blessure

お茶の時間の後、バレンタインデーに向けてアレスへのプレゼントをチクチクと縫っていたナンナは、突然の指先の痛みに針を止めた。
「痛〜い。あら、やだ、シミなんか付いてないでしょうね。」
慌てて指先を見たナンナは、折れた針先が引っ掻いたところから血が出て来ているのを見て、自分の怪我の手当てよりも先にプレゼントの方を確認してホッと胸をなで下ろした。
「良かった、無事で…。」
ナンナはプレゼントの無事を確認すると、指先を口に含みながら折れた針先を探した。
「ふぅ〜、見つかって良かったわ。」
布を片手で持って静かに振った後、何か光るものが床に落ちたのを見て辺りを手探りしたナンナは、小さな金属片を取り上げた。そして、糸を抜いた針と共に折れ針入れへとしっかりしまう。
そうこうしている内に指先の血は止まったが、縁起が悪くて続きをやる気にはなれなかったので、ナンナはプレゼントや裁縫道具を全て綺麗に片付けたのだった。

傷の痛みもすっかり癒えて、ナンナが怪我をしたことすら忘れた頃、邸に1通の手紙が届けられた。エルトシャンからラケシスに宛てた私信である。文面は簡潔で、アレスが怪我をしたから差し支えなければナンナを見舞いに寄越して欲しい、というものだった。
「よく解りませんわねぇ。」
アレスの怪我の状態については一言も無く、何故ナンナを呼び出そうとしているのか見当もつかない。
「ですが、容態が思わしく無いから御家族を枕元に、と言うのであれば貴女も呼ばれるはずです。」
「そうですわね。」
手紙を見せられたフィンの言葉に、ラケシスは不可思議な文面に首を傾げたまま心の中で頷いた。
ナンナはまだ正式な婚約者とはなっていないから、そのような事態で呼ばれるとしたらラケシス達も一緒のはずである。借りにも一国の王子となれば、そういう場合には個人的な感情など入る余地は無いのだ。
「貴女らしくありませんね、ラケシス。そんなに気になるのでしたら、ナンナと同行したら如何ですか?」
フィンに言われるまでも無く、ラケシスはすぐにも自分の目で確かめたい気持ちでいっぱいなのだが、エルトシャンがナンナを指名しているのは他の人に来て欲しくないという意味なのでは無いかと思うと躊躇してしまうのだ。ナンナと一緒にお見舞いに行って、大好きな兄に邪魔者扱いされるのは避けたい。
そんなラケシスの心情を、夫であるフィンはちゃんと見抜いていた。
「心配することはありませんよ。そこには「ナンナのみを寄越して欲しい」とも「他者の見舞いは御遠慮願う」とも書かれていないでしょう?」
その手紙がナンナ宛ならともかく、ラケシス宛である以上、ラケシスも一緒に見舞いに訪れることを歓迎しないのであれば何事か書き添えられているべきだ。
「それもそうね。では、行って参りますわ。」
フィンの言葉に後押しされて、ラケシスはナンナと共にノディオン城へ向けて馬車を仕立てた。
「焦って、御者に無理な注文をつけてはいけませんよ。」
出発前にフィンから注意を受けたラケシスは、普段とは違って落ち着き無く馬車の速度を上げさせようとするナンナを諌める形となり、逆に逸る気持ちが押さえられた。そして、ナンナにとっては歩くよりも遅く感じるような、しかし可能な限りの速さで疾走した馬車は、エルトシャンが想像したよりも早くノディオン城の門をくぐったのだった。

ナンナ達がノディオン城の中に入ると、そこにはエルトシャンが出迎えに現われていた。
「何だ、ラケシスまで来たのか。」
「だって、あれは私宛のお手紙でしたもの。」
あまり歓迎されて無い雰囲気に、ラケシスはフィンとの会話を思い出して背筋を伸ばして答えた。
「立場上、俺がナンナに私信を送る訳にはいかないからな。」
「私宛に手紙を送りながらこの子だけを呼ばれるのでしたら、ナンナのみを寄越せ、と書かれればよろしかったのですわ。」
「なるほど。確かにその通りだな。」
ラケシスにしては上出来な言い訳に、エルトシャンは感心しながらも恐らくはフィンの入れ知恵だろうと心の中で軽く舌打ちした。
本筋とはズレた会話の応酬に、ナンナの焦燥感は募るばかりだった。手紙が届くまでの時間を考えると、針が折れたのは不吉の兆しだったのではないかと思えてならないのだ。
「伯父様、アレスの容態はどうなのですか?」
やっと会話の切れ目を見つけて、今にも零れそうな程に目にいっぱいの涙を浮かべたナンナに、エルトシャンは一言「大したこと無い」とだけ答えた。
それで少し安心しかけたナンナだったが、ラケシスの言葉で再び不安になる。
「エルト兄様の、大したこと無い、はアテになりませんわ。だって、兄様ったら危篤状態にならない限り、そう仰るではありませんの。」
これには、エルトシャンが少し困ったような顔をする。
「しかし、本当に大したことないぞ。そんなに心配なら、本人に確認してみるか?」
そう言うと、エルトシャンは2人をアレスの寝室へと連れて行った。
中に入ると、アレスは目の辺りまで掛け布団を被っていて、ピクリともしない。
「眠ってるんですか?」
恐る恐る問うたナンナに、エルトシャンは「いや」と短く答えると、自分達の接近に気付いて慌てて被ったと見られるアレスの掛け布団を引き剥がした。その乱暴とも言える行動にナンナ達が非難の声を上げようとすると、それより先にアレスの声が響く。
「やめて下さい、父上!!」
そう言って布団を取り戻そうと手を伸ばして身体を起こしたアレスは、痛みのあまり、勢いのままに身体をくの時に曲げて前へと突っ伏した。
「ほら、大したこと無いだろう? おかげで大人しく寝てようとしないから、見張りにナンナを呼んだんだ。」
恨みがましい目で見上げるアレスと驚くナンナ達を他所に、エルトシャンは平然と言ってのけた。
「本当に、大丈夫なの?」
ナンナは心配そうにアレスの元へと歩み寄った。
「ああ、あちこち痛いが骨には異常ない。打ち身や擦り傷で済んだ。」
少々引きつった笑みを浮かべて答えるアレスに、ナンナはホッとした。
「それより、お前こそ、指に怪我してるじゃないか。」
言うが早いか、アレスはナンナの手を取ってその指先を口に含んだ。
「こ、こんなの怪我の内に入らないわよ!!」
ナンナは真っ赤になって慌てて手を引く。そして、この怪我の原因を追求されないように話題を変える為にも、アレスに問いを投げかけた。
「ところで、一体、どうしてそんな怪我をしたの?」
当然あって然るべき疑問に、アレスはグッと言葉に詰まった。
そして、心の底からアレスの身を心配しているようなナンナの表情を見ながら、ぽつぽつと事情を話す。
「遠駆けの帰りに暴走馬車に接触しそうなくらい近くを追いこされて、頭に来て後を追っかけて、距離を縮める為に角で内に入ったら見張りも立てずに停車してた馬車にぶつかりそうになって、それで急制動を掛けたら手綱から手が滑って吹っ飛ばされた。」
話し終わって、恥ずかしそうに俯くアレスに、ナンナはちょっと呆れたような表情を浮かべた。
「もう、アレスったら…。でも、そんな落ち方して、よく打ち身とかだけで済んだわね。」
「運が良かったのかもな。」
「…莫迦。あんまり心配させないでよ。」
苦笑いするアレスに、ナンナは拗ねたような目つきで応じた。しかし、全身から安堵の雰囲気が伝わって来る。
「悪い。お前にこんな姿を見られたく無かったんだけどな。」
「でも、ちゃんとこの目で確認出来てちょっとだけ安心したわ。早く良くなって、今度は一緒に遠駆けしてね。」
珍しくナンナの方からデートの誘いと思しき言葉を聞けて、アレスは傷の痛みを忘れた。更に、おまじないと称して贈られた口付けに本当に傷が癒されていくような錯角さえ覚える。
しかし甘い時間はここまでだった。最後にきっぱりと「だから、大人しく寝てなさい」とナンナに言われたアレスは、素直に頷くしかなかったのだった。

おまじないが効いたのか、言いつけを守ったのが良かったのか、単にナンナとのデートにかける情熱ゆえのことなのか。あるいは、その全てが相乗効果をもたらしたのかは誰にも解らないことだったが、とにかくアレスの身体はエルトシャンですら驚くような速さで回復を遂げた。
そしてバレンタインまでに復活したアレスは約束通りナンナを遠駆けに誘い、手作りのベッドカバーを受け取る一方で、ナンナの誕生日プレゼントを渡しがてらプロポーズした。
そのことを知った者達は、陰で囁き合った。アレス王子への特効薬はナンナ姫を置いて他にはない、と…。

 

-Fin-

♪♪♪AKIさんへ♪♪♪
AKIさんへのお薬はアレス×ナンナ創作かしらと思って、お見舞いにこのお話を贈らせていただきます。
舞台は平和なノディオン王国。ラケシスは国内に邸をもらって、フィンを婿取りしていることになってます(^^;)
勿論、アレスとナンナは親公認の恋人同士。ナンナの年令の都合でプロポーズは未だ…。
AKIさんトコのナンナのお誕生日設定で、このバレンタインデーに年令制限解除ってことでアレスは早速プロポーズ♪
日記の「バイクで転けた」の文字を見て急に思い立って書いたものなのであまりひねりはありませんが、これで少しは痛みが和らいでくれることを祈ってます。
(from LUNA)

インデックスへ戻る