Fugitive

夕食後3時間が経過して、さてそろそろ休もうかとナンナが思った矢先に、廊下をけたたましく走る足音が近付き、気がつくと部屋の中にアレスがいた。
「ちょっと匿ってくれ!」
部屋に飛び込むなり素早く反転して扉に鍵を掛け耳をつけて外の様子を伺うアレスの姿に、ナンナもパティも絶句してただ見つめるだけで時を過ごしてしまったが、ハッと気がついて2人は慌てて手近にあったガウンを身体に巻き付けた。
しばらくすると、アレスは扉から耳を離した。
「どうやら撒けたようだな。」
ホッとして一息ついたアレスに2人は詰め寄った。
「いったい、何なのよっ!!」
「ノックもしないで飛び込んじゃダメでしょっ!」
ナンナは怒ってる観点がずれていたが、とにかくアレスはすかさず2人に謝ると事情を説明した。夕食の後デルムッドが部屋へやって来て、今までずっと勉強を押し付けられていたと言うのだ。
この戦いが終わったら、アレスはアグストリアを統一してその指導者となることになっている。しかし、これまで傭兵をして来た彼にはアグストリアの歴史だの近年の様子なんて殆どわからない。
それに対して、デルムッドはもしもアレスが見つからなかった時は代わりにアグストリアを治めることになるからと、オイフェから様々なことを学んでいた。そして、もしもアレスが見つかった時はその補佐をするようにと教えられていた。
戦いが終盤に差し掛かった今、解放軍の面々は戦いの後の事を考えはじめていた。そして、デルムッドもアレスを指導者として立てるための準備を始めたのである。
「あいつの言いたいこともわからなくはないが、いきなり押し掛けて来て3時間ぶっ続けで歴史の講議なんか聞かされては堪らん。」
「それで逃げて来たの?」
ナンナの呆れた声に、アレスは素直に頷いた。
隙を見て部屋を飛び出し、あちこち走り回ってデルムッドを引き回した挙げ句にナンナの部屋へ逃げ込んだのである。
「だからって、何で私の部屋に逃げ込むのよ!?」
アレスの姿を捜し求める時に、ナンナの部屋は捜索対象に入っている。こんなところに居たら見つかるのは時間の問題だ。
「他の奴のところじゃ、追い出されるかデルムッドに突き出されるのがオチだ。」
少なくとも他の女の子達の部屋は最初から逃げ込める対象に入らない。その上で、ティルナノグ組はデルムッドの味方だから除外。ラクチェの味方のヨハルヴァと彼と同室のアーサーもそれに準じる。もちろん、リーフに助けを求めることなど出来るはずがない。ハンニバル将軍とコープルの部屋なんかに逃げ込もうものなら、デルムッドの言い分を認めて突き出されるか、2人掛かりでアレスに説教するに違いない。残るは一人部屋のファバルとセティだが…。
「お兄ちゃんは当てにならないわね。」
自分が似たような目にあったことがあるから匿ってくれるかも知れないが、逆にアレスも同じ目に合わせてやろうとする可能性が大きい。
「セティのところは親子喧嘩の真っ最中で入れなかった。」
逃げ込もうとしたら部屋の外まで声が聞こえていたので素通りせざるを得なかったのだ。
しかし、こうなるとますますデルムッドがこの部屋へアレスを捜しにくるのは時間の問題である。アレスがここにしか逃げ込めないと思ってるように、デルムッドもまたアレスが逃げ込める場所はここしかないと見当をつけてくるだろう。
「どうする、ナンナ? 匿ってもいいけど、一晩中ってわけにはいかないわよ。」
「でも、お兄様に突き出すわけにもいかないし…。」
デルムッドが自分の使命を思い出して焦る気持ちもわからないではないけれど、いきなり長時間の勉強を押し付けられたら堪らないというアレスの気持ちもナンナやパティにはわかるのだ。

どうしようかと2人が話し合っていると、部屋の扉がノックされた。
「ナンナ、起きてるか? アレス様が逃げ込んで来なかったか?」
予想通り、デルムッドが捜しに来てしまったのである。
「頼むっ! デルムッドを誤魔化してくれっ!!」
アレスは小声で2人に頼み込んだ。その切迫した様子に、とりあえずここはデルムッドを躱すことにして、アレスを部屋の隅に潜ませてパティが応対に出た。
眠りかけたところを起こされたような振りをして白を切ったパティにすっかり騙されたデルムッドはあっさり引き上げていった。
「助かった〜。」
アレスは部屋の隅でへなへなと座り込んだ。
しかし、ひとまずデルムッドを躱したとは言えまだ部屋へ戻るわけにはいかない。かと言って、このままナンナ達の部屋に居座るわけにもいかなかった。
「クローゼットに押し込めちゃおうかしら?」
部屋には広めのクローゼットがあるが、中は空っぽなので木の根っこで仮眠してる時くらいの感覚で休むくらいは出来る。扉の隙間をちょっと開けた状態で取っ手同士を縛っておけば、窒息することは無いし中から勝手に出ることも出来ない。
「ナンナがそうしたけりゃそれでもいいけど、それじゃ一時しのぎよ。」
そう言うなり、パティは服を着替え始めた。
「あっ、アレス様。あたしがいいって言うまでそのままこっち見ないで下さいね。」
声を掛けられてアレスはついそっちを向きかけたが、見るなと言われて慌てて反対方向を向いた。
「もういいですよ〜。それじゃちょっと出掛けてくるね。」
「どこ行くの?」
「レスターのところ♪」
そう言い残すとパティはすべるような足取りでレスターの部屋へ向かって走って行った。かなりのスピードで走ってるにも関わらず足音が聞こえないのは、さすが元盗賊といったところだろう。
しかし、はたと気がつくとナンナはアレスと2人っきりで部屋に取り残されていた。しかも、今のナンナは下着の上にガウンを巻き付けた格好である。
「ねえ、アレス。」
「何だ?」
「パティが戻ってくるまで、そこから一歩も動かないでね。」
いきなり滅茶苦茶な注文を付けられたアレスはムッとしたが、ナンナがジリジリと後退しながら「動いちゃダメよ」と言ってるのを見て、ナンナの言わんとしてるところを察した。
クスッと笑って冗談混じりにアレスは切り返した。
「そんなに心配なら、クローゼットに押し込めるか?」
すると、アレスのことをマジマジと見つめながらナンナはポンッと手を打った。
「ああ、そうね。それがいいわ。」
そして本当にアレスをクローゼットに押し込めてしまったのだ。
「俺って、そんなに信用ないのか。」
追い立てられるようにしてクローゼットに押し込められた上、マジックペン1本分の隙間を残して取っ手同士をタオルで縛られてしまい、アレスはぼやいた。
「だって皆が、アレスは手が早いって言うんだもの。」
「他の奴らと俺とで、他の奴らを信用するのか?」
「この場合、多数決なの。それにお父様からも節度あるおつき合いをって言われてるし…。」
多数決で俺はこんなところに押し込められたのか、とぶつぶつ言いながらアレスはパティが戻ってくるまでの間、ナンナと隙間越しにデルムッドに関する愚痴などをこぼしながら過ごした。
しばらくして、パティがレスターを連れて戻って来た。
「話はついたよ〜。これからは夕食後2時間だけにするようにレスターが説得してくれるって〜♪」
明るく声を掛けながら入って来たパティは、返事がないことを不審に思い部屋の電気をつけた。するとそこには、クローゼットの前で眠っているナンナと、クローゼットの隙間からそれを困った様子で見つめているアレスの姿があったのだった。

-End-

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