〜曙光サイドストーリー〜

暁の少女

ナンナが初めて人を斬った。
今まで、人の命を奪うのではなく救うために杖を振っていた優しい少女には、そのショックは大きかっただろう。パニックを起こし泣きながら身体を震わせる彼女を、周りの者達は何と言って慰めようかと頭を抱えた。
しかし、ラクチェはナンナに慰めの言葉などかけなかった。
「戦場で剣を手にする以上、そんなことは当たり前のことよ。これからも今までのように戦場へ出るなら、覚悟を決めなさい。」
パティは怒って抗議しようとし、皆は驚きながらも成り行きを見守った。
「これからどうするかは、自分で決めるのよ。二度と人を斬りたくないなら、剣を捨てればいい。誰もあなたに剣を振るうことを強制したりはしない。でも、ここに居ることを自分で選んだ以上、あなたなりの戦い方を見せてもらうわ。」
そしてラクチェはシャナンに促されるようにして、部屋を後にした。

ラクチェを伴って自分の部屋へ戻ったシャナンは、彼女をベッドの端に腰掛けさせると心配そうにその顔を覗き込んだ。
「辛いなら、そう言って良いのだぞ。」
「…辛いです。」
素直に認めるラクチェを見て、シャナンはすぐ隣に腰掛けると彼女の頭を自分の胸に引き寄せた。
「それでもナンナにきつい言葉を叩き付けるお前は、良い子だな。」
「だって、わたしが言わなきゃ…。」
きっと他の誰もナンナに教えてあげることは出来ないのだ。彼女を守って来た人達の口からでは、あんな言葉は出て来ない。
「ナンナも皆も優しすぎますから。」
「お前も充分すぎる程優しいよ。だからこそナンナのために敢えて苦言を為し、そして今、そんなに辛そうな顔をしているのだろう?」
そう問いかけながら、シャナンはラクチェの髪を優しく撫でてそっとその背に手を回した。
「お前は、いろんなことを乗り越えて来たのだな。」
「シャナン様、何でもお見通しなんですね。」
「ふふっ、伊達に十数年もお前を見つめ続けて来たわけじゃないさ。」
見つめる理由は時と共に変化したが、彼女が生まれた時からずっと見てきた。
時が経ち、剣を握って、仲間の誰よりも多くその手を血に染めて来た少女の強さと弱さをつぶさに見続けて来た。
「大丈夫、お前は間違ってなどいないよ。これからも、自分が信じるように生きなさい。」
「はい。」
シャナンの腕の中で、ラクチェは昔の事を思い出していた。自分が初めて人を斬った時の事を。

あれは幾つの時だったのだろう。今のナンナよりも年下だったことだけは確かだった。まだ秘剣を使いこなせていなかった頃の事だ。
イザークを我が物顔でのし歩く帝国兵達は、気分次第で民達に酷い仕打ちをしていた。目についた相手を問答無用で袋叩きにしたり、金品を巻き上げたり。どこかへ連れ去られたきり帰って来なかった娘も居た。そして、彼等に取り入って似たようなことをする輩もぽつぽつと現われた。
ある日、ラクチェが街はずれで友達数人と遊んでいると、そんな輩が通りかかった。彼等の目にはラクチェは小汚いガキにしか映らなかったが、一緒に遊んでくれていたお姉さんは目を付けられるに充分だった。
その時のラクチェには彼等が考えていることは解らなかったが、とにかく嫌な感じがして、皆と一緒に逃げた。しかし、しつこく追い掛けられて闇雲に走り回った挙げ句、袋小路へ追い詰められた。
「へへっ、もう逃げらんないぜ。大人しく一緒に来いよ。」
声を掛けられたお姉さんは怯えていた。他の子達を自分の後ろに回すようにしながらジリジリと奥へ後ずさる彼女に男の手が伸びて来た時、ラクチェはとっさに彼女と男の間に割り込んで男の手を払った。
「何だ、このガキは? けっ、邪魔だ、退きな!」
「きゃっ。」
腕を掴まれて脇に退かされそうになったラクチェは、無我夢中で腕を振り回し、足を振り上げた。
「ぅぐっ!!」
奇妙な悲鳴がして相手の力が弛んだ。見ると、男は股間を押さえて踞っている。
「このガキ…何てことを…。」
声を絞り出すようにしながらラクチェの足へ手を伸ばす男の腰に、ラクチェは剣を見つけた。すかさずそれを抜き放ち、自分の足を捕まえようとする手に斬り付ける。
思わぬ反撃に、男は頭に血を上らせてゆらりと立ち上がると、ポケットからナイフを取り出し、ラクチェを刺し殺そうとした。そして、それを切り払ったラクチェの剣は、男の咽を切り裂いた。
ラクチェの頭の中は真っ白になった。そのままなら、剣を取り落として無力となるところだっただろう。しかし、男の仲間達がラクチェに切り掛かって来た。
無我夢中でラクチェは相手の攻撃を避け、受け流し、逆に手傷を負わせた。それは、荒削りながらも幼い少女には不釣り合いな程の剣技だった。そこで引いてしまえば、男達は生き長らえることも出来たし、彼女の存在を帝国兵に売れば莫大な賞金が手に入ったかも知れない。だが、彼等はそうしなかった。ムキになってラクチェを切り刻もうとした。
そして、ラクチェの身体が緑と青に光り、男達の屍が彼女の足元に転がった。
シャナンが駆けつけたのは、ラクチェが男達を葬るのとほぼ同時のことだった。名を呼びながら駆け寄るシャナンを見てラクチェは我に返り、剣を落としてその場に崩れ落ちた。
シャナンはラクチェの身体を抱きかかえると、奥で震えている少女達に声をかけた。
「怪我はないか?」
怯えながら振り向いた彼女達は、シャナンが助けてくれたものと錯覚した。ラクチェが切り刻まれるのを見たくなくて全員顔を背けていたし、まさか彼女が一人で3人の男を葬り去るとは考えもしなかったからだ。もちろん、シャナンは彼女達の誤解を解こうとは思わなかった。

ラクチェを連れ帰ったシャナンは、オイフェとエーディンとスカサハにだけ真実を話した。
しかし、こういう話はどこかから漏れるものなのだろうか。翌日、ラクチェはデルムッドがレスターに話しているのを聞いてしまった。
「ラクチェは昨日、悪い奴をやっつけたんだってな。大の大人を大勢相手にしての大立ち回り。凄ぇよなぁ。」
誇張された話に、デルムッドは興奮していた。
「気楽だな、お前は。悪い奴とは言え、ラクチェは人を斬ったんだぜ。もう少し考えて物言えよな。」
「何言ってんだよ。俺達は、大きくなったら悪い帝国兵をやっつけるんだろ。その為に腕を磨いてるんじゃん。」
まだまだ自分の身も守れないような腕前のデルムッドは、悪い奴らを倒して友達を守ったラクチェのことが羨ましいばかりで、ラクチェの心情を思い遣るような気持ちなど微塵も湧いて来なかった。
「とにかく、ラクチェの前で今みたいなことは言うなよ。」
怒ったように言うレスターに「変なの〜」と思いながら、デルムッドはその場を後にした。そして、陰にいたラクチェも逃げるようにその場から立ち去った。
その日、ラクチェはシャナン達との剣の稽古に身が入らなかった。剣を持つ手に力が入らない。相手をちゃんと見られない。
「あっ…。」
もう何度剣を取り落としただろう。
「怖いか、ラクチェ?」
セリスとスカサハに少し離れたところで2人で練習するように指示すると、シャナンはラクチェにもう一度剣を構えるように言った。
「顔をあげろ。ちゃんと相手を見るんだ。」
ラクチェは言われた通りにしようとしたが、どうしても目を反らしてしまう。
「剣を持ったら迷いは捨てろ。」
その言葉に、ラクチェは一度剣を収めた。
「どうした、練習は打ち切るのか?」
「いいえ、少しだけ時間を下さい。」
ラクチェは収めた剣から手を離すと、そっと目を閉じた。そしてその場で静かな呼吸を繰り返し、しばらくして目を開けると再び剣を引き抜いた。
「いきます。」
「よし、かかって来い。」
それから、ラクチェがクタクタになるまでシャナンは稽古の相手をし続けた。

しばらくして、デルムッドの態度がおかしくなった。ラクチェのことを冷たい目で見るようになったのだ。元々そんなに仲が良かった訳でもないのでラクチェは大して気にしてなかったが、あからさまに避けるような態度を取られたり睨み付けられたりするとあまり良い気分はしなかった。
そしてある日ラクチェは、彼がレスターに話しているのを耳にしてしまったのだ。
「ラクチェの奴、怖いよな。人を斬った後すぐに平然と剣の稽古したりしてさぁ。」
「何があったんだ?」
ついこの前羨ましがったかと思ったら今度はラクチェを恐ろしいものでも見るかのようにするデルムッドに、レスターは困惑した。
「犬が…。」
デルムッドは、ゴミを出しに行って野犬と遭遇してしまったのだ。そして、追い払おうとして剣を振り回して、気がついたら殺してしまっていた。
「でも、そう言うお前だって稽古してるじゃないか。」
「してないよ。全然身が入らないもんだから、オイフェさんに叱られちゃった。当分は基礎トレだけで、実技は無し。」
「ふ〜ん。」
「なのに、あいつは平然と剣を振り回してさ。血も涙もないんじゃないのかな。」
ラクチェが持っていた練習用の剣を取り落としたのと、レスターがデルムッドを引っぱたくのとはほぼ同時だった。乾いた音が鳴った直後、剣の落ちる音がした。
音のした方へ出て来たレスターが見たものは、急いで剣を拾って走り去るラクチェの姿だった。
「まさか、今の話を聞いてたんじゃ…。」
レスターは呆然としているデルムッドを残して、シャナンとスカサハを探しに行った。そして、オイフェにもデルムッドのことを話しておいた。

部屋に駆け戻ったラクチェは、枕に顔を押し付けて声を殺して泣いた。
「ラクチェ、居るのか?」
遠慮がちなノックがあって、スカサハの心配そうな声が掛けられた。
「居ないのかなぁ。えぇっと、返事がないなら開けるぞ。」
「開けないで!」
ラクチェは慌てて叫んだ。その声に、ちょっとだけ安心したスカサハの声が返って来た。
「居るんだな、ラクチェ?」
「ごめん、スカサハ。ちょっと一人にさせといて。」
「一人で平気か?」
「うん。もうちょっとしたら出てくから、先に稽古に行ってて。」
もう少し。もう少しで涙を止めてみせるから。いつまでもデルムッドの言葉を気にしてる程自分は弱くはないから。
そんな風に心の中でスカサハに言いながらラクチェは泣き続け、しばらくして再び剣を手に取ると部屋を出て行った。
まだ、目が少し赤い状態でシャナン達の元へ向ったラクチェは、そこにオイフェやデルムッドも居るのを見て驚いた。
「どういうことですか?」
「気になるか?」
「ええ、まぁ。」
皆して訳知り顔をしていることも大変気になったが、シャナンに促されて剣を手にしたラクチェは雑念を振払った。
剣を抜いたラクチェは、一瞬にしてその雰囲気を悩める少女から見習い剣士へと変化させた。
「また一段と良い眼になったな。」
シャナンは、剣を構えながら呟いた。
その日のラクチェの剣は、今までよりも冴え渡っていた。デルムッドは自分が陰口をたたいたことなど忘れて、その剣技に見とれていた。
「部屋で、何を思った?」
剣を収めてタオルを差し出しながら、シャナンはラクチェに問いかけた。
「剣を振るう理由を…。」
「答えは出たのか?」
ラクチェは黙って頷いた。
「そうか。」
シャナンはそれだけ言うと、ポムッとラクチェの頭を軽く叩いて優しく微笑んだ。

その夜、スカサハは真剣な顔でラクチェに質問した。
「昼間言ってた、剣を振るう理由って何なんだ?」
シャナンは聞かなくてもわかったようだったが、スカサハは気になって仕方がなかった。セリス達からも、聞き出してくれるように頼まれている。
「お前、あの時あんなに泣いてたのに、どうしてああも見事に剣が振るえるんだよ?」
「さぁね。血も涙もないからじゃないの?」
とたんに、スカサハの拳によってラクチェの頭が鈍い音を立てた。
「俺の前でまで強がるな!」
ラクチェは起き上がると、スカサハの方を向いた。
「スカサハは、何の為に剣の腕を磨いてるの?」
「えっ、俺?」
逆に質問されたスカサハは、いろいろ考えながら思ったことを口に出した。
優れた剣士だったという両親に憧れたこと。形見の剣がたくさんあったこと。師と仰げるシャナンが近くに居たこと。最初は、そんな理由から剣を習い始めた。
そのうち、両親やシグルド達のことを聞いて自分や仲間の身を守りたいとか帝国の奴らが許せないとか思ったし、オイフェはセリスや自分達に帝国打倒の夢を掛けてるみたいだと感じたなど、そんな理由も加わって来た。
「でも、そんなことより俺はお前を守りたいよ。そりゃ、俺の方が弱いかも知れないけどさ。でも守りたい。お前が傷付くとこ見たくないし…。」
身体のことだけじゃなくて、心が傷付くのも見たくない。スカサハが言外にそう言ってるのがラクチェにはわかった。
「ありがと、スカサハ。でもね、わたしはこれからもこの手で剣を振るい続けるわ。自分自身のためにね。」
誰かに一方的に守ってもらうなんて自分の性に合わないし、未来を切り開く為に自分に出来ることは正面から立ち向かうことくらいだし、とラクチェはちょっと照れ笑いにも似た表情を浮かべて告白した。
確かに剣の腕を磨いて来た理由はスカサハと同じようなものだったが、ラクチェが行き着いた答えは「決して譲ることの出来ない想いを抱く自分自身のため」だった。それが他人の目にどう写ろうとそれは他人が決めることで、自分は自分が正しいと思う通りに剣を振るう。両親の想いを受け継ぐためでも周りの人達が期待してるからでもなく、自分がそうしたいからシャナンや仲間と一緒に戦う。そう心を決めた。
「それじゃ、俺はお前が間違った方向へ突っ走らないように見張らなきゃな。」
「あら、言ってくれるわね。でも、宜しく頼んでおくわ。」

「その翌朝だったな。スカサハが私の元へ特訓してくれと言って来たのは。」
ラクチェの昔話を聞いて居たシャナンは、自分の知らなかったことを聞かされて得心した。
「あの後、あいつも急成長した。漠然とした想いが形になっていったのだろう。」
「今は守りたいものの一番がユリアになったみたいですけどね。」
ラクチェはクスクスと笑った。
「妬いてるのか?」
「いいえ。だって、今はシャナン様が見張ってて下さるのでしょう?」
今はシャナンが言ってくれる。お前は間違っていない、と。その言葉がラクチェにどれだけ勇気を与えるかを彼は知っているのだ。
「ちゃんと見張ってて下さいね。」
「目を離すことなど出来んさ。」
2人は一緒になって笑い、ラクチェの心は軽くなったのだった。

-End-

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