大地の宝玉

いつからなんだろう、こんな想いを抱くようになったのは…。
アレスは、ノディオン城の私室で大人しく待機させられている中、ぼんやりと窓の外を見やるようにして、ふぃっと昔を振り返った。

物心ついた時には、その非常識な光景は彼にとっては当たり前のものとなっていた。
シアルフィ公子シグルドとその妃ディアドラ。
レンスター王太子キュアンとその妃エスリン。
そして、レンスターの騎士フィンとその妻でありアレスにとっては叔母にあたるラケシス。
彼らがこのノディオンに遊びに来ることは珍しくはなかった。しかし、いくら父の親友や妹とは言え、それなりに身分ある者達が遠方から気軽く遊びに来られるものではないはずだ。だが、それが非常識なことだと気づく頃には、アレスはすっかりその光景に慣れてしまっていた。
そして時が経ち、彼らの元にも子供が生まれていった。
最年少のナンナが生まれたのはアレスが5歳になろうという頃だった。以後、彼ら全員が揃う時以外でもラケシスがエルトシャンの御機嫌伺いに来る時にはナンナを連れて来るようになり、アレスはすっかりナンナの子守役が板についてしまったのだった。
「それじゃ、アレス。ナンナをお願いね♪」
ラケシスがそう言って幼いナンナをアレスに預けてエルトシャンとお茶を飲むのが恒例のパターンだった。
ただ、眠っているだけだった頃はまだ良かった。本当にナンナは良く眠る子で、アレスはナンナの横で本でも読んでいれば済む話だったのである。
だが、それが動き回るようになるとアレスの苦労は格段に増加した。言葉を話せるようになると尚更である。
「ご本、読んで。」
これはまだ良い。言葉と共に差出された本がどこから持ってきたのかは知らないが当時のアレスにとっては恐ろしく難解な本だった時は冷や汗ものだったが、読み始めるなりナンナは眠り込んでしまったし、以後に備えてアレスが勉強に身を入れるようになっただけの話だ。
しかしこれが、「遠駆けに連れてって」だの「剣を教えて」だのになってくるとアレスは目の前が真っ暗になるような思いがした。何故なら、そんなことを言い出した時はまだナンナは幼過ぎ、アレスも未熟だったからである。当然、ナンナは独りでは馬に乗れないし、かと言って二人乗り出来るほどにアレスの操馬術は上達していない。剣に関しても、相手の安全を気遣いながら絶妙の手加減をして剣を交える技量など備わっていない。
だが、ナンナは簡単には諦めなかった。アレスに断られ、エルトシャンに諭されてその場は引き下がっても、次に来た時にはまた同じことをねだったりする。
「乗〜り〜た〜い〜。」
「お前、ここまで叔母上と一緒にずっと馬に乗ってたんだろうがっ!!」
「一人で乗りたいの〜。」
「危ないから駄目だって言ってるだろ。」
何度も繰り広げられたこの言い争い。初めての時、アレスは駆けつけてきたラケシスにとんでもない目にあわされた。
「仕方ありませんわね。アレス、ちょっとそこで両手と両膝を床についていただけるかしら?」
「はぁ?」
ラケシスが突然何を言い出したのかわからず、アレスが困惑していると、エルトシャンがラケシスを制そうとした。しかし、ラケシスは問答無用とばかりにアレスに足払いを掛け、強引にその両手と両膝を床につけさせると起き上がろうとしたアレスの背中にナンナを乗せる。
「はい、ナンナ。とりあえず、これで我慢なさいね。」
「やだ〜、つまんな〜い。」
こんな屈辱的な真似をさせられた挙げ句に「つまんない」と言われて、その時アレスはナンナを跳ね飛ばしてラケシスを殴れたらどんなに幸せだろうと思わなくはなかった。しかし、これがセリスとリーフにやられたのであれば間違いなく即座に殴り飛ばしているが、エルトシャンの教育が行き届いているため、アレスは女性に手を上げられなかったのだ。エルトシャンが呆れた顔をしてナンナを掬い上げ、立ち上がったアレスの背をポムポムと慰めるようにあるいは褒めるように叩いてくれたのがせめてもの救いだったかも知れない。
そしてまた駄々をこねるナンナとアレスが言い争っていると、騒ぎを聞きつけたラケシス達が走ってきた。彼女達の前で言い争いは続く。
「私も随分大きくなったし、ちゃんとレンスターで練習してるもの。大丈夫よ!」
確かに昔に比べれば、ナンナも大きくなったしアレスも逞しくなった。今なら多分、ナンナを支えて辺りを駆けるくらいは出来るだろう。しかし、ナンナが一人で馬を駆るとなると反対しない訳にはいかない。練習してると言うことは、まだ単独での乗馬は危険だということに他ならない。心配性の父親の目が届かないところで、と思っているのであろうが、アレスはそれを認める訳にはいかなかった。
「それでも、まだ早いって。」
「そんなことないわ。アレスは今の私より小さい時にもう辺りを駆け回ってたって聞いてるもの。」
体格の差を棚上げして、ナンナは強引に言い募った。それを受けて、ラケシスが同意を示す。
「そうねぇ。そろそろ一人で乗ってみても良いのかも…。」
伺うように視線を流すラケシスに、エルトシャンが許可を出した。こうなってはもう、アレスには逆らう術は残されていない。
エルトシャンとラケシスに見送られて、アレス達は近くの丘を目指して馬を駆ることとなった。

「どう、アレス? 大丈夫だったでしょう?」
「まぁ、ここまではな。」
正直言って、ナンナの乗馬の腕は年の割には優秀だった。剣や杖も少しは使えるようになっているらしいので、これならそう遠くない内に「トルバドール」になることも出来るだろう。
アレスに少しは認めてもらえて嬉しかったのか、ナンナはにこにこしながら花畑に座り込むと、楽しそうに花を編み始めた。
手元を覗き込んでいたアレスには何をどうやってるのかわからなかったが、ナンナの指が動くにつれてその手元では花冠が綺麗に編み上がっていく。
「へぇ、上手いもんだな。」
「あら、こういうのは素直に認めるのね?」
「俺には出来ないからな。」
自分に出来ないことをいとも簡単にやってのける姿には、素直に賞賛を送るアレスだった。
そんなアレスの前で、ナンナはあっさりと花冠を編み上げるとアレスの頭に乗せた。
「あげるわ。」
「サンキュー。」
ちょっと恥ずかしい気もしたが、こういうものは有り難く貰っておくものだと日頃から父に言い聞かされている。それに、自然と礼の言葉が口を衝いたのだ。
「そろそろ戻るぞ」
「え〜、もう帰るの〜?」
まだ陽は高いみたいなのに、と不満そうなナンナに、アレスは予想通りの反応だと思いながら、諭すように言った。
「今の季節は、陽が落ちるのが早いからな。油断してると、あっという間に真っ暗だ。」
そんなことない、などとは言えないくらいには現実を知っているナンナは、大人しくアレスの言葉に従った。
しかし、問題なく事が運ぶことに気を抜いたのか、帰り道でのナンナの手綱捌きが粗雑になってきた。
「おい、気を抜くなよ。馬は賢い動物なんだ。乗り手が自分を御するにあたいしないと見抜けば、好き勝手に走り出すぞ。」
「わかってるわよ。お父様からもいつも言われてるわ。もう、耳にタコが出来ちゃう。」
「タコが出来ようがイカが出来ようが、ちゃんと肝に銘じとけ。暴走してからじゃ遅いんだからな。」
ナンナが借りた馬は大人しい性格ではあるが、それでも全く問題がないとは言い切れない。もしも急に言うことを聞かなくなった馬にナンナがパニックにもなったら、それに呼応して暴走してもおかしくはないのだ。
「わかってるって言ってるでしょ!!」
そうナンナが怒鳴り返した時だった。ナンナを乗せた馬は、その声に驚いたのかそれともここで見切りをつけたのか、急に猛スピードで走り出したのだ。
「きゃ〜、やだ〜、止まって〜っ!!」
必死に頼むナンナの声も聞かず、馬は走りつづける。
「馬にしがみつくな! ますます暴走するぞ!!」
急ぎ後を追ったアレスは、恐怖のあまり馬の首にしがみつくようにしているナンナに叫んだ。しかし、ナンナはそのまま動けない。
「おい、手綱をこっちに寄越せ!」
並走しながら手を伸ばすアレスに、ナンナは必死に手綱を渡そうと馬の首から片手を離した。その瞬間、ナンナの身体は宙を舞った。
とっさにナンナの身体に向かって手を伸ばしたアレスは、落下するナンナの重みに負けて自分も落馬した。しかし、その身体を掬うように手を伸ばしたことが幸いして、着地した時にはアレスの方が下になっていた。
「ケガ、ないか?」
そのままの体制で手だけ解いてナンナに問い掛けてみると、ナンナはハッとしたように慌てて身を起こし、頭を数回振って意識をハッキリさせてから身体のあちこちをペタペタと触ったり手を振りまわしてみたりしてから答えた。
「何ともないみたい。」
「それは良かったな。」
「…ありがとう。」
ナンナに小さな声でお礼を言われながら、アレスは身を起こそうとして呻いた。
「あっ、アレス、もしかして怪我して…。」
ナンナは慌てて『リライブの杖』を取り出した。まだまだ使いこなせていなかったが、母から譲り受けて肌身離さず持ち歩いていたのだ。
痛みを堪えて起き上がったアレスに向けて、ナンナは真剣に回復魔法を唱えた。
「サンキュー。だいぶ楽になって来た。」
魔法は殆ど効いていなかったが、泣きながら必死に回復魔法を唱え続けるナンナに、アレスは気分的に楽になった気がしてそこで彼女の行為を止めさせた。杖から引き出せる魔法力も無限ではないし、魔法を唱えるにはかなりの精神力が要求される。ナンナに無理はさせられない。
アレスは話を反らすように、無事な方の手で足元から何かを拾い上げるとナンナに見せた。
「悪い。折角作ってくれた花冠、ダメになってしまったな。」
「そんなの気にしなくていいわよ! また、いつでも作ってあげるから…。」
「そうか? それじゃ、楽しみにしてる。」
ナンナに気付かせないように平静を装って、アレスは馬を呼び戻すとナンナを自分の前に乗せてゆっくりと城へと向った。ナンナの馬が大人しく後ろからついて来るのを見て、アレスは心の中でそっと胸をなで下ろした。ナンナを支える手で自分の馬の手綱を操っているが、その上ナンナの馬の手綱まで持つのは難しい。しかし、平気な振りをして手綱に添えているもう片方の手は、肩が痛くて使い物にならない。

どうにか誤魔化しきって城へ戻ったアレスは、汚れた服を着替えるついでにこっそりと右肩の手当てをしようとした。明日、ナンナ達が帰ったら医師か司祭を呼んで治してもらうつもりではいるが、ひとまず応急処置はしておかなくては…。
部屋にあった救急箱を開けて、アレスが片手でぎこちなく手当てをしようとしていると、突然扉が叩かれた。
「アレス、入るぞ。」
声と同時に部屋へ踏み込んで来たのはエルトシャン一人であった。一瞬、ラケシスやナンナも後から入って来るんじゃないかとギクリとしたアレスだったが、どうやらそんな心配は杞憂だったらしい。
つかつかとアレスの元へ寄って来たエルトシャンは、無言でアレスを押さえ付けて怪我の具合を確認するとテキパキと手当てを始めた。
困惑した表情でジッと手当ての様子を見ていたアレスに、エルトシャンは救急箱を片付けながら言った。
「その肩のこと、ナンナに知られたくないのだろう?」
細かいことはともかく、エルトシャンは戻って来た2人を一目見てナンナの所為でアレスが怪我をしたことはわかった。そして、今の状態をアレスがナンナに隠そうとしていることも。そんなアレスが次にどんな行動をとるか、エルトシャンには手にとるようにわかっていた。だが、それでは充分な処置が出来ないし時間も掛かる。だから、ちょっと話があるだけのような振りをしてアレスの部屋を訪ねたのだ。
「じきに夕食だ。ナイフが持てそうになければ、お前の分は適当な理由をつけて部屋に運ばせるが…。どうする?」
ナンナの目を欺くのに協力してくれるらしい父の申し出は嬉しかったが、アレスは無理をしてでもナンナと共に食事をすることを選んだ。
あの、涙を溢れさせて必死に杖を振っていたナンナの顔が頭から離れない。どんな理由をつけたとしても、アレスが一緒に食卓につかなければ、きっとナンナは心配する。
そして無理をしてナンナの前で平静を装い続けたアレスは、彼女達を見送って間もなく気力を使い果たして寝込んだのだった。

そう、あの頃にはもうナンナに心を奪われていたのかも知れない。
いくら彼女が自分を責めないようにと気遣ったとしても、あそこまで無理をする必要はなかったのだ。それでも、あの時のアレスには、ナンナを泣かせないようにすることしか頭になかった。
花冠の約束は果たされ、ナンナは成長と共に分別がつくようになっていた。そして数年の時が経ち、アレスはナンナにプロポーズしたのだ。
「お前が高等教育過程を終えたら、ノディオンに来て、俺と結婚して欲しい。」
「……はい。」
はにかみながら承諾の返事をしてくれたナンナに続いて、アレスはそのまま双方の親にも結婚を快諾され、そして今日という日を迎えた。
別室で支度を整えてもらっているナンナは、きっとアレスが待つ程にその美しさが磨き上げられていることだろう。
今日の為の準備を進めている時にフィンがそっと話してくれた自分とナンナの結婚にまつわる大人達の事情など、アレス達には関係なかった。
「もしもラケシスそっくりの娘が生まれたら、アレスの嫁にもらうからな。」
エルトシャンがフィンとラケシスの結婚を認めるにあたってつけた条件がそのまま現実のものとなったとしても、アレスはそんなことは知らなかった。知らずに、ナンナを選んだのだ。我が侭で、お転婆で、でも一生懸命で、そして自分の為には泣かないのに他人の為にはすぐに泣く、そんな女に惹かれたのだ。どこにあろうとも降り注ぐ光を浴びて美しく輝く宝玉に…。
「アレス様、ナンナ様のお支度が整いました。」
知らせに来た者の声に、アレスはゆっくりと振り返ると、逸る気持ちを押さえてナンナの元へと向った。
人払いのされた室内に通されたアレスは、奥の椅子に腰掛けているナンナを見て驚いた。特別にあつらえられた純白のドレスが、ナンナの美しさを予想以上に引き立てている。
「綺麗だな。」
もっと何か賞賛の言葉を紡ぎたかったが、結局それだけ言うのが精一杯だった。
そしてアレスはその足元にそっと膝をついてナンナの手をとり、共に立ち上がると皆の待つ大聖堂へと歩いて行った。

-了-

♪♪♪AKIさんへ♪♪♪
「お年玉」と呼ぶには少々時が経ってしまいましたが、2002年お年玉リクエスト作品をお届け致します。
「もしアレスとナンナが幼馴染みだったら?」という設定で平和な世でのアレス×ナンナ、という課題でしたが、何やら「エルト兄様に育てられたアレス」と「ラケシスに育てられたナンナ」のカップル物でアレス視点ってお話になってしまいました(^_^;)
生まれる前から婚約者だったのに、知らずにナンナに惹かれるアレスを描いてみました。
だって、決められた相手だからって形にはしたくなかったから…。でも、親達の間では決まってた話だから、アレスが許可貰おうとしたら二つ返事でOKだったの(笑)
舞台はノディオンで、結婚式当日のアレスの回想って形を取っています。
普段と違うアレスとナンナをお楽しみいただけましたら嬉しく思います。
(from LUNA)

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