを殺すことにためらいを覚えていたセティ達は、イシュタルとの戦いの折、眠らせて時間を稼ぐことをしていた。ユリウスの意に逆らって子供達を守った彼女のことだから、ユリウス亡き後は意地を張るのをやめてくれるのではないかと期待を掛けていたのだ。そんなセティの元にフィーがもたらした情報は、貴重なものだった。
通常、魔道書は術者と魔法の力との媒体であり、神器と言えどもそれは同様であった。魔道書の存在と呪文の詠唱により、資格ある術者は竜族の司る力を借り受けて使用することができるのだ。しかし、『ナーガ』は他の魔法と違って術者の身体に神竜を降臨させる。だからこそ、依り代に憑依したロプトウスに対抗することができるのだが、それは術者にとって諸刃の剣だった。降臨させた神竜に身体を支配されることなくその力のみを自らの意のままに振るい、用が済んだら神竜を身体から追い出さなくてはならない。それが出来なければ、強大すぎる力に身体が耐え切れず命をも失いかねない。
だから、ユリアはスカサハに「神竜の力に負けそうになったら、私の心を呼び戻して下さい」と伝えるよう頼んだのだ。
「ふっ…、私の呼び掛けでユリウス様がロプトウスを追い出せるようなら、今頃元通りのお優しいユリウス様に戻っているわ。」
イシュタルの前ではロプトウスが影を潜めているようだが、ユリウスの身体から出て行く気配は一向に無かった。それを口惜しく思い、あまつさえユリウスの心が残っているが為に彼が苦しむのを見るのがイシュタルにはとても辛かった。
ここまで同化してしまっては、もうユリウスはロプトウスと共に滅ぶしかないのだ。
「いいえ。『ナーガ』の力でロプトウスが弱った時にユリウス皇子がロプトウスを追い出せれば、彼は道連れにならずに済むかも知れません。」
「これまでユリウス様はずっと己の心を手放さずにいられたのです。その心を呼んで差し上げて下さい。」
力強く言い募るセティとティニーに、イシュタルは勇気づけられた。僅かでも望みがあるのなら、それに賭けてみるのも悪くない。うまくいく可能性が僅かでもあるのなら試さずには居られない。
だが、それで失敗した時はイシュタルにより一層辛い思いをさせることになるのだと、果たして彼等はわかっていたのだろうか。
「一つだけ約束してもらえるかしら?」
決意を固めたイシュタルは、ベッドから降りるとセティ達を正面から見据えた。
「もしも、ユリウス様に万一のことがあったら…その時は私が死ぬのを邪魔しないで頂戴。」
目覚めた時にユリウスが死んだと聞かされたのなら、生き直すことも出来たかも知れない。もしも許されるなら、これまでに殺めた人々やユリウスの魂が安らげるようにと日々祈りを捧げ続ける生活も考えられたかも知れない。
しかし、なまじチャンスを与えられただけに、祈りが届かずにユリウスがロプトウスと共に滅びた時は今度こそ生きていることには耐えられそうにない。
「わかったわ。その時はわたしが責任を持ってあなたの心臓を貫いてあげる。」
自害などしたら魂が迷ってユリウスの元へ行けないだろうから、そんなことがないように手を貸すことを、フィーは手元の細身の槍を強く握りしめて約束した。
「そんなことにならないように願うよ。」
「成功をお祈りしています。」
セティとティニーに見送られて、イシュタルはマーニャに同乗してバーハラへと向った。

フィーとイシュタルがバーハラ城の裏に到着した時、既にユリアはその身にナーガを降臨させていた。ユリアの身体に重なるようにして現れた金色の竜が城のてっぺんに立つユリウスへと襲い掛かる。
「ユリウス様!」
金色の竜に飲み込まれようとするユリウスの姿に、イシュタルは悲鳴を上げた。そのまま城に向って走り出しそうになる彼女を、フィーは慌てて引き止める。
「落ち着いて、って言っても無駄かも知れないけど、焦らないで。」
言われてハッと本来の目的を思い出したイシュタルは、そのまま駆け出したいのを堪えて城の方を見つめた。
ユリウスの身体から暗黒竜が昇り立ち、金色の竜と絡み合うようにして戦っていた。
金色の竜が激しく身を震わせ暗黒竜を締め上げると、暗黒竜は苦し気な咆哮を放った。その声が徐々に弱まっていく。
暗黒竜の存在が霞んで来た時、イシュタルは万感の想いをこめて叫んだ。
「ユリウス様〜っ!!!」
暗黒竜の存在は霧散した。そして、彼等が見守る中でユリウスの身体が倒れていった。それを見たイシュタルは全身から力が抜け、その場に崩れ落ちた。その直後、スカサハがユリアを呼び戻す声が響き、城の前では歓声が上がった。
「確認して来るから、ここはお願いね。」
フィーは陰から見張っていたアーサーにイシュタルのことを頼むと、マーニャに乗って城の上へ向った。
もしもユリウスの息があるのなら、急いで皆の力も借りて回復魔法を使わなくてはならない。彼の身体は著しく消耗しているはずだ。
そして戻って来たフィーは、アーサーにイシュタルを城の中に運び込むように告げたのだった。

イシュタルが再び目を覚ました時、その身は最初の時よりも豪華な部屋のベッドの上にあり、今度はユリアが傍らに居た。
「御気分は如何ですか?」
「最悪よ。あの子、約束を破ったわね。」
もしもユリウスが死んだら、この心臓を串刺しにしてくれると言ったはずなのに。
怒りと悲しみに震えるイシュタルの手に、ユリアはそっと手を伸ばし、その手の温もりを与えるように包み込んだ。
「フィーさんは約束を破ったりしてませんわ。だって、兄様は生きてますもの。」
信じ難い言葉だったが、イシュタルはユリアの言葉に嘘がないことを感じ取った。
「イシュタル様が、兄様を呼び戻して下さったおかげです。」
セティの作戦は見事に成功したのだ。ロプトウスが瀕死の状態になった瞬間にイシュタルが放った叫びはユリウスの心に力を与え、彼は全身全霊をかけてロプトウスの力に抗い、自らの身体から暗黒竜を追い出した。
「それで、ユリウス様は?」
「隣の部屋です。まだ意識は戻りませんが、回復に向ってますから御安心下さい。」
答えながら、ユリアは一枚の巻き紙をイシュタルに差し出した。
それは、セリスが新生グランベル王国の初代国王の座について最初に全国に向けて公布した布告文の写しだった。そこには、ユリウスとイシュタルの処分について記されていた。

この戦の原因となったロプトウスの復活の責任は全てマンフロイに帰すものであり、ユリウスは彼の野望の犠牲となったものである。立場上、利用された責任は問われるが、王位継承権の剥奪を以てこれより後は一切その罪を問わないこととする。
イシュタルについては完全に洗脳されていたという訳ではなく、情状酌量の余地はあるとは言え自らの意志で悪事に加担したことは事実である。しかし、略奪や虐殺などの行為には加担しておらず、また、さらわれた子供達を保護し最終決戦に於いてユリウスに力を与えて暗黒竜をユリウスから引き離し解放軍に助力した功績などは無視できない。よって、罪を減免し、『トールハンマー』の没収及び貴族院名簿からの登録抹消の上、その身柄は王妹ユリアの預かりとする。

平たく言えば、ユリウスは殆ど無罪放免。イシュタルは社交界から追放されて、ユリアの目の届く場所へ軟禁されるということだった。
「こちらの建物は全て私の管轄となっております。兄様が完全に回復されるまで、ご一緒にゆっくりと静養なさって下さい。」

それから数年の時が流れた。
その間、西の塔に軟禁されていたイシュタルはユリウスを献身的に看護し、暗黒竜に蝕まれ続けた彼の身体のリハビリを助けた。また、政治のことで相談に訪れるセリスやティニーを叱咤激励し、王国の発展に陰ながら尽力した。
そして、ユリアがスカサハの元へ嫁ぐにあたって恩赦が出て、イシュタルの軟禁は解かれた。しかしその後も彼女は公式の場に姿を現わすことはなく、ユリアの後任として正式にセリスの補佐役となったユリウスと共に、城の片隅で静かに暮らしたのだった。

-了-

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